もう一度、私の心
やがて二人の乗った竜は海上でぐるりと方向を変え、切り立った崖にある途中の張り出した場所に着地する。
横を見れば、そこは崖の中に埋め込まれたガラス張りの建物の入り口だった。
ドルドはさっさと中に入り、アグリを招き入れる。
「その辺に座って。今飲み物用意するから」
室内に入ったアグリはその美しさにまた感動する。
白と青を基調としたつやつやでぴかぴかの壁や床で囲まれた、ドルド自身のイメージにものすごく似合ったお洒落な室内であった。
「ここは……ドルド様のおうちですか?」
「秘密の隠れ家だよ。ここから見える七色の夕焼けがなかなかでね。聖女ちゃんに見せてやりたくなった」
「わあ、それは素敵ですね。でも……夕焼けとなるとちょっと時間がありませんか? ヴィンス様たちに知らせておかなければ心配させてしまいます」
(殿下たちが落ち着くまでにそんなにかかるかしら?)
ヴィンスがアグリの代理人となってきちんと説明をしてくれればこれ以上揉めようはない筈だ。さらにそこにツバキが加われば、きっとトウルの気持ちもうまく解きほぐしてさっさと向こうへ帰してくれるのではないだろうか。
「ヴィンスたちへはこっちで連絡しとくよ。俺が時々向こうの様子を伺うからさ。あいつらが元婚約者を追い返すまで聖女ちゃんはここで隠れてりゃいいよ」
「それなら安心ですね。では本日はお世話になります」
頭を下げたアグリの下へ、ささっと飲み物を用意したドルドが戻ってくる。
この場に他に居場所はないので、二人は一つのソファに並んで座る。
「ちなみにドルドさん今日はお仕事は平気なのですか?」
「聖女ちゃんの警護は重要任務だからー」
しれっと言ってにやりと笑う。このドルドという魔族は、澄まし顔よりこういういたずらな表情の方が魅力的なのねとアグリは思う。
これまでのアグリの人生では出会ったことがないような、とても自由な雰囲気を持った人型生物だ。
アグリにそのような印象を与える当人は、さらにそれを裏付けるような発言をした。
「それにだ。もしも処罰があったらそれまでかな。そろそろ軍も辞めようかと思ってたところだしねー」
アグリはとても驚いた。アグリのこれまでの常識では、兵士というのは死ぬか辞めさせられるかの二択しかなくて、自分で去って行くという選択があるとは思ってもみなかったのだ。
「……第一隊長というのは偉い方じゃないんですか?」
その地位に就くまでに、たくさんの努力や苦労があっただろうにと思ってしまう。伺うようなアグリにドルドはあっさり返す。
「うん。けっこう偉いね。でも、なんか、思ってたのと違ったんだよな」
そう言って自分で用意した果実水のような物を口にする。
「俺はさ。ガキの頃、戦に巻き込まれて目の前で家族を殺されてね。野垂れ死にしかかってたのを親父さんに拾われたんだ。だから、いつか家族の仇を取る為に軍に入った」
突然の悲しい話に息を飲む。
(……なんてこと。こちらの世界にもそういう痛ましい話があるのね……)
「けど、親父さんがああ見えて戦嫌いでな。攻められれば追い払うが自分から侵攻するってのがなくて……結局、親の仇の国とは一度も交戦しないままここまで来ちまった。なんかそうなるとこっちの復讐心も薄れちゃってね」
そしてドルドは顔を傾けて、アグリを覗き込むようにした。
「だからさ、聖女ちゃん。……ヴィンスを止めて俺にしないか?」
「……はい?」
話の流れが繋がらない。アグリはきょとんとしてしまう。
アグリの様子がおかしかったのか、ドルドはふっと笑いを見せる。
「俺はね。仇のことはもう忘れた。だが、戦そのものは今でも心から憎んでるんだ。だからね。聖女ちゃんと組んで二人で圧倒的な力で魔界を一つに統一してやれば、もうこの世界で戦はなくなるんじゃないかなって」
「……まあ」
それしか言えなかった。
ドルドの言うのはつまり、戦を失くす為に戦を始めようという話だろうか。
(まさか。こんな所にまで1015の力に狂った人が出てしまうなんて……!)
