EX.消えた聖女(sideヒースクリフ/前編)
「――フィリアが聖女の子孫?」
「真偽は分かりませぬ。が、ラナール猊下はそう考えておられるようです」
「厄介な……ここまで来てヒースクリフとフィリアの結婚を邪魔されるとは」
俺は兄上に突然呼び出され、白亜宮の奥まった一室にいる。
総神官長のノイダンと合わせ、三人きりでの密談だった。
大事な昼食会の日だと言うのに早馬が来て「どうしても話し合いたい」と言われ、いったい何事だと思いつつ馬を飛ばして来てみればこれだ。
俺だってフィリアの素晴らしさはよく知っているが、次から次へとライバルが現れるな……
フェルナンは、まあいい。フィリアの弟だ。
彼女と髪や目の色は違うし、刺々しい視線を向けられたが、やっぱり顔立ちが似通っているから憎めない。姉を心配しているんだな、と微笑ましい気持ちになる。
もし俺にも弟妹がいれば、こんな風なんだろうか。
いや、違うな。
フィリアの弟なら俺にとっても弟だ。
彼女のおかげで俺にも家族が増える。そう思うと嬉しい。
それにフィリアは熱弁を振るって弟を説得し、滅多に言わない惚気まで披露してくれた。幸せで顔が崩れないか心配だったくらいだ。
フェルナンも最後には俺のことを認めてくれた……一応だが。
『姉上。何かあれば、いつでもアストニアへ帰ってきてくださいね』と言ってはいたけども。
次に現れたのがロニアスだ。
アストニア第二王子でフィリアの元婚約者。
今更になって、よりを戻そうなどと押しかけてきた。
この男が稀に見る阿呆だったために俺がフィリアに出会えたとも言えるのだが……本人に会ってみると、あまりに不愉快な奴であった。
……同族嫌悪かもしれないな。
俺も二番目の王子として生まれた。
良いことばかりではなかった。
貴い血を引くと持ち上げられる一方で、母の身分は低いと貶められる。
都合の良いスペア。
望んだ訳ではない地位。
最初の婚約も、自身が望んだものじゃなかった……
底無し沼のような貴族社会の思惑に振り回され、何かが少し違っていれば、俺も奴のようになっていた可能性はあったと思う。
だがロニアスも成人した王族の男だ。
自分がやったことの責任は取ってもらうぞ。
だいたい奴はフィリアに執着しているが本当に愛しているとは言えない。便利な道具扱いだ……許せるものじゃない。
しかし奴はラナール枢機卿と手を組み『以前の婚約は白紙になっていない』などと屁理屈をこね出して少々手を焼いていた。
何故、ディウム教国が口を挟んでくる?
ロニアスはころっと騙されているが、どう考えてもきな臭い。
教国に伝手のあるノイダンが調べてくれた結果、「聖女の子孫」という思いも寄らない理由が飛び出してきたのだった。
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「――――まず聖女についてご説明しますと……」
ノイダンがゆっくりと話し出した。
ディウム教国では〈守護〉の魔法を持って生まれた男性を聖人、女性を聖女と呼んで保護しているそうだ。
そして素性が分からなかったフィリアの曽祖母君は、かつてディウム教国を出奔し行方不明になった聖女であった可能性が高いらしい。
話を聞き終えた俺と兄上は、そろって溜息をついてしまった。
なんて面倒な……
「初めて聞く話だな。ノイダン、其方も知らなかったのか?」
渋い顔になった兄上が聞く。
「はい。聖人、聖女の存在は存じておりましたが……『消えた聖女』は教皇聖下にしか伝えられぬ秘密です。ラナール猊下も本来なら知り得ないはずですが、あの方は前教皇聖下の従弟に当たります。聞いたことがあったのでしょうな」
「ふむ……フィリア自身も把握していないようだからな……本当に貴重な血筋の娘ならば、フォンテーヌ侯爵も国外に嫁がせないだろう。どうも分からん」
兄上は首をひねっている。
「……兄上。フィリアの父君、フォンテーヌ侯爵は若くして爵位を継いだと聞きます。前侯爵から秘密の知識を受け継ぐことができなかったのかもしれません」
何故なら俺は知っている。
魔力判定の時にウルクス師長が見抜いた。フィリアには不思議な力があるようだと。
つまりフィリアは十中八九、聖女の子孫。
彼女はこういう大事なことを黙っているような性格ではないから、本当に知らないんだろう。
フォンテーヌ侯爵に直接会ったことはないが手紙のやり取りはした。特に気になる内容……フィリアの秘密を匂わす記述はなかった。
次期侯爵のフェルナンからも、そんな話は出ていない。
「うむ、そうだな……どれも推測ばかり、決めつけてはいかんな。それより重要なのはこれからの進め方であろう……」
兄上は少し考え込んだものの、すぐに顔を上げた。
「よし。フィリアは聖女の子孫であるかもしれんが、本人に聖女の力……即ち〈守護〉の魔法はない。ゆえにディウム教国へ引き渡したりはせん。それで行くぞ」
