死の実感こそが最高の快楽である
私は自分の部屋の一室で、鍵盤を奏でていた。心の赴くままに、ただ音を羅列する。すると音は勝手に整列し、私に音楽を届ける。こいつらは否応なしに何でも聞いてくれるから、私は音が好きだ。
そのまま奏でていると、ふと違和感が迸迸る。音への興味が失せ、手を離すと、音は儚く消えていった。そして、鍵盤に立てかけるように置いていた愛剣を腰に携え、部屋を出て行った。
違和感の出所はゴルドーラ高原であることを確信し、何とも言えない嫌悪感を押しつぶし、そのまま皇国の裏門をすり抜けていった──────────。
しばらく走っていたら、違和感の発震点のすぐ近くに巨大な肉塊が吠ていた。だが、こいつは違和感の正体ではなく、偶々この地に生まれてしまった残念な奴であった。そしてただ殺した。汚くて臭い声と血を吐き散らしながら。
すると、違和感が近づいてくる。愛剣にかかった血を草花に与え、違和感を迎え撃つ。人の形が見え、そのまま構える。そして、私の間合いに踏み入った瞬間に足を切り落とす。
彼が悶えて、気絶した。後悔はない、むしろこの瞬間だけ神に感謝した。彼の透き通り、触れるだけで溶けてしまう無垢で白い肌。純黒な髪、その髪は妖しくも少年の額と瞳を隠していた。その前髪をなぞるようにしてまつ毛に優しく触れる。それは柔らかな硬さであった。そして涙で閉じられた目をこじ開け、瞳の色を確認する。蒼くて、深部まで透き通った海底の色をしていた。
そのまま、耳も頸も首筋も全て撫でていき、切り落とされた足も撫で、純白な骨も愛おしくなでる。
彼は、全てが無垢であった。
彼の綺麗な体と足を抱え、天を向く。この少年に出逢ったことを人生最大の僥倖とし、未来へと咆哮する。
「今だけは私の心をキサマらに分けてやろう!この気持ちを理解することを許す!!嗚呼……君は私だけのモノだ……アハ、ェアッハッハッハッハッハアアァァァ──────────────。」
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「え、まじで?それ名乗っちゃって良いの?いやそもそもあんたがどういう人物なのか知らないしハクヨウセイ皇国というものも知らないんだが.......。」
いろいろな情報が一気に頭に入り、いよいよ整理が追い付かなくなってきていた。気絶していた時間を除き、おそらく1時間程度しかこの世界に存在していない。この1時間で今の情報を整理するには流石にもう少し時間が必要だった。
「順を追って説明する。だがまずはこの錆臭い部屋から出よう。ほら、立てるかい?」
彼女は、再生した足の違和感でいまだ磔台に座っている俺に、左腕を少しばかり前に出し歩行の補助をしてくれるようだった。だが、あまりに綺麗なその手を拝借するのは気が引けたので、なんとか立って歩くことにした。
だが、この行動は彼女を少しばかり傷つけることになってしまった。なぜなら彼女の視点からは、異常者の手など借りることはできないだろうな。そう解釈してしまうからだ。彼女の少し寂しそうな顔をみて俺は自分のことを叱責した。
道中、特に会話はなかった。なんとなく話す気になれなかったのだ。それに、自分の中の生きてきた現実と大きく乖離しているこの牢獄で平然と会話をすると、この世界に順応してしまった気がしてほんの少しだけ複雑だった。まだ心は故郷に、日本にいるという希望を持ちたかったのだ。
それは、藺草を置いてきてしまった罪悪感からなのだろう。
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しばらく、牢獄を歩いているとようやく脱出できるようだった。だが正直、あの牢獄が恋しくなってしまっていた。彼女の白金のようなその姿が、脳に焼き付いてしまったからだ。先ほどまで脱出したい一心だったが、いざ解放となると想い出の生み親である牢獄を出るのは、巣立ちするような感覚に陥り名残惜しく感じたのだ。
「あそこの扉から私の部屋に入る、だから私が許可するまであまり見ないでくれよ。いくら私とは言え、乙女ではあるのだから。」
「え?待て待て待て……。それって………牢獄とあんたの部屋が繋がってるってことか?Ooh Jesus……。」
そう、この牢獄は彼女の部屋と繋がっていたのだ。あの血生臭い匂いは全て彼女の拷問、斬殺、斬首などの惨い歴史なのであった。
