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9.彼女の提案

「すまない、言い方が悪かった」

 謝罪の言葉を口にするリアム様の顔色は、真っ青を通り越して真っ白になってしまっていて、私の涙に責任を感じていることが、ありありと感じられる。


 けれどもこれは、彼のせいではない。浅はかな自分の考えに気づかされて、情けなさから感情が溢れ出てしまっただけなのだ。

「いえ、こちらこそすみません。すぐに止めますので……」

 そう言ってはみたものの、一度流れ出した涙はなかなか止めることができなくて、心の中で焦りが加速する。

 

 早く泣き止まないと、リアム様に迷惑を掛けてしまう。私がもっとしっかりしていれば、こんなことにはならなかったのに。

 現に食堂の雰囲気は重苦しいものになってしまっているし、マークとマリーがリアム様に向ける視線なんて、恐ろしくて見ていられない。

 こんな時、お姉様ならどうしただろう。お姉様ならきっと、上手くこの場を切り抜けることができるだろうに。

 ……いや、ここにいるのがお姉様なら、そもそもこんな状況には陥らないか。


「こんな考えではいけない」とわかってはいるものの、一度後ろ向きになった思考はなかなか前を向いてはくれず、気持ちがどんどん落ち込んでしまう。

 きっとこのままここにいても、周囲に気を遣わせてしまうばかりで、事態が好転することはないだろう。


 そう考えた私が、自室に戻る許可を得るために口を開こうとした瞬間だった。

「クララに、頼みがある」

 こちらを真っ直ぐに見据えたリアム様から、そう声を掛けられる。

 彼の顔色はいまだに良くなってはいないものの、その言葉には強い決意が込められているように感じられた。


「なんでしょうか?」

「君に触れる許可が欲しい。……私のこの手で、クララの涙を拭いたい」

 あまりに緊張した面持ちで、リアム様がそんなことを言うものだから、少し驚いてしまったけれど、きっと彼もなんとかして私を泣き止ませようと考えてくれているのだろう。


 誰かに面と向かって慰めてもらうだなんて、一体いつぶりのことだろう。

 リアム様の中の私は、五歳児のままなのかもしれない。


 そう思うと断る気になどなるはずもなく、私は軽い気持ちで「もちろん構いません」と返事をする。

 すると、それを聞いたリアム様は、なぜだか一瞬泣きそうな表情をした。

 しかしそれはほんの一瞬のことで、彼は震える手をゆっくりと、本当にゆっくりと私の頬へと近づける。

 私の頬についた涙の跡をそうっとなぞるリアム様の右手は、ひんやりとしていて気持ちがいいのだけれど、彼に触れられた部分は、じんわりと熱を持つような気がした。


 ……だって、こんなの聞いてない。

 その手つきはまるで、宝物に触れるかのように慎重だったし、その目つきはまるで、愛しいものを見つめるかのような熱を有していた。

「泣かないでくれ……」と囁く少し掠れたその声は、色気に満ちていて、妹を宥めるためのものでは決してない。


 …………思っていたのと違う!!!!


 あまりの衝撃に、いつの間にか涙はぴたりと止まっていたようだ。

 それを見たリアム様は、ほっとしたように「よかった」と呟いたけれど、私としては全然よくない。むしろ大混乱だ。


「本当に、すまなかった」

「いえ、こちらも……。不快な思いをさせてしまったようで」

 なんとかそう返しはしたものの、私は頭の中で「一体今のはなんだったの!?」と叫び声を上げる。


 けれども、当然ながら私の混乱がリアム様に伝わることはない。

「まずは先ほどの言葉について弁解させてほしい。あまりにも細く締め上げているものだから、クララの身体が心配できつい言い方になってしまった。本当に申し訳ない」

 リアム様は真剣な眼差しで、先ほどの言葉の真意を語っているようだが、正直半分も耳に入ってこない。


「女性の下着に口を出すのはマナー違反だとは思うが」という前置きの後につらつらと語られる、コルセット着用が身体に及ぼす悪影響についての説明など、ほとんど単なる音としてしか認識できなかった。

 理解できた言葉の断片から推測するに、おそらく「コルセットは身体に悪いからあまり使ってほしくはない」ということなのだろう。


「……お姉様の真似をした私が、見るに耐えないというわけではなく?」

 後から考えると、それは随分と直球な物言いだったと思う。

 けれどもリアム様は、それに対して「なにを馬鹿なことを」とだけ言って、そして小さく笑ったのだった。


 ◇◇◇


「ようやく仕事が片付いたから、今夜は少し時間が取れるんだ。クララさえよければ、もう少し話をしたいのだが」

 リアム様は食後、私にそう声を掛けた。


 私がこの屋敷に来て以来、公務が山積みだというリアム様は、ほとんど執務室に籠り切りだったし、それゆえに顔を合わせる機会も全くと言っていいほどになかった。

「公務なのだから仕方がない」と納得していたつもりだったけれど、自分でも気づかぬうちに寂しさを感じていたようで、「私も、同じ気持ちです!」と発した言葉は、思った以上に弾んで聞こえた。

 すぐに「子どもっぽすぎる反応だったかな?」と心配したが、どこかぼんやりとした様子のリアム様から、それを指摘されることはなかった。


「お菓子を用意させ……、あー……、今は控えているんだったか?」

「ええ。ですが、せっかくなので頂いてもいいですか? ここで出されるお菓子、可愛くて美味しくて、本当に幸せな気持ちになれるんです」

「……それは、料理長が泣いて喜ぶだろうな」


 そんなやりとりを経て、所狭しとお菓子が並んだテーブルを挟んで、私達は向かい合っている。

 ちなみにお菓子は、料理長が直々に運んできてくれたし、なんなら一つ一つに使われている材料の説明までしてもらった。リアム様がいるからだろうか?


