23.「あら、こんなところに雨蛙が。これは食べられませんわね」(中編)
グレース様は、優雅な庭園に不似合いな怒りの表情を見せていました。
陶器みたいな頬が赤くなって碧い目もキュッと吊り上がり、美少女は怒っていても絵になるのねという感じ。
そのままビシッと私を指差して叫びます。
「不始末をなかったことにしようとしても無駄よ! 恥を知りなさい!!」
「ふぁっ?!」
思わず変な声が出てしまいました。
不始末?
恥とは?
淑女らしさを失わないように対応したつもりでしたが……
あ。
今になって思い当たりました。
……うーん、そういうことですか。
確かに物語などでは定番の展開がありましたわね。
ですが蛙は庭のどこかへ跳ねていってしまったので、今さらやり直してみせる訳にもいきません。
だいたい、グレース様こそ思い違いをしています。
メアリ様もそうでしたが、貴族の価値観にどっぷり漬かって育てられると視野が狭くなるのかしら……
私はフウと溜息をつき、グレース様を見つめました。
「な、何よ」
「……では、どのようにすればよろしかったのかしら?」
「えっ?!」
グレース様は年若くとも公爵令嬢、公女や姫と呼ばれることもある身分高い女性です。
反論された経験が少ないのか、虚を突かれた顔をしました。
「物語に出てくるような深窓の令嬢なら『きゃあ』という悲鳴の一つも上げて卒倒すべきだったのかもしれませんわね。そうおっしゃりたいのでしょう?」
「う……」
言葉に詰まるグレース様。
しかし、すぐに顔を上げて私を睨みつけました。
「……そうよ! みっともない真似を晒して恥をかけば良かったのに! 何なのよ、あなた! おかしいんじゃないの?!」
「大騒ぎする私はヒースクリフ殿下にふさわしくない……そんな風におっしゃるつもりだったのですね?」
「当たり前でしょ! だから、あんな気持ち悪い生き物をわざわざ――――あっ」
……んんん?
聞き捨てならない発言ですわね?
と、今まで黙っていた伯爵令嬢――麦穂色の髪をした大人しそうな方です――が、恐る恐るという感じで口を開きました。
「その……実はわたし、見てしまいました。グレース様が、小さな箱から蛙を出すところを」
ふぅ〜ん?
これまた重要な目撃証言ですわね。
「雨蛙は偶然紛れ込んだのではなく、グレース様が放したものなのですね?」
「……だったら何よっ……」
問い詰めるまでもなく、グレース様は白状しました。
やはり以前からクリフに好意があって、いきなり現れた婚約者の私が気に入らなかったんですって。
そこでレイラ様にうまいことを言ってお茶会に招待した上で、嫌がらせに蛙を仕込んでおいたそうです。
「グレース様も雨蛙に触れていらっしゃるではありませんか」
「触ってないわよ! 下男に捕まえさせて箱に入れておいたの!!」
「……雨蛙が窒息していなくて幸いでしたわね」
小さな箱に雨蛙を閉じ込め、ふりふりドレスのひだに隠しておき、頃合いを見てリリースしたと言います。
で、気持ち悪い蛙をけしかけられた私が無様に気絶したり「ぎゃああああ〜カエル〜〜!!」などと叫んで庭を逃げ回ったりしたら、せせら笑ってやるつもりだったと。
ところが私が慈悲深き姫姉様モードで「庭へお帰り」をやったため、不発。
後に引けなくなって「淑女らしくない!!」と叫んで、返り討ちに遭って墓穴を掘った(今ここ)という訳ですのね。
――何やってんだごるぁ、と言いたくなりますわ!
「物語と現実は違いますわ、グレース様。実際に私がここで気絶などしたら、とても大変な事件になってしまいますわよ?」
曲がりなりにも私はクリフの婚約者。ベルーザで二番目に高貴な女になってしまっているのです。倒れた拍子に頭を打ったりする可能性もあり、準王族に怪我をさせたとなると公爵家と言えどもタダでは済まなくなります。
そこまで酷くなくても、これは公爵邸の庭園で開かれた公爵夫人レイラ様のお茶会。何かあればレイラ様の責任で、私よりもダメージは大きくなります。公爵家の面目も丸潰れです。
少し考えれば分かるでしょう。全くもう。
「……ですがレイラ様もご存じなかったなら子供のしたこと、仕方ありませんわ。不問にしますから、グレース様も着席なさって。やり直しをいたしましょう」
年長者として諭してみたのですが……
「嫌よ! グレースがあなたの言うことを聞く必要なんてないわ!!」
「…………」
困りましたわねえ。
――ああ〜若さってやつ? 無鉄砲だわぁ。
前世さんも脳裏で嘆息しています。
私の言葉が響かないようなので、ここは母君の出番かしら?
