21.「問答無用! 食べれば分かります!」(後編)
踊ったり喋ったりして少し疲れたので、一休みしましょう。
クリフと二人、グラスや料理が並ぶテーブルへ行きました。
まずは飲み物から。
……ありましたわ!
私がラング伯爵家で考案した、薔薇水とシロップを使った薄紅色のカクテルです。
せっかくなので、婚約式ではカークやシュルツ料理長に協力してもらって、私の好きな物を一部取り入れてもらったのです。
「こちらの飲み物を頂けますか?」
「俺も同じ物を」
「かしこまりました」
声をかけると、給仕の男性がクリフにグラスを二つ差し出しました。クリフが受け取り、片方をこちらに渡してくれます。まどろっこしいですけれど、エスコートする男性がこうやって仲介するのがマナーなのです。
二人で軽くグラスを合わせてから頂きます。
果汁も合わせてあるみたい。甘酸っぱい味わいで薔薇の香りもあり、喉越しも爽やかです! 酒精はないので、酔わないのも良いですわ。
前世さんは結構うわばみだったのですが、フィリアの肝臓はそこまで強くないようです。こういう席でべろべろにならないよう気を付けなくちゃ。
今世では成人していますし、こちらではアルコールの年齢制限がなく、子供でも弱いお酒を口にしたりしますけどね。
「軽くて飲みやすいね、とても美味しい。フィリアが考えたんだよね?」
「はい。薔薇水と花びらから作ったシロップを使っています。アストニアにいた頃、本で読んだのです。古代の貴人は薔薇のように美しく在りたいと、こういう飲み物を好んでいたそうですわ」
王宮の人々にとっては初めて見る飲み物です。みんな興味津々といった様子でしたが、私達の話を聞いて我先にとカクテルを試し始めました。
「――ヒースクリフ殿下、フィリア様」
横合いから声がかかり、見れば知っている方でした。
「ルイーズ先生……いいえアリオット侯爵夫人」
家庭教師に付いてくださっているルイーズ・アリオット侯爵夫人です。四十代半ばだそうですが、とてもそうは見えない若々しい方。仲良くなって名前をお呼びするようになったのですけど、人前では弁えないと。
ところが夫人はゆるゆると首を振りました。
「どうか今後もルイーズとお呼びくださいませ。親しくさせていただき光栄ですわ。改めてご婚約おめでとうございます。お召し物も素敵ですね」
「ありがとうございます。これからも色々と教えてくださいませ」
「教わるのはわたくしの方ですよ。フィリア様がお考えになられたというこの飲み物……『かくてる』とおっしゃいましたか、素晴らしゅうございます」
ルイーズ先生も薔薇のカクテルを手にしていて、しっとりと微笑みました。
「わたくし、実はお酒に弱くて。でもこのカクテルは酔わずに済みます。甘すぎず、色も美しく……しかも美容にも良いなんて! ふふ、わたくしも薔薇の精から贈り物を頂いた気持ちでおります。夫も同じ思いですわ」
夫人は、隣に寄り添う恰幅の良い紳士を見上げました。旦那様のアリオット侯爵ですね。
「いやはや、妻がより美しくなることを喜ばぬ男がおりましょうか。我が家の薔薇でも試してみたいものです。時に、あちらの軽食もフィリア様が?」
侯爵が隣のテーブルを指しました。そちらには軽食が並んでいます。
「ええ、一部ですけれど。青花宮の料理人が腕をふるってくれました」
軽食も花びらのジャムを使ったゼリー、果物のコンポートや、魚介を載せたカナッペなどを用意してみました。
本日の主役である私達が美味しそうに飲食してみせれば、お世話になったラング伯爵のためになるのでは?と思ったのですわ。
「ご覧ください、各国の大使が集まって感激しておりますぞ。ベルゼストでこのような美味に出会えるとは思わなかったそうです」
「……大使の皆様が?」
いったいどうしたのでしょう?
侯爵夫妻と別れ、クリフと二人で近づいてみます。
「――美味い」
「悪くない。我が国のものには負けるが」
「やれやれ何が『悪くない』ですかな? 先程からコレばかり召し上がって。負け惜しみでありましょう」
「だ、黙らんか。お主とて抱えて食うているだろうが」
にぎやかな声が聞こえますわね?
