魔王は悪くない
ヴィンスに連れられたアグリは魔王城の中を進んだ。
あまり彼ばかりを見ている訳にもいかないので、視線を城内に集中させる。そうして見るとこちらの城の造りは内部もトンネル国とは大きく趣が異なっていた。物珍しさにきょろきょろしてしまう。
(異国のお城! という感じだわ。とても頑丈で使い勝手がよさそう。……てっきり人や動物の死骸が飾られた禍々しい所だと思っていたのだけど、全然そんなことはない。優美で洗練されているわ……)
「アグリさんは……」
ふと、ヴィンスが口を開いた。顔はこちらへは向けられない。
「突然こんな場所に連れて来られて困惑しているのではないだろうか。そちらにも事情があったにせよ、我が父と姉のことだ。強引に貴女の了承を得たのではないかと少し心配だ」
ヴィンスの横顔を見上げた。
この角度から眺めてみても、とても、とても美しい。
うっかりとまた見惚れていたら、気付いたヴィンスがこちらを向く。アグリは急いで正面を見た。
「わ、私はお二人に声をかけて頂かなければこの魔界で宛てもなく彷徨うしかありませんでした。他に知り合いもいませんし、なんならこちらから頭を下げて置いてもらえるようお願いしていたかもしれません。お二人には感謝しかないのです」
「……そうか。それならよいのだが」
ヴィンスの表情がふと和らぐ。無表情も美しいが微笑みはものすごい威力であった。ふらっと足元がふらつきそうなのをどうにか踏みとどまる。
「だがやはりいきなり放逐というのはな。せめてこちらに転移魔法が使える者がいれば家に帰してやれたのだが……あれはある程度以上の魔力がある者が使おうとすると作るそばから崩壊していくんだ」
「! そうだったのですね。道理でいくら鍛錬しても私だけ使えないと思ってました」
こんな所で長年の謎が一つ解明してすっきりする。きっと聖力の強さも魔力と同じでいいのだろう。
「ともかくどうにか連絡だけでも取れる手段を探してみよう。向こうに無事を知らせたい相手がいるだろう?」
アグリは驚きで目を見開いた。
ヴィンスにとってアグリは、突如国の思惑で大事な人たちと引き離され、魔界に置き去りにされてしまった哀れな人間、という解釈なのだろう。だから彼の問いかけは至極まっとうなものである。
けれどそのまっとうさが、自分にはまるで当てはまらないと気付いてアグリは今更ながらびっくりしたのだ。
(私の周りには国の指示を伝える人ばかりだった。ということは、皆、今回の計画も知っていた筈だわ)
計画に加担していた人々に、アグリが魔界に捨てられたことをわざわざ伝えるまでもないのだ。
ここで口をつぐんだアグリにヴィンスは少しだけ怯んだ顔をする。
「……誰か、いるだろう? 普段生活を共にしている者たちには?」
「教会ですね、がっつり王家と繋がってるのでむしろ知らせない方がいいかと」
「貴女のご家族は」
「聖女認定後すぐに教会に引き渡されてそれきりです。手紙もやりとりしたことありません。確かあちらには聖女の実家手当が行っている筈ですが、低数値の聖女なのでだいぶ値切られたと聞いています。それを恨まれていたのかもしれませんね」
「た、確か聖女は王族と婚約する制度があったな?」
「はい! ですが殿下とは普段ほとんど関りがなかったのでほぼ他人です」
もしもツバキの予想通りに王子が自分を何かに利用しようとしていたのだとしても、失くせば代わりを見つけるだけだろうなと簡単に思える。
「……貴女は?」
そこで足を止めたヴィンスが、アグリを真っすぐ見下ろして来た。
「貴女の方が婚約者に伝えたいことは?」
アグリは自分の心の中を確認してみた。
「そうですね……特にないでしょうか。殿下については私の周りで唯一治癒魔法の訓練を仕掛けてこないという点だけが好印象でしたが、個人的な心のやりとりは何もありませんでしたから」
「……あまり聞きたくない気もするが、治癒魔法の訓練とは?」
「ええと、」
アグリは少し焦った。これはあまり口外するなと言われていたからだ。だが、国を出た今となっては無効だろう。
