EX.愚か者の末路(sideフェルナン/前編)
番外編を投稿していきます。常に完結ですが、ちょぼちょぼと続きます。気長にお付き合いください。
僕の姉上、フィリア・フォンテーヌは馬鹿な人だと思っていた。
人が好くて損ばかりさせられている、要領の悪い人。
生まれた時から運が悪かった。
フォンテーヌ侯爵家は、アストニアでも古くからの名門と言いつつ内実は腐っている。
いや、悪事に手を染めているとか、王国の法に触れることをやっているとかじゃないが。領地は豊かで、領民を痛めつけずとも十分な収入がある。
問題は父上と母上が政略結婚で互いに全く愛情がなく、最初の子である姉上が両親のどちらにも似つかない黒髪黒目だったため、最初は母上の不貞が疑われたことに始まる。
僕はまだ生まれていなかったので聞いた話だが、父上は最初、相当激しく母上をなじったという。
ひいおばあ様……父上にとっては祖母だけれど、年を重ねて髪が真っ白になった御姿しか知らなかった、らしい。
古参の使用人に言われて「そう言えば」と思い出す始末。
とても芸術的な馬鹿の象徴だと思わないか?
結局。
当時から母上は身分の低い愛人がいたのだが、結婚前後には会っていなかったことが証明された。
侯爵夫人になるに当たって身を慎んでおり、相手の男と一線を超えてもいなかったんだ。
ハッ、美しき真実の清い愛だな。
女の方が一枚も二枚も上手。
愛し合っている夫婦なら誤解が解けて仲直りできたかもしれない。
しかし、母上はただでさえ折り合いが悪い父上を忌み嫌うようになり、父上も意地になって碌に謝らず、完璧にこじれてしまったんだ。
後継ぎの僕をこしらえるまでは双方が我慢したが、その後はほとんど没交渉で子供のことも使用人に投げっぱなし。
まあ、冷遇されていた訳ではない。
僕も姉上も、侯爵家の子女にふさわしい生活を与えられ、金をかけて飾り立てられ、高い教育を施された。
でも、そこに愛情はなかった。
僕が姉上にやたらと突っかかっていたのも、今思えば寂しさの裏返しだったのかもしれない。
一応、僕は嫡男だから、使用人達も愛想が良かった。表面的には。
姉上も将来の王子妃で、媚を売る者が居てもおかしくない……んだが。
相手はあの屑こと、顔だけが取り柄で頭は空っぽな第二王子ロニアスだったからな。
そもそも母君の第一側妃様からして、家柄と容姿は悪くなく陛下の寵愛も受けているが……
一面に極彩色の綿菓子でできた花が咲き乱れるフワッフワな頭脳ゆえに、王妃にはなれなかった御方だ。
その第一側妃様が最初に産んだ男児がロニアス。
そりゃもう煮詰めた蜂蜜へ漬け込んだ上に砂糖衣をまぶしたみたいに甘やかされて、絵に描いたような屑が出来上がった。
我が家の使用人達はみんな知っていた。
『ていのいい世話係で厄介払いされただけ、ハズレくじを引かされたお可哀想なお嬢様』だと。
僕に輪をかけて、姉上はおざなりにされていたと思う。
少しぐらい文句をつければ良いのに、姉上は何も言わず令嬢らしく微笑むだけ。我儘一つ口にしたことがない。
馬鹿じゃないのか。
――そんな姉上が、ある日いなくなった。
屑が屑っぷりを発揮し、姉上のことが気に入らないので別の女と結婚したい、というくだらない理由で婚約破棄と国外追放を命じたという。
国王陛下も王太子殿下も、うちの父上も、揃って重要な国政会議を行っている最中。未成年の僕は侯爵邸で過ごしており、全く事態を把握できないうちに、姉上は馬車に乗せられて王宮から連れ出され、そのまま行方知れずになってしまったんだ。
僕は怒り狂った。
姉上がどうこうじゃない、フォンテーヌの名に泥を塗られたからだ。
婚約破棄はまだしも――そっちも稀に見る愚挙ではあるが――国外追放とは!
姉上は侯爵令嬢だぞ。
絹の靴下を履かせるのさえ侍女がやる、本物の姫君なんだ。
どことも知れない場所に一人で放り出されて、生きていけるはずがない。
さすがの父上も怒って王家に抗議し、陛下も王太子殿下も平謝りしてロニアスを叱責した。
当たり前だ、姉上は何ら悪いことをしていない。
一万歩譲って砂粒くらいは非があったとしても、ロニアス如きに姉上を裁く権限はない。
それを! この、屑は!!
姉上も姉上だ。
ホイホイと婚約破棄されて。
怪しい馬車なんかに乗るんじゃない!
どうかしている!!
ベルーザで姉上が見つかった、という知らせが入るまで、怒りの置き所がなくて苦労した。
✳︎✳︎✳︎
なぜこんなあり得ない婚約破棄事件が起こったのか、国王命令で調査が入った。陛下も今回の事態を重く見ている。
まずロニアス一人でこんな大それたことはできまい。屑の実務能力は屑らしく皆無だ。
協力者がいる。
怪しいのは最近、奴にひっついていた男爵令嬢サーラ・オルダンだが……
ロニアスとは似たもの同士の頭空っぽ女なので、本人ではない。
では父親のオルダン男爵か?
