5.「マグロ女と呼ばれても構いませんわ!」
連載版オリジナル要素です。
「フィリア様、ではお着替えを。こちらのドレスはいかがですか?」
「大変素敵ですが、豪華すぎますわ……」
アリスが出してきたドレスは、ずいぶん格式の高いものでした。
フォンテーヌ侯爵令嬢であった頃ならともかく、ただのフィリアになってしまった私が袖を通していいものではありません。
二人は、私がヒースクリフの恋人で婚約者も同然だと思い込んでいますから、純粋な好意で出してくれたのでしょうけれど……
遠慮しますと、ヨランダが苦笑しながらシンプルなクリーム色のデイドレスを持ってきてくれました。
……生地が上等すぎる気がしますが、これ以上は二人を困らせてしまいそうです。おとなしく着替えました。
アリスに髪を整えてもらいます。厨房に髪の毛を落としてはいけませんから、きちんとまとめてくれるよう頼みました。
ヨランダが軽くお化粧もしてくれて完成したようです。
「お綺麗ですわ、フィリア様!」
「女神のようです!!」
大袈裟に褒められましたけど、陰険で根暗な自分の容姿くらいは分かってますわよ?
ところが、鏡を見てみると――
「……あら? 意外と……」
悪くない、かも……
思わず見入ってしまいました。
アストニアにいた頃の私は王子の婚約者だったこともあって、落ち着いた色合いの格調高いドレスをよく着ていました。可愛らしいピンクやクリーム色は、重たげな黒髪に合わないとも思っていたのですが……
――そんなこと言ったら日本人はどうなるのよ? 個人差はあるけど、黒髪黒目が一番多いんだからね!
久しぶりに前世さんが言いました。
――フィリア、ちゃんと似合ってる。前世で超普通だった私より恵まれてるんだし、もっとおしゃれしなよ!
…………そうですわね。
せっかく生まれ変わったのです。前世を思い出した今、「フィリア」も新しい自分になったようなもの。
王子の婚約者は名誉ではありましたが、苦労も多くて窮屈でもありました。
もう自由です、人生楽しまなければ損ですわ!
気を取り直した私は、振り返って侍女達に微笑みかけました。
「……女神は言い過ぎですが、こんな綺麗にしてくれてありがとうございます。ヨランダとアリスのおかげですわ」
「まあ、そんな!」
「勿体ないお言葉です!」
いえいえ。
こちらこそ平民になった私なんかには勿体ない、素晴らしい二人です。
さあ、厨房へ出発ですわ!
✳︎✳︎✳︎
厨房では大柄な男性がたくさんいて、忙しそうに立ち働いていました。
しゅるしゅるしゅる! と芋の皮剥きをする人。
すぱぱぱぱぱぱ! とニンジンを千切りにする人。
火にかけた大鍋の中身をぐーるぐーると力強くかき混ぜる人。
料理って筋肉ですわよね、実は。
皆さん、作業に集中……しようとしていますが、場違いな私達が気になるようで、チラチラ視線を感じます。
それでも手元が狂わないのですから、さすがですわ。
「……こんなムサ苦しいところで申し訳ありませんな」
のっそりと、これも筋骨隆々の男性が現れました。
コック帽を取ってお辞儀をしてくれます。
……ぎょろりとした目や分厚い唇、もじゃもじゃの髪と眉毛。料理人の白衣を着て、この帽子をかぶっていなければ海賊に見間違えそうです。
でも……なんだか覚えがあるような、ないような。
――思い出しました。前世の知り合いです。
私は珍しい食材に未練を抱いて死んだせいでしょうか、前世の食べ物関連の事柄はかなり詳細に覚えている一方、昔の自分の名前や家族、友人についてはぼんやりしています。
ですが時々、こうやって記憶の輪郭が浮かんでくることがあるのです。
「ばーてんだー」をしていた知人が、こういう容姿でしたわ。
見た目はいかついけど、繊細な味のカクテルを作ってくれる人でした……
懐かしさに頬が緩みかけて、ハッとしました。
いけません、こちらの方とは初対面なのに!
馴れ馴れしい女だと思われてしまいますわ!!
