EX.殿下はもっと悪食です(sideヒースクリフ/前編)
俺の恋人、フィリアはとても不思議な女だ。
貴族令嬢には珍しい、神秘的な黒い髪と目をしている。年よりもおとなびて見える美しい容姿を持ち、誰よりも完璧な淑女として振る舞える。
ところが時折、天真爛漫な子供みたいになる。
大抵の場合、原因は食べ物だ。
珍しい食材を見つけたり、美味しいものを口にしたりすると――怜悧な美貌がふわりと崩れてあどけない顔に変わり、ほっそりした身体のどこから出てくるのか分からない行動力を発揮するんだ。
大概の人間、特に男はその可愛い落差にやられる。
冗談抜きで、地上に舞い降りた悪戯な女神なんじゃないかな、と思う。
それを口に出してしまうと、
「クリフ、貴方って本当に物好きですわね。私はただ食い意地が張っているだけですわ!」
コロコロと笑われてしまうのだが。
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フィリアに出会ったきっかけは、俺が久しぶりに強烈な猛毒を喰らったことにある。
〈毒無効化〉というマイナーな魔法を持って生まれた俺は、幼い頃からとても面倒な立場に置かれていた。
父は大国ベルーザの国王、母はその側妃。
正妃が第一子、つまり俺の兄の出産で身体を壊し、次の子が望めなくなったために母が迎えられ、俺を生んだ。
つまり俺は兄のスペアであり、王家の血を絶やさないための種馬であり、王国の安定のために必要な駒であり――正妃にとっては目障りで憎むべき泥棒猫の子供であった。
ゆえに正妃と、その手の者による暗殺未遂や嫌がらせはしょっちゅうで……事故に見せかけた毒物の混入も珍しくなかった。
〈毒無効化〉がなければとっくに死んでいただろうな。
しかし、この魔法も色々と制約がある。
一番きついのは「俺の体内に毒が入って悪影響を及ぼし始めた後でないと発動しない」という点だ。
魔法が毒を克服するまでは、幾らかの不快感や苦痛に耐えなくてはならない。
一度受けたことがある毒はすぐ解毒できるんだが……この時の毒物は数種類の新しい成分を混ぜ込んだ、やたら手の込んだものだったようで、さしもの俺も碌に動けなくなってしまった。
おまけに場所が悪い。
闇の森と呼ばれる魔物の巣窟だった。
ベルーザ王国の建国前から存在するという闇の森。
王国騎士団が定期的にその調査・探索を行っている。
俺は剣術や攻撃魔法の適性があったので騎士団の第一分団長になっており、実戦経験もある。
とは言え、魔物の領域へ踏み込むのは危険が多い。本来なら王弟が自らやる仕事ではなかった。
だが当時の俺は自分を取り囲む様々なしがらみがわずらわしく、王都にいるのも嫌で仕方なかったので、部下に無理を言って同行させてもらっていた。
すると森の中で魔物ではなく人間の刺客に襲われ、部下達とも引き離された状態で毒矢を受けてしまったという訳だ。
何人かは返り討ちにしたが、まだいるはずだ。
絶体絶命とはこのことだな。
ここまで殺意の高い罠に嵌められるとは思ってもみなかった。
兄上が即位し、正妃も王太后になって嫌がらせは止んでいたから……油断していた。
あの女の恨みは消えていなかったらしい。
そんなに俺を殺したいのか……
重い身体を引きずって、魔物の気配がしない方へ歩いたが、全く方向感覚が働かない。
次第に頭痛と目眩が酷くなり、そのまま地面に倒れ込んだ。
――そして彼女に出会ったんだ。
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「あの、もしもし。貴方、大丈夫ですか?」
澄んだ声が、した。
ずいぶん間抜けなことを訊く。
倒れている人間が大丈夫な訳ないだろう……
昼寝でもしてるように見えるのか?
しかし温かく優しい手に揺り起こされ、目を開けると。
そこは一面の白い花畑だった。
なんだこれは。
俺、闇の森を彷徨っていたはずなんだが?
刺客に追われて、毒にやられて。
どうして花畑に転がっているんだ。
傍らに、なんか物凄く綺麗な女性が座ってるし。
もう一度言うが、なんだこれは。
とうとう毒無効化の魔法が効かなくなって死んだのだろうか?
「……ここは天上の国なのか……?」
俺のセリフも酷く間抜けだったが、それくらいこの美しい光景には現実味がなかった。
ところが彼女は微笑んで、なんでもないことのように言ったのである。
「残念ながら天上ではなく、闇の森ですわ。立てますか?」
「ああ、そうか。何とか……」
よろめきながらも立ち上がろうとした途端に、毒矢のかすった肩がズキリと痛んだ。
思わず呻く。
痛いじゃないか。さっきよりはマシだが。
――どうやら女性の言う通り、ここは夢や死後の世界ではないらしい。
「どこか怪我を?!」
「いや、大したことは……」
ということは――眉を下げて心配してくれる彼女も、俺の妄想の産物じゃあない……?
