3.「重要なのは理屈ではありません。食べられるかどうか。そして美味しいかどうかですわ!!」
有毒のドクスグリと有毒の蜂蜜を合わせると――無毒になる。
不思議と言えば不思議です。
でも私にとって、重要なのは理屈ではありません。
食べられるかどうか。
そして美味しいかどうかですわ!!
毒が消える理由は分かりませんが〈鑑定〉がそう言っております。食べた私もこの通りぴんぴんしています。
問題はありませんわ。
無毒化されたドクスグリと蜂蜜は、そのまま小鍋に入れてコトコト煮込むととろみがついてジャムになります。
森では大変貴重な甘味です。
「……では貴女は〈鑑定〉が使えると?」
「はい。今回も〈鑑定〉して毒が消えていることを確認してから、料理しましたわ」
「実は俺も使える。この料理、失礼だと思うが〈鑑定〉してみてもいいだろうか」
「多才なのですね。もちろんどうぞ」
貴族の間で他人の持ち物や贈り物、出された飲食物に〈鑑定〉をかけるのは非マナー行為に分類されています。
相手を信用していないという意味になるためです。
ですけど、この場合クリフが〈鑑定〉を使いたくなるのは当たり前です。
私はうなずきました。
それにしても〈毒無効化〉と〈鑑定〉、二つも生得の特殊魔法があるなんて。
その美貌と言い、クリフは天に二物も三物も与えられた人間と言えそうですわね。
「……〈鑑定〉」
クリフは、真剣な表情で魔法を使っています。
しばらく黙っていましたが、やがて声を殺して笑い始めました。
「……本当だ。全部『毒抜き済。食用可』になっている。俺でなかったら一舐めしただけで昏倒してあの世行きの料理のはずが、ただひたすら美味いだけなのか……くっ、ははは」
…………美味しいと思ってくれてはいるのですね?
なんだか、くすぐったい気分です。
――フィリアは高位貴族の娘。両親である侯爵夫妻は政略結婚で、仲は冷え切っていましたね。お互い愛人を作り、家にはあまりいませんでした。家族……両親と弟がおりましたが、食事を共にするなんて一年に何回あるかという程度。あっても義務的なものでした。
貴族なら普通だと思い、さびしいとも感じませんでしたけれど。
それは違う、と前世が言っています。
――誰かと一緒、っていうのが大事なんだってば!
そうですわね、前世の彼女もゲテモノ調理が趣味でしたが……その動画の公開を通じて、世界中の色んな人と交流するのも大好きだったのです。
私は思わず微笑みました。
「妙な疑いをかけてすまない。ありがたく頂くよ」
クリフも麗しい笑顔を見せて、食事を再開しています。
毒抜きが済んでいると証明されたからでしょう。あっという間に平らげてしまいました。
一緒に食べてくれる人がいるって、しあわせですのね。
――ポイズンなクッキングだけどね〜ある意味で!
うるさいですわよ、前世の知識さん。
それはまあ、確かに。
生き延びるのに必死で、あまり考えないようにしていましたけれど……
あんなに食べ物が豊かだった日本に、これほど幅広い毒抜きの調理法があるなんて……おかしいとは思いますわ。
――そこは食への探究心が豊富なんだって言ってちょうだい!