「貴方が私の食事を作ってくださっているのですか?」
「……ええ、まあ。料理長の仕事ですんで」
こちらの方がジル料理長ですね。
顔もですが目力もあって、声もバリトンで迫力がありますわね。
貴族的な流麗さはありませんが、結構モテるのでは……
益体もないことを考えつつ、私はドレスを摘んで略式ながらお礼の姿勢を取りました。
「いつも大変美味しく頂いておりますわ。私などのために手をかけていただいて、ありがとうございます」
「おやめください。料理を作るのが俺……私の仕事です」
料理長の眉毛が上下に動き、声もさらに低くドスが効いた感じになりました。
どうやら困惑させてしまったようです。
あまり貴族令嬢らしい振る舞いではありませんものね。
ですが私は令嬢っぽいドレスを着せられているだけで平民です。それに、これから厚かましくも調理の見学をお願いする立場。誠意を表さなければ。
「私、こちらのお料理に大変感銘を受けたのです。厨房の隅っこで構いません、作るところを見学させていただけませんか?」
「は、はぁ……まあ、良いですがね……」
料理長は戸惑った風ですけど、了承してくれました。やりましたわ!
「ありがとうございます! 嬉しいですわ!!」
「フィリア様、どうかこちらにお掛けください」
「ありがとう、ヨランダ!」
ヨランダが小さなスツールを持ってきてくれたので、座りました。
料理長はコック帽をかぶり直し、背後の料理人達に号令を出そうとして――ちらっとこちらを見ましたので、私はうなずいて言いました。
「どうぞ、いつも通りでお願いいたしますわ!」
「……お前らぁ! 女神様はいつも通りにやれとのお達しだ! よそ見してねェでキリキリ働けぇい!!」
「「「アイ・サー!!」」」
鼓膜がビリビリするような大音声に、威勢の良い返事。
隣のヨランダとアリスは驚いて「ひッ」と小さな悲鳴を上げましたが、私は楽しくなってきました。
統制の取れた良いチーム!
美味しいものが出来上がりそうですわね!
「……えー、あのお、お嬢様がた。良かったら、こちらの桃をどうぞ」
目をキラッキラさせて眺めていますと、しばらくして若い料理人がやってきて、小さな皿を差し出しました。
桃……それも果肉が白くて柔らかく、汁気たっぷりの桃が綺麗にカットされて載っています。
アストニアにも桃はありましたが、黄桃がほとんどでしたわね。少し硬めで酸っぱく、あれはあれで美味しいのですけど。
……こちらの白桃、ベルーザでも高級品という気がします。
「いえ、そんな。貴重な食材なのに頂けませんわ」
非常に魅力的ですけど、タダ飯をたかるつもりではありません。
「ああ、その、間違えて皮を剥いちまったんです。このままじゃあ腐らせるだけなんで……」
……本当に間違えたのでしょうか……?
いくら単純な私でも騙されませんわよ?
「フィリア様、万が一を考えて私とアリスでどく……こほん、味見をしてもよろしいですか?」
ヨランダ、いま「毒味」と言いかけましたわよね?
ヒースクリフも何度も毒を盛られたことがあると言っていましたし、ベルーザは毒物大国なのかもしれません。
……私、やっぱり気を使わせてしまって皆様の仕事を増やしているかしら。
ところがヨランダとアリスは澄ました顔で、白桃を端から一切れずつ取って口へ入れました。
「瑞々しくて、美味しいです……!」
「侍女の身では滅多に食べられないですから、役得ですね。さあ、フィリア様も召し上がってくださいな」
「そ、そうですわね。では」
結局、食い気に弱い私です。
感謝して頂きましょう!
小さなフォークで白桃を刺して口へ運びます。
「ああ……甘酸っぱくて、つるんとしてますわ……」
日本の高級白桃もかくやの味わい……!!
ヨランダとアリスにももう一切れずつ食べてもらい、あっという間になくなりました。
「――親方、じゃなくて料理長! いい魚が入りましたぜ!!」
次はダンディーな髭を生やした料理人が、大きな魚を板に乗せて運んできました。
「まあ、あれは?!」
私が注目するのと同時に、アリスやヨランダも大声を出します。
「料理長!! なんですか、その魚?!」
「黒光りして禍々しすぎます!!」
「騒がんでください。コイツは傷むのが早いせいで庶民が食う下魚と言われていますがね、ちゃんと新鮮な物を選んで魔法で凍らせておけば美味いんだ」
むむっと睨み合う侍女二人と料理長。
気になりますわ!