いや待て。おかしい。
魔物が巣食う森の中に、こんな可憐で、きらきら輝いて見える美人がいるなんて。
妖精か?
彼女は足元が覚束ない俺を見かねたようで、すっと身を寄せて肩を支えてくれた。
――温かいし柔らかいし、やたらいい匂いがする……やっぱり妖精だな、きっと。
頭がまたクラクラしてくるのは、毒のせいばかりとも言えない。
どうして妖精に気に入られているんだろう俺……
混乱したまま彼女に連れられて、花畑を後にした。
……だが、幾らも進まないうちに身体が再びフラつき出した。
今回の毒は半端なく手強いな。
心優しい妖精に迷惑をかけたくないんだが。
ところが彼女、俺が足を止めるたびに言うんだよ。
「もう少しですわ! あとちょっとだけ頑張ってくださいませ!」
明るい声で言われて、華奢な手で一生懸命に引っ張られて、もう駄目そうだから置いていってくれだなんて突き放せる奴がいたら見てみたい。
俺はそんな情けないことはできなかった。
なけなしの見栄だけで足を前に出し、小さな空き地にある小さな丸太小屋に到着した。
彼女はためらいなく中へ入り、俺をベッドへ寝かせ、上着を脱がせてシャツのボタンを――
うわ、ちょっと待った?!
一瞬だけ嫌な記憶がよぎった。
おしろいや香水のきつい匂い。
ヒースクリフ様お慕いしております、と薄っぺらい言葉を吐いて、しなだれかかってくる女達。
王弟妃になりたいだけの癖に。
強い酒やいわゆる媚薬のたぐいを飲ませて、動けなくなったところで既成事実をこしらえようとする女も後を絶たなかった。
高貴な身分のご令嬢が、娼婦より下品な真似をする皮肉。
俺が男で相手が女だからって、同意もなく身体に触れられるのは嫌に決まってる。〈毒無効化〉が発動してくれたから、どうにか事なきを得たけども。
俺が王都に寄り付かないのは、令嬢とは名ばかりの売女どもが主な原因だ。
……それを思い出してしまった。
ところが妖精は違った。
ボタンは三つほど外されたところで止まる。
彼女は俺の肩の傷を覗き込み、とても気遣わしげな顔をして「どうしましょう」と小声でつぶやいた。
「俺は……〈毒無効化〉の魔法があるから……何も、しなくていい」
告げると彼女は戸惑ったようだが、うなずいた。
濡らして絞った布で傷の周りをそっと清め、シャツを元に戻して、身体に毛布を掛けた。
そして、あっさりと身を翻して小屋を出ていった。
……そうか。
怪我の心配をして、手当をしてくれた。
それだけだったんだ。
下世話な想像をした自分が恥ずかしい。
妖精じゃあないな、彼女。
天使だ。
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……しばらく眠っていたらしい。
目を覚ますと、小屋の中はすっかり薄暗くなっていた。
ぱたぱたと軽い足音をさせて動き回りながら、彼女が何かやっている。
こちらに背を向けているが、美味そうな匂いが漂っている。食事を作っているようだ。
天使も食事をするんだな。
ベッドを降りると、気付いた彼女が振り返って微笑んだ。
予想通り食事を用意していて、しかも俺にも振る舞ってくれるという。
……色々あって、やさぐれていたから当たり前の優しさが沁みる。天使では足りないかもしれないな。
名前を訊かれて、咄嗟にクリフと名乗ったのはなんでだろう。
彼女をまだ疑って……いや違うな。
ベルーザの王弟、ヒースクリフ――自分で言うのもアレだが、兄上に次いで身分が高い。愛称で呼んでいたのは、五歳の時に亡くなった母だけだ。
彼女は俺の顔を知らないようだった。態度が変わってしまったら嫌だったんだ。
彼女も名前しか言わなかった。「フィリアです」と。
言葉遣いや雰囲気からみて、身分の高い生まれで家名があると思うんだが……
容姿は貴族に典型的な金髪碧眼ではないし、飾り気のない平民の服を着てアクセサリーも着けていないけども、なんとなく分かる。
事情があるのだろう。
……不用意に踏み込むべきではないかな。
俗世を離れて暮らしているなら、どろどろした政争に巻き込むのも気の毒だ。
ひとまず、冷めないうちに食事を頂こうか。
結論から言うと、俺の考えはショコラよりも甘かった。
その食事が一番の爆弾だったとは……
いや、味は悪くないんだ。
それどころか、お世辞抜きに美味い。
俺は贅を凝らした食事を口にすることもあるが、騎士団では部下達と基本的に同じものを食べる。作戦行動中は簡単な携帯食で済ませることも多い。
王侯貴族の食事でも不味いものはあるし、庶民的な食事でも美味いものは美味い、そう思っている。
この料理も十分以上においしい。
しかし何の肉かな、と思って尋ねたらフィリアが固まって、それから少し恥ずかしそうに言った。
「ええと……ズィーゲルフロッグの肉です」
……聞き間違いだよな?
