表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

9/46

EX.殿下はもっと悪食です(sideヒースクリフ/後編)


 俺と部下達は闇の森を抜け、ラング伯爵領の領都でもあるラングヘイムの街に入った。

 伯爵の城館に到着し、フィリアを抱えて馬を降りる。

 そこでようやく、俺はフィリアの様子がおかしいのに気付いた。


「フィリア? ――どうしたんだ、フィリア!!」


「う……」


 腕の中でフィリアはぐったりしていた。

 頬が赤い。触れてみると熱があって、意識も朦朧としている。

 全く気付かなかった。浮かれていた自分を殴りつけたくなる。一気にここまで駆け抜けてしまったが、女性の体力を考えて休憩を入れるべきだったか。


「ヒースクリフ殿下! どうなさったのですか」


 伯爵家の執事長がやってきた。


「すまないが、医者を呼んでくれ。今すぐ」


「は、かしこまりました。しかし、その……」


 執事長は伯爵に長年仕えている初老の男で、俺もよく知っている冷静な人物だが、さすがに少し眉をひそめた。

 任務で闇の森へ行っていたはずの俺が、女性を連れてきたためだろう。

 数瞬、迷った。

 俺はベルーザの王弟、いい年の癖に現在独り身で、周囲から結婚しろとせっつかれているのに逃げ回っている状態にある。

 その俺が、公的な場でこれを口にしてしまったら後戻りできない。

 だが……ただ身元不明の女性を保護してほしいと頼むよりも、この方が確実なんだ。

 あとでフィリアに怒られるかな。しかし彼女の生命には代えられない。

 意を決して彼の目を見た。


「……俺の大事な(ひと)なんだ。無理を言っているとは思うが、頼めないか?」


 執事長は目を見開いたが、即座にうなずく。


「承知いたしました。ひとまず、日当たりの良い客間へお通しいたします。その後のことは、ご令嬢の体調が戻られてから整えましょう」


 この瞬間から、フィリアは身元も何も関係なく、俺の恋人であり婚約者候補として扱われる。

 これが王宮だと彼女の身がむしろ危険になるが、ラング伯爵と配下ならば大丈夫だろう。


「すまない。ああ、彼女は俺が連れていく」


「はい。では、この者がご案内いたします」


 侍女の一人が進み出て礼をした。

 俺はうなずいてフィリアを抱き上げ、歩き出した侍女の後に続く。

 ――今更ながら、彼女の身体は軽いな。

 俺はダンスの時などでも極力、女性の身体に触れないようにしていた。相手がなぜか、王弟に気に入られたという勘違いや事実誤認を起こすから。しまいにはダンスをしなくなり、舞踏会に顔を出すことすらなくなったんだが。

 貴族女性は正装するとドレスや装飾品がかなり重い。その辺を割り引いた正確な体重なんて、はっきり言えば寝室でもないと分からない。群がってくる女どもに辟易していた俺は、そんなものを知りたくなかったので遠ざけてきた――のだが。

 それにしてもフィリアは軽すぎるんじゃないだろうか。

 屈託のない顔で「毒を抜けば食べられますわ!」と言っていたフィリア。

 俺は騎士の鍛錬もしていて、自分のことは自分でできる方だが、同じように闇の森で二か月も独りで生きていけと言われたら……自信はない。

 やっぱりフィリアは凄い。

 凄いが、もうそんな無茶はしてほしくない。

 客間に着くと侍女がもう一人待っていて、案内してきた侍女と二人でフィリアの世話をしてくれるという。医者もじき到着するとのことで、男の俺は追い出されてしまった。

 することもなく廊下に突っ立っていると、聞き覚えのある声がした。


「ヒースクリフ殿下」


「伯爵……」


 振り返ると恰幅の良い中年の男……ラング伯爵ジュリアスがいた。



✳︎✳︎✳︎



 俺の亡くなった母は、ラング伯爵のはとこに当たる子爵家の出だった。身分は低く、王宮の侍女をしていたが、たまたま父上に気に入られ側妃になった。だが正妃……現在の王太后と、その実家である公爵家の反発が予想以上に大きかった。母の生家である子爵家など吹けば飛ぶ塵も同然。親筋に当たるラング伯爵家でも、ほぼ対抗できなかった。

 まあ、それはそうだ。王太后の実家というのは、ベルーザでも抜きん出た権勢を誇るイリシス公爵家だからな。

 もともとラング伯爵家は闇の森に接する国境の護りを主とする武門の家で、王宮貴族的な駆け引きが得意ではなかったのもある。

 それでも伯爵はできる限り、力を尽くしてくれる――数少ない信頼できる相手だ。



 俺は伯爵に勧められて応接室に移動し、茶を飲みながら、包み隠さず事情を説明した。


「――ふむ。確かに、アストニアでは二か月前にそのような騒ぎがありました。婚約を解消したフォンテーヌ侯爵家ご長女のお名前は、フィリア嬢。一致しておりますな」


 伯爵は隣国の情勢にも詳しい。

 尋ねてみると、予想に違わずスラスラと答えてくれた。


「現在は……表向き、フィリア嬢は第二王子との婚約解消に同意したものの、体調が思わしくなく静養中ということになっていたかと。ですが――」


 伯爵は腕組みをした。

 フォンテーヌ侯爵令嬢は行方不明になっている……市井にはそういう噂も流れているらしい。


「噂は面白おかしく広がるものですからな」


 令嬢が男と駆け落ちした、あるいは修道院に入れられた。誘拐されて場末の娼婦に身を落とした。第二王子の不始末を隠蔽したいアストニア王家や、王子妃の後釜を狙う貴族によって亡き者にされた……などなど、真偽の分からない噂が錯綜しているという。