「私の体に傷をつけて、出来るだけ早く治癒をする、という練習です。実際に自分が怪我人側でいるとアプローチの仕方がわかりますからね。正直あまり好きな訓練じゃなかったのですが、自分で自分に傷をつけるのはさすがに嫌な気持ちになるので、仕方なかったのだと思います」
すると、ヴィンスはそこでにっこりと微笑んだ。そのきらきらしさにアグリは目を奪われる。
「……今、決めた。いつかまた通行門が復活することがあれば、私は誰よりも先に君のいた国を訪れよう」
「? はい」
意味はわからないがとりあえずうなづいておいた。
(治癒魔法の訓練に興味を持たれたのかしら? 例えすぐに治せるのだとしても、この方の顔や体に傷がつけられるのはあまり見たくないわ)
ヴィンスの心の動きがわからず多少の戸惑いを持ちながら、アグリは目的の部屋と案内されていった。
連れて来られた客室の中では既に数人の使用人の女性が待機していた。
彼女たちの手によってあれよあれよと言う間にアグリは身支度を整えられる。
(国の流行のような華美さはないけれど、軽くて柔らかくてなんて動きやすいの。まるで自分が服に大切にされているような気分になるわ)
足首までの長さの落ち着いたピンク色のドレスでくるくると回ってみる。
ツバキが子供の頃に用意された物だが、一度も着用されずに大事に保管されていたらしい。
それからアグリは食堂に案内される。
中ではグランド一家とその他の者たちが揃っていた。
「食べながら話をしよう。堅苦しくはしたくないからな」
食事が始まり、アグリの前に置かれたのは温かな煮込み料理であった。
一匙口に入れてみて、思わず口を押える。
(おいしい! 食べ物というのは全て自分で工夫して好みの味にするものかと思っていたけど、これはお塩を足しただけではどうにもならないおいしさだわ……!)
アグリの満足そうな顔を確認してから。
グランドは話を始めた。
「まずおぬしの魔族に対する認識からだな。おぬしはわしらを邪悪な侵略者だと思っているな? だがそれは厳密には違うぞ」
「考えてみなよ。これだけ力の差があって、その気があればとっくに人界なんか征服し尽くしてるって」
ドルドの言葉に、それは確かに、とアグリは思う。
先ほどのアグリの感触では、グランドの強さはアグリの三分の一ほどかと思われた。そうだとするなら、数値が50、60の聖女をいくら魔族討伐隊に向かわせたところでそもそもの戦力差があり過ぎる。
一応これまでの話では、魔族は人界を〝勝手に育って定期的に収穫できる便利な畑〟か何かと思っているのではないかと言われていた。けれど、最初から征服してしまえば、その収穫の手間すらかけずに成果を貢がせることも可能だった筈だ。
「俺らがそっちに行くのはこっちでは手に入れられない物資の仕入れか、遊びに行くかだな。もちろん人間に化けてだよ」
「女向けの装飾品は向こうの職人には勝てないからねー」
「あれ? となるとこれからは贈り物ばら撒き作戦が出来なくなるんだね。ドルドのモテもここまでかあ」
「別に物で釣ってた訳じゃねーし」
ドルドとツバキとカールが騒いでいる。
その間、アグリは考えていた。
「それでは何故、私たちの間で魔王軍が恐怖の対象になっていたのでしょう?」
「あー、それは、」
「それは全部とーちゃんのせい」
ツバキが言い、ドルドが噴き出す。グランドはばつが悪そうな顔をした。
「うちのとーちゃんさ、誰かがひどい目に遭ってるのを見るのが大嫌いなんだよ。特にそれがえらい奴のやらかしだとなおさら我慢ならなくてね。……で、通行門のあるあんたの国の王がたまたま代々くず野郎共で。とーちゃん達が遊びに行く度に民が虐げられてるのを見せられては激怒して、支配者に説教しに城へ乗り込んでいったんだよ。毎回ひれ伏して謝ってくるから『心を入れ替えろよ』で終わらせてたってのが真相だね」
「……まあ」
それしか言葉が出なかった。
アグリは呆れ果てている。
(教会で学び、それが真実だと信じて来た、魔王軍の侵攻の事情がまさかそんな話だったなんて……!)
