そうしましょうか
「アグリさん。遅くなってすまない。一人で心細い思いをさせてしまったね」
「いえ、大丈夫です。非常に快適に過ごせました」
翌朝。
ドルドの隠れ家にはヴィンスが迎えに来てくれた。
強がりでなんでもなく、ドルドの隠れ家は素晴らしかった。七色の夕日には目を奪われたし、白い海に映る夜空も言葉にならない美しさだった。
食べ物は保存の効く物ばかりだったがアグリには充分なご馳走で、ベッドを勝手に使うのは躊躇われてソファで寝たが全く問題なかった。
秘蔵の酒を海に流すのは止めておいた。
(心細くはなかったけれど……あの素晴らしい景色をヴィンス様と一緒に見られたらよかったのに、とは思ったわ。そんなことを言えば、図々しい女だと思われてしまうかしら?)
「どうした?」
もじもじするアグリに気付いてヴィンスが覗き込むようにする。
アグリは慌てて何もない、と首を振ってみせた。
(おかしいわ。会えなかったのはたった一日なのに。ヴィンス様の美しさへの耐性が、すっかりなくなってしまったみたい。……ううん。初めてお会いした時よりずっとどきどきしてしまう。私の心は抑えが効かなくなってしまったのかしら……)
そのまま二人は騎竜に乗って魔王城に戻る。
ぴったりと寄り添う体勢に、高鳴る胸の鼓動を悟られないようにするのにアグリは懸命になっていた。
その道中、アグリは魔王城内で起きている出来事を聞かされた。
「まあ。公爵様が殿下を迎えに」
クロ公爵とは直接言葉を交わしたことはないが、式典か何かで何度か姿を見かけたことはある。
「君の元婚約者を囮にして城内を回ってな。一晩かかってしまったが、ひとまず全員確保して、今はひと部屋に押し込めて国に帰るよう説得させている」
「? せっかくお迎えが来たのなら、そのまま殿下が公爵たちとお帰りになればいいのでは……」
「……まだ帰りたくないらしい。あの男、諦めが悪いにもほどがある」
ヴィンスは眉間に出来た皺を指でほぐす。
まだトウルは聞き分けてくれなかったのかとアグリは驚いてしまう。
やがて二人は魔王城に到着する。
建物に入ると、中はなんだかざわめいていた。
「どうした?」
ヴィンスが通りがかった者を捕まえて尋ねる。
「小広間に閉じ込めてた人間か何人か脱走した。だから牢屋にしておけと言ったのに……!」
言い残してぱたぱたと走って行ってしまう。
それを見送ったヴィンスは首を振った。
「一体何がしたいんだあの者らは。魔力補正もそう長くは保たないぞ」
「なんだか……私の出身国の方々が申し訳ありません……」
「君のせいではない、そんな顔をしないでくれ」
(本当に、目的がわからないわ)
アグリは首を傾げるしかない。
どうしてこんなにじたばたするのか。皆で襲い掛かってトウルの気を失わせて国に連れ帰り、二度と魔法が使えないよう制御の魔道具でもつけてしまえばいいだけの話ではないのか。
(まあ、確かにそのような魔道具は罪人の証と同じだし……王家としてはありえない処遇なのかもしれないけど)
だからと言ってトウルと別行動になってどうするのだろう。
まさかこの城に紛れ込めた機会に魔王を倒そうとでもしているのだろうか。
「ともかくアグリさんは客間に控えていてくれ。……ちなみに問題の人物たちを処分してしまったら貴女は悲しいか?」
「悲しくはないですが嫌な気持ちにはなるでしょう」
「……なるほど。ではそれは避ける方向で」
ヴィンスは残念そうに言った。
客間へ戻る為、大階段のあるホールに出た時だった。
「アグリ‼」
突如、階段の上から名を呼ばれた。
鋭い殺気と共に飛んできた何かを、ヴィンスが作った防御壁で弾き落とす。
カラン、と音がして剣が床に転がった。
「……まあ。クロ公爵」
そこに立つのはトウルの祖父であった。
