5.彼女の空回り
「どうすればリアム様を振り向かせることができるのか、横になりながらじっくり考えてみよう!」
昨夜はそう意気込んで、早めにベッドに入ったはずなのに、気づいた時にはすっかり日が昇っていた。
さすが、リアム様が愛する人のためを思って用意したベッドだ。横になった瞬間からの記憶が一切ない。
慌てて身支度をして食堂に向かったものの、テーブルには一人分の食事しか用意されておらず、すでにリアム様が朝食を終えた後だということがわかる。
「申し訳ありません。もっと早くに起きるつもりだったのですが……」
屋敷に来た初日から寝坊するなんて、きっと「未来の公爵夫人としての自覚が足りない」と思われていることだろう。
「リアム様は、怒っていらっしゃいませんでしたか? その……初日から朝食を共にしなかったことを」
これでは、「リアム様を振り向かせてみせる!」以前の問題だ。
けれどもマークは、私からの問い掛けに対して「大丈夫ですよ」と言ってにっこり笑った。
「『疲れているだろうから、ゆっくりさせてやるように』とおっしゃっていました」
その言葉を聞いて、リアム様から呆れられていないことにほっとすると同時に、やはり私は妹扱いされているのだと思い知る。
なんとか挽回せねばと焦る私は、そこでふと昨日から疑問に思っていたことを尋ねてみた。
「そういえば、今更で申し訳ないのですが、私は『リアム様』と呼び続けてもいいのでしょうか?」
その質問に対して、マークはまるで意味がわからないとでも言うかのように「はい?」と答える。
私が彼を「リアム様」と呼んでいるのは幼い頃からの習性のようなもの。私の記憶違いでなければ、かつて彼の方からそう呼んでほしいと提案されたはず。
けれども、私はもう子どもではないし、彼も立派な公爵家の当主だ。
あの頃の提案が今もなお有効かと聞かれると、自信を持って頷くことができない。
よくよく考えると、お姉様はリアム様のことを「リアム殿下」と呼んでいた。だったら私は、お姉様を倣った方がいいのではないだろうか?
もちろん、呼び名を変えるだけで私達の関係が大きく変化するだなんて思っていない。
けれども、「できることは全てやってみる」というのが私のポリシーなのだ。
「……『リアム様』ではなく『公爵様』などとお呼びする方がいいのかしら?」
長年名前で呼び続けていたので、いまいちしっくりこないけれど、その程度であれば意識すればすぐにでもできる。
口の中で「公爵様、公爵様……」と練習する私の耳に、しかしすぐに「なぜ……!?」という悲痛な声が聞こえてくる。
「クララ様にそう思わせてしまうような何かがありましたでしょうか?」
そう言うマークは、珍しく少し取り乱しているように思われる。
「……? いえ、何かがあった訳ではありませんが、その方が〝公爵様〟も喜ばれるのではないかと思いまして……」
けれども、私がそう答えるや否や、マークは「そんなことはありません」と言い切った。
「むしろ、二度とそのようなことは言わないでいただきたく……」
あまりにも必死な顔でそんなふうに言われてしまうものだから、私は「わ、わかったわ」と答えることしかできなかった。
そんな経緯もあって、「呼び方を変えてみよう」作戦は失敗に終わった。
けれども方向性は間違っていないはず。リアム様の好みが、お姉様のような女性であることは明らかなのだから。
ならば次こそは……と気持ちを切り替えて、私は別の作戦を練る。
現在の私は、ドレス製作のための採寸を受けている。
実家から持参したドレスもあるため、一度は断ったものの、マークからは「リアム様からのご指示ですので」という言葉が返ってきた。
「もしもクララ様にお好みのお色がおありでしたら、きちんとおっしゃってください。こちら側で用意するとなると、色が偏ってしまいかねませんから」
その言葉の意味はよくわからなかったけれども、わざわざそんなことを言うということは、ある程度意見を出しても許されるのだろう。
……だったら。
「本日中にデザイン案を作成し、明日お見せしに参ります。何かご要望はおありでしょうか?」
仕立て屋のマダムにそう問われた私は、「大人っぽいデザインにしていただきたいです!」と即答する。
私がクロフォード家にいた時には、ドレスをどのようなデザインにするかについて、マリーに任せっきりにしていた。
センスも良く、私の魅せ方を知り尽くしているマリーが選ぶドレスは、いつも私によく似合っていたし、不満に思ったことなど一度もない。
けれども、そのほとんどがふんわりとしたAラインのシルエットで、素材もシフォンやオーガンジー。場合によってはリボンやフリルまで施されており、〝大人っぽさ〟とはかけ離れたものばかりなのだ。
もちろん、私に似合うのがそういった〝可愛らしい〟ドレスであることはわかっているのだが、お姉様のドレスは上品でありながらも色気のあるものが多かったことを考えると、リアム様はおそらく大人っぽい服装を好まれるのだろう。
ならば今回は、そういったドレスに挑戦してみようじゃないか!