「驚くことでもない。私のような上流階級、それ以上の者は隠し部屋や自分専用の牢獄などを作っているものだ。まぁ─────用途はそれぞれだがな。秘密裏に処理したり詮索したい相手がいると、よく私は自分の牢獄を使うんだ。」
「いやいやいや……処理ってマジかよ…………。割と良い人かと思ったけど極悪人じゃあないか……。あんたが異常者って言われてる理由がほんの少し理解できた気がするぜ。」
「ふむ、極悪人か。君の認識ではそうなるのか。なに、極悪人と呼ばれたこともあるがこんなの極悪のうちにも入らないと思うさ。もちろん、異常者という肩書きも。」
彼女はなんの躊躇もなくそれを言って退けた。彼女に一目惚れしたときは純白無垢かと思ったが、その実煤まみれで汚れていた。だが、一目惚れは恐ろしい。そのようなことを聞かされても驚きも恐怖もするが怖気付きはしなかった。ただ、まだ一般人であった自分には想像が付かなかったという理由が大きいが。
「うんまぁ、その話はおいおい聞くことにするわ……。ひとまずここで話すのもなんだしさっさと部屋に入ろう。休憩したい、ガチのマジで。」
「それもそうだな、では入れ。血縁であっても私の部屋にこの私が許可して足を踏み入れさせるのは、今まで誰として居なかったからな。君は僥倖者だ、誇って良い。」
「いや別にそこまで嬉しくもないし誇れることないんだけど……あんたに殺されかけてるんだからこっち!?」
「まだ気にしているのか?器が小さいな。私が許可した『初めての男』なのだからもう少ししっかりしてくれ。私が辱められるじゃあないか。」
「あの!?それってあんたの部屋に入るっていう許可ですよね?そうなんですよね?!」
俺の言葉を聞くとイタズラな表情で、しかし穏やかな笑顔で微笑んだ。そのせいでまた心臓がドクン、と一瞬だけ鐘を鳴らす。心地よい動悸であった。
そして、彼女はいよいよその扉を開いた。
「さぁ、ようこそ私の部屋へ。君は歓迎するよ。そして感想を述べたまえ。今だけはこの部屋を凝視することを許可する!ちなみに、私の気に入らない回答だった場合即刻斬刑だからな♪」
その部屋を見た瞬間、次は部屋に一目惚れをした。だって、あまりに無垢だったから。豪勢な部屋だとか白で基調されたからからだとか。彼女に惚れたからその部屋に惚れただとかそういう理由で惚れたのではなくもっと形而上の何かであった。ただ理由もわからず、一目惚れをした。
彼女がこの部屋に誰も入らせな理由が何とはなしに理解できた。おそらく、ただ愛しただけなのだろう。そして独り占めしたかったのだろう。
「言葉にできない、感想が出てこない。だって俺はこの部屋に惚れてしまったから。あんたがこの部屋に誰も入れさせなかった理由がほんの少し理解できた気がする。」
「ああ.......ああそうだとも!!!この部屋のすばらしさをやはり君は理解してくれるのか!!私が見込んだ男!君は私の『初めて』にふさわしい!私と婚約してくれないだろうか!いやこれは命令だ!白耀聖皇国第一皇女アルドール・ヴァレンタインの名を以て命ず。私の婿となり、其の身を未来永劫この私に尽くしたまえ!」
「..............脳が過負荷状態に陥りました。オーバーヒートのため急速に冷却することを推奨します。また、放置すると脳に深刻な汚染を引き起こす可能性があります。」
「おや?壊れてしまったか。大いに結構、傀儡とて生命尽きぬのであればそれは人間。私の部屋で輪回の鎖を其の身に結ぼう。」
「いや怖えぇ!勘弁してくださいまだ俺にはやるべきことがあるんだッ!……いやあんまないかも。とっとは言え!なっなんで急にそんな話になるんだよ?!知り合ったばっかだろ?」
「なに、簡単なことさ。君に惚れた、以上だ。」
彼女は無表情でそれを言い退けた。こちらにそれ以上のことがあるか?と問いかけるように首をほんの少し左に傾けていた。いろんなことが立て続けに起き過ぎてすでに脳がパンク寸前、いや既にパンクして思考を放り投げていたが、せめて理由だけは聞くことにした。
「理由を聞かせて欲しい。なんかもう訳分かんなすぎてぶっ倒れそうだからそれだけは聞かせて。」
「一目惚れだ。君は綺麗だ、純粋だ。汚れを知らず煤れてもいない。無垢だ。君のような真っ白な者を私は探していた。君を護りたい。ただそれだけだ。これ以上の理由が必要か?」
