30.「私がディナーで美味しく頂かれたように聞こえます!!」
「…………」
ロニアスは硬い表情で料理を見下ろしています。
愛情たっぷりの手料理と言えば聞こえは良いですが、彼が知っている私――フィリア・フォンテーヌは自分で料理なんてしたことがない侯爵令嬢。ずぶの素人です。
しかも食材は、一歩間違えれば死んでもおかしくない有毒な動植物。
今の私がロニアスに良い感情を持っていなくて、わざとこんな料理を出したことぐらいは、彼も気付いているはず。
うっかり塩と砂糖を間違えちゃった〜 どころか。
手が滑って毒も入っちゃった〜てへぺろ♡ になっているかもしれない。
そういう「汚料理」をかまされる可能性が、頭の中をグルグル回っているところでしょう。
二重、三重の意味で口へ入れたくない。
しかし「フィリアを愛している」と宣言した以上、食べなければ体裁が良くない。
ロニアスくん絶体絶命のぴーんち!というヤツですわね!!
「フィ、フィリア様。これは、余りにも……」
事なかれなパヌ伯爵が冷や汗を浮かべて抗議しますが。
「――あら、ロニアス殿下のご寵愛深きサーラ様も、頻繁に差し入れをなさっていたと思いましたが? 職人顔負けの素晴らしい手作り菓子だったかと」
その反論、想定内ですわ!
高位貴族ではなかったサーラ様は家庭的な癒やし系アピールで、可愛らしいお菓子をよく持参していました。
どう見ても菓子職人の作った品をバスケットに詰め替えただけでしたけど。
ロニアスは気付いていなかったですわね。しきたりとして誰かに毒味をさせ、大丈夫と分かればそれで良し。
ですから私も同じようにさせていただきましょう。
龍牙茸のスープから口を付け、一通り味わいます。
「この通り味見もさせていただきました。自信作ですわ。皆様もどうぞ」
クリフをはじめ、皆様がカトラリーを手に取りました。
固まっているのはロニアスとパヌ伯爵の二人のみ。
「――おお、このスープはコクのある味ですのぉ! 森の滋養を丸ごと溶かし込んだようですぞ。より長生きできそうですの〜」
ウルクス師長はスープが気に入ったようですね。
「わたくしはサラダが。芋や人参は揚げてあるのですね……歯触りが楽しくて、いくらでも食べられそう。フィリア様のお話ですと野菜は美容に効果があると言いますわ、女性に嬉しい一皿ね」
しっとりと微笑むルイーズ先生。
「むう、この肉があのズィーゲルフロッグとは信じがたいな。普通に鶏肉のようで、噛むと肉汁が出てきて美味い! 食べ応えもある。すぐ肉を食いたがる若い騎士でも文句は言わんでしょう」
アルヴィオ様もクリフ同様に騎士団の分団長を務めていますから、マナーは守りつつも食べっぷりが豪快です。
その隣に座っている男性は近隣領地を治める子爵の息子さんで、高位貴族に囲まれてやや萎縮していますが……
「ええと、わたしはその、こちらのパンケーキが素晴らしいと思いました。麦の香りが豊かな上にふわふわとしているのが驚きです。我が子爵領では死神麦の種子が風に乗って畑地へ飛んでくるため非常に苦労しておりまして、ぜ、ぜひ参考にさせていただきたいです」
おっかなびっくりですが意見をくれました。
「皆様、ご意見ありがとうございます。あら? そちらのお二人は気が進みませんか?」
「…………」
「………………」
ロニアスとパヌ伯爵だけが動かないままです。
同じアストニア人でもフェルナンは上品に料理を食べ、口をナプキンで拭いてから発言しました。
「フォンテーヌ領は闇の森に接していませんが、アストニア全体で見れば貴族の三分の一ほどは何らかの形で関わりがあります。この調理法は大変有益な情報ですよ。姉上、教えてくださってありがとうございます」
「アストニアは私の祖国ですもの。より良い関係を築けるよう努めていくのは当然のことよ」
「ええ、これまで以上に縁を深めていきたいものです。隣国なのですから」
さすが私の弟!
名ばかり外交官のパヌ伯爵よりも、よほど立派に外交をこなしています。
他国へ招かれて食事をするのは、単なる栄養補給とは違うのですよ?
「我々は貴方がたを信頼する」という意味を込めて食するのです。
内心がどうであろうと涼しい顔で頂くのが礼儀ですわ。
口もつけないのは私どころか王弟であるクリフ、ひいてはベルーザという国を信用していないという意思表示と同じ。外交問題になると分からないのかしら?