言い合っているのは、とりどりの衣装をまとった皆様でした。
アストニアのパヌ伯爵と同様、大使としてベルゼストに駐在している方々ですね。
褐色の肌をしている人や、羽飾りをつけた奇抜な髪型の人、前世で言うアラブっぽい衣装を着ている人など、さまざまですが……
どなたも仲良く(?)、わちゃわちゃしながら軽食を召し上がっています。
「…………ムッ?!」
魚介のカナッペを大事そうに齧っていた男性が不意にこちらに気付いて、目を見開きました。
が、口にはカナッペがまだ入っています。「んぐ」と唸って飲み込み、急いで礼の姿勢をとりました。
「――見苦しい姿を晒し、申し訳ございません! 殿下とご婚約者様におかれましては……」
「ああ、いや、楽にしてくれ。久しぶりだな」
クリフが知っている方のようで、気さくな態度で挨拶しています。ついで素早く私の耳元で「シーラーン大使だ」と教えてくれました。
男性は恐縮して頭を下げます。
「めでたき良き日にお招きいただき、ありがとうございます。恥ずかしながら、こちらの軽食が大変美味でございましてつい夢中になっておりました」
「そうか。これはフィリアが考えてくれてね。口に合って良かった」
「ほほう、ご婚約者様が? 魚介がお好きなのですか」
「はい。私はラング伯爵領に滞在していた時に美味しい魚介を頂く機会がありまして」
「素晴らしい! 我がシーラーンは海の中の島国、毎日のように魚を食します。ですがベルゼストではなかなか新鮮な魚介が手に入らぬ。干し魚を齧るのも飽きてきたところであったのです」
「まあ! では他の大使の方も、故国では魚を召し上がっていたんですの?」
「私やリトランドの大使は左様です。しかし、そちらにおるハイバリク大使の場合、郷里は内陸の砂漠で魚が獲れぬため大変貴重な高級食材だそうです」
シーラーン大使に手招きされ、アラブ風装束の男性が進み出てお辞儀をしました。
「拝謁の機会を賜り恐悦至極……」
「こちらこそ、おいでいただき感謝いたします。大使にも楽しんでいただけて良かったですわ。……ハイバリクでは魚が珍しいのですね」
「如何にも。この魚も酒も美味、果物を使った甘味も素晴らしき哉。ありがたく頂いている」
言葉遣いが独特で不思議な抑揚がありますね。確かハイバリクはベルーザやアストニアと言語が違うはず。歌でも歌っているかのように聞こえます。
すると――――
「ハッ。蜥蜴や蛇を食べる野蛮人が言うと説得力がありますねェ」
キザったらしい声がしました。
白に近い銀髪と、薄い水色の目をした方です。肌も抜けるように白く、毛皮をあしらった服を着ていますね……北方人かしら?
「リトランドの! めでたい席でよさぬか」
シーラーン大使が取りなしますが、ハイバリク大使は浅黒い肌を赤くして唸り声を出しました。
「無礼である。オマエ達こそヌメヌメした蛙だの蝸牛だのを喰らうであろうが……!」
うぬぬぬっ、と睨み合うお二人。
前世のマンガだったら、背景に燃え上がる炎か激しい稲妻が描かれそうですね。もしくは竜と虎……ハブとマングース?
そのくらい険悪!!
シーラーン大使が、また始まったと言いたげにこめかみを押さえています。
……リトランドとハイバリクは国境を接しておらず、戦争をしたことはありません。が、伝統的に非常に仲が悪いのだそうです。
一触即発の空気ですわね……
何とかしなければと私は口を開きました。
「――皆様、落ち着いてくださいませ。どれも美味しそうではありませんか」
「へ」
「なぬ」
「はあ?」
大使の皆様がポカーンとなり、私は失言に気付きました。
「……っ、その、失礼いたしましたわ。興味深いと申し上げたかったのです」
咳払いをして誤魔化しにかかります。
「…………」
「…………」
「…………」
沈黙している大使の皆様。
リトランド大使なんて、あからさまに目が泳いでいます。
き、気まずいですわ!