前世さん、吠えないでくださいませ。
優雅さに欠けますわ。
✳︎✳︎✳︎
「クリフ。貴方なぜ、あんな場所で倒れていたのですか?」
食べ終わってから尋ねると、クリフは美しい顔をとろかすように笑いました。
……騙されてはいけません。これはアレですわ。相手を煙にまくための笑顔です。
「……聞きたい?」
声もどこか甘い。分かっていても溶かされそうになるのですから、さりげなく狡い人です。自分の外見の利用価値を分かっているとも言えますが。
「言いたくないのでしたら訊きませんわ。私も似たようなものですから」
「そう? 教えてくれないのか?」
「……私はとある国の貴族の娘でしたが、色々あって今はここで一人暮らしをしております」
ぼやかしましたが、一応答えておきました。
「なるほど? 俺もとある国の……まあ貴族の子だが、色々あって命を狙われている。油断してやられてしまったところを貴女に助けられたんだ」
クリフは飄々と肩をすくめます。まるで他人事のような口調ですわね。
「世話になったフィリアを巻き込みたくないので、これ以上は聞かないでほしい。すぐにお暇したいところだが……ただ夜の森は危険だから、朝まで留まることを許してもらえないか?」
それはそうでしょうね。
クリフは毒の無効化が完了し、体調も良くなったようですけれど……夜は魔物の動きが活発になりますから。
と言っても家に泊まるのではありません。軒下を貸してくれればいいと言うのです。
私は一応、未婚の若い女。気を使ってくれたのでしょう。猟師小屋は狭く、玄関を入るとすぐの突き当たりにベッドが一人分あるだけという簡易な造りで、家に入れると必然的に同室になってしまいますし……
「騎士の訓練もしているから慣れているよ。食事の御礼に貴女を守らせてくれ」
「分かりましたわ。ですが、その……」
私は何か言おうとして……軽く頭を振りました。
「いえ……なんでもありませんわ。ですが、クリフ……朝になっても、黙って居なくならないでくださいね」
クリフは驚いたようですが、すぐにうなずいてくれました。
「分かったよ、フィリア。約束する」
「ありがとうございます……おやすみなさいませ」
私はクリフの背中を見送って、そっとドアを閉めました。
辺りは、急に静かになりました。
狭苦しいはずの小屋の中が、奇妙にだだっ広く感じられます。
ふらふらとベッドへ横になりますが、目が冴えてしまい眠れません。
……朝になればクリフは去っていくでしょう。
その時、私はどうすればいいのか分からないのです。
いくら毒抜きができると言っても、ここでの生活は綱渡りです。いつまでもは続けられません。
特に今は夏ですから良いのですが、冬を越すのはたぶん無理でしょうね。
クリフは真面目で紳士的な人のようです。頼めば近くの街まで連れて行く、くらいはしてくれると思います。
でも、その先は?
どうにかして実家に連絡を取る?
いいえ、婚約破棄されて国外追放された令嬢が闇の森で毒草や蛙を食らって生き延びていただなんて、大変な醜聞です。
婚約破棄と国外追放は、第二王子が別のご令嬢に心移りした結果、一方的に言い出したことでした。私に瑕疵はないはずですが、相手は王家。必ず名誉が挽回できるとは限りません。フォンテーヌ侯爵家に迷惑をかけるだけ、のような気がします。
……では平民になる?
前世の彼女は平民で、ゆーちゅーばーの他に「あるばいと」という勤めをしていました。こんびに、すーぱー、こーひーしょっぷ、でりばりーぴざ、などなど色々ありましたわね。その知識を使えば、私も平民として生きていけるでしょう。
でも……実は私、身分証明を持っていないのですよね。
前世の戸籍に当たるもの。これがないと、そもそも他国に入国できませんし、仕事に就くことも難しいのです。
クリフなら用意できそうではありますが……いえ、いくら何でも頼り過ぎでしょう。厚かましいというものですわ。
ならば彼とはやはり、ここでお別れした方が……
色々なことがいっぺんに、頭の中をぐるぐると回ります。
何度も寝返りを打ち、ようやくウトウトしかかったところで――
焦げくさい臭いに気付いて、目が覚めたのです。
✳︎✳︎✳︎
明け方の薄暗い室内に煙が漂っています。
――火事、でしょうか。
一体なぜ?!
ドン、ドンとドアを叩く音がします。
「フィリア! 起きてくれ!」
クリフの叫び声が聞こえました。
私は慌ててベッドを降り、靴を履きます。
「クリフ! 今、そちらに行きま――」
声を出した途端、煙が喉に流れ込んでケホケホと咽せてしまいました。
――煙は上に行くから! 身体を低くして外へ出て!