ところがレイラ様へ目を向けると、それこそ卒倒しそうになっていました。
さっきから静かだなぁと思っていましたわ。
娘のあまりの暴挙に声も出なかった模様です。
品の良い紅を引いた唇をぱくぱくさせ、扇子を閉じたり開いたりしてから、ようやく眦を吊り上げて叱りつけました。
「……グレース!! なんてことを。あなたにお茶会は早かったようね。向こうへ行っていなさい!」
「お母様こそおかしいわよ! こっちの蛙女を追い出すのが先でしょ!! 素手で掴んだのよ?!」
今度は母娘げんかですか?
いえ、雨蛙は手に乗せただけです。
掴んではいませんわよ?
ちゃんと洗いましたし。
「――あんな気持ち悪くてヌルヌルした汚いモノを手で触るだなんてっ! そんな蛙女と一緒にお茶が飲める訳ないじゃない!!」
いえあの、そもそも雨蛙はそんなにヌルヌルしていません。
見た目だって小さくて可愛いです。
先程の雨蛙はニホンアマガエルとは違う種類のようで毒性もなく、目もクリっとしてキュートだったのですが……
ちなみにニホンアマガエルは若干の毒性があるものの、触った後すぐに手を洗えば概ね問題ありません。
でも可食部がほぼないので食べられませんわ。
……反論したいのですけど、蛙が嫌いな方に対して説得力がないですわよね。
悩んでいたその時、いきなり不思議なことが起こりました。
どこからともなく声がしたのです。
『――気持ち悪くてヌルヌルした汚いモノで悪かったなっ! こんな庭、おいらの方から出てってやらあ!!』
耳よりも頭の中に響いてくるようなボーイソプラノ。
……えっ、どなたですの?!
✳︎✳︎✳︎
お茶会の参加者は女性ばかり。近くにいる使用人も今は女性だけ。
少年の声が聞こえるのは変です。
すると、小さい緑色のものがピョーンと跳んできてテーブルの上へ着地しました。
「先程の雨蛙……?!」
逃してあげたはずの雨蛙、でしょうか?
別の個体かもしれませんが。
『あ! アンタさっきはありがとな! ちっちぇ箱ん中に閉じ込められてキュークツだったんだ!』
やっぱりですか。
本人……いえ本蛙?が認めましたわ。
でも、これってどういうことですか??
雨蛙の頬がコミカルに膨らんだり縮んだりしますが、出てくるのはケロケロげこげこという鳴き声ではなく少年めいた元気な人語です。
「……、雨蛙が喋っていますわ?!」
さすが異世界と言いたいところですけど、フィリアの知識にもない怪奇現象!
びっくりしている私が面白かったのか、雨蛙は身体を伸ばしてゲゲゲッゲ〜コと笑うように鳴きました。
『実はおいら、タダの気持ち悪くてヌルヌルした汚い蛙じゃなかったのさあ! そ〜れっ!』
ぴょんと跳び上がって、宙返りを決めたかと思うと――
『妖精のパック様だ〜い! どうだ!!』
空中で、ぽんっと姿が一変しました。
雨蛙が消えて、手のひらサイズの「何か」が現れます。
羽の生えた男の子……?
蜻蛉みたいに透明で翅脈のある羽が背中にあり、宙に浮いています。
葉っぱを縫い合わせたような薄緑色の服。先の尖ったブーツ。顔は可愛らしいですが、アーモンド形の大きな目はキラキラしていて、いかにも悪戯が好きそうです。
その姿はまさしく――
「えええ……妖精だったのですか?! 書物で読んだことがありますけれど、妖精は深い森の奥などに棲んでいて滅多に人前には現れないはずですよね?」
私も見るのは初めてです!
妖精の少年は、自慢げに羽をパタパタさせました。
『あ〜フツーはそうだよ! おいらはトクベツさ』
パックが言うには、妖精は人が立ち入らない自然豊かなところで暮らしているものの、時々外の世界へ興味を持って遊びに行く変わり者がいるんだそうです。
彼もそういう好奇心旺盛な妖精で、容姿は無邪気な子供ながら百年以上も人間界をうろちょろしているんだとか。妖精って長生きなのですね。
「どうして雨蛙の姿をしていたのですか?」
『ここに住んでるヤツと友達だからだよ! 雨蛙のふりして追っかけっことかしてた! また遊ぼうな〜って言ってたのに最近来ないんだ。そっちのガキンチョが代わりに遊んでくれるかと思ったのに……』
「追っかけっこ、ですか」
雨蛙と人間で追っかけっこ?
