EX.殿下はもっと悪食です(sideヒースクリフ/中編)
この際だ、全部聞いてしまおう。
「なるほど。パンケーキとジャムは何でできているんだい?」
にっこり笑ってみせると、フィリアも観念したのか白状した。
なんでもパンケーキに使ったのは死神麦。ジャムはドクスグリの実と蜂蜜……これも蜜蜂が集めた毒草の蜜が主で、当然有毒……なのだが、フィリアはあの手この手を繰り出して食べられるようにした。森では大変貴重な甘い食べ物だそうだ。
努力というか執念というか、なんかこう、凄いな……
自慢する風でもなく、ごく普通の調理の工夫ですわ!みたいなキリッとした顔してるけども。
違う、そうじゃない。
よく食べようと思ったね?
すると彼女は〈鑑定〉を使っていると言い出した。
毒抜きの方法や、本当に毒が取り除かれたかどうかを魔法で調べてから調理していると。
あれも一見簡単なようで奥が深い魔法ではあるが……毒抜きも指南してくれるとは初耳だな。
〈鑑定〉なら俺も使えるので、非礼は承知の上でフィリアに頼んで魔法を掛けさせてもらう。
この料理、仮に毒抜きしていなくても俺ならば完食できる。どれも克服した毒物ばかりだ。でも知りたいじゃないか。
小声で、けれど真剣に「……〈鑑定〉」とつぶやいた。
脳裏に情報が浮かび上がる。
ズィーゲルフロッグ、マンドレークニセニンジン、ガルムイモ、龍牙茸……
どれをとっても見知った鑑定内容ばかりだが、最後に付け足された情報を見た途端に、笑いがこみ上げてきた。
「……本当だ。全部『毒抜き済。食用可』になっている。俺でなかったら一舐めしただけで昏倒してあの世行きの料理のはずが、ただひたすら美味いだけなのか……くっ、ははは」
腹の底から面白い。
嫌な思い出が全て消えたと言うか、塗り替えられてしまって爽快だった。
フィリアを見ると、彼女も嬉しそうにニコニコしている。
うん、女神。
俺は料理をありがたく頂いて、もちろん全部平らげた。
✳︎✳︎✳︎
フィリアが住んでいる猟師小屋は狭くて一部屋しかないので、俺は食べ終わった後に外へ出て、軒下を貸してもらうことにした。
彼女は妙に豪胆なところがあるから、同室でも気にしないかもしれないが――俺が大いに気にする。
幸い今は夏だ。上着を着込んでおけば問題ない。
「騎士の訓練もしているから慣れているよ。食事の御礼に貴女を守らせてくれ」
「分かりましたわ。ですが、その……」
フィリアは何か言おうとして……軽く頭を振った。
「いえ……なんでもありませんわ。ですが、クリフ……朝になっても、黙って居なくならないでくださいね」
――少し驚いた。俺を見上げてきたフィリアが、一瞬だけ寂しそうに見えたから。
だが彼女はすぐに目を伏せ、表情を長い睫毛に隠してしまった。
「分かったよ、フィリア。約束する」
「ありがとうございます……おやすみなさいませ」
静かにドアが閉められた。
かすかな足音が遠ざかり、彼女が小屋の奥へ引っ込んだのが分かった。
「…………」
気付けばドアの取っ手に手を伸ばそうとする自分がいる。
フィリアが覗かせた、悲しそうな目が心配になったんだ。
だが、若い女性の寝所に立ち入るなんて無礼な真似はできない。それにフィリアはここに魔物が来たことはないと言っていたが、やはり警戒は必要だ……だから外に出たんじゃないか。
手を引き戻して拳を作り、息を吐いて気持ちを落ち着ける。
全く。
俺の心臓、ほんのちょっと前まで半分死んだように静かだったのに。急にずいぶん騒がしくなった。些細なことで右往左往して。
……理由は、自分でも分かってはいる。
木々の向こうに明るい月が昇っている。見晴らしはいい。俺はフィリアを驚かせないよう足音を忍ばせて、辺りを一周した。
しかし……月明かりの中で改めて眺めると、この小屋は思ったよりボロボロだな。
こんな場所で貴族の娘が一人暮らし?
平民の女性、いや男でも無理だろう。
それを彼女が……
――フィリアと一緒に食事を取り、会話をしていれば嫌でも気付く。
彼女はありふれた貴族令嬢ではなく、王族の一人と言っても通るような女であること。
言葉遣いもさることながら所作が違う、指先の些細な動かし方一つとってみても優雅で綺麗だ。
こういうのは単なる血筋じゃなく、俺が王族として厳しくしつけられたのと同様で、子供の頃から繰り返しやらないと身に付かない。
フィリアは俺の顔を知らない、俺も彼女を見たことがないからベルーザ貴族ではなさそうだけど。
小屋の入り口前に戻った俺は、そっと扉を見た。
……そうだ。
確か二か月ほど前だったか、アストニアで王家が絡む騒ぎがあったはずだな?
