第6話 荒野の夜
灰の荒野は、想像していたよりも静かだった。
もっと荒れ果てていて、
風が唸り、魔物が徘徊し、
一歩進むごとに死の気配が漂っている――
そんな場所を思い描いていた。
だが現実は違った。
地面は乾き切っているが、崩れるほど脆くはない。
空気は冷たいが、呼吸を阻害するほどではない。
そして何より――
静かすぎた。
「……妙だな」
俺は小さく呟き、周囲を見渡した。
灰色の大地が、どこまでも続いている。
岩陰も少なく、隠れる場所はほとんどない。
それなのに。
足音が、ない。
羽音も、唸り声も、気配すら感じない。
この荒野は、魔物領の縁に位置するはずだ。
生存率が低いとされる理由も、
魔物の多さにあると聞いていた。
――なのに。
俺は、既に半刻以上歩いている。
だが、一度も襲われていない。
背負っている袋の重みを確かめる。
水は半分ほど。
食料は、今日と明日の分くらい。
「……夜までに、風を避けられる場所を探すか」
そう判断し、歩を進める。
やがて、地形がわずかに変わった。
小さな岩場が連なり、風の流れが弱まっている。
ここなら、夜を越せそうだ。
俺は外套を広げ、岩陰に身を寄せる。
火打ち石を取り出し、小さな火を起こした。
火が灯る。
その瞬間――
俺は、確かに感じた。
何かが、遠ざかる感覚。
気配、と呼ぶには曖昧だ。
だが、確実に“あったもの”が、
火を境にして消えた。
「……今のは」
耳を澄ます。
静寂。
それは変わらない。
だが、先ほどまでと質が違う。
まるで――
この場所一帯が、俺を避けているような。
火の前に座り、俺は息を整えた。
心拍は落ち着いている。
追放された直後だというのに、
恐怖で思考が乱れることもない。
「俺、本当に――」
無価値なのか?
その問いは、
この数時間、頭から離れなかった。
神殿の水晶は反応しなかった。
加護値は0。
この世界の基準では、最底辺。
だが、実際に荒野に立ってみると、
“生きられない”感覚がない。
それどころか。
「……守られてる?」
自分で言って、違和感を覚える。
守られている、というより――
拒絶されていない。
世界に。
この荒野に。
俺は、火を見つめながら、
ゆっくりとパンを齧った。
硬い。
だが、味はある。
噛み締めながら、
ふと、昔のことを思い出す。
子供の頃から、
不思議と大きな怪我をしたことがなかった。
訓練で剣を振れば、
いつも致命的な一撃だけは外れる。
落馬しても、
骨折で済む。
周囲は「運がいい」と言った。
俺も、そう思っていた。
――だが。
今なら、違う解釈ができる。
火が、ぱちりと音を立てた。
その瞬間、
岩場の向こうに、影が動いた。
反射的に、体が強張る。
来たか。
魔物。
俺は、ゆっくりと立ち上がった。
武器はない。
あるのは、拾った石と、火。
影は、確かにこちらを見ている。
だが――
近づいてこない。
距離を保ったまま、
じっと、様子を窺っている。
月明かりに照らされ、
その姿が見えた。
狼型の魔物。
灰色の体毛。
赤い目。
荒野に生息する、下位とはいえ十分危険な存在。
普通なら、
見つかった瞬間に襲いかかってくる。
だが、その魔物は。
低く唸りながら、
一歩、後退した。
「……?」
俺は、一歩、前に出た。
すると――
魔物は、はっきりと身を翻し、
逃げた。
全力で。
岩陰に消えるまで、
振り返りもせず。
俺は、その場に立ち尽くした。
「……は?」
理解が追いつかない。
今のは、
威嚇でも、警戒でもない。
完全な撤退。
俺は、何もしていない。
ただ、立っていただけだ。
火の前に戻り、
深く息を吐く。
手が、微かに震えていた。
恐怖ではない。
――戸惑いだ。
「……水晶が反応しなかった理由」
それが、少しだけ、見えた気がした。
俺は、空を見上げる。
星が、やけに近い。
この世界は、
俺を“拒否”していない。
むしろ。
「……俺を、前提にしてる?」
そんな馬鹿な、と頭では思う。
だが、
荒野の静けさと、
逃げた魔物の姿が、
その考えを否定しなかった。
俺は、外套に身を包み、
火を保ったまま横になる。
眠気が、自然と訪れる。
追放された人間が、
初夜から眠れるはずがない。
――なのに。
目を閉じた瞬間、
意識は、すとんと落ちた。
夢は、見なかった。
ただ、
深く、静かな眠り。
その夜、
俺に近づく魔物は、
一匹もいなかった。
本話もお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも続きが気になる、と感じていただけましたら、
ブックマーク や 評価 をお願いします。
応援が励みになります!
これからもどうぞよろしくお願いします!




