彼らの心
アグリたちとデザートを食べて解散した後、ツバキは一人、アグリの客間に戻ってみた。
部屋に残された人間たちの様子がなんだか気になったからである。
案の定、彼らは転移で帰還もせずに、まだその場に残っているらしい。
取り繕いのない会話を聞いてやろうとそっと部屋の中を覗き見てみた。
するとそこにはテーブルに突っ伏して号泣する人物と、三人分のワインをひたすらがぶ飲みしている人物がいた。
驚いたツバキは思わず声をかけてしまう。
「あんた、そんっなに世界征服したかったのか」
グラスを手にしたケントが振り返る。引き渡された時に互いの身分は明かしているので、今更誰何はしない。入り込んできたツバキを見て、ケントは肩を落として大きくため息をついてみせた。
「魔族に人の心はわからんかもしれませんね。……惚れてもいない相手の為に供一人連れて魔界に乗り込んでくる奴がいるとでも思ってるんですか」
「……は?」
ケントの言葉に、ツバキはトウルの揺れる後頭部を見下ろす。
そして噴き出した。
「ハ! あんた、アグリに惚れてたのか! え、じゃあ世界征服っていうのは何なの」
「惚れてる、以外で他に連れ帰る理由が見つからなかったんでしょうよ。意地張らないで素直に言っておけばもう少しくらい検討してみてもらえたかもしれないのになあ」
「愚か者が! これまで散々冷たくしておいて、今更そんなこと言える訳がなかろう!」
「いやいやいや。あんたがあの子を好きだっていうならなおさら、なんだってあんな扱い許してたんだよ。あの子の体の細っこさ、あんたらも知ってたんだろ?」
「私にも考えがあったのだ!」
トウルは涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔を上げた。
「私と結婚するまでの我慢だった! あいつが不遇であればあるほど、妻として迎えた後に何もかもを与えてやれば、感謝して私を愛するようになるかもしれないではないか! そうだお前たちがやったようにな! お前たちが私の出番を奪ったんだ、この、魔族めが!」
「うわ、それ、アグリに言わなくてよかったやつじゃないか」
「え、」
「そうだろ、そっちの方が引くよ。興味がないから構われなかったのと自分がうまい思いをする為に見過ごされてたんじゃ後の方が嫌だろう」
ぐ、と言葉を飲み込むトウル。ケントが間に入る。
「ま、まあ、殿下もそれなりに頑張ってはいたんですよ。あの方の聖女数値が大きすぎるというのは、力を使い始めてすぐに知られてましたし。殿下が少しでもあの方に執着を見せたり国の政に関心があると示せばすぐに婚約は取り消されてたでしょうからね。そう見えないようどちらからとも距離を取る必要があったんです」
「初顔合わせで一目惚れしたんだ、6歳の時から待ってたんだぞ! それを、後三か月というところでどうしてこんなことに……っ」
いつも澄ました顔しか見せない人間の王族が取り乱す様子をツバキは面白く見ていた。すっかり話に興味を持って、空いた席にどさりと腰を下ろす。
「それで? そもそもなんで今更あの子が追放されたんだ?」
目を逸らすトウルの代わりにケントが答える。
「遊び人工作のつもりで殿下が手を出した男爵令嬢の父親に、他国と繋がりがある疑惑が出たからですね。全く。あれほど相手はよく選べと言っていたのに」
「だってものすごく馬鹿っぽい女だったんだぞ? まさか父親に送り込まれた罠とは思わないだろう……」
「へーえ、かわいそうに。あんたのそのうっかりにあの子は巻き込まれたってわけだね」
ふん、とツバキが鼻を鳴らす。トウルがしおしおと縮こまる。
ツバキは残された瓶からワインを注いで勝手に飲む。
「馬鹿野郎だねえ。自分の仕損じのせいであんな大物を取り逃がしたのか」
「……黙れ」
「あれ? ということは、あんたの当初の予定では、あの子を妻にした後は特に国盗りをするでもなんでもなく、お気楽王子の嫁として、ふつうに贅沢させてかわいがっていくつもりだったのかい?」
「そうだ悪いか!」
「いや全然。ふうん。あの子を利用しようとする輩よりよっぽどマシじゃないか」
「あの方限定で純情なんですよ、このお人は」
トウルに憐みの目を向けるケントにツバキは向き直る。
「あんたもあんたで随分な忠誠心だね。こんな阿呆によくここまでつきあったもんだ」
「……この人が死んだらこっちは処刑か脱走かしかありませんからね。万に一つに賭けてみたんですよ」
ツバキはなるほどと納得する。主人と従者というものには他人事と突き放せない関係性もあるのだろう。
「で? どうする、あんたらこのまま帰るのか。だったら魔界土産の一つも持ってくか?」