「では……では聖女の役目というのは……」
「初めは王族の盾になろうと頑張るが、わしらを見て気を失って王が頭を下げるきっかけになる、というのがだいたいの流れだな」
「まあ。……まあ」
同じ言葉しか繰り返せない。
(天地が引っくり返ってしまったような思いだわ……)
あれこれと情報を咀嚼するのに精いっぱいで、もはやアグリは会話が出来なくなっていた。
そしてその間にも次々と出される料理を無意識にぺろりと平らげる。
食後のお茶を飲みながら、自分がこれだけの量を食べられるという事実にもまたびっくりした。
食が進むアグリを見てグランド一家は全員ホッとしたような嬉しそうな顔でにこにこしている。
「ともかく今日はもう休むといい。今後のことは明日から相談しよう」
「はい。そうさせてもらいます。今日は本当にありがとうございました」
アグリは生まれて初めての、お腹が一杯ではちきれそうという感覚を味わいながらこの場の皆に頭を下げるのだった。
翌朝。
前夜、柔らかでほんのりいい香りのする寝台で眠りについたアグリは、自分史上最高の目覚めを迎えていた。
(夕べはちょっとだけお腹が痛くなったけど、治癒魔法でささっと治してしまえてよかったわ!)
今は身も心も爽快である。
昨日知ってしまったあれこれについては、ひとまず深く考えないという結論で決まった。
国に捨てられたという事実だけ踏まえて、この魔界で新しく人生を始める為の準備に目を向けようと思っている。
(これだけ体が万全だと、なんでも出来てしまう気がするし!)
「ドルドさんからお花が届いてますよ」
アグリの世話をしに来てくれた女性が、花束を花瓶に生けてくれた。それは青にわずかに赤みがかったアグリの瞳の色と同じ花だった。
(男性からお花をもらえるなんて。まるで淑女になった気分だわ)
ドルド本人にとってはほんの挨拶代わりの行為なのかもしれない。けれど、自分もそのような気遣いを向けられる対象に入れてもらえたのだ、という事実にアグリは嬉しくなってしまう。
思えばそもそも男性どころか誰からか物を貰ったことすらほとんどなかった。
(あまりにもぼろぼろになった靴を見かねて、支給品とは別に自分のお古を譲ってくれた方はいたわ……その人はその後すぐに地方へ移動してしまったのよね……)
これを機会に相手と仲良くなれたらと思っていただけに、とても残念な思い出だった。
アグリの身支度が整った頃にツバキとヴィンスが部屋を訪ねて来た。
「その花、ドルド?」
目ざとく気付いたツバキが花瓶を指さし、アグリはうなづき返した。
するとツバキは隣にいたヴィンスを肘で突く。
「ほらあ。こういう所で出遅れるんだよ。モタモタしてるとあっさり持ってかれるよー?」
「……彼女は、早い物勝ちゲームの商品では、ない」
ヴィンスはぷいと顔を逸らしてしまう。
(そういう子供じみたちょっと不機嫌な顔もまた素敵だわ)
アグリは密かに堪能する。
そんなアグリの肩にツバキが手を回した。
「さて、朝飯に行こうか。その後は私が軽く魔界を案内してあげるよ。……ヴィンスも一緒に来るか? ああ、あんたはお仕事で忙しいんだっけね」
「聖女の対応は仕事の内に入るだろう!」
食い気味に乗ってくる。
その様子にアグリはフフ、と笑ってしまう。
(小さな子がお客様におうち自慢をしたい感じかしら。きっとヴィンス様は魔界が大好きなのね)
自分の中で納得し、二人に交互に目をやる。
「それではお二人に連れて行ってもらいますね。とっても楽しみです!」
アグリの笑顔にヴィンスがまたも真っ赤になる。
その時だった。
彼女たちのいる部屋に、廊下から兵士が飛び込んでくる。
「ツバキヴィンス! 聖女を連れてすぐ会議室に来てくれ! ハガスの連中からホットラインだ、必ず聖女を同席させろと言っている」
「はあ⁉ なんであいつらがアグリのこと知ってんだよ」
「……昨日のやりとりをどこかで見ていたのかもしれないな」
ツバキが驚き、ヴィンスが眉間に皺を寄せる。
ともかくアグリは二人と共に城内の該当の部屋へと向かった。