トウルとは似ても似つかないいかめしい風貌。むしろグランドにどこか似ている雰囲気があった。顔の真ん中に入る斜めの切り傷は、かつて敵軍の将と一騎打ちになり勝利した時のものだ聞いている。
息を切らし、凄まじい怒気を漲らせたクロは仁王立ちのままアグリを見下ろしている。
「この、魔女めが‼ よくもかわいい我が孫を誑かしおって……!」
(あら。見解の相違が)
そうは思うものの、咄嗟に言い返せない。自分が15と信じていた時の、国の高身分の者への萎縮してしまう心はそう簡単には消えなかった。
「わずかでもまともな心があるのなら今すぐここで自死せよ‼ 貴様さえ死ねばトウルもここに残る理由が無くなるからな!」
そこまで言われて、なるほど、と心の中で納得した。
(公爵は、殿下の為に私を始末しに来たのね。殿下を無理矢理連れ帰ることも、私を国に戻すことも出来ないからそうなってしまったのでしょう)
他人から死ねと言われることにはさすがに胸が痛んだ。
けれどすぐそこにあるヴィンスの体の温もりが、アグリの心がひしゃげてしまうのを防いでくれている。
「で、これどうすんの」
「年寄り斬るのは嫌なんだけどなあ」
「!」
いつのまにか、クロの背後には剣を突き付けるツバキとドルドがいた。
「……どうする? アグリさん」
後はアグリの許可待ちだぞ、という匂いを隠さずヴィンスがこちらを覗き込んでくる。
「……アグリ!」
堪らずと言った感じで声を発したのは、そこに駆けつけてきたトウルだった。落ちている剣とツバキたちの様子で状況は察したらしい。彼の姿を見て何か言おうと口を開きかけたクロを全力の眼力で黙らせる。
皆がアグリの次の言葉を待っていた。
(私は。一体、どうしたいのか)
そしてアグリは居合わせた者たちを見回した。
「皆様! 私、ちょっと試してみたいことがあるんですけど、今やってみていいですか?」
誰も応えてくれないが、まあいいいかと思ってクロのいる場所まで歩いていく。
そこでアグリはクロに向かって「えい!」と一つの魔法を放った。
「……?」
魔法を受けたクロはしばらくぼうっとしている。我が身に起こる変化に備えたのだろうが、特に何も変化がない。
ヴィンスたちもきょとんとしていた。
「では。公爵さま、今この場で私を殴ってみて下さい!」
「何を、」
「あんた、」
静止しようとする者達を視線で抑える。
その間、クロは目の前に立つアグリを見下ろしたままぴくりとも動かなかった。
しばらくの時間のあと、クロはぐらりとその場に膝をついた。そして苦し気に口を開く。
「……貴様。何をした‼」
「ふむ。成功と言うことでいいのでしょうか?」
アグリは疑問だらけの顔をした他の者達を見回す。
「皆様。実は私、昨日からずっと、私のこれからを考えていたのです。これまでずっと上から言われる命に従うばかりだった私は、やりたいことも好きな物も何一つ思いつきませんでした。けれど……嫌いな物ならすぐ思い浮かんだのです」
「嫌いな物?」
「はい。私、治癒魔法の訓練が、何よりずーーっと大っ嫌いだったんです」
思わず拳を握ってしまう。
「ぶたれたり刃物で傷をつけられたり時には水に顔を押し付けられたりしました。とっても痛くて苦しくて私が15だからこんな訓練をしなきゃならないのねと毎日つらく悲しい思いをしていました」
「そのようなことを……されていたのか……」
話を聞いたトウルとケントの顔からさあっと血の気が引いていく。
アグリはうつむく。
「でも、本当は……本当は、自分でも気付いていたのです。これは訓練などというものじゃない、私が受け取らされている痛みや苦しみは、誰かの憂さ晴らしの為のただの暴力なんだって。……なので実は向こうにいる時からずっと一人で研究をしていました。この世から誰かが誰かを痛めつける行為がなくなればいいのに、と。……今、公爵様にかけた魔法はそれなんです。かけられた相手が誰かを害そうとすると、何をどうしていいか全くわからなくなってしまう、という術です。それでも無理に動こうとすれば体の力が抜けてしまいます」