私の馬鹿! つるっと悪食発言をしてしまうなんて!!
隣でクリフがまた笑い始めました。
「フィリアはアストニアの出だからね。文化の違う者と接するのも初めてで、興味が湧くのは分かるよ」
「は、はい。そうなのです、本で読んだ知識しかなくて。色々な食文化があるのですね」
彼のフォローにすかさず乗っかります。
ええそうです。
アストニアは引きこもり国家だったのでどの国とも交流がなく、私もベルーザへ来て初めて知ったことばかりなのです!
前世で食べたエスカルゴやアレやコレを連想してしまったのではありません。
言い間違いですわ! 言い間違い!!
するとシーラーン大使が、にっこりと笑いました。
「……うむ、そうですな、国により文化はさまざま。理解のある女性が王弟妃になってくださるならば、私めも一安心です。……殿下とフィリア様のご結婚はまことに喜ばしい。心よりお祝いを申し上げます」
え?
何でしょう、シーラーン大使が急に柔らかい雰囲気になり、お祝いを言ってくださいました。
これまでも愛想よく接してくれていましたが、一段階違う感触があります。
失言してしまったのに、なぜですの?
リトランド大使とハイバリク大使も毒気を抜かれた顔つきでそれぞれ頭を下げています。
「……クリフ……いえ、殿下?」
他方、クリフが黙ったままです。
私が軽く彼の肘に手を添えますと、ようやく身じろぎしました。
「――ありがとう。大使にそう言ってもらえると、とても嬉しい」
クリフも静かに微笑んで返礼します。
その時、私も気付きました。
シーラーン王国。
クリフは以前、そちらの王女様と婚約していました。
ですが王女様が急病で亡くなられ、白紙になったと聞いています。
その大使が、言わば王女様の後釜である私を認めてくださったのですか……
私も敬意を込めて会釈をしました。
「ありがとうございます。いずれ、近いうちにシーラーンや各国の文化――それと、美味しい物について教えてくださいませ」
これ以上の問答は無用ですわ。
食べれば分かることですもの!!
✳︎✳︎✳︎
その後もたくさんの貴族に挨拶を受けましたが、どの方も(内心はともかく)穏やかにお祝いしてくださいました。
未婚のご令嬢からじっとりした視線が飛んできていたような気もしますが、クリフがぴったりくっついていたためか、面と向かって何か言ったり嫌がらせしたりする人はいませんでしたわ。
ほんと、彼の手は私の腕か肩、または腰に回されていて片時も離れませんでした。
ベルーザでは当たり前、と言いたいところですが。
何しろ「氷」の異名を取るクリフがそうしているのって、普通ではなかったようで……
周りの皆様も最初は信じられない!我々は集団幻覚でも見ているのか?!という雰囲気を出していたのが、やがて微笑ましいというか呆れているというか、前世で言う「生暖かい目」へ変化していったように思います。
……無事に、というのも変ですが「ばかっぷる」認定されたということでしょうか。
仲の良さを見せつける必要があったとは言え、ボディーブローな精神的ダメージが来ますわね……
さて、そんな婚約式と舞踏会も終わりまして、私とクリフは青花宮へ戻る馬車に乗りました。
行きは、私の装いが万一にでも崩れると大変なので向かい合って座りましたが、帰りはもう良いだろうと彼が隣に腰を下ろします。
相変わらずのくっつきぶり。
馬車が動き出すと、ほっと息が漏れました。
「大丈夫?」
クリフが気遣ってくれます。
「少し疲れただけですわ。人前に出るのが久しぶりですから緊張しました」
「完璧な振る舞いで素晴らしかったよ」
「そんな。貴方に助けられてばかりでしたわ」
「俺が君を連れてきたんだ、当然だよ」
肩を引き寄せられて、額に軽いキスが来ます。
……疲れているせいか、慣れたのか、あまり気になりません。くすぐったいですけれど。
正式な婚約者になった安心感もあるかしら?