複雑な気持ちだった、真正面で無垢だと言われるのが、護りたいと言われるのが。お前は何も知らなくて良い何もしなくて良い、ただ居てくれるだけで良い。そう言われた感じがしたからだ。そんなの唯の人形ではないか。
そして、この感覚を前にも感じたことがあった。記憶が霞がかっていて明瞭に思い出せはしなかったが、はっきりと言えるのはそれを他人に言われた訳ではないと言うこと。ただ感じたのだ、汚れに満ちた視線による悪寒が走る感覚を。
だから、一先ずは気持ちの整理のため保留にする旨を彼女に伝えることにした。ここではっきりと断れば良かったのだが、それをすると首が吹っ飛びそうだと勝手な憶測を立てた。保留という選択肢が一番の悪手だということを知らないせいで。
「ごめん。まだ俺はあんたのことを全く知らない。しかも今は頭が回らない。いろいろ整理してからまた返事する。」
「は、なるほど。命令に叛く訳でも従う訳でもない、と。ふむ、そうか。」
ここでようやく知った。彼女が異常者と呼ばれている所以を。
「クッ……アハ、アァハハハハハハハァァァアアーッ!!!大いに結構!!!今ァ!貴様をこの場で斬刑に処すと確定させた!因果だ!ここで!この部屋でェ!消刻で冥界に葬ろう!引き伸ばされた永遠の思考の奈落に堕ちて苦しむが良いさ……。誇れよ下郎、ここまで私を辱めたのは貴様が『初めて』、だ。」
「なっ……何を言っ………ぇあ?ぁ………あ?」
この時の記憶は、ない。これからも思い出すつもりはない。ただし消すつもりもない。なぜなら───────。
★☆★☆
彼女の笑い声を聞いた瞬間、俺は硝子に閉じ込められた。瞬間的に本能が意識を乖離させてくれたのかもしれない。第三者の視点から自分の体を硝子越しで観た。明暗の差しか分からなく、くぐもっていたが。しきりにその硝子を叩くけど、そこにそれなんてなくて。だけどハッキリと硝子はあった。
自分の体が彼女に斬られていくのが少しだけ見えた。しかし痛みはなかった、恐怖もなかった。ただ冷静に、斬られている。それだけを観た。物事の俯瞰というのはこのような感覚なのだろう。そんなことを考えていたら、硝子の向こうから誰かが来た。硝子の曇りのせいで顔は見えなかったが、懐かしい感覚があった。その人の顔をしっかりと見ようとすると急に俯瞰が終わり、俺の意識は凍結した。
──────ただいま、縺雁?縺。繧?s。
お前………………は。
★☆★☆
「案外と呆気ないものか。君には少しだけ期待していたんだが……。まぁ良い許してやろう。おっと、脳みそが滑り落ちてるではないか、今戻してやろう。こら、そんなに暴れるな戻し辛いだろう。────あぁ、寂しいのか。よしよし……ふふっそんなに愛おしい瞳で私を見るな、恥ずかしいだろう?安心しろ私の『初めて』の男だ、しっかりと飾ってやる。」
彼のその瞳は、私を見てくれた。狂おしく愛おしい、なんて艶やかなんだろうか。しかし残念ながら、私は彼の脳みそを飼育できるほど器用な人間ではなかった。そのため、空になった頭に慎重に戻した。そして、治癒魔術で元の状態に完璧に戻した。寂しい気分だ、私がもっとしっかりしていればもっと穢せたのに。不甲斐ない自分に腹がたつ。だがこれから婚約するんだ、多少ドジである方が女としての魅力もまた引き立つだろう。
「さぁ、お手をどうぞ。」
ふと、彼の体が動いた。おかしい、なぜ動いたのだろうか。いくら元の状態に戻したとはいえ既に壊れた筈。そして、彼の真っ黒な瞳がこちらを覗く。気色が悪い、その瞳は私を見ていない。憎い、憎い憎い憎い。穢れた瞳で私を見るな。それは私への冒涜だ。貴様は誰だ、彼を穢すな。
「酷いことを………、結構痛かったですよ。でも良い気分だった。久々に縺雁?縺。繧?s。を感じたから。さてと──────────殺す。」
消刻のうちに、彼は私の鳩尾に貫手を施した。決して捉えられない攻撃ではなかったが、一時の迷いで弱点を貫かれた。そうして、そのまま神経や臓物を引きちぎりながら引き摺り出した。久しく感じていなかった痛みが私を誘う。命の燈が急速に明滅し今際であるのに、痛いのに───────気持ちいい。やはり痛みは、死は最高の快楽であろう。
───────そして私は敗れた。115年間生きてきた私は2度目の敗北を期したのだ。
ありがとう。これでまた生きる理由が増えた。
そして、修復された生命を感じながら我が身をのろりと起こし……。
さぁ、御手を拝借するよ、私のあなた。