……妖精さん的には遊びでも、蛙に付き纏われた人間様は悲鳴を上げたり嫌がったりしていたんじゃ……
大いに疑問が湧いてきますわね?
が、事情は分かりました。
パックは妖精独自の価値観で公爵邸と住人を気に入り、何年前からかは不明ですが棲みついていた。
相手をしてくれる人がいなくなって退屈しているところにグレース様がやってきたので、遊ぼうと近付いたら捕まえられてしまった。
おまけに「気持ち悪くてヌルヌルした汚い蛙」と罵られて気分を害し、出ていくと宣言した、と。
――状況がカオスですわ……
グレース様のやらかしだけでも頭が痛いのですけど!
どうしろと?!
『アハハッ! だいじょーぶ、おいらはもう消えるからさっ! ねえアンタ……えーとフィリアだっけ? 良かったら連れてってくれよ! 時々遊んでオヤツをくれたら、庭の世話とか手伝うよ』
「えっ? いえ、庭の世話は庭師がおりますし……私はこう見えて毎日やることが色々ありまして、パックと追いかけっこで遊ぶのは難しいと思いますわ。お気遣いだけ頂きます」
妖精は気まぐれで、人間に幸運をもたらすこともありますが不幸を呼ぶこともある……
童話や物語では、そう言われています。
前世にも色んな寓話がありましたわね。
危うきに近寄らず!
無難に遠慮しておきますわ。
ところがパックはにっこり笑いました。
『フィリア面白いな〜! いいよいいよ、オヤツくれたら許してあげる! 決まりね!!』
……決定してしまったようです。
なぜ?!
テーブルの向かいから、上品な忍び笑いが聞こえました。
ルイーズ先生が扇で口許を隠しつつも、少女のように笑っていらっしゃいます。
「ふふ、フィリア様のお優しさと謙虚さに妖精も魅せられたのですね。お連れになるとよろしいわ」
大人の色香漂う目配せをするルイーズ先生。
私も気付いて席を立ちます。
「……そうですわね、この可愛い雨蛙は私が引き取らせていただきます。グレース様は雨蛙も蛙女もたいそうお嫌いの模様ですから、これで失礼いたしますわ」
つい雨蛙と妖精パックに気を取られていましたけど、これを理由に帰りましょう。
さすがにお茶会は続けられません。
グレース様にここまで悪し様に言われ、言わば「舐めた態度」を取られたからです。
私個人もですけど婚約者であるクリフ、さらには王家のためにも厳しい対応をしないといけません。
「わたくし、ルイーズ・アリオットも一緒にお暇いたします。ごきげんようレイラ夫人、せっかくお招きいただきましたが、またの機会に」
ルイーズ先生も立ち上がって優雅なお辞儀をし、伯爵夫人と令嬢もあたふたと続きます。
「……も、申し訳ございません。どうしてこんなことになったのか――――」
項垂れるレイラ様。
少々お可哀想ですが、グレース様の「製造責任者」として頑張ってくださいませ!
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パックを連れて帰ったところ、本当に青花宮の庭へ移住してしまいました。
『おお〜! 森の中の花畑みたい! すっげえイイ庭じゃん、分かってるゥ〜! 気に入ったよ、おいら後百年は住んじゃう!!』
私が庭師達と話し合って作った、前世で言う英国風庭園が妖精のつぼにハマったようで、金色の鱗粉のようなものを振り撒きながら高速で飛び回っていましたわね。
庭の世話をすると言ったのも口先ではありませんでした。
というのもパックがいるだけで、金色の鱗粉を浴びた植物はどれも元気になって美しい花を咲かせるようになり、害虫や病気も激減したのです。
奥まった場所にあるハーブ園も、生育旺盛なミント類が増えすぎないよう面倒をみてくれます。
『おいらの縄張りで勝手はさせないよ! ちゃんとシメといたから安心しなよ』
「まあ、ありがとうございます!」
とっても助かりますわ!!
おやつをサービスしておきました。
パックは身体が小さいですし、人間の食べ物は「無くても良いけど楽しみのために食べる」という位置付けです。
クッキーを何枚か上げれば十分なので、恐ろしく「こすぱ」の優れた庭師です。
――と、いうことはですよ。
パックに出ていかれてしまったイリシス公爵邸のお庭は今頃……
いえ、あれほどの大貴族家なら当然、優秀な人間の庭師をたくさん抱えています。
公爵邸は城のように大きく、庭も広いです。小さなパック一人では管理し切れなかったはず。
いなくなって多少は不便、くらいでしょう。
侮っては失礼ですわよね。
次回、微ざまぁ回の予定




