セレナの水晶
セレナがまだ地上にいたころ、
彼女は、小さな町の診療所で働く若い看護師だった。
昼は外来、夜は高齢者の訪問看護。
忙しさの中でも、患者たちに優しく声をかけ、耳を傾けることを忘れなかった。
けれど、ある日。
ひとりの少女――紬によく似た表情をした女の子が、病院の屋上から身を投げようとしていた。
「お願い、もう少しだけ話を聞かせて」
セレナはそう言って、少女のそばに座った。
少女はしばらく沈黙していたが、やがてポツポツと語り始めた。
「誰にも言えないの……」
「わたしがここにいる意味が、わからないの……」
セレナはただ、彼女の隣に座り、何も言わずに寄り添った。
やがて、少女は泣きながらうなずき、小さく「ありがとう」とつぶやいた。
──それから数日後。
少女は、転校していった。元気になったわけではないかもしれない。
けれど、「あのとき誰かがいた」という記憶が、彼女を支えるのかもしれない。
セレナは、そんなことを願っていた。
その冬、セレナは突然の事故で命を落とす。
病院へ向かう途中の、信号のない交差点だった。
──気がつくと、彼女は、雲の上にいた。
そこには静かな光と、見渡す限りの白い空間。
その中心に、透明な水晶が置かれていた。
「あなたの思いは、まだ地上に残っているのね」
そう言って現れたのは、年老いた女性。
彼女は微笑みながら言った。
「この水晶は、悩める人の“心の震え”を映すもの。
あなたのように人の痛みを受け止められる者にだけ、使う資格があるの」
セレナは迷わなかった。
彼女の中にあったのはただ、あの日、少女の隣にいられたことの喜び。
「私は……これからも、見守りたい。
声に出せない誰かの心を、そっと支えていたいんです」
それから、彼女は空の上に小さな小屋を持ち、
日々、水晶をのぞき込みながら、悩んでいる誰かの気配を探すようになった。
大きなことはできない。
ただ、ラベンダーの香りや、思い出の鳥や、昔聞いた音楽の風――
その人にしかわからないサインを、そっと地上へ届ける。
見えなくてもいい。気づかれなくてもかまわない。
けれど、ほんの少しでも、誰かの心に“あたたかい光”が届けばいい――
それが、セレナが「空から人を見守る存在」になった理由だった。