「闇の森に追放されたという内容もあるにはありましたが、まさか、荒唐無稽と思ったそれが正解かもしれんとは……」


「俺も不思議ではあったよ。二か月も闇の森にいたなんてな。実際に毒抜きされた料理を食べたから、信じるしかないんだが」


「ほう、美味かったのですかな?」


 その質問が出るのは、食べるのが好きな伯爵ならではだろう。

 もっとも彼の食い道楽は「美味いものや珍しい食べ物の話を聞かせてくれ」と言って、下々の民や他国の商人などから幅広く情報を聞き出す口実でもある。


「拍子抜けするくらい普通に、かなり美味かった」


 俺が笑って答えると、伯爵はお世辞抜きに感心したようで「是非とも食べてみたいものです」と言った。


「なかなか高級で凄い()()だぞ? 何しろ龍牙茸まで入っていた。良いダシが取れるそうだ」


「はは! 豪気な女性ですな。承知しました、まずはアストニアの情勢を探らせます。万が一にもフォンテーヌ侯爵の娘御でなかった場合は我が家の養女に迎え、殿下の嫁にすればよろしい」


「良いのか?」


「あれほど逃げ回っておられた殿下が、ようやっとご結婚する気になられたのですぞ? 儂はこの機を逃すような馬鹿ではありません」


「……どこかで諦めるつもりではあったさ」


 若干、決まり悪くなって視線が泳いだ。

 しつこい蝿か蚊の群のようにしか思えない女達。

 それでも、いつか、その中から誰か一人を選んで結婚しなければいけなかった。父上が崩御され、ベルーザ王家の直系は兄上と俺しかいない。血を残すのは義務だ。


「良かったですなぁ、ヒースクリフ殿下」


「……まだ早い。兄上と話を付けなければいけないし、そもそもフィリアに正式な求婚(プロポーズ)さえしてないんだ」

 

「そこは母君譲りの御尊顔を生かして口説きなされ。やれやれ、儂もようやく肩の荷が下りましたぞ」


 冗談を交えつつ、しみじみと伯爵は言った。

 俺が諦めなくてもよくなったことを、喜んでくれている。

 伯爵も貴族の一人、思惑や野心も皆無ではないだろう。しかし母や俺を庇ったところで大した益もないのに、な。


「……ありがとう。これからも頼む」


「はっはっは。お任せくだされ」


 縁の薄かった実父よりも、伯爵の方が親のようだな、改めてそう思った。



✳︎✳︎✳︎



 医師によれば、フィリアが倒れた原因は過労と栄養失調だという。

 可哀想に。命に関わる状態ではなくて良かった。

 俺はフィリア付きになってくれた侍女二人にも礼を言い、彼女のことをよく頼んでから、後ろ髪を引かれつつも王都へ戻った。

 部下達ももちろん同行している。フィリアのことは口止めしてあるが、人目がないところでは皆、興味津々だったな。女性の機嫌の取り方やら夫婦円満の秘訣やらを山ほど聞かされたよ。


 そして帰還した俺は、極秘裏に国王陛下……つまり兄上と会った。


 俺と兄上は対立しているように見られやすい。ただし内実はそうでもない。年齢が一回り離れている上、王太后もうるさいので仲良し兄弟とは行かないが。

 兄上は公正かつ有能な為政者で、きちんと話を聞いて判断する。

 今回も含めて王太后が起こした暗殺未遂のうち、幾つかは証拠が上がっていた。フィリアの機転で生け捕りに成功した刺客からも、情報を吐かせている。

 それらの詳細を伝えると、兄上は大きな溜息をついて「すまなかった」と言った。


「薄々、怪しんではいた。だが……言い訳になるがヒースクリフ、お前が平気な顔をしているものだから、大した毒物ではないと思い込んでいた」


「……俺が〈毒無効化〉を持っているのは有名ですからね。兄上がそう思われるのも無理のないことです」


「いや。そんなに酷いとは予想外だった。王太后と言えども……いや、だからこそ許されぬ。早急に手を打つ」


「ありがとうございます、兄上」


「国王として当然のことだ。……ところで」


 やや身を乗り出すようにして、兄上が急に話題を変えてきた。


「ヒースクリフ、森の女神に出会ったというのは本当か?」


 俺は思わず顔をしかめた。


「……誰が口を滑らせたのですか」


 関係者には口止めしてあったんだが……相手が兄上なら仕方がないとは言え。


「誰とは言わぬが噂は聞こえてきている。良い知らせではないか。私と妃の間にはなかなか子ができる気配がないのでな」


「気が早すぎます!」


 まだ口説いてもいないというのに!

