置いていかないで
「主神メルガの御名において聖女アグリが命ずる、邪悪な魔道門よ、未来永劫その黒き口を閉ざせ!」
(口、で良かったのかしら)
自らの言葉にちょっぴりの不安を覚えながら、アグリは一気に聖力を放った。
その聖なる光を受け、そびえたつ巨大な黒門がぼろぼろと砂のように崩れ落ちていく。
(やったわ!)
心の中で勝利の拳を握る。
今この時。何千年にも渡って世界に脅威をもたらしてきた、魔界と人界を繋げる通路が消滅したのである。
この喜びを共有しようと周囲の者たちを見回すが、誰とも目が合わない。
騎士たちの意識は既に立ち並ぶ魔王軍の方へと移っていた。
(そうね、まだ戦闘中だったわ。気を抜いては駄目ね!)
アグリは一瞬浮かれた心を反省する。
現在彼女が立っているのは敵地真っただ中。魔王グランドの治める魔界の領内だ。
今日この日、国の唯一の聖女であるアグリは、騎士団と共にこの地へ最後の決戦に赴いてきたのである。
アグリは長い黒髪をふわりとなびかせて身を翻すと、自身も魔王軍と向き合う。
そしてこの場で彼女が最初に目が合った相手は魔王軍の大将、グランドであった。
その身長と横幅は騎士団の最も大きい人物を二人分重ねたほどはある。頭の両側には禍々しい角が生え、緋色の髪は燃え盛る炎のようにゆらゆらと揺れている。同じく緋色に輝く目が、先ほどまでの完全に小馬鹿にした様子から変化して、今は少しだけ真剣みを帯びている。
「ほお。己の退路を断った決死隊か。おぬしらの国にも多少は骨のある者がいたようだな」
「貴方とおしゃべりはしません! 話すと情が移ってしまうので。ということで早速ですが攻撃します!」
(まずは強度を計らなきゃ)
アグリは様子見の攻撃型聖力をグランドにぶつけてみた。
グランドはふっと笑って避けようともせず、子供のパンチをあざ笑うかのようにこれを体で受け止めようとし……何かに気付いて慌てて防御の魔法を張る。が、一瞬遅かった。
作りかけの防護壁は瞬く間にアグリの力に付き壊された。結果、もろに攻撃を食らった形のグランドはその場に膝をつく。
その反応を見たアグリは冷静に魔王のダメージを計算した。
「ふむ。そうなりますか。となると、降参を表明する余地があるだけの攻撃力となればあと2、3段階力を上げるくらいでいいですかね」
「……待てっ」
「なんでしょうか。降参なら受け付けますがおしゃべりなら駄目ですよ」
「周りを見ろ」
「まあ。ここへ来て魔王ともあろう方がそのような稚拙な時間稼ぎを?」
「いいから。おぬしの連れを見ろ」
(あら。殺気が消えたわ。なら少しくらい従ってあげても……)
魔王の様子を確認して、アグリは仲間に目をやった。
「おや?」
すぐ隣にいると思っていた王国の騎士団長の姿がなかった。
背後を振り返る。
彼女からだいぶ離れた辺りに、共に魔界へ遠征してきた騎士団の者たちが並んでいた。
それぞれの足元には青い魔法陣が浮かんでいる。それは転移の陣であった。
気付いたアグリは慌てる。
「⁉ 皆さま、作戦が違います! 王国に戻るのは、門を消し、魔王の降参を得てからと……」
思わずアグリが走り寄ろうとした途端、次々と魔法陣が光り出し、騎士たちの姿が消えていく。
「待って! 私は転移魔法だけは使えないんです、どなたかに連れて帰ってもらえなければ帰還できなく……置いて行かないで下さいませ!」
アグリの悲痛な声も全く無意味のまま、最後の騎士が消え失せると。
彼女はその場にとさりと座り込んだ。
無情な風が一人ぼっちのアグリと残された魔王軍の間を吹き抜ける。
「どうして……」
信じられなかった。今、目の前で起きている事態が理解できない。
「捨てられたな」
言ったのは、どうにか立ち上がったグランドだった。
ぱたぱたと膝の土を払いながらのんきに尋ねてくる。
「おぬし、国で罪を問われるようなことでもやらかしたのか」
「いいえ……覚えが……ありません……私はただ皆さまの指示に従って生きてきたので……」
ぎゅっと砂をつかむ。
嫌われていたという話ならまだわかる。しかし追放されるような心当たりは一つもなかった。となれば。
「これはまさか……私の為には転移魔法の魔力消費すら惜しいと思われてしまったのでしょうか……」
「ふん。一人運ぶも二人運ぶも大した違いはなかろう。……ならばおぬしはこの場に封じられたというのが一番ありえそうだな」
「封……?」
意味がわからない、とグランドを振り返る。