何か持たせられる物はあるだろうかと室内を見回すツバキ。
そこでトウルは、いや、と首を振った。
「……こんな場所まで来たのだぞ。ここであっさり身を引くのは早すぎるだろう……!」
「! 大丈夫ですよ殿下、殿下はしっかり嫌われていますから! ウザがられる前にさっさと国へ帰りましょう、聖女さえ連れて帰らなければ陛下たちも優しく迎え入れてくれますって!」
「黙れケント」
そこでトウルは立ち上がった。
「魔族の女!」
ツバキを見据える。
「私とて伊達に女遊びをしてきた訳でなはい! あれの心が動くまで、もう少し粘ってみようと思う。我らの滞在をしばらく許可してくれ」
「へえ! あれだけ言われてまだ折れないか。あんた諦め悪くて面白いねえ」
言ってツバキはトウルの頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
一瞬抵抗しかけたトウルだが、宿代とでも思ったかそこはぐっと堪えていた。
「いいだろう、とーちゃんに言っといてあげるよ。だがアグリには迷惑も苦痛も与えないこと、私がここまでと思ったらその時点で向こうに帰ってもらうよ、それでいいね」
「承知した」
「殿下ぁ」
泣きそうなケントと力むトウル。
そんな二人をツバキは愉快なおもちゃのように見下ろすのだった。
と、いうことで。
「……何故まだこちらにいるんです?」
朝食の席で。
共にテーブルに並んでいる、トウルとケントの姿にアグリは驚いた。
肉を頬張りながらツバキが手を振る。
「こいつら、まだアグリを諦めたくないって言うからさ。じゃあ気が済むまでチャレンジしてみたらって、私が滞在を許可してやったんだよ」
「……まあ」
「ツバキ、魔力耐性はどうした」
「私が補助してやってる」
聖力もなく魔力も弱い通常の人間は、グランドたちレベルの相手の前に出れば徐々に具合が悪くなっていく。その辺りをツバキはカバーしているという。かなり親切な行為なのではないかとアグリは思う。
(殿下はツバキ様に気に入られたのかしら?)
「姉上……」
このやりとりにヴィンスは隠すこともなく眉間に皺を寄せていた。
だが、困惑したアグリの視線に気付くと、途端ににこりと微笑んだ。
そして居合わせた者たちを見回す。
「後できちんと話そうと思ったのですが。こうなったら今言ってしまいましょう。父上。私は夕べ、アグリさんと婚約を致しました。婚約期間は二年間。二人で決めたことです」
「‼」
グランドがフォークを落とし、テレサは嬉しそうに「まあ!」と手を打ち合わせ、残りの者たちは一斉に立ち上がった。
「お前意外に手が早いな⁉」
「急かして来たのは姉上だったのでは?」
カールは頬を膨らせている。
「ちぇーっ。これからはアグリさんを誘うのにいちいち兄上の許可がいるのかー」
「アグリ! 魔族に脅されたのなら今ここで言え!」
最後のトウルの問いかけに、アグリはポッと頬を染めた。
「ヴィンス様は、私を思ってくれているのだそうです」
「っそんなもの……」
トウルがテーブルを叩いた。
「そんな言葉が欲しかったのならいくらでもくれてやる! 私だってお前を、あ、し、慕っているぞ! こんな奴よりずっと前からな! だから一緒に国へ帰れ!」
「……このタイミングでそんなことを言われましても。世界征服の為の嘘だとしか思えません」
冷めきった目を向けてやった。
怒りか、別の意味でかトウルの顔に血が上る。
そしてトウルはそのまま部屋を飛び出して行った。それをケントが追っていく。
「……以前はもう少し余裕のある方だったように思うのですが……長らく話してないと人は変わってしまうものですね」
アグリは悲しくため息をついた。
そんなアグリに慰めの目を送ってから。ヴィンスはグランドに向き直る。
「と言う訳で父上。この婚約、喜んでもらえますね?」
「……まさかお前が聖女を娶るとはな」
驚きのまま言ったグランドは、次にぐしゃっと表情を歪めてアグリを見る。
「クソ真面目野郎だ。仕事で家を顧みなくなったら叩きのめして連れ帰るようにしてやってくれ」
「……はい!」
(受け入れて、もらえたのだわ)
アグリは自分というものに全く自信がない。だからこの婚約が認められない理由を百は簡単に思いついていたのだが、全て杞憂に終わったようだ。
ひとまず最大の壁をクリアしてホッとする。
さらにテレサが声をかけてきた。
「アグリさん、魔族は盛大な結婚パーティーをするのよ。二年の準備期間だって短いかもしれないわ」
「そうなんですか……」
(あら? それは途中で止めたって言いにくいやつ?)