蛙の名前を言われた気がするんだが。
ズィーゲルフロッグ……ああ、アレか。
やたら目眩と倦怠感がして視界が黒っぽい緑色になる毒……の持ち主だな。
なお俺はその程度で済むが、普通は死ぬか、よくて失明すると言われてる。
まさかアレなのか……
「…………こんな分かりやすく毒を盛られたのは初めてだよ」
深皿のあっちこっちに見えてる。
隠し味でもないな?
と言うかフィリアは同じ鍋からスープをよそっていて、彼女の皿にも盛りつけられてる。
君も食べる気だったのか、毒蛙。
「申し訳ありません。一般的な食材ではないのを忘れておりました。もちろん毒は抜いてありますわ」
しおらしい表情と、物騒すぎる内容が合っていない。
「待て、毒を抜いた? どうやって?」
「塩を加えて沸騰させた湯に入れ、茹でこぼすのを三回ほど繰り返しますと、食べられるようになります」
初めて知ったよ……
騎士団には補給が切れた場合を想定して、食料を現地調達する訓練というのがある。俺も参加した。
そこで蛇やら蛙やらを食べる羽目に陥った奴もいる(ただし俺はそのレベルまではやらせてもらえなかった)んだが、毒蛙の毒を抜いて食べた奴は聞いたことがない。
「そこまでして食べるようなものだろうか……?」
「貴重なタンパク源……いえ、お肉なので」
肉とか、そういう問題か?
しかも毒を抜くのに手間暇が掛かっていないか。
人間、腹が減っていても毒があると分かっていたら食べないのが基本だ……美味そうに見えたとしても。
諦めて別の食べられるものを探すよな、普通ならば。――普通ならば!
毒があるなら毒を抜いて食べようって……その斜め上にぶっ飛んだ発想、どこから湧いて出たんだい?
俺はスープの中からニンジン――だと思っていた具をスプーンで掬った。
「……じゃあ、このニンジンみたいなものも、もしかするのかな?」
フィリアは、おっとりと頬に手を当てて小首をかしげた。
「それはマンドレークニセニンジンと申しまして」
「さりげなく猛毒だな」
生き物の精神に強いショックを与えて即死させるマンドレーク……に似ているがやや効果が劣り、数時間かけて標的を狂い死にさせる毒草じゃないか。
「ご存知なのですか。半日ほど塩漬けにしてから塩抜きをしますと、毒も一緒に抜けます。歯応えと彩りがよろしくて使っております」
うん、俺も半日近く吐き気が収まらなかった覚えがある。マンドレーク毒そのものではなかった辺りに、あの女の妄執を感じたものだ。
歯応えと彩りか……
「そうか。では、この粘りがある芋は」
「ガルムイモですわね」
「やっぱり猛毒……」
「灰汁に一晩漬けておくだけですので簡単ですわ、お腹に溜まるので便利なのです」
腹持ちよりも胃が荒れないか心配になる。
ガルムイモの抽出毒を盛られた時、無効化自体はそんなに大変ではなかったが……胃痛が長引いて二、三日はろくに食事が摂れなかったな。
胃袋に居座る性質とは言えるか?
「ふぅん。それから、こっちのキノコは細く割いてあるけど龍牙茸? ひとかけらで五人は殺せると有名だが」
控えめな表現として、俺も死ぬかと思ったからね。
ところがフィリアは――
「はい。細く割いて灰汁に漬けてから水にさらし、茹でこぼした上で、乾燥させてまた茹でるのを五回ほど行います。大変上品なダシが取れるので手放せず……」
スープの味に深みを出しているらしい。龍牙茸が。
闇市場ではかなり高額で取引されるんだが。密造していた商会を幾つか摘発して潰したから知ってる。
毒の他にダシも取れるとは。
ある意味、高級食材で贅沢な……いやいや、まさか。
………………。
なんだか逆に面白くなってきたぞ……?
書いてみるとヒースクリフは割と悲惨な目に遭っていますね。
中後編へ続く。