席を立って見に行こうとして……
「フィリア様! こんな気色の悪い魚をご覧になってはいけませんっ」
「め、目が、目玉がギョロギョロしております! おまけに生臭くて……!」
阻止されてしまいました。
「ふんっ、これが好きな奴も多いんでね。主に俺達の賄いメシですが、ちゃんと許可を得て買い付けてます。良い奴が入れば珍味として伯爵様に差し上げることもあるんですぜ」
料理長は腕組みをして仁王立ち。ふんすと息を吐きました。
……日本では魚がよく食べられていましたが、尾頭付きは気味が悪いという人も多かったですわ。
前世さんの動画でも、魚ネタを出してみたら外国人の方から「キッショい魚を丸ごと食っちまうニホン人! クールでクレイジーだな! HAHAHA!!」みたいな煽りコメントがついたこともありました。
このラング伯爵邸でも、魚は好き嫌いが分かれるようです。
私ですか?
もちろん大・大・大好物ですわ!!
ヨランダとアリスを振り切って、魚に近づきます。
「こ、これは……!」
マグロ!!
ちょっと尾びれの形が違うようですが、ほぼマグロではありませんか!!!
「なんて美味しそうなんでしょう!!」
「フィ、フィリア様?!」
「今なんと?!」
ひっくり返りそうになっている二人を置いて、私は料理長に向き直ります。
「脂が乗っていて素晴らしいですわ!」
ジル料理長も目を丸くしましたが、ややあってニヤリと笑いました。
「……食わせてやろうか?」
「まあ! よろしいのですか……?」
本来なら遠慮すべきだと思いますが……
前世日本人が、マグロの魅力に抗える訳がありません。
「よし、美味いところを切ってやる。手の空いた奴は手伝え!!」
たちまち目の前で解体ショーが始まって、手際よくマグロが捌かれてゆきます。
「ひい! 頭が、頭がドンって……!!」
「――くっ、逃げ出す訳にはいかないわ。フィリア様付きの侍女として……!!」
巨大魚が部位ごとに分けられていくのを見て、侍女達の顔が青くなっています。
ちゃんと絞めてあるマグロのようで血はあまり出ませんけど、スプラッタと言えなくもないですわね。
慣れていないと、つらいかもしれません。
「私は平気ですが、二人は無理をしないでくださいまし」
「……フィリア様はなぜ平気なのですか……!」
アリスが涙目になっています。
ヨランダはハンカチを出して、口許を覆っていますわね。
伯爵家の侍女ともなりますと、男爵や準男爵といった下級貴族の出身者も割といます。
ヨランダとアリスは顔立ちや所作が上品ですから、貴族か……少なくとも裕福な家のお嬢様育ちなのでしょう。
私も前世を思い出したから大丈夫……どころかドキドキワクワクですけれど、そうでなければ卒倒していたかもしれませんね。
二人をなだめていたら、包丁を置いた料理長がやってきました。
「ほらよ。こいつがマグロの中でもオススメの……腹側の身だ。傷みやすいのが欠点だが、舌がとろける旨さなんだ」
「まああ! 大トロですわね!」
料理長が差し出した小皿には、カットされたマグロが数切れ盛られています。てりてりとした脂を見ると、はしたなくも涎が出そう!
「ちょ、ちょっとお待ちを。まさか生のまま召し上がるのですか?!」
ヨランダがハンカチ越しに言いました。
「今回のマグロは状態が良いから大丈夫ですぜ。伯爵様にお出しする場合も表面だけ軽く炙って、塩を振ったものに香味野菜を添えるつもりだ。しかし……」
料理長は小瓶を取り出して、中身を振りかけました。
黒っぽい液状の調味料で……例えようもない懐かしい香りが……!!
「下賎な漁師の食い方ですがね。俺が生まれた村じゃ、生の切り身をこの『サイサ』ってえ伝統のソースで味付けすんのが一般的でして。もちろん、高貴なお嬢様がたに無理に食えなんて言いませんが――」
「いただきますわ!!!」
喰い気味に叫びました。
大トロのお刺身!
そしてお醤油にしか見えないアレ!!
「フィリア様!」
「おやめください!!」
「止めないで! 私、マグロ女と呼ばれても構いませんわ!」
私はフォークを取りました。
不退転の決意ですわ!
マグロは冷蔵・冷凍技術が発達していなかった昔の日本では大変に不人気で、特にトロは「ネコも食わない」とまで言われていたそうです。異世界でも事情は似たり寄ったり、魔法を使わないと美味しく食べることができません。フィリア大喜び。
なお問題となった(?)前世さんのお魚動画は「プロに教わってアンコウの解体&調理やってみた☆」だった模様。