前世の知識に従って、這うように移動します。
「フィリア!!」
バンッ! とドアを蹴破ってクリフが飛び込んできました。私を抱え上げ、再び外へ駆け出します。
「クリフ、これは一体――きゃあ?!」
薄明を裂いて何かが飛んできて、悲鳴を上げてしまいました。クリフが剣を振って打ち払います。
落ちた物を見ると、真っ二つになった矢です。
狙われている?
魔物ではなく、人間に?
「すまない……俺のせいだ」
クリフが苦い声でつぶやきました。
――色々あって命を狙われていると、彼は言っていましたわね。
刺客に襲われ、小屋にも火をかけられてしまったのでしょうか。背後からパチパチごうごうと、物が燃える音が聞こえてきます。
「じっとしていてくれ」
ヒュッ、とまた矢が飛んできます。クリフが剣を振るって、それを防いでいます。
嫌な予感がしました。
もしかしなくても、クリフは私を守ろうとして動けないのでは?
――ヒュッ!ヒュンヒュンヒュン!
続けざまに矢が飛んできて、悪い予想が現実になりました。
私は急に突き飛ばされて地面に転がりました。
がきん! と鋭い金属音が響きます。
顔を上げると、クリフが黒ずくめの服をまとった刺客と戦っているところでした。
クリフは一歩も引かずに剣を操っています。
ですが刺客は三人もいました。
全員がナイフを持っています。それこそ、刃には毒が塗ってあるかもしれません。
「…………!」
その時、木立の間から刺客がもう一人現れました。
私は咄嗟に背を向けて逃げ出します。
怖かったからではありません。
クリフの足手まといになりたくなかったのです。
もう一人の刺客は女から始末しようとしたのでしょうか? 素早く追いかけてきました。
私は燃える猟師小屋の裏へ回り込み、そこに置いてあった桶を手に取りました。
そして間近に迫っていた刺客に投げつけます。
刺客はもちろん鍛えているのでしょう、素晴らしい身こなしで避けましたが――
――ばしゃーん!
中身までは避けられず、いくらか顔に掛かりました。
私の狙い通りです。
桶の中身は、ただの水ではないのですから。
「ぐわああああ!」
刺客が急に苦しみ始めました。
目元を掻きむしっています。目に入ったのかもしれません。
それでも刺客は仕事をしようとしたのか、ナイフを振り上げましたが――次の瞬間、後ろから駆けてきたクリフに剣の柄で殴られて崩れ落ちました。
「フィリアッ! 無事か?!」
血相を変えているクリフを、私は急いで制止します。
「いけませんクリフ! 近寄らないで!」
私は早口で説明します。
桶に入っていたもの。
それは、後でまとめて捨てに行く予定だった、毒抜き後の廃用液なのです。
つまり……
「ズィーゲルフロッグとマンドレークニセニンジンとガルムイモと龍牙茸が程よくブレンドされていますわ」
「ああ、それは怖いな。でも大丈夫だ」
クリフは泣き笑いのような表情を浮かべました。
「フィリアが今、言っていた毒……俺は全部盛られたことがあってね。同じ毒は二度と効かない。しばらく動けなくなるのも最初の一回だけだよ」
そう言って、彼は無造作に近付いてきて私を抱き締めました。
「だけど、貴女はそうじゃない……無事で良かった。また俺のせいで誰かが死んでしまうかと思った」
「クリフ……」
彼の身体から、血と煙の匂いがしました。
襲ってきた刺客は、クリフが斬り倒したのでしょう。私が刺客一人に追われるわずかな間に三人ともやっつけてしまうなんて、きっと剣の腕が立つ人です。
でも私に触れている手は、少し震えていました。
彼はこうやって襲撃されても自分の力で切り抜け、毒を盛られても跳ね返して、今日まで生き延びてきたのでしょうか。
時には、彼の周りにいる誰かが犠牲になったことも……?
根拠はありませんが悲しい想像をしてしまい、私は彼の手を振り解くことができませんでした。
夜が白々と明けるまで、私達は寄り添ったままでした。