第15話 名を捨てた男
夜明けとともに、俺は歩いていた。
村を離れてから、
既に半日ほどが経つ。
荒野は相変わらず静かで、
風の音だけが、一定のリズムで耳に届く。
「……もう戻れないな」
呟いた言葉は、
後悔でも未練でもなかった。
事実の確認だ。
王国籍は剥奪された。
家名も失った。
法の上では、
俺はもう“存在していない”。
それでも、
足は動く。
呼吸は続く。
世界は、
何も変わらず回っている。
「……不思議なものだ」
名を失って、
初めて気づく。
名前とは、
守るためのものでも、
縛るためのものでもある。
クロウゼン。
その名は、
貴族としての立場を与えてくれた。
同時に、
“従うべき正しさ”も背負わせていた。
父の価値観。
家の都合。
王国の期待。
「……全部、置いてきた」
立ち止まり、
俺は背負い袋を下ろした。
中身を、
一つ一つ取り出す。
乾いたパン。
水袋。
外套。
そして――
身分証。
薄い金属板に刻まれた、
レイ・クロウゼンの名。
王国で生きる証。
俺は、それを手に取った。
「……これが、
俺だった」
しばらく、
黙って見つめる。
怒りはない。
悲しみも、
もう薄れている。
ただ、
距離がある。
まるで、
他人の名前を見ているような。
俺は、
それを地面に置いた。
そして――
踏み割った。
金属が歪み、
刻まれた文字が潰れる。
もう、
戻れない。
だが、
それでいい。
「……これで、
完全に“外”だ」
神にも。
王にも。
教会にも。
どこにも属さない。
誰にも測られない。
その感覚は、
不思議と軽かった。
俺は、
身分証の残骸を、
砂に埋める。
風が吹き、
すぐに跡は消えた。
「……さようならだ、
レイ・クロウゼン」
声に出して、
そう言った。
名を捨てるとは、
過去を否定することじゃない。
過去に、
支配されないと決めることだ。
俺は、
背負い袋を担ぎ直し、
歩き出す。
行き先は、
まだ決めていない。
だが、
進む方向はある。
王国の外。
教会の目が届かない場所。
加護値という言葉が、
意味を持たない土地。
そこに、
拠点を作る。
支配するためではない。
守るためでもない。
ただ、
“選べる場所”を作る。
それだけだ。
歩きながら、
ふと、
王都の光景が頭をよぎる。
父の背中。
婚約者の冷たい目。
王の無関心な声。
だが、
もう感情は動かない。
彼らは、
彼らの正しさを選んだ。
俺も、
俺の選択をした。
それだけの話だ。
空を見上げる。
雲一つない青。
この空は、
王国の上にも、
荒野の上にも、
等しく広がっている。
「……次は」
小さく呟く。
「生き方を、
形にする番だ」
無価値と呼ばれた男が、
どんな世界を作るのか。
それを、
誰かに証明するつもりはない。
ただ、
示すだけだ。
歩き続ける俺の背後で、
風が、
一瞬だけ、強く吹いた。
まるで――
何かが、
追いつけないまま、
置き去りにされたかのように。
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