アグリのわからなさがわからない、というようにグランドが首をひねった。
「息も切らさず魔王を跪かせるだけの力を持った存在は、それだけで国の脅威であろう?」
「それは違います! 今は、たまたま貴方の油断があってうまくいっただけなのです。私は聖女としては出来損ないなんです、だって数値は15なんですから!」
アグリは全力で主張した。
アグリの生まれたトンネル国では、百年に一度聖女が生まれる。
聖女はあらゆる魔法に適性があり、中でも聖女にしかない聖力は魔族や魔獣に絶大な効力があるとされていた。
『聖女降誕年』に誕生した女子は例外なく全て教会で聖女鑑定を受ける。
子爵家で生まれたアグリもその内の一人だった。
生まれてすぐに聖力の鑑定を受け、アグリに現れた数値は「15」だった。
通常の聖女たちの聖力は50から60で、アグリの数値は平均には遥かに及ばず、かといって鑑定の誤差だと見過ごしてしまう訳にはいかない微妙な数値であった。
結局、その年にアグリ以外に聖力の現れた者は出ず、彼女は当代の聖女として教会に預けられることになったのである。
誰にも期待されないはずれ聖女として。
とは言え、魔界と繋がる門を有するアグリの国では、わずかでも魔族に対抗する力を持つ聖女を国から逃がす訳にはいかない。
アグリは聖女認定された時から第三王子の婚約者となった。
成長するにつれ、アグリは己が国中に疎まれていることに気付いた。
何故自分たちが生きている間の聖女がこんな非力な者だったのかと誰もが嘆いていた。今後百年暗黒時代が続くのだろうと人々が暗い気持ちでいるのも知った。
だからアグリは努力した。
与えられた要求は全てこなし、自主的にも必死に勉強、訓練した。
実際に国の仕事を任されるようになってからも頑張りは継続した。
聖女の役割として望まれる仕事は全うできるようになったが、アグリは自分が一人前以上の力があるとは思っていない。
何故なら自分は15の聖女で、その数値は聖女の価値を表す基準そのものだったからだ。
「と言う訳で、私は恐れられるほどの力は持ち合わせていないのです」
アグリの話を聞き終えて、グランドは顎に手を当てた。
「確か……聖女鑑定は教会の測定器を使うのだったな?」
「よくご存じですね。そうです、赤ん坊の手を水晶に触れさせると、0から1000までの数値が現れることになっているそうで……」
「なるほど。振り切ったな」
「……はい?」
言われた言葉がわからず、アグリはきょとんとした。
「聖力というのはな、言わばまあ我々にとって恐れを抱かせる力だ。おぬしに感じるわしの恐怖心からすると……おぬしの聖力はきっと数値にすれば1015ほどになるのだろう」
「せんじゅうご」
目を瞬かせた。言葉がすんなり入ってこない。
「周りはきっと早々に気付いておったろうな。だがおぬしに知らせぬ方が御しやすしと踏んだのだろう」
「お待ち下さい。でも……いえですがそんな、」
「難しく考えんでもいいだろう。おぬしはわしより強い。歴代の聖女どもが退治できんかったわしを簡単に負かせそうだと読み切った時、おぬしはどう思ったのだ」
「それは……」
アグリは咄嗟に目を逸らして言葉を選んだ。
「魔王もお年を召されたのかと思いました」
「……わしはまだまだ現役だ。となればおぬしと歴代の聖女ではどちらが強い?」
「……私……なのですか」
グランドは満足げにうなづき返して来た。
自分で言って、アグリは呆然とする。
俄かには信じ難かった。
けれど言われてみれば、思い当たる節がなくはない。
命じられて仕事を片付けた後の人々の微妙な反応。感謝されるでも褒められるのでも、ましてやこの程度しか出来ないのかと叱られるのでもなく。人々は、聖力を使った後のアグリと目を合わせてくれなかった。先ほどの、門を消滅させた時の騎士団員たちと同じように。
後はうっかり聖力を暴走させた際の、人々の怯え方。アグリの出来損ないっぷりに怒りも呆れもせず、ただただ皆、顔を引きつらせていた。
そう言われて見れば。今回の作戦にもおかしな点はある。
幸い、たまたま、今になって、聖女の力で門を消滅させられることが判明したのでそれを決行した。これでもう、転移魔法が使えない魔界の者はこちらの国には出現出来なくなる。
なのに何故そこに「魔王を降参させる」のミッションを付け加えたのか。歴代の聖女たちでさえ成しえなかった魔王への勝利をどうして最弱である筈のアグリに任せたのだろう。