お姉様が着ていたドレスを想像しつつ、「例えばこのような」と言って、マダムの手元にあるデザインの一つを指し示すと、マダムは一瞬意外そうな顔をした。
けれどもそれは本当に一瞬の出来事で、マダムはすぐに「承知いたしました」と返事をする。
「まだまだお若いですから、いろいろな雰囲気のドレスを試してみられると良いと思いますよ」
そう言うマダムは、とても優しい表情を浮かべていたのだった。
◇◇◇
それからも、私は「お姉様ならどうするか」を行動の指針にした。
まず変えたのは、大好きなお菓子の量。
公爵家のティータイムに用意されるお菓子は、一つ一つの量は多くないものの、種類が豊富で見た目にも凝っている。
それらのお菓子に目を奪われて、私は毎回あれもこれもと欲張って食べ過ぎてしまっていた。
しかし途中で気がついたのだ。「お姉様ならきっと、一つか二つにしか手をつけていないだろうな」と。
「明日からお菓子の量を減らしていただくことはできないでしょうか……?」
断腸の思いで給仕係にそう伝えると、すぐさま料理長が飛んで来た。
「何かお気に召さない点がございましたでしょうか?」
青い顔でそう尋ねる料理長を目にすると、罪悪感がむくむくと顔を出すけれど、「これもリアム様に好かれるためなのだ」と心を鬼にする。
「いえ、気に入らないことなど何もないのです。どれもこれも美味しくて可愛いらしくて、私は毎日のティータイムを心待ちにしているんですよ」
「では、どうして?」
そう聞かれた私は言葉に詰まる。
だってここで、「姉の真似をしているだけなのです」と言うわけにはいかないのだから。
結局、その時は体型の変化を理由にして切り抜けたのだけれど、それからしばらく経って「料理長がヘルシーなお菓子の研究にはまっている」という噂を耳にするようになった。
ヘルシーなお菓子を断る言い訳については、考え中である。
次に変えたのは、空き時間の過ごし方。
最初は、「刺繍が得意なお姉様に倣って、リアム様に何か作って差し上げよう!」と思って針と糸を取り出した。
けれども不器用な私には、ちまちまとした作業は合わなかった。
ハンカチにたったワンポイントの刺繍を施すために丸一日を費やした挙句、「これ、何かわかる?」と尋ねたせいで、専属侍女であるマリーを随分と悩ませてしまったのは、苦い思い出だ。
それ以来、時間を見つけては一人でこっそりと練習をしているものの、すぐに上達するはずもなく、いまだ趣味として人前で堂々と披露できるような腕前には至っていない。
おかげで、クローゼットの奥深くに封印されている〝ワンポイントらしきものが施されたハンカチ〟の数は、日々その枚数を更新している。
そして秘密裏に刺繍の練習をする傍ら、普段読む本についても〝お姉様が読みそうな本〟を選ぶよう意識を改めた。
今まで小説ばかりを好んで読んできた私にとって、読書は娯楽としての色合いが濃いのだけれども、様々な分野の専門書を手に取ることが多かったお姉様にとっては、そうではないのだろう。
「これも勉強だ!」という気持ちで手にした経済に関する本は、私にとっては専門的すぎて、正直なところ何度も意識が飛びかけた。
けれども、時にマークに質問をしながらも読み切ったおかげで、ちょっぴりだけ経済について詳しくなった気がする。
少し前からは法律に関する本に取り掛かっているので、このままいけば私は、法律についてもちょっぴりだけ詳しくなれるはずだ。
そして最後に私が変えたのは、屋敷内の人々に対する接し方。
実家においては、屋敷内で働く使用人のほとんどが、私が幼い頃からの付き合いだった。
加えて三人兄妹の末っ子だったこともあり、私は随分と甘やかされてきたのだろう。私はずっと世話を焼かれ続けていた。
けれどもお姉様は、そうではなかった。
いつの頃からか、姉は積極的に使用人達とコミニュケーションを図るようになっており、使用人からも〝お世話をすべきお嬢様〟としてではなく、指示を仰ぐべき存在として扱われていた。
今思うと、身近な使用人とのやりとりも、お姉様にとっては「王太子妃になった時の練習」だったのだろう。
そう考えると、私も今のままではいけない。公爵夫人になるべくここに来た以上、いずれ私も彼らに指示を出す必要だって出てくるはず。
そんな思いから、私は屋敷内の人々に対して、自分から積極的に声を掛けるよう心掛けた。
その結果、「ようやく親しくなれたと思った執事見習いの男の子から、なぜか急に距離を取られるようになってしまった」なんてこともあったけれど、おかげで公爵家の使用人とも徐々に仲良くなれている気がする。
そんなふうに、小さなことからコツコツとお姉様の行動を真似てきた私の元に、以前仕立て屋に頼んでいたドレスがようやく完成したとの知らせが入った。
奇しくも今日は、リアム様と夕食を共にする約束をしているのだ。
目の前に掛けられた深緑色のマーメイドラインのドレスは、装飾が少なくシンプルだからこそ、身体のラインがよく目立つだろう。
「私の内臓を押し潰す気持ちで、うんときつくして!」
私の要望に従って、コルセットの紐をぎゅうぎゅうと引っ張るマリーの額には、じんわりと汗が滲んでいる。
そんな彼女の頑張りに応えるように、私も息を目一杯吐いて、圧迫感と息苦しさにじっと耐える。
このドレスに合わせるために、普段は下ろしている髪も、一つに結い上げてもらった。
メイクだって、いつもより大人っぽくしてもらったおかげで、コンプレックスの垂れ目も目立たなくなっている。
鏡に映る自分は普段の自分とはまるで違って、なんなら少しお姉様に似ているような気もする。
「リアム様は、どんな反応をされるかしら?」
うきうきとした気持ちで発したその言葉は、しかし予想に反して弾んでいなかった。きっと、上半身を強く圧迫しているから、思うように声を出すことができなかったのだろう。
いつもなら、新しいドレスを着た際には、大げさに思えるくらいに褒めてくれるマリーからの返事はない。
鏡越し彼女の様子を窺うと、どこか悲しそうな表情を浮かべているのが見えたのだった。