帰省
◆賑わった盆正月
私にとっての「帰省」とは、盆と正月にきょうだいが都会から帰って来ることだった。
六人きょうだいの末っ子だった。祖父が存命し、長男は嫁を取って、甥と姪も同居していた。盆暮れの茶の間は、立錐の余地もなくなった。一族が膝を寄せ合って座ったものだった。
兄や姉は土産を手に、満員の汽車や船、バスを乗り継いで故郷に向かった。
久々の再会に座は盛り上がった。珍しい話が聞けた。私は目を輝かせ、耳をそばだてていた。田舎の一軒家に、いつまでも明かりが灯っていた。
◆老母のジレンマ
迎えた記憶はあるが、迎えられた記憶はあまりない。
二二歳で自立し、私も帰省する身になった。宴は束の間。年老いた母親は庭先で、子や孫の姿が見えなくなるまで手を振っていた。
「こんなに(別れが)つらいのなら、もう帰って来るな」
別れ際の言葉に後ろ髪を引かれ、私はつい速足になっていた。
母親は私が三三の年に亡くなった。父親は都会に住む長男宅に身を寄せ、生家は廃屋となった。私の故郷喪失感は大きかった。
◆有為転変は世の常
六五でUターンし、旧市街地に家を建てた。
生まれた育った村から、クルマで二〇分ほど。昔なら都会だった一帯だ。ここにも過疎化の波は押し寄せ、空き家が目立つ。生家のあった村はと言えば、二一軒から今では三軒になり、限界集落もいいところだ。
埼玉にいた時、治療院の料金改定のDMを出したことがあった。驚いたことに、一〇年ほどの間に二、三割が転居していた。
人の流れがますます激しくなっている。生まれた家に住み続ける、あるいはいつまでも帰省先があるというケースは、実はまれではないか。
そんなこともあって
(故郷喪失感を抱いているのは私だけではないはず)
と自分なりに納得していた。
◆想いのリレー
Uターンして一〇回目の正月を迎えた。
今年のトピックスのひとつは、中学二年の孫娘がひとりで埼玉から帰って来たことだ。
孫娘は四歳で移住し、中二の秋まで徳島で過ごした。
(ジジ、ババのところへ行くのだ)
と、単身、夜間高速バスに乗り込んだ。
孫娘にとって初めての一人旅、帰省ツアーだった。
故郷に対する想いは孫娘にリレーされた。
よもや、後ろ髪を引くようなことを洩らさないか心配ではある。私の年も母親の晩年に達した。