「はい。ありがとうございます」
「かしこまりました。ヒースクリフ殿下の妃が居なくなっては困りますからな」
ノイダンもうなずいてくれた。
彼は聖職者であると同時に、ベルーザの貴族出身。信仰を通じて国を良くしようと考えている。
それに、俺とフィリアの婚約や結婚はベルーザ教会が取り仕切っている。無にされたら威信が地に落ちてしまうだろう。
ただしフィリアにわずかでも〈守護〉の力があるらしいことは黙っておくが。
あれを知っているのはフィリアと俺、魔力判定を行ったウルクス師長、レオニス、それに報告を入れた兄上だけだ。
「ヒースクリフ殿下。不躾を承知で申し上げますが……」
そのノイダンが、こほんと咳払いをした。
「『黒髪の聖女』が還俗を認められた理由は、主に三つあったようです。一つ目は、〈守護〉の魔法は使い手が満たされた状態であればあるほど効果が高まると考えられているため。逆もしかりですな。二つ目は……神々に深く愛されし者ゆえに、若くして天の庭へ招かれてしまう場合が多いためです」
「短命……ということか?」
「はい。これまでの聖人聖女のほとんどは虚弱体質かつ繊細な気質で、人前に出るのを好みませんでした。ディウム教国が彼等を秘密裏に匿い、表舞台へ出さなかったのも、醜いものを見せず、余計な重圧を負わせないようにという気遣いです」
「無理矢理連れ戻したところで、黒髪の聖女の魔法も、生命も、喪われてしまう……そういう理由か」
「でしょうな」
……フィリアはしなやかな心の強さを持っていて身体も虚弱ではないと思うが、気をつけないと。
「―――それから三つ目ですが。黒髪の聖女はディウムの者達に見つかった際、既に愛する男性と結ばれており子を身籠っていたそうでございます」
「それは…………」
思わず黙ってしまう俺。
うなずいたのは兄上の方だった。
「ほう、なるほど。その相手がフォンテーヌ侯爵家であったとすれば……いかにディウムの神官でも貴族の妻や子を引き離すことはできなかっただろうな。――ヒースクリフ?」
「……いや、その……分かってはいます。ですが……」
考えなくはなかった。
ロニアスを退けるために、有力な方法は……
既成事実をつくってしまうことだ。
ベルーザ王国はお互い成人していて、責任が取れる間柄……特に婚約している男女であれば、関係を持っても問題はないとされる。
――元々、これにはいささか血生臭い事情がある。
ベルーザの建国当初は、今よりも魔物の活動が活発だったと言われているんだ。
魔物が闇の森から突然あふれ出すと、魔力の強い王族、貴族の男子が討伐に当たるしかない。
当然ながら命を落とす危険も高いが、当主や嫡男が後継なく戦死すると家の存続に関わる。
そのため結婚を約束している――つまり婚約している女性がいれば、お披露目をしていないだけで事実上の妻であるとみなし、法的にも妻に準ずる存在として扱うようになっていったのだ。
ここ百五十年ほどは闇の森も小康状態で平和が続いているが、「婚約していれば構わない」という考え方は我が国の気風として色濃く残っている……という訳だ。
俺がフィリアに手を出したところで、誰も非難はしない。
仮に子ができても「これで王家も安泰だ」と喜ばれるだけで、ふしだらだの何だの言う者はいないだろう。
アストニアとは文化が違う。
しかし………………
「ふ……そこまで大事にしているのか?」
言葉が続かない俺を見て、兄上が苦笑する。
「……はい」
もちろん俺はフィリアを愛していて、彼女の全てが欲しいと思っている。
でもフィリアはアストニアの出身。真面目で男性慣れしていない。
最近ようやく自分から手を繋いだり、キスをくれたりするようになったくらいで。
俺も、その先には踏み込んでいない。
初々しい彼女に合わせていたのも嘘ではないんだが、実は理由の半分くらいだったりする。
残り半分は、もっとくだらない……
フィリアが頬を林檎のように赤くして、そーっと顔や身体を寄せてくる様子が可愛くて可愛くて、仕方なくて。
しばらく、これでも良いなと思ってしまう、とか。
ベルーザの貴族界に馴染もうと頑張っていて疲れているんだろう、俺の帰りを待っている間や寝る前のおしゃべりをしている間に(先に寝ていて良いと言っているんだが)、ソファで眠り込んでしまう時があって……
安心しきった寝顔を見ると、とても起こす気になれない、とか。
俺自身、ベッドの上で理性がちゃんと仕事をしてくれるか全く自信がない、というのもある。
がっついていると思われたくないが、果たして程よいところで止めておけるだろうか……たぶん無理だな……
ついでに、そのあと数日は王弟として使い物にならないかも……とか。
色々と思案した結果、結婚式を挙げてからにしようと決めていた。
それを――こんな理由で?