あちらはベルーザと違って直系王族の数が多いのだが、二番目の王子が婚約者とは別の女性に入れ上げ、事もあろうに婚約者の入れ替えを企んだとか。
元々婚約していた令嬢は強引に追い出され、社交界に出られなくなったという話じゃなかったかな。
……アストニアはベルーザの隣国ではあるものの闇の森が立ちはだかっている上、あちらの国民性が閉鎖的というか……他国との交流に関心が薄い。あまり話が流れて来ないため、その後どうなったのか分からないのだが。俺も自分には関係がなさそうだと思っていたし。
だが辻褄は合う。未来の王子妃として育てられながらも追放されたアストニアの令嬢と、高い教養や気品を持つフィリアが同一人物である可能性は高そうだ。
俺は月光の下で心を決めた。
朝になったらドアを開けて、フィリアにおはようを言おう。
それから俺の素性を明かして、彼女の話も聞いて……誠意を見せて説得し、ベルーザへ連れて行こう。
幸い、国境に程近い領地を治めるラング伯爵は数少ない俺の味方だ。彼に頼んでフィリアを保護してもらうのがいい。様々な厄介事に決着をつけるまで……
そう、俺はその時点でフィリアにべた惚れしていた。この人こそ俺の女神だ。
だが彼女と結ばれるには、いくつか障害がある。
フィリアの身分を回復させるか、あるいは新しい身分が必要だ。
そして俺自身も、あの女……王太后を排除しなければならない。
ずっと何事にも、やる気が出なくて放置していた。
数々の毒を無効化し、暗殺者の刃を躱して生き延びてはきたが、目に見えない毒――向けられる憎悪と執念に、心を蝕まれていたのかもしれない。
どうせ俺など、居ても居なくてもいいような二番目だから、と……
しかしフィリアが、俺を変えた。
彼女と生きていきたい。
毒があるなら、毒を抜いて食べてしまえばいいんだ。
✳︎✳︎✳︎
夜が明ける頃に襲撃があった。
当たって欲しくない予想ばかり当たるものだ。
今まで色んな毒殺未遂や暗殺未遂に遭ってきたが、王太后が俺以外の――正確に言えば俺と、俺の母以外の人間に手を出したことはなかった。
あの女にも最後の理性というか、ベルーザの王妃としてプライドがあったんだと思う。
ところが今回、俺は部下と一緒にいるところを襲われ、騎士が何人か巻き込まれ負傷している。
なり振り構わなくなっているんだ。
フィリアだって無関係だが、奴らが見逃してくれるとは思えない。
案の定、火矢が飛んできた。幾つか叩き落としたが防ぎ切れず、小屋の壁に突き刺さる。瞬く間に火が回っていく。俺は急いでドアを蹴破り、フィリアを抱えて脱出する。
――畜生。笑顔でおはようを言いたかったのに。
三人の刺客が斬りかかってくる。
応戦する。手強い。恐らくナイフにも毒が塗られているな。
だが二度と俺には効かない。
その時、刺客がもう一人現れて、しかもフィリアに襲いかかった。彼女は咄嗟に小屋の裏手へ逃げていくが、まずい、武術の心得もないのに敵う訳がない。
「――邪魔をするなッ!!」
自分のどこにそんな力があったのか分からない。
気付くと三人とも斬り伏せていた。
どさどさと連中が地面に転がるのも構わず、フィリアを追う。
燃えていく猟師小屋の裏手へ駆け込んだ俺が見たものは――
大きめの木の桶を持ち上げ、刺客に投げつけるフィリアの姿だった。
……人間、追い詰められると本質が出ると言う。
この時のフィリアに、俺は感嘆した。
青ざめて震えていたけど、彼女は諦めず困難に立ち向かう人なのだ、と。
刺客はもちろん、よく鍛えられた動きで桶を躱した。
だが中身の液体まで避け切れず、顔に少し浴びる。
瞬間、絶叫して目元を掻きむしり出した。
玄人の暗殺者だぞ? 一体何事だ?!