「フィリアは気付いていないようだけど、今日の君の活躍は凄いよ? 宰相と俺は一時期、本当に険悪だったし、シーラーンの大使とも……前の婚約者の件でぎくしゃくしていたんだ」
「王女様と婚約していたのですよね」
ヨランダ達に教わったことがあります。クリフの以前の婚約と、女性嫌いになってしまった経緯。
「今のシーラーン大使は元々、王女が体調を崩した時に派遣された特使だった。その頃からの付き合いだ。冷静でとても手強い交渉相手だよ、シーラーンは小国で外交を重視しているから」
「お祝いを言ってくださいましたわね」
「……うん。君のおかげだ。おまけにリトランドとハイバリクの二人まで黙らせてしまうし」
「あ、あれは口が滑りましたわ……」
「いや、あのくらいじゃないと止められなかったよ。国がという以上に大使の相性が徹底して悪いんだ」
なるほど?
対照的なお二人の姿を考えると納得です。
「ふふ! 美味しいお魚に感謝かしら?」
「俺の感謝は魚よりも女神に捧げる」
今度は唇にキスされまして、頬に血が上ります。
全くもう。
悪食な女神なんて聞いたこともありませんわ。
「……ねえ、クリフ。貴方の気持ちを疑ってはいませんが、王女様のことはどう思っていましたの?」
良い機会なので尋ねてみました。
「そうだな……婚約者と言っても顔を合わせたこともなくて、あまり実感はなかった。亡くなった時も気の毒には思ったし残念でもあったが、涙を流すほど悲しかったかと聞かれたら違う。……冷たい人間だと思う?」
「いいえ。心を通わせる前に亡くなられてしまったのでしょう? 王女様のお身体が弱かったのだって、生まれつきのことで誰も悪くないわ」
「フィリアは優しいな……君は、どうだった?」
「私は……」
以前の婚約者、ロニアス殿下のことを思い浮かべました。
……顔かたちの綺麗な人ではありましたわね。いわゆる王子様らしい容貌。女性に人気がありました。
でも――――
「……愛してはいませんでしたわ。ですが、愛さなければいけないと思っていました。婚約者でしたから」
四歳で婚約し、初めて対面した時。
同い年のあの方は天使のように可愛らしい子供でしたが、王宮に連れてこられた私を見るなり言いました。
『なんだこのまっくろなの! きもちわるいまじょ! ぜったいイヤだ!!』
幼いから仕方ないとは言え傷つきました。
ロニアス殿下は謝らず、その後も私と会うのを嫌がって……
でも、婚約したからには好かれるようにしなければ。
私も好きにならなければ。
熱烈に愛し合うことはなくても、結婚したら穏やかに過ごせるはずだと自分に言い聞かせていました。
努力すれば、いつかはきっと……
「――結局その『いつか』は来なかったのですけれど、もう良いの。貴方が来てくれたから」
追放されて良かった、とも言えます。
あのままロニアス殿下と結婚しても、ろくな結果にならなかったでしょう。最初から嫌われていましたもの。
私は少しクリフの肩にもたれてみました。
彼も、もう一度抱きしめてくれました。
「幸せにするよ」
「既に幸福ですわよ? 大好きよ、私の殿下」
でれでれしているうちに馬車が速度を落とし、静かに止まりました。
青花宮に到着したのです。
愛する人に手を引かれて降りると、大好きな青花宮のみんなが並んで待っていました。
「おかえりなさいませ、殿下」
「おかえりなさいませ、フィリア様」
迎えてくれる人がいるって良いものですわね。
バーティス、エマリ、ヨランダ、アリス、カーク……
他にも大切な人達ばかり。
この二か月で、ここが私の家だと思えるようになりました。
笑顔で答えます。
「ただいま戻りましたわ!」
捨てられた私ですけど、今はとっても幸せですわ。
シーラーン大使は腕利きの外交官。
ハイバリクとリトランドの大使はやや直情型で、広い世界を見てこいと出されたクチ。
なおアストニア外交官パヌ伯爵は会場のどこかにいますが外交活動は一切してない。
そういう違いがあります。