ちょっと違うんじゃないか?
「――殿下。儂も陛下も無理強いするつもりはございません。お二人のことでございますゆえ、フィリア様とよく話し合ってお決めくだされ」
迷う俺を、ノイダンが優しく諭した。
「うむ。さて、話はこのくらいだ。ヒースクリフ、ノイダン、忙しいところを済まなかった。二人とも、これから青花宮での昼食会であったな?」
「はい。儂はこのまま、青花宮へお伺いいたしまする」
「俺も急いで戻ります」
俺とノイダンは席を立った。
兄上はうなずき、ニヤッと笑う。
「フィリアが考えた、新奇で美味い料理が出されると聞いた。そのうち私やエディスにも馳走してくれ」
「ええ。邪魔者を追い出したら必ず」
俺は一礼し、ノイダンと共に白亜宮を出たのだった。
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『愛を込めた手料理ですから絶対に召し上がってくださいませ、ロニアス殿下』
昼食会でかつての婚約者、ロニアスに言ってのけたフィリアは凛として美しかった。
元から綺麗な女だが、この時は気品と誇りにあふれていて、まさしく地上へ降りた女神だったな(後でそう言ったら、大袈裟ですわと怒られたが)。
一方のロニアスは、不意打ちを食らって固まっていた。
「フィリアへの愛に目覚めた」と公言していたのが仇になった。
奴にとっては得体の知れない料理を勧められる羽目になった訳だ。
さて、どうするだろう?
フィリアは「あの人は一口も食べないと思います」と言っていたが……
料理は、他の出席者には好評だ。
アルヴィオも言う通り、闇の森周辺では非常に大きな問題だった。
ズィーゲルフロッグにしろ毒草にしろ凶暴ではなく、人を襲ったりもしないが、何しろ増えすぎて困っていたんだ。
駆除しても碌な素材が取れない……正確には非合法の毒ぐらいしか採取できないので、冒険者にも旨味がないと思われていた。
そこにフィリアが使い道を示した。
フィリア本人は自覚が薄いようだが、これは大きな転換点になるだろう。
例えば……
王国にも残念ながら、困窮している民がいる。
その日の食事さえままならない者達だ。
彼等にズィーゲルフロッグの駆除と毒抜きの仕事をさせ、得られた「食材」は持ち帰って良いことにする……
ラング伯爵とアルヴィオは、そういう施策を検討しているらしい。
ウルクス師長やレオニスをはじめとする魔法師達は、フィリアが発見した毒抜き方法を魔法でもっと簡単にしたり、毒抜き後の廃用液を安全に無害化したりする研究を始めた。
魔法師の中でも攻撃魔法が得意でない者は、これまで活躍の機会が少なかった。やっと出番が来たと張り切っているそうだ。
今のベルーザには、こういう新しい風があちこちに吹いている。
全てはフィリアの恩恵だ。
〈守護〉の使い手の血を引いている?
一切関係ない。
彼女自身が素晴らしいんだ。
消えた聖女には消えたままでいてもらう。
この国に、そして誰よりも俺に、フィリアは絶対に必要な人だ。
ロニアスやラナールに渡すものか。