と思われたが……
『……確かに儂の娘、サーラはロニアス殿下のご寵愛を頂いています。しかし我が家は新興の男爵家。高貴でお美しいご令嬢がたを差し置いて、正妃になれるなどと思い上がってはおりませんぞ』
陛下が派遣した調査官に向かって、男爵はそう答えたという。
……認めるのは癪だが、その通りだ。
アストニアの厳格な身分制度上、新興男爵の娘が王子の正妃などあり得ない。
姉上を蹴落としても正妃は別の令嬢になり、サーラ嬢は側妃か……非公式の愛人がせいぜいだろう。
オルダン男爵は元々やり手の商人で、国内外に伝手を持っているので疑わしい人物だったが……決定的な証拠がなかった。
「主犯は別だ……東の公爵家と、南の侯爵家。どちらも年頃の令嬢がいて、殿下の正妃を狙える立場であった。他にも幾つかの家が協力していたと分かったが、オルダンは尻尾を出さなかった。手を貸した可能性はあるが……」
父上は苦々しい表情で言った。
「処分はどうなりますか?」
「表沙汰にはできぬ。内々で決着をつける」
「それで良いのですか。姉上が……」
「フィリアが殿下の御心を掴めなかったのも事実だ。騒ぎ立てても不利になる」
「…………」
悔しいけど、僕に父上や陛下達の決定を覆す力はない。
――やがて密かに、幾つかの貴族家で当主が交代した。
彼等の家門では数人の令嬢が年齢の離れた相手へ嫁ぐことになり、王都から姿を消した。
第一側妃様は若くして病に倒れ(毎食のように蜂蜜と生クリームたっぷりの菓子ばかり召し上がっていたせいだとか)、離宮で長い療養生活に入られた。
完治することはないそうだ。
そしてロニアスは……
色々すっ飛ばして、サーラ・オルダンと結婚することになった。
真実の愛を貫いたと言えば聞こえは良いけど、要は臣籍降下し婿入りするんだ。
オルダン家は伯爵家へ陞爵はするが、ロニアスから見れば相当な格落ち。
これまでのような王族の特権も無くなる。
面倒なこと……と言うか公務の九割がたを姉上に押し付けていたみたいだが、サーラ嬢にできる訳がなく、これも(本来それが当然なんだが)ロニアスの役目として伸しかかる。
実質は懲罰。これで納得するしかない。
オルダン家も一見、陞爵して新しく広い領地を与えられ、王族の血が入るという栄誉まで受けたことになるんだが……
今まで小さいながらも栄えていた男爵領を取り上げられ、広いばかりのド田舎の荒野と使えない屑を押し付けられ、目端の効く貴族ならざまを見ろと笑いたくなる有り様になっている。
まあ元男爵は商魂逞しく、転んでもただでは起きないと評判だから。
やり手商人の活躍に乞うご期待と言ったところか。
姉上の失踪も、それはそれは綺麗な説明がされた。
つまり、想い合うロニアスとサーラに敵わないと知った姉上は潔く身を引き、秘密裏にベルーザへ渡っていたという筋書きだ。
馬鹿馬鹿しい。
由緒正しいアストニアの貴族令嬢が自分から国外へ出たりするものか。
闇の森の向こうは、魔物が跳梁跋扈する未開の蛮地だと思われてるんだぞ?
ベルーザ王国だって今でこそ豊かな大国だが、旧弊な連中は「おぞましい魔物と血みどろの戦を繰り返して国土を拡大した野蛮国」だと見下しているくらいなんだ。
しかし姉上は異国から嫁いだひいおばあ様似だから、敢えて「外」に活路を求めた――――
と、言うことになった。
結局、異質な者として貴族界から切り捨てられたようなものだ。
せめて姉上が王子という肩書きだけ立派な屑から解放されたことを喜ぼう。
ささやかでも幸せになってくれれば……
「ああ、それからフィリアだがベルーザの尊い御方に見初められた。あちらへ嫁ぐことになるだろう」
「……はい?」
「相手はエーリヒ国王陛下の異母弟、継承権一位のヒースクリフ殿下だ。婚約破棄された傷物にしては上出来であろう。いかに野蛮国でも王族の妃になれるのだからな」
「は…………?!」
ま た 王 族 か!
姉上! 何を考えてるんだ。
せっかく自由になったのに、もう少しマシな相手を見つけられなかったのか?!
詳しく聞くとヒースクリフ殿下とやらは二十歳を超えているのに結婚もしていなければ婚約者も決まっていない。
王弟の役割も放り出して、下々の者に混じって騎士の真似事をしている男だという。
いい歳こいてチャラチャラふらふらしてる遊び人にしか思えないが?!
めちゃくちゃ分かりやすいハズレだろう!