アグリは続ける。
「もしも私にやりたい何かがあるとするなら。誰もが不必要な痛みを味わうことのない、そんな世界にしたいなって思うのです」
ドルドに顔を向ける。
「そういう意味では戦を失くしたいというドルドさんの願いはわりと私の望みと近いのかな? とも思います」
「! アグリ、ってことは、」
乗り出すドルドを手で制す。
「私は考えました。メルガ教の聖女として生まれ、1015の力を与えられながらこちらの世界に置いて行かれたという運命の意味を」
ここでアグリは片手を突き上げた。
「私! 魔界の神様になろうと思うんです!」
「え?」
皆の目が一斉にアグリに集まる。
「私は暴力根絶の神になります。この命ある限り、この魔法が魔界全体に届くよう広げていきたいと思います。いいとか悪いとか関係ありません、それで一人でも痛い思いをする誰かが消えればそれが私の勝利なのです!」
「アグリ……さん……」
ヴィンスがぽかんとアグリを見ている。
「ドルドさん、これは戦を失くすことに通じると思うので協力して下さいますよね?」
「あ? あ、ああ」
「待ってくれ」
そこにヴィンスが割り込んだ。
「話が見えない。貴女はこの先ドルドと共に何かをしようとしているのか……?」
「そう、なりますね。私の望みに近い仕事を一緒にやらないかと勧誘されたので」
ええ、と驚いたツバキたちがドルドに注目する。
ヴィンスはごくりと唾を飲んだ。
「そして貴女はそれを受け入れた……? 私との婚約をなかったことにして、ドルドと生きることを選んだのか……?」
「それは違います。ではこちらを先にはっきりさせましょう。ドルドさん、貴方と協力していくのはよいですが、恋愛的な意味では必要ありません。それで構いませんよね?」
「ああ、うん。あれ? これ振られたのか」
今一つ納得していなそうなドルドを置いて、アグリはヴィンスに向き直る。
「ヴィンス様。体の老い方として、人間の百年が魔族の一年というのは本当ですか?」
「……ああ。そのようだな」
「でしたらヴィンス様。私は私の百年を、自分の思うように生きてみたいと思うのです。その百年に貴方が隣にいてくれるならとても嬉しい。ヴィンス様の一年を、どうか私に下さいませんか?」
(これが、好きと言うことなんだ)
ここへ来て、アグリははっきりと自覚した。
美しい物を見る時も、つらい思いをするかもしれない時も。アグリは他の誰でもなく、ヴィンスに傍にいて欲しかった。
アグリはヴィンスがいなくとも生きていけるだろう。それでも。ヴィンスという存在が、アグリに力を与えてくれるのだ。
「アグリさん……!」
ヴィンスの瞳が大きく見開かれ、僅かに潤んだ。その手がすぐにアグリの手をつかむ。
「私などの時間でよければ、いくらでも……いくらでも貴女に捧げよう!」
「ありがとうございます!」
ぽっと頬を染め、うなづき返す。
「アグリよ。……それはつまり、この先魔界では武力が一切使えなくなるということか?」
そこで口を開いたのは、いつの間にかその場に来ていたグランドであった。アグリはしっかりと目を見て答えた。
「はい。非暴力的魔界征服をします」
「それは、なんと言うか、まあ……」
グランドは、通行門が消えてしまったと聞いた時の魔族の者たちと同じ反応をする。
「……いや。それなら魔界ではなく人界をそうするものではないか?」