申し訳なさがこみ上げるのをぐっと堪える。
アグリの沈黙をなんだと思ったのか。
飲み物をテーブルに戻したドルドは突如アグリと向き合う形に体を動かし、片手のソファの背もたれにつき、片膝を座面に乗り上げる。
「……アグリ。あんたが受け入れてくれるなら、俺はあんたが望む物をなんだってくれてやるよ。皆が欲しがる俺自身だって髪一本まであんたのものだ」
おふざけを消したドルドの低音の美声は何も身構えていなかったアグリの耳をびりびりと震わせた。
「頼むよアグリ。俺とあんたで魔界を変えよう」
(ど、どうしたらいいの)
アグリが経て来た人生で、こんなシチュエーションを経験したことはない。
社交に慣れたお嬢様方ならお手のものだろう上手な躱し方も知らないし、邪険にするのも悪い気がする。
とりあえず、ここは時間稼ぎをすることにした。
「と、突然そんなことを言われても困ります! それは簡単にハイいいですよとうなづける話ではありません!」
「……うん。そうだよな。……よし! だったら聖女ちゃん、ここでしばらく考えてみてよ。俺がいるとプレッシャーだろ? 夕方には迎えに来るからそれまでにさ」
へ、とアグリが戸惑う内にドルドは入口へ向かってしまう。
「じゃあな、夕日は一緒に見ような。ああ、ここにある物はなんでも飲み食いしていいから」
そう言って手を振ると、騎竜に乗って飛び立ってしまう。
呆然とするアグリは一人でその場に取り残された。
「ちょ、ちょっと待って!」
一応外に出て脱出法を探してみるが、今いる場所は断崖絶壁の中腹だった。上は登れず、下は海だ。
(……閉じ込められてしまったのね)
ふう、と息をつく。
弱った状況ではあるが、それほどの危機感はなかった。
聖力もあるしヴィンスたちもいる。いざとなればなんとかなるような気がする。
(ドルド様も困った方だわ。でも、不思議と憎めないのだけど)
確実に相手の方が遥かに年上であるが、なんとなくやんちゃな弟の無茶につきあわされてしまったような心情である。
(なら……せっかくの時間ですもの。自分について、ゆっくり考えてみるのがいいわ)
室内のソファに戻り、ぽすんと腰を下ろす。
(本当に……怒涛の数日間だった)
突然国に捨てられたアグリは魔界で路頭に迷う寸前だった。けれどすぐにグランドに拾われ、その後は流されるようにしてあっという間にヴィンスと婚約までしてしまった。と思ったらトウルが迎えに来て国に帰るように頼まれ、次はドルドに魔界征服を一緒にやるよう乞われている。
たった三日の間に一生分の人生の岐路が詰め込まれたような気がする。
頭も心ももういっぱいいっぱいだった。
疲れた心を休ませようと、魔界名物なのか人界にもあるのかアグリには知識のない赤い果実水を口にする。
爽やかな甘酸っぱさが疲れた全身に染み渡った。
(私はどうしたいのかしら? 国に帰るのは……世界征服をするのでもしないのでも、どちらにしても嫌だわ。トウル様は嫌いではないけど、これ以上あの国の人たちと関わりたくない)
もう会わないと知ってホッとするばかりのこれまでの知り合いたちの顔が浮かぶ。
(かと言って。魔界征服も気が乗らないわね。ドルド様はわかっていないのじゃないかしら。百歩譲って私の力でほとんど血を流さずに魔界統一が出来たとしも、私の寿命は魔族よりうんと短い。私の力頼りでは、私が死んだ後はまたすぐ分裂が始まってしまうでしょう)
そのような儚いものに情熱を傾ける気がしなかった。
(こういう時は自分の好きなものを探せばいいのじゃないかと思うけど。ヴィンス様には惹かれているけど、ヴィンス様を補佐する仕事を積極的にしたいかと問われればそうでもないわ。どちらかと言えば、人の上に立つ王妃業は私には向いていないように思う。……そうね、私の場合、好きな物よりこれが苦手、これが嫌いという物の方がはっきりしているんだわ……)
ヴィンスについて思っていると。不思議とアグリの胸が締め付けられる。
(ヴィンス様には、きっと私より素晴らしい、王妃向きの女性がいるでしょう。ヴィンス様もそれに気付いて、一年後には私たちは婚約を解消しなければならないかもしれない。でも、なんなのかしら。その時のことを思うと涙が出そうな気持になるわ)
ヴィンスに抱き締められた時の温もりとときめきが思い出された。