 兄上は珍しく、声を上げて笑った。


「お前なら何とでもできるであろう」


 伯爵と言い、兄上と言い、俺が物凄い女たらしのような扱いである。解せない。

 憮然としている俺を見て、兄上は楽しそうだ。


「一筋縄では行かないか? まあ良い、元気になったらで構わぬ、連れてきなさい」


 フィリアが療養中であることまで知られているのか。これだから兄上は怖いんだ。


「……それまでに母上の件は片をつけておく」


「はい。……お願いいたします」


 兄上は国王の顔に戻った。

 そう、それが俺の望みだ。フィリアに危害が及ばないようにしてほしい。

 泥棒猫の息子が好きな女性と結ばれるなど、あの女は絶対に認めないだろうから。

 ……あれも国と王家の犠牲になった(ひと)ではある。だが、限度を超えてしまった。

 俺は黙って頭を下げた。



✳︎✳︎✳︎



 王太后が修道院へ送られたのを見届け、他にも用事を済ませてから、俺はようやく伯爵の城へ赴いてフィリアに会うことができた。

 元気になったと聞いているが……勝手なことをしたと怒っているかな。

 心配しながら応接間へ入ったところ、女神がいて頭がまたクラクラした。

 ちょっと待ってくれ……

 森にいたフィリアもそれはそれは神々しい美しさだったが、さらに上があったとか聞いていないぞ。

 この女神に結婚を承諾してもらうって……想定より難題では……いや、誰かに渡すなんて論外だ。

 全力で口説いた。

 跪いて結婚してくれ、と乞うのも、自分でも不思議なほど躊躇はなかった。

 顔面や王弟の身分だけで転ぶような女は嫌いだと思っていたが、彼女は別だ。

 幸い、フィリアが気にしているのは主に身分や家柄のことであって、俺を嫌っている風ではなさそうだった。

 それなら問題はない。

 アストニアにいる彼女の父、フォンテーヌ侯爵とは連絡が取れている。侯爵は娘と俺の結婚に前向きだった。

 フィリアは貴族の娘。家のために愛のない結婚をするのも普通だ。

 だったら、俺が相手でもいいはず。

 政略でフィリアを選んだ訳じゃないが、俺が持っているものが役に立つなら……顔だろうが肩書だろうが、使えるものは何でも使ってやるさ。

 すぐには無理でも、いつか俺を好きになってくれれば十分だ。


「……フィリア、俺ではいけないか? 誰か好きな男がいるとか」


「いえ、おりません。私は幼い頃から婚約者がおりましたので、言い寄る男性もいませんでしたわ」


「じゃあ何がいけない? 全力で口説いているつもりだが」


「貴方がどうこうではなくて。もう誰とも結婚せずに、平民として生きていこうかと思っていたものですから」


「それは駄目だ。貴女は心が綺麗すぎる。悪い男に騙されたりしたら目も当てられない!」


 しっかり者のフィリアでも、そういう自覚はないのか。世間の男が君を放っておくはずがないだろう。

 見つめているうちに、フィリアの頬が淡い色に染まっていき……彼女は表情を誤魔化すように俯いた。


「……敢えて申しますけれども、闇の森に咲いていたあの白い花はズィーゲル草と言って(れっき)とした毒草でしてよ。煮ても焼いても食べられませんわ」


「そうか。名前はもちろん知っているし何なら煮詰めたエキスを飲まされたこともあるが、花の姿は知らなかった」


 覚えてる。あれは激しい呼吸困難と心臓の動悸に悩まされる猛毒だ。

 ただし俺にとっては、フィリア、君の方がよっぽど強力だけど。

 

「可憐で美しいのに、本当は毒があって強かで生き延びる知恵に長けている……俺はそういうフィリアがいい」


 美しい女性なら数多く見てきた。

 でも、欲しいと思ったのは君だけ。

 フィリアはふっと顔を上げて俺の目を見た。


「貴方こそ身分があってハンサムで頭も良くて、剣の腕も立ちますのに。女性の趣味だけは変わっていますわね……クリフ」


 愛称で呼ばれた。

 フィリアが受け入れてくれた証拠だった。

 嬉しい。口許が緩むのを止められない。


悪食(あくじき)同士で似合いだと思わないか?」


 ところが、そう言ったらフィリアは急に手のひらで顔を覆ってしまった。

 うわ、何か不味かったのか?!

 女性に悪食なんて禁句だったか?!

 狼狽えて顔を覗き込むと――

 フィリアは指の間から、咎めるように俺を見た。


「いいえ、殿下はもっと悪食です!」


 そんな薄紅色の恥じらう顔で非難されてもな。

 ……美味しそうにしか見えないんだが……


「どうしてそうなりますの……本当に悪食ですわ……!!」


 ――こうして悪食な男であった俺、ベルーザのヒースクリフは、世界でいちばん可愛くて悪食な恋人を手に入れたのだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