「大豆とにんじんを使ったケーキ……。どんな味がするのでしょう?」

「確かに気になるな。どんな味か教えてもらえるか?」

「このクッキー、バターを使ってないとのことでしたが、美味しいのでしょうか?」

「ああ。以前料理長が苦戦していると言っていたものが、ようやく完成したのか。クララ、ぜひ食べてやってくれ」

「トマトが丸ごとゼリーの中に!? これは本当にお菓子ですか!?」

「これはまた斬新だな。クララ、食べられそうか?」


 そんなリアム様の言葉に乗せられて、私は次々とお菓子に手を伸ばす。断言するけれど、お姉様なら絶対にこんなことはしない。

 けれども、私がお菓子を頬張るたびに、リアム様が嬉しそうな顔をするので、今だけは良しとしよう。

 先ほどまでは緊張の面持ちで部屋の隅に佇んでいた料理長が、なぜだか目頭を押さえて天を仰いでいることについては、気にしないことにする。


 よくわからないけれど、私がもりもりとお菓子を食べたことにより、リアム様は何か得るものがあったらしい。

 彼は満足げに「うん」と頷くと、そのまま何気ない様子で「先ほどクララは『お姉様の真似をした』と言っていたが、なぜそんなことをしようと思ったのだ?」と言った。


「その方が良いのかと思いまして……」

 できる限り正直に答えたいとは思うものの、「リアム様の〝愛する人〟になりたい」とはさすがに言えない。

 そのまま「私の知る限り一番お手本として相応しいのが、姉だと思いましたので」と付け加えると、リアム様は「なるほど」と言って、少しだけ悩むような素振りを見せる。


「確かにグレースが貴族の令嬢として優秀なことは、私も知っている。なにせ〝淑女の鏡〟と呼ばれるくらいだからな」

 リアム様は私の言い分を、すんなりと肯定した。

 けれどもその言葉は、姉と私を比較するようなものではなく、ただただ事実を述べているだけのように感じられる。

 そしてそこに、消えてしまった姉を惜しむような感情が見えないことに、私はひっそり安堵した。


「クララの、何事にもひたむきに努力するところは美点だ。けれども、方向を間違ってはいけない。グレースから学ぶことはあれども、クララがグレースのようになる必要はない」

 リアム様はそこで一旦言葉を区切ると、私の目を正面から見据えて「私は、そのままのクララが好きだ」と言った。


 思えばリアム様は、幼い頃からそうやって私を褒めてくれた。

「クララとグレースは別の人間だ」「クララにはクララらしくいてほしい」、そして「そのままのクララが好きだ」と言われたことだって、今までにだって何度かある。

 しかし今回は、その言葉が今までのものとはどこか違うように感じられて、私は小さく「ありがとうございます」と返すのか精一杯だった。


 ……やっぱり、リアム様には幸せになってもらいたい。


 彼と話をする中で、私はそのことを再認識していた。

 だから、私の目標は変わらない。リアム様の「愛する女性を妻に」という願いを叶えるために、私がリアム様の〝愛する女性〟になること。

 けれどもそれは、私がお姉様の真似をしたところで達成できるものではないのだろう。

 それに、「そのままのクララが好きだ」と言ってくれるリアム様には、嘘偽りのない私で接したい。


 ならばもう、素直に尋ねるしかないだろう。

 リアム様が言っていたように、方向を間違ってしまっていては、どれだけ頑張ったところで意味がないのだから。


「リアム様、何か私に対する要望はありませんか?」

「何か……とは?」

「なんでも構いません。『お菓子を食べ過ぎるな』でも、『もっと勉強しろ』でも、『使用人ともっと上手くやれ』でも、本当になんでも。リアム様にお好みの服装があるのであれば、それに合わせることもします」

 私がそう言うと、リアム様は僅かに眉間に皺を寄せた。


「お菓子はたくさん食べてほしいし、自由時間は自由に過ごしてほしい。それに使用人とは、今でも十分上手くやってくれている。服装に関しては……まあ、コルセットの着用を控えてほしいくらいだろうか」

 彼は私が提示した要望の例をことごとく否定すると、「どうしてそんなことを言うのだ?」と問うてくる。


「リアム様は、幼い頃から私のことを可愛がってくださいました。ですがそれはあくまでも妹枠として。公爵夫人として、これまで通りではいけないと思いまして」

 おそらく私が変わらなくとも、リアム様は私を大切にはしてくれるだろう。それなりに平穏な家庭だって、築けるとは思う。

 けれども、リアム様の願いを叶えるためには、いつまでも私が彼の妹枠に甘んじているわけにはいかないのだ。

 ……だから。


「リアム様の妻として、リアム様と並び立つのに相応しくあれるよう、私自身を変えていきたいのです!」

 私は拳を握りしめ、高らかにそう宣言する。

 そんな私の目の前で、リアム様は左胸に手を当てながら、「ぐうっ……」とくぐもった呻き声のようなものを漏らしたのだった。

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