第4話 父という名の裁定
クロウゼン邸は、いつもより静かだった。
王都の中心にほど近い場所に構える屋敷は、中堅貴族として十分に立派だ。
磨かれた廊下、白い壁、飾られた肖像画。
けれど今の俺には、それらがまるで他人の家のように見えた。
玄関を入ると、使用人たちが視線を逸らした。
頭を下げる者もいない。
普段なら必ず「お帰りなさいませ」と声をかけてくる老執事すら、廊下の端で固まったまま動かない。
……そういうことか。
俺は、余計な言葉を飲み込んで歩を進めた。
父に呼ばれている。
場所は、家の中で最も“家の意思”が決まる部屋――家議室。
扉の前に立つと、警備の騎士が二人いた。
クロウゼン家の私兵ではない。
王国の紋章を付けた、王都警備隊。
俺は何も言わず、扉を叩いた。
「入れ」
中から父の声がする。
家議室には、父と母、そして長兄がいた。
さらに、見慣れない男が一人。細身で、教会の紋章を胸に付けている。
神官だ。しかも、ただの神官ではない――事務官に近い顔。
机の上には書類が積まれ、蝋印が押された封筒がいくつも並んでいた。
父は俺を一瞥し、すぐに書類へ視線を戻す。
「座れ」
俺は椅子に腰を下ろした。
椅子の背が、妙に硬い。
「結論から言う」
父は淡々と言った。
「お前は、今日付けでクロウゼン家の籍を抜ける。
家名は剥奪。財産権も失効。今後この屋敷に立ち入ることも許さん」
その言葉を聞いた瞬間、母が小さく肩を震わせた。
だが、泣き声は出ない。
泣くことすら許されない場なのだ。
長兄は腕を組み、視線を俺に向けない。
もともと、俺とは距離があった。
兄は家を継ぐ者として、常に“正しさ”に寄り添う人間だった。
「……それは、王国法に基づく手続きですか?」
俺がそう問うと、神官が答えた。
「はい。無価値認定を受けた者が貴族籍を保持することはできません。
さらに、家が保護を放棄する場合――王国籍の剥奪と国外追放が迅速に適用されます」
「迅速に」
その言い方が、ひどく機械的で、妙に現実感があった。
父が言葉を継ぐ。
「明日、王の裁定が下る。
だが、こちらから“家として放棄する”と届け出れば、裁定は形式になる」
「……つまり」
「お前はこの国から出る。二度と戻れない」
父は、そこまで言って一度息を吐いた。
「恨むな。これは家を守るための判断だ」
まるで、教科書でも読んでいるような声音だった。
「……守るため」
俺はゆっくりと言葉を繰り返した。
「家を守るために、俺を捨てるのか」
父の眉がわずかに動く。
「捨てるという言い方は違う。
お前は――“無価値”だと認定された。
それはこの国の仕組みだ。
家がそれに逆らえば、家全体が沈む」
「……沈む」
父は頷く。
「お前一人を残して、クロウゼン家が潰れるのは愚かだ」
その瞬間、母が小さく声を漏らした。
「あなた……!」
だが父は母を見ず、俺を見た。
「分かるだろう、レイ。
お前は賢い子だった」
――それは、褒め言葉ではない。
「賢いなら理解しろ。
ここで感情を見せても、何も変わらない」
俺は、静かに父の目を見返した。
「……俺は、いつから家族じゃなくなった?」
母が息を呑む。
長兄が僅かに顔を歪めた。
父は、少しだけ間を置いた。
「測定の結果が出た瞬間だ」
即答だった。
その答えの速さが、むしろ残酷だった。
迷いがない。
ためらいがない。
俺は、胸の奥が冷えるのを感じた。
悲しいとか、悔しいとか、そういう単純な言葉ではない。
自分がこの家で積み上げてきた時間が、
数字一つで消し飛ぶ感覚。
神官が書類を一枚、俺の前に滑らせた。
「こちらが離籍および財産放棄の書です。
署名を」
ペンが置かれる。
俺は紙を見た。
そこに書かれているのは、俺がこれまで“俺”として持っていたものを全て捨てる文章だ。
「署名しなければ?」
神官は淡々と答えた。
「王国の手続きが長引きます。
ですが最終的な結論は変わりません」
父が言う。
「余計な手間をかけるな」
命令口調。
俺はペンを取った。
そのとき、母が立ち上がった。
「レイ……ごめんなさい……!」
母の声は震えていた。
それでも母は、俺の方へ歩こうとした。
だが、扉の近くにいた王都警備隊が、さりげなく一歩前に出る。
物理的に、母の動線を塞いだ。
母は、その場で止まるしかなかった。
父はそれを見ても何も言わない。
――これが、現実なんだ。
俺はペン先を紙に当て、署名した。
レイ・クロウゼン。
自分の名を書く行為が、こんなにも奇妙に感じるとは思わなかった。
これを書いた瞬間、俺は“クロウゼン”ではなくなる。
署名を終えると、神官は素早く紙を回収した。
「これで手続きは完了です。
荷物は持ち出し不可。
身に着けている衣類と最低限の身分証のみ許可されます」
「身分証?」
思わず聞き返すと、神官は少しだけ首を傾げた。
「……元貴族であることを示すものとして。
国境での処理が円滑になります」
元貴族。
便利な言葉だ。
もう何の権利もないのに、“処理”のためだけに名残を残す。
父が立ち上がる。
「今夜はこの屋敷で休め。
明朝、護送が来る」
まるで、客に告げるように。
「……最後に一つ」
俺は立ち上がり、父に言った。
「父上は、俺が無価値だと本気で思っているのか」
父は、初めて俺の目をまっすぐに見た。
「思う必要がない」
そして、言った。
「神と王国がそう決めた。
それで十分だ」
――ああ。
父にとって“価値”とは、自分で判断するものじゃない。
決められた枠に収まるかどうか。
それだけだ。
俺は頷いた。
「分かった」
それ以上言うことはなかった。
言葉を重ねれば重ねるほど、虚しくなるだけだ。
家議室を出るとき、母が声にならない声で俺の名を呼んだ。
俺は振り返らなかった。
振り返ってしまえば、
ここで終わるはずの感情が、崩れてしまう気がしたから。
廊下を歩きながら、俺はふと自分の胸を押さえた。
痛みはない。
震えもない。
ただ、冷たい静けさがある。
――明日、俺はこの国を追われる。
無価値として。
けれど。
「……変だな」
小さく呟く。
絶望より先に、
胸の奥で、何かが“正しい位置に戻っていく”ような感覚があった。
まるで、俺の中の何かが言っている。
ここからが、始まりだ。
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