あの馬鹿姉、男を見る目がなさすぎるのでは?!
納得できないが、これも侯爵家当主にして家長である父上の決めたことだ。
未成年の僕は口を挟めない。
大人になったら可及的速やかにこの屑父を排除してやる、と僕は固く決意したのだった。
――そんな僕の内心とは裏腹に、姉上の再婚約は駆け足で進んだ。
アストニアとの国境に近いラング伯爵家で静養していたが、王都ベルゼストのそれも王弟宮へ移り住んで即座に婚約式。
結婚式も最短日数で挙げる予定らしい。姉上は雷光の速さで囲い込まれてしまったと言える。
成人した王族の男が独身、というのがそもそも異例だったんだ。向こうの王家もとっとと片付けたいに違いない。
肝心の姉上は……外堀を埋め立てられたことに気付いているだろうか?
抜けているところがあるから心配だ。
父上に頼んでベルーザへ行かせてもらうことにした。
両親の名代として姉上の結婚式に出席し、ついでにあれこれ遊学する。
魔境へ行くようなものでとんでもない、と止められたものの押し切った。
姉上のこともそうだが、僕は外の世界に惹かれるものを感じた。
この目で見てみたい。
姉上が嫁ぐ国を。
フォンテーヌ家と付き合いがある商人に道案内を依頼し、隣国へと旅立った。
✳︎✳︎✳︎
ベルーザは美しく豊かな国だった。
野蛮な国だなんて、根拠のない悪口じゃないか。
確かに戦乱の時代の名残か、豪華絢爛なアストニア貴族文化に比べると質実剛健で実用本位という感じがするけども……これはこれで良いと思う。
もう一つ驚いたのは姉上の人気ぶりだ。
やたら好意的に受け止められてる。
何でもヒースクリフ殿下という人は大変な女嫌いで、女性に対して余りに冷淡なので「氷の殿下」という異名を取るほどだったそうだ。王族にはほぼあり得ないが、一生結婚しないのでは?とさえ思われていた。
ところが姉上、氷を残らず溶かしてしまった――――らしい。
愛の力は素晴らしい!と、会う人が老若男女、身分を問わず姉上を褒め称える。
……逆に胡散臭くなってしまうのは僕だけだろうか……
いや、もちろん姉上は優秀な令嬢だ。
貴族には珍しい容姿ゆえに、アストニアでは魔女や悪女のように言われていたけど。本当は思いやりがあって優しい上、美人で頭も良い。
ようやく姉上が正当な評価を得られて嬉しい。
嬉しいんだが、しかし……
とにかく姉上に会おう。
周りよりも本人の気持ちが重要だ。
姉上は今……どうしているのかな。
逃げ場を失って困っていないと良いが……
ベルゼストへ到着した僕は早速、姉上に会いに行った。
「――フェルナン、貴方ちょっと見ないうちに背が高くなって。この半年で遅まきながら成長期が来たようね。別人かと思ったくらいよ」
…………姉上、お元気そうで何より。
弟の身長よりご自分の心配をしてくれませんか?
姉上こそ別人みたいに変わった。
僕の背が伸びて、見上げなくても目が合うようになったから……いや、それだけじゃないな。
顔立ちも、髪や目の色も変わっていないのに、どこかが決定的に違う。
こんな――そこに居るだけで光が集まってくるような、明るい顔をする人だっただろうか。
「――ヒースクリフ殿下は私をとても大切にしてくださるの。私もお慕いしているわ」
恥じらいを含んだ様子で喋る姿も、たぶん初めて見る。
貴族女性らしく控えめにしているけど、押さえ切れない恋心が声にまで滲んでいる……
紅茶に砂糖は入れてないのに、おかしいな。
飲むと舌に甘みがくっついてくる気がする。
「…………本当に? 身分ある御方に申し込まれて断れなかっただけではないんですか?」
「本当よ。フェルナン、私ね……不敬と言われるでしょうけど、王族かどうかは関係ないの。闇の森で私を助けてくれた格好いい騎士様と結婚したいのよ」
「は…………?」
「あの人が身分のない一介の騎士でも構わなかったくらいよ? でも蓋を開けてみたらベルーザの王弟殿下だっただけ。好きな人と結婚できて幸せですわ、可愛い弟にも祝福してほしいのだけれど」
「…………………」
大輪の薔薇みたいに微笑まれ、非常に居たたまれない。
家族のこういう様子を見てしまうのって、これほど複雑な気分になるものなのか……
とりあえず姉上が幸せ一杯なのは理解した。
ベルーザ王国へ来た目的の半分くらいは、これで果たされた訳だ。
嫌というほど理解したので、説明の名を借りた惚気話は結構です。
心から要らない。
結構です。
姉上。
ご自分が馬鹿になっているご自覚はありますか?
ロニアス母こと第一側妃は糖尿病ステージ3から4くらいのイメージで書いています。
なお、実際の糖尿病は遺伝的要因があるので健康に気をつけていてもなってしまう場合があります(病気の方を攻撃する意図はありません)。