「それも考えました。でも。いつか遠い未来にグランド様やヴィンス様とは違う本物の邪悪な魔王が生まれてしまった時、人間に対抗する術がなければおしまいだと思うのです。同様に、こちらの皆さんから武力が消えていれば、邪悪な魔王が人界に移動する手段を新たに作ったとしても安心ではないですか」
「うむ……」
グランドは言葉を返せない。そこで隣に並んでいたテレサは腰に手を当てた。
「そういうことなのね。わかりました。アグリさんがそうしたいと言うなら、私たちが抵抗しても止められないでしょう。だったらこれからは武力に頼らない統治を考えていかなければならないわね、あなた」
さっさと思考を切り替えるテレサにグランドは、ああ、ともごもごする。
「……ふうん。……まあ、いいじゃないか。こっちもそろそろ武力しか身を守る術がない状態がしんどくなってきたところだしね」
そう言ったツバキには、自身の身体的限界問題が含まれていたのだろう。
ツバキは笑い、アグリの横に来る。
「それじゃあ私はあんたの護衛で最後のひと暴れをするかね。魔法の元があんたと分かれば世界中の奴らが襲いかかってくるだろうし」
「まあ! そうですね、ありがとうございます。となると私の周りの方々にはすぐには魔法がかからないようにしないといけませんね」
にこにこ顔のアグリの前にクロが立ちふさがった。
「貴様が魔界で何をしようと構わん。いいからこの魔法をすぐに解け」
精一杯の威厳は保っているが、クロの額には冷や汗が浮かんでいる。魔力耐性とは別な問題で、魔族と同じ空間に武装解除の状態で立っているということに相当の精神的圧がかかっているらしい。
「アグリ。祖父殿の魔法はそのままにしていろ」
そこへトウルが間に入って来た。
「祖父殿。貴方がこれ以上アグリに話しかけないと言うなら私もこのまま国に帰りましょう」
「! おお、そうかトウル……」
抱き締めようとする腕から逃れる。トウルはアグリと向き合った。
その表情は、アグリが彼に初めて見る、とても静かで悲し気なものだった。
「アグリ。……私には、お前に愛を乞う資格はないと気が付いた。だからこのまま去ることにしよう」
「殿下」
「色々と、すまなかったな。こんなつもりではなかったのだと……それだけ言い訳させてくれ」
「はい。私は大丈夫ですので殿下もお気になさらず」
アグリの笑顔につられるように、最後に伸ばそうとした手をトウルは寸前で引っ込めた。
「……どうかこちらでは、お前の思う通りに生きてくれ」
「ありがとうございます。殿下もお幸せに。ケント様もお元気で」
あまりにもさっぱりと別れを告げるアグリに、トウルは少しだけ自嘲の笑みを浮かべ。
非暴力魔法についての記憶を消されたトンネル国の一団は転移魔法で人界へ帰って行く。
余談である。
国へ戻ったトウルは入念な準備の上で父王と兄たちを失脚させた。自らが国王となった後はケントと共に、生涯を賭けて国中に蔓延った腐敗を一掃した。その激しい生き様を持って苛烈王として歴史に名を遺すことになる。
トウルたちを見送ったアグリはわずかな感傷と共にヴィンスを見上げた。
「これで今度こそ本当にあちらへ帰る方法は無くなってしまいました」
「ああ。だが決して後悔はさせない。たった今から私が君の帰るべき故郷になろう」
「はい!」
その後。
アグリたちは魔界で最も高い山の頂上に拠点を置き、そこから非暴力の魔法を世界中に広げていった。
聖女力の巨大さのせいなのか、アグリは思いの外長生きし、夫や家族や仲間たちに囲まれて、三百年の人生を終えた。
非暴力魔法の後継者は生まれたが、彼らはアグリの死を最後まで隠し続けていた。
ある日突然降臨した暴力嫌いの女神は魔界中から力を奪い去って行った。
「誰かを傷つけようとすれば15のセイジョがやってきて、お前の力を奪ってしまうよ」
そんな信仰が世界中に広まって、魔界では暴力のない世が続いたと言う。