不安な気持ちでヴィンスに目をやれば、彼は笑顔を深くするだけだ。
そのまま朝食は解散となり、今日こそ魔界を案内してくれるというツバキたちと共にアグリは騎竜乗り場へ向かう。
その途中だった。
突如柱の陰から人影が飛び出して来る。トウルだった。
「アグリ!」
叫んだトウルはいきなりその場でがばりと床に額をこすりつけ、両手を揃える。
「頼む! どうか私と国へ帰ってくれ!」
「殿下。こうまでしなければならないとは、それほどお国での立場が危ういんですか? 元婚約者としてはその事実を知らなかったことに多少罪悪感を覚えますが……」
「立場などどうでもいい! なんならお前が望めば共に国を出奔してもいいんだ!」
「殿下、」
「こんなぽっと出に思いの強さは負けん、6歳の初顔合わせの時から好きだった、会えなくても、影からずっと見ていたんだ!」
「……まあ」
「好きだアグリ! どうかこの手を取ってくれ!」
アグリの方を見ないまま、トウルの右手が差し出された。
それを横からヴィンスがはたき落とす。
「卑怯者! そのように言えば優しいアグリさんがほだされるかもと狙っての虚言だろう!」
「!」
(そうだったの! うっかり騙されるところだったわ)
アグリはふーっと息を吐く。
「我が婚約者にこれ以上言い寄ろうものならこの場で骨も残さず消し去るぞ!」
「ふん! 思いの強さでは私に勝てんから暴力で片をつける気か!」
「! 何を……」
「はい、はい」
そこでツバキが手を叩いた。
「双方落ち着け。あんたらの言い分はまずは私が聞いてやる。アグリを巻き込むのはそれからだ」
「姉上!」
ヴィンスを押しのけ、ツバキはアグリの前に出る。
「少しこいつらと話してくるよ。あんたは騎竜乗り場で先に待ってて」
心配なアグリの頭がぽんぽんと叩かれる。
ツバキに任せれば大丈夫。そう信じたアグリは言われた通り、先にその場を離れた。
城のはずれには長距離移動用の竜を集めた広場があった。
向こうの世界にも竜はいるが、どれも野生で飼い馴らすことはできない。当然、間近で見ることもない。
少し怖いので触りにはいかないが、目の前で従者の世話を受けている何頭もの大きな生き物に惚れ惚れと見惚れてしまう。
(金色の目がくりっと大きくてかわいいわ。白い鱗も思ったより柔らかそう……? 懐いてくれたらどれだけ嬉しいかしら)
「あれ。聖女ちゃん」
佇むアグリの下へドルドが歩いてきた。
「おはようございます。今朝は朝食はご一緒じゃなかったんですね」
「早番だったからな。それと俺はあそこん家の家族じゃないから飯を一緒に食うのは気が向いた時だけだぞ」
「そうなんですね。てっきりご親戚か何かかと思ってました。ツバキ様たちとも仲がいいし」
「あー、あいつとは昔つきあってたからな」
「まあ。そうなのですか」
少し驚いた。アグリが勝手に思う所の別れた男女関係らしいぎこちなさのようなものが全く見られなかったからだ。
「お互い知られ過ぎてて嫌んなっちゃってな。円満解消だ。一時はいずれ結婚するかくらいの距離感だったから、あいつらにとって俺は身内未遂って感じなんだろうな」
「……そのような爽やかなお別れは羨ましいです」
「ああ、お前さんの元婚約者まだいるんだってな。何かあった」
聞かれるままに、アグリは先ほどのやりとりを話して聞かせた。
ドルドはうーん、と顎に手をやる。
「嘘でも本気でも面倒臭いことこの上ないな」
「面倒臭いと言うか、非常に困ると言うかで……」
既に答えは決まっているというのにごねられてもどうしようもない。ヴィンスを不快にしてしまうのも申し訳なかった。
そこでドルドは。
「よし! わかった! どっちにしろ聖女ちゃんは国に戻る気ないんだな?」
「え? は、はい」
「だったら。面倒臭えのが諦めるまで、聖女ちゃんが相手しなければいいんだ」
言って、ひょいとアグリの体を片腕に抱え上げた。
「ドルドさん⁉」
「しばらく隠れてりゃいいんだよ。今すぐ俺と出かけちゃおう」
アグリの了承を得ないまま、アグリごと騎竜に乗り込んだドルドは片手で手綱を操作する。すると竜は翼をはばたかせ、その場にふわりと浮き上がる。
何かの魔法が敷かれているのかアグリの体に圧はかからない。まるで室内で椅子に座ったままのような快適さで空を飛んでいく。
それでも、あまりにも強引なペースに一言文句を言おうと、アグリはしがみついていたドルドから体を離した。
そこで。
「まああ……!」
自分達の遥か下にある大地が初めて目に入った。
荒野や街やよくわからない黒や紫の渦や塊のある景色を、アグリは身を乗り出すようにして見下ろしてしまう。
(すごい……! 少し前までは、自分の部屋の外にすら勝手には出してもらえなかったのに)
今は立派な騎竜に乗り、人々に恐れられた魔界の大地の上を飛び回っている。
行き場がないのではなく、自由になったのだと。改めて実感することが出来た。
「あっちが聖女ちゃんが来た門のあった方向で、こっちが街だな。だいたいあの赤い山の辺りまでが親父さんの国……というか、親父さんが面倒みてやってもいいよ、と宣言してる範囲になる」
「魔界というのは……とても広い世界なのですね……」
はるか遠くに見える炎のように揺らめく山の姿にため息をつく。
「! まあ、海!」
さらに飛び続け、やがて眩しく輝く眼下にアグリは声を上げた。
それはアグリの知る青い海とは全く違う。どこまでも広がる真っ白な海原だった。
(なんだか……これまで背負ってきたものが洗い流されていくような気分だわ……)