優しくない私は、にこやかな顔をしたまま駄目押しをいたします。
「ちなみに、そちらの御二方にお教えしましょう。私は闇の森でヒースクリフ殿下に初めてお目に掛かった時も、これと似たような料理を差し上げました」
「な、なにっ?!」
ロニアスが目を剥いて驚きます。
「他に食材がなかったものですから。もっとも、その時はベルーザの王弟とは存じ上げなかったのですけど……ですがヒースクリフ殿下は『ありがたく頂くよ』とおっしゃって、きちんと召し上がってくださいましたわよ」
クリフを見ると、にこりと笑ってうなずきます。
「騎士の任務中で、身分の分かるものを持っていなかったからね。たまたま部下達ともはぐれてしまって……なのに、フィリアは見ず知らずの男にも、これとよく似た素晴らしい食事を振る舞ってくれた」
「過分なお言葉ですわ、殿下。拙い品でしたのに」
今回はちゃんと下味をつけて揚げたり焼いたりしていますけど。
懐かしいあのスープは、簡単な調理器具しかなかった森のサバイバル鍋ですわよ?
毒抜きした後はひたすら弱火で煮込むくらいで……要するに「ごった煮」です。調味料も岩塩だけ。
さすがに褒めすぎ、と思ったのですが――――
「美味だったよ。それにフィリアの類稀な優しさ、しなやかに生き抜こうとする強さにも感動した。俺はあの瞬間に一目惚れしたんだ」
んんっ?!
いきなり惚気話ですの?!
「んまあ、熱烈でいらっしゃること! 氷が溶けるのも納得ですわね。わたくし、少女時代の恋物語を思い出しましてよ」
ルイーズ先生が頬に手を当てて、きらっきらの眼差しになりました。
「あはは、殿下はすっかりフィリア様に心も胃袋も掴まれているようですね!」
レオニス様も笑顔全開。ちょっと胡散臭く見えるのは気のせいでしょうか。
ベルーザの他の皆様からも『仲が良くて微笑ましいですね〜』『良きかな良きかな』という視線が飛んできます。
うう、少し恥ずかしい!
ところが、クリフはもっと大胆でした。
すっと腕を回して私の肩を抱き寄せると、頬に……いえ、一応はほっぺたですけど、限りなく唇に近い場所へ、キスを降らせてきたんです!
「――――!!??!?!?」
ぼん、と顔に血が上りましたわ。
いくら開放的なベルーザとは言え!
人前で!
実弟もいるのに?!
「あばばばば」となっている私に構わず、クリフは顔を離すと余裕たっぷりに言いました。
「そうだね、俺は完全に彼女の虜だ。フィリアは自分のことを食い意地が張った悪食な令嬢だと思っているようだが、そんなところも可愛くてたまらない。美味しく頂いてしまった俺の方が、ずっと悪食なのではないかと思うよ」
ちょっ?!
言い方! 言い方がよくありません!
キスの直後に極甘の表情をして。
何とも絶妙なイントネーションで「頂いてしまった」って……
ものすっご〜く意味ありげですわ!
つまり、その……アレです……
私がディナーで美味しく頂かれたように聞こえます!!
「クリフ! 何をおっしゃるの――――あっ、ちょ、ちょっと!」
今度は頬ずりされています……
そっ、そういう場合じゃないでしょう?!
その時です。
ガタン!という音がして、ハッと顔を向ければロニアスが椅子を蹴倒して立ち上がっていました。
顔色が変わっています。
「フィリアッ! お前……お前……まさか……その男に、肌を許したのかッ?!」
ほら、思い込みの激しいお馬鹿さんが勘違いしましたわ!
クリフがあんな変な言い方をするから!
…………ん?
改めて、激昂しているロニアスをよく見てみました。
眉を逆立て、口許はぴくぴく引きつっていて、綺麗な王子様の仮面が台無しですわね……
――そう、ロニアスもまた潔癖なアストニア人です。
貴族令嬢が婚前交渉なんてアリエナイという考えです。
なるほど、ここはクリフとのラブラブっぷり(意味深)を見せつけて、ロニアスを諦めさせるべきね。
クリフもそれを狙って、わざと深い関係を匂わせる発言をしたのでしょう。
だったら私も、全力で乗っかりましょう!
「――嫌ですわ、ロニアス殿下。皆様の前で下品なお言葉を口にしないでくださいませ、アストニアの品格が疑われてしまいます。もう、恥ずかしいったらありません」
明言はしませんが、思わせぶりな口調と微笑でお答えしますわ。
「ご、ご、誤魔化すな! どうなのか答えぬか!!」
「ですから、恥ずかしくてとても口にできないと申し上げているではありませんか……私だって一応、嫁入り前の令嬢でしてよ……?」
恥じらってみせるとロニアスはさらに青くなります。
「でも、そうですわね……あえて申し上げるなら、女に生まれた身ですもの。心より愛する男性に『特別な甘いデザート』を差し上げるのは当然のことではなくて?」
肯定も否定もしてあげません。
勝手に下世話な勘違いをすればいいんです。
ざまーみろーですわ!