それはもしや国の人間は、少なくとも騎士団が脱出するだけの時間稼ぎができるくらいには、アグリは強いと知っていたからではないのか。
「あの……念の為に伺いたいのですが。あの門は、魔界側からでないと消滅させられないと聞いているのですがそれは本当でしょうか」
「やったことがないからわからんが、門の向こうとこちらで強度が変わるとは思えんな」
「……ですよね」
思わず肩を落としてしまう。
つまり、この作戦は、門の消滅とアグリの封印の一挙両得を狙ったのか。
(もし。それが真実なら。私がこれまで苦しんできた15の劣等感って……)
グランドの言葉がぐるぐると頭の中を巡り、ついつい疑問が口に出る。
「でもおかしいではないですか。仮に聖力の数値がそうだとしても。今までうまく飼い馴らしてきたものを今になって突然捨てる理由とはなんでしょう? 私が使える聖女ならなおさら納得がいきません」
悪意を持って放棄されたのだ、などという事実だけは認めたくなかった。
確かに大事にはされていなかったと思う。でも最低限の役には立っていた筈だ。
すると、グランドの後ろから、一人の魔物が前に出てくる。
騎士団で最も高身長の人物と同じくらいの背丈。だが横幅はすらりと細い。頭に角、黒髪に緋色の目の野生動物のような強さとしなやかさを感じさせる息を飲むほどに美しい女性剣士だった。
「聖女ちゃん。あんた、オトコいるの」
「はい⁉」
アグリは慌てた。けれど言い方の違いだろうと急いで気持ちを落ち着かせる。
「こ、婚約者ならおりますが。第三王子のトウル殿下です」
三か月後に結婚を控えていた相手を思い出してみる。顔を見ると叱られるので、ぼんやりしたイメージしか浮かばないが。
「あーじゃあそいつだね。そいつに不穏の兆しが見えたからあんたを渡しちゃまずいってなったんだろうよ」
「わ、私は陛下や教会に逆らおうとしたことなど一度もありませんし、殿下も遊びにしか興味がないお方です。王族としては頼りなくても人としてはとても無害な方ですよ?」
そこでフウ、と息を吐いたグランドは、憐れむような目をアグリへ向けてきた。
「おぬしの力はな。権力になど見向きもしなかった者ですら狂わせてしまうのに充分な強大さだ」
「! そんな……そんな筈は……」
アグリはただただ混乱する。
(じゃあ……もしもそれが事実なら……私は国を乱す可能性のあるものとして処分されたことになってしまうわ。そんな。ひどすぎる。だったら私はこれからどうすればいいの)
国の為に生きよと育てられてきた。
その国から捨てられてしまったのなら。もはやアグリは歩き出す方向すらわからない。
しかも今いるこの場所は人間の世界ですらないのだ。
魔物二人はそんなアグリを観察していた。
「……どーすんのとーちゃん」
「ああ。そうだなあ。正直、不憫に思うところもあるし、色々と誤解を解きたい気持ちもある。……なあ、聖女よ」
グランドが手を差し出して来た。
「おぬし、行き場がないならうちに来るか。小娘の一人くらいは食わせてやれるぞ」
信じられない思いでアグリはグランドを見上げた。
「魔王……! 何故……私たちはつい先程まで敵同士だったではないですか……」
魔族とは残虐非道な生き物である。それがアグリが教わって来た事実であった。
魔王による過去10度の侵攻の恐怖はアグリの国の人間たちの心に染みついている。国を蹂躙したあとは、国王の屈辱の懇願と聖女の説得、捧げられた莫大な貢物を受け取って満足して帰っていくのが彼らのやり方だと聞いていた。幸い、アグリの世代では被害をその目で見たことはまだないが。
(でも、確かにそう考えると。相手を憎んでいるのはこちら側だけなのかもしれないわ……)
いつのまにか近くまで来ていた黒髪の女性が気軽にアグリの肩を叩いてくる。
「とーちゃんはね、こーゆーの放っとけない奴なんだよ。まあ一度来てみなよ。うちが気に入らなかったらあんたなら城ごと制圧して新しい王にでもなれるんだしさ」
「それはそれで少し困るのだが……」
女性の言葉にグランドは情けない顔で眉を寄せる。
彼らの気安いやりとりに、思わずアグリは笑ってしまった。
(そうだ。ここでぐずぐず言っていても仕方ないのだわ。私にはもう、帰るべき場所はない)
そして少しだけ解れた心で、彼らに向かって頭を下げる。
「ありがとうございます。お二人のご親切に甘えさせて頂きます。私はトンネル国神聖教会所属の第31代聖女アグリと申します。今後の身の振り方が決まるまで、どうぞよろしくお願い致します」