(……どうして。自分がヴィンス様に不釣り合いだと考えるだけでこんなにも悲しくなるのかしら。トウル様について他の方から言われていた時には何も感じなかったのに……)
ぼんやりと考え続け、気付くと陽はだいぶ高くまで昇っていた。
のどの渇きに気付いたアグリは、室内を移動しようとする。
その時だった。
『アグリ! いるか!』
どこからか声がした。ツバキだ。
アグリは室内を見回し、飾り棚の上に置かれた小さな鏡が光っていることに気付く。
「まあ! これは会議室にあった物と同じ道具なのですね?」
『ああ、よかった、そこにいたな! ドルドに置いて行かれたんだって? 怖くなかったか?』
「はい、全く。無理矢理なことは何もありませんでしたよ」
『そうか、よかった』
鏡の中のツバキがホッと笑顔になる。
『バカは今ヴィンスとカールに締められてる。それからね、悪いが、今ちょっとこっちで取り込む事態になっててね。多分あんたはそこにいた方が安全なんだ』
「まあ。何か私にお手伝いできることはありませんか?」
『いや。今はあんたは出ない方がいい。と言う訳で、明日の朝そっちに迎えに行くことにしたいんだけど、それでいいかな?』
「わかりました。その方が良いのでしたら」
『うん。何かあったらこれに呼びかけて。あと、そこにドルドの秘蔵の酒がたくさん隠してあるから全部飲みつくしちゃっていいよ』
(全部飲む、は難しいわ)
海に流してしまえばお仕置きにはなるだろうかと考える。
そこで鏡の中の話し手がヴィンスに変わった。
『アグリさん。明日の朝一番に私が行く。どうかそれまでゆっくりくつろいでいて欲しい』
アグリは、はい、とそれに答えた。
そしてヴィンスの顔を見た途端に自分の心の中に何かがワーッと溢れそうになったのを、奇妙な心の動きもあるのね、と人ごとのように思っていた。
「さて」
アグリへの連絡を終えたヴィンスは背後を振り返る。
「本来ならドルドは誘拐の罪で牢屋行きでも仕方がないのだが」
「ごめんて! あんな純情そうな子なら口説けばすぐ落ちてくれると思ったんだよ!」
「なんにも言い訳になってない!」
カールがドルドの頭をはたく。
ヴィンスは息を吐いた。
「こちらの問いかけにすぐに答えたことと無理強いはなかったということで大事にはしない。けれどしばらくお前がアグリさんと二人きりになるのは厳禁。会話さえ禁止したいところを彼女の心情を考えて不自然な処罰はやめよう」
「了解っす」
反省しているのかわからないような軽い調子でドルドは答える。ヴィンスがじろりと睨みつけた。
「よし。アグリの方はいいとして、次はあっちか」
「……すまん」
そこで頭を下げたのは、何故かこの場に一緒にいるトウルであった。
「で、何があったの。俺まだちゃんと聞いてないんだけど」
彼らの様子に帰城したばかりのドルドは首を傾げた。
何度目かの大きなため息をついたあと、ヴィンスが説明をする。
「先ほど、ハガスのピゴから連絡があってな。トンネル国の兵士たちがまた転移であちらの国に現れたらしい」
「おお。今度こそ侵攻か?」
「いや。……そこの人間を迎えに来たらしい」
ちらりとトウルに目をやる。
「その者たちの目的を知ったピゴは地図を与え、この城までの距離や方向を丁寧に教えてやったそうだ。そしてその者らは今度こそ正しくこの城のどこかに転移してきたらしい。……魔力が小さすぎて防御の網にも引っかからなかったようだ」
「間違いなくピゴの嫌がらせだね!」
「? ってことは今ここにトンネル国の人間が潜んでるのか?」
ドルドはトウルを見る。
「そういやお前さんはどうして転移で移動しなかったの」
「……私にはこの地の魔力を計算に入れた転移魔法など構築できない」
「失敗してとんでもない場所に出たら困りますからね。迎えの一行はよほど優秀な魔法師を同行させているんでしょう」
ケントも付け加える。
「乗り込んできた連中は誰だかわかってるのか?」
「……心当たりは、あると言えばある」
トウルが目を逸らし、ケントが代わりに答える。
「こういうことをしそうで実行力もあるお方と言えば、クロ公爵でしょう。王妃様の御父上でかつては英雄と呼ばれた元武人です。何故かトウル殿下を猫かわいがりしているので、昔の部下を集めて乗り込んできても不思議はありません」
「ああー……なんだか面倒臭そうな人たちだねえ」
ドルドの言葉に皆が一斉にトウルに視線を集めた。
トウルは、もう一度、すまんと言って頭を下げた。