「ば、馬鹿な……フィリア、融通の効かない真面目なお前が……」
「あら、でもロニアス殿下もサーラ様とは際どいところまで行っていらしたのですよね? アストニアの宮廷にはご親切に逐一、教えてくださる人がたくさんいまして、私もだいたい把握しておりましたわよ」
都合よくと言いますか、純潔性を求められるのは女性のみで、むしろ男性は結婚前にそういう手解きを受けておくのですよね。
ロニアスは見事な「だぶすた」を発揮している訳です。
サーラ様のお考えはよく分かりません。最後まではしていなかったみたいですけれど……
「お前っ……知っていて黙っていたのか?!」
ワナワナと震え出した彼に、私は言ってやりましたわ。
「ええ。ですが貴方と不潔極まる関係になりたくなかったので申し上げませんでした。今後も未来永劫あり得ません」
「ふ、不潔……嘘だろう……フィリア……」
「いい加減になさいませ。今のロニアス殿下、ズィーゲルフロッグの背中にあるぬめりよりも気持ち悪いですわ」
ズィーゲルフロッグは体内で生成した毒液を背中の毒腺から分泌するので、表皮もヌメヌメしているのですよね。
手につくとヌルつきが気持ち悪い上にちょっとピリピリしますし、その手で目を擦ろうものなら失明の危険もあるのです。
捕まえる時は手袋必須ですわ。
毒抜きすれば美味ですけど。
ロニアス、貴方はそんな蛙以下です!!
「それから、私を『お前』だの『フィリア』だのと呼ぶのはおやめください。もう他人ですわ」
「………………」
ロニアスは放心してしまいました。
ふう、言いたいことを全部ぶつけてスッキリしましたわ。
ですが、納得してくれない人がもう一人いたのです。
✳︎✳︎✳︎
「――くっ、フィリア嬢!! なんという恥ずべきことを! 神がお認めになりませんぞ!」
次に文句を言ってきた人、それはラナール枢機卿です。
黙ってお食事をなさっていたのですが、ロニアスのように顔色を変えています。
当初の柔和な印象は、どこかへ行ってしまっていますわね。
するとノイダン様が、白い髭を撫でながら口を挟みました。
「ふむ。ラナール枢機卿猊下は、我等と教義の解釈に違いがあるようですな」
「ヒースクリフ殿下は高貴な御方ではあれど、フィリア様の真の婚約者ではない。倫理にもとる行いでありましょう」
「果たしてそうですかな? ロニアス殿下は、少なくとも一度は『婚約を破棄する』とおっしゃったのでしょう? 一国の王子ともあろう御方が、そう簡単に婚約を取り消したり相手を替えようとしたりなさるのが、まずおかしいのです」
ノイダン様、正論ですわね。
口調は穏やかながら、枢機卿相手に一歩も引かぬ構え。
総神官長と枢機卿の身分を比べると、やや後者の方が格上とされているようですのに……頼もしいですわ。
「そも、ロニアス殿下とて現在は別の令嬢と新たな婚約を結んでおられるはずですが。しかも今の話ですと、その令嬢とはフィリア様とのご婚約中から睦み合っておられたように聞こえますぞ? あまりに不誠実ではありませんかな」
「だ、黙れ。私は神の代理人として正義を説いているのですよ」
「……聖職者として看過できぬご発言ですな、ラナール猊下。私欲で創造神の御名をかたっていると誤解されかねません」
「枢機卿の地位にある私を愚弄するか!」
「いかに無体な言いがかりをつけても、フィリア様は手に入りませぬよ」
ディウム教国の枢機卿とベルーザ王国の総神官長、聖職者お二人による舌戦がいよいよ激しく――――って、ええっ?
ノイダン様まで、なんだか凄い発言をしていませんか?
ラナール枢機卿は私の身柄を手に入れようとして、婚約は無効だなどと言っていたのですか?
驚きの新事実ですわ……でも、なんで?!
「ヒースクリフ殿下との婚約を無効とし、その後ロニアス殿下も言いくるめて諦めさせ……そうやって居場所を失ったフィリア様を、ディウム教国へお連れするつもりだったのでしょう?――――聖女の子孫として」
………………はい?
さらにまた新事実の発覚ですか?
聖女の子孫?
戸惑っていると、クリフが私の肩を抱く手にキュッと力を込めました。
「……君のひいおばあ様のことだよ、フィリア。彼女はディウム教国からアストニアへ亡命した聖女だったらしいんだ」