驚いたが、この好機を逃せるはずがない。
最後の数歩を詰めて首筋を剣の柄で叩き、昏倒させた。
「フィリアッ! 無事か?!」
血相を変えている俺を、フィリアがなぜか止めようとする。
「いけませんクリフ! 近寄らないで!」
彼女は早口で説明してくれたよ。
桶に入っていたのは、後でまとめて捨てに行く予定だった毒抜き後の廃用液だと。
つまり……
「ズィーゲルフロッグとマンドレークニセニンジンとガルムイモと龍牙茸が程よくブレンドされていますわ」
「ああ、それは怖いな。でも大丈夫だ」
……スープにごろごろ入っていたものな、ズィーゲルフロッグ。
廃用液ってことは、良くて失明という蛙毒がたっぷり溶け込んでいただろう。
どんな戦士でも目玉は鍛錬できないからな……
いや、それはこの際どうでもいい。
「フィリアが今、言っていた毒……俺は全部盛られたことがあってね。同じ毒は二度と効かない。しばらく動けなくなるのも最初の一回だけだよ」
言いながら近づいて、フィリアの細い身体を抱き締めた。
「だけど、貴女はそうじゃない……無事で良かった。また俺のせいで誰かが死んでしまうかと思った」
「クリフ……」
手が震えたよ。
フィリアに怪我でもあったら悔やみきれない。
良かった。本当に。
✳︎✳︎✳︎
しばらくして部下の騎士達がやってきた。
彼等は少し離れた場所に陣を敷いていたが、小屋が燃えた煙を見て駆けつけてくれたんだ。
「ヒースクリフ殿下! ご無事で!」
「お守りできず申し訳ありません!!」
でかい身体を縮めて謝罪する。
実は、俺が率いる分団には身分の高い者は少ない。平民や下級貴族の次男三男がほとんどだ。王太后に睨まれるからな。
だが飾らない人柄の者ばかりで、能力も高い。転がっている刺客どもを素早く捕縛し、周囲に残党がいないか調べて回る。
一人が早足で近寄ってくる。
「……どうやら、連中はこれで全員のようです」
「ん、分かった。一度引き上げよう」
「承知しました。……ところで、あちらの女性は一体?」
部下は、少し離れたところに立っているフィリアを視線で示す。
そうだな。いるはずのない人だ。
「たぶん、他国の貴族令嬢だ。こんな場所にいる事情はまだ聞いていないが……とても世話になったんだ。ひとまずラング伯爵のところへ連れていく。皆、失礼のないようにしてくれ」
部下はうなずいて……不意に、にやっとする。
「かしこまりました。他の者にも言っておきますよ、殿下のお気に入りだから手を出すなと」
「…………待った。そんなに分かりやすいか?」
まだ何も言っていないのに、鋭すぎるぞ。
「あれ、違うんで? じゃあ俺達にもチャンスがありますかね?」
「あってたまるか!……皆に周知が必要だな……」
「でしょう?」
部下はニマニマしながら敬礼した。
……分かってますよ〜という顔をしているのが、少々気に入らない。
だが、部下達は規律正しい騎士とは言え若い男だからな。牽制しておかないと不味い。
うん。これでいいんだ。
俺はどうにか表情を平静に戻し、フィリアの方へ歩いていく。
彼女は、住まいであった猟師小屋……だった燃えかすの前に立ち尽くしていた。
小屋は完全に焼け落ちてしまったのだ。
黒焦げになった柱や壁の一部が残っているだけ。もう住める状態ではない。
「――フィリア」
彼女が振り返った。
顔に戸惑いが浮かんでいる。
真面目で聡明な女だから、俺の正体が分かってしまったんだろう。
もう気安い態度は取れないと思っていそうだな。
そんな顔をしないでほしいが、うまく言葉が出てこない。
部下が馬を曳いてきたので、ひとまず出発してしまうことにした。
騎乗し、手を伸ばしてフィリアも引っ張り上げる。
華奢な身体を馬上で抱えると、彼女はびっくりしたのか固まってしまった。
「いけません! 貴方のような御方が」
「良いんだ。貴女を置いていくなんてできない。他の奴に任せる気にもなれない。乗馬の経験は?」
「な、無くはありませんけど……こんな大きな馬は」
馬体の大きな軍馬は初めてらしい。勇ましい一面がある一方で、ずいぶん可愛いことを言う。
思わず微笑みながら、俺はそっとフィリアを抱き締めた。
……最初に考えていた予定と、かなり変わってしまったな。
どこからどう話せばいいのか分からなくなってしまった。おまけにフィリアさえ腕の中にいてくれれば、他はどうでもよくなってきている。
俺って割と単純だったんだな……
仕方ない、話は後だ。危険な闇の森を抜けてから、落ち着いたところでやろう。
俺は出発の号令を下した。
――実はこの後、俺達の話し合いには想定より長い長い時間が掛かることになるのだが……
この時の俺は何も知らず、未来の花嫁を攫っていく気分で馬を走らせたのだった。