EX.それぞれの誤算③(sideカーク)
俺はカーク、フィリア様の料理番さ。
元々はラング伯爵様にお仕えしてたけど、ヒースクリフ殿下と結婚なさることになったフィリア様に従って、王都ベルゼストへやってきた。
フィリア様についていくのは誰か決める時、結構揉めた。
行きたい奴が多すぎてよぉ。
親方、ジル料理長は伯爵様への恩義があったから言わなかったけど、行きたい気持ちもあったんじゃねーかな。
何しろフィリア様は綺麗で優しい。
俺達みたいな身分卑しい、むくつけき野郎どもが相手でもニコニコして対等に接してくれる。
しかも大変物知りで、本で読んだという色んな食べ物や料理の知識を惜しみなく教えてくださるんだ。
フィリア様にくっついていけば、もっと新しくて珍しい、美味いもんが作れるに決まってるよな。料理人なら誰でも考える。
熱い議論の末に、俺ことカークが選ばれたのは――
料理の腕は当然として気軽な独り身で、結婚を約束しているような女もいないこと。
さらに仲間うちでは小柄、わりかし怖くない、って言う身も蓋もない理由だった。
まぁ親方をはじめ、俺達って海賊にしか見えねえもんな。王都なんて行ったこともねェけど、お上品な都会人やお貴族様がわんさかいるんだろ? 悪人顔じゃマズイよな。
俺なら比較的マシだろうという結論になり、めでたく王都行きが決定したのさ。
王都ベルゼストはデカかった。ラングヘイムも領内で一番栄えている大きな街だが、その何倍もある。
王宮もそりゃあ馬鹿でかい建物で内心びびったけど、殿下とフィリア様のお住まいだという青花宮は小ぢんまりしていてホッとした。国王陛下がいらっしゃる白亜宮なんて立派すぎて落ち着かねーし、迷子になりそうだったからな……!
「――其方がフィリア様持ち込みの料理人であるな? 私は青花宮の料理長、シュルツという」
厨房へ到着した俺は、ひょろんとした細面の小男……いや、新しい上司に迎えられた。
「は、ご丁寧にありがとうございます。俺……いえ私はカーク。フィリア様のお好みを知っている料理人として付いて参りました」
慣れない言葉遣いに苦戦しながら、何とか挨拶をこなす。王都へ行くなら作法も身に付けろ、と猛特訓させられたんだ。
「うむ、頼りにしているぞ。しかし、其方……大きいな」
シュルツ料理長は目を細めて俺を見上げた。
「……そうっすか? 元いた厨房じゃ、チビ扱いでしたけどね」
このオッサンが小柄なだけでは……と思ったんだが、厨房を見渡してみても確かにみんな小せえ。
何人か背の高い奴はいるが、なよっちくて正直強そうじゃない。
これが都会人と田舎もんの違いか?
俺はみやびな離宮にいきなり入り込んできたよそ者だから、最初は袋叩きに遭う覚悟もしてたんだが……
なんか、思ってたのと違うな〜?
「ははは、心強いな。今更、権力争いをするような者は青花宮にはおらんよ。さて、厨房を案内するゆえ着いて参れ」
シュルツ料理長はくるりと背中を向けて歩き出し、俺は首をひねりつつ後ろに続いた。
✳︎✳︎✳︎
フィリア様が輿入れなさるお相手、王弟ヒースクリフ殿下は紛れもなく先王のお子で、継承権一位という偉い王族だ。
が、ついこの間までは王宮を牛耳っていた王太后様に疎まれていたんだそうだ。
その皺寄せが使用人にも来ていて、有り体に言やあ他の使用人達から見下されていたんだな。厨房も色んな理由で追いやられた料理人の吹き溜まり。料理の腕は良いものの、温厚で気弱な奴が多かった。
王太后様が失脚して少しずつマシになってきてたようだが。
そこへまァ、王都基準ではガタイが良くて怖〜い俺が来たもんで、完全に風向きが変わった訳だ。
「んあ? なんだ、この人参は。玉菜もずいぶん萎びてるな? 田舎もんの私には理解できませんが、王宮ってのはヒースクリフ殿下やそのご婚約者にこういうもんを食わせるところなんですかね?」
「ひぃっ。い、いや滅相もない! 手違いがあったようだ。すぐに取り替える!!」
食材を納めに来る連中もすっかり舐めた態度を取っていたが、注意したら次からは改善された。
俺は新しい同僚達から、やたらめったら感謝されたよ。
いや良いんだけどさ、なんだかな。
王宮へ来て洗練されるどころか、もっと野蛮になってる気がするぜ。
「おーい、カーク。何してるんだ……って、例のミントのエキスか。今度はクッキーにするのか?」
厨房で悩んでいると声をかけられた。
同僚になった若い料理人だ。
「ああ。こないだのアイスクリームとか言う氷菓は、お二人ともお喜びだっただろ。クッキーも美味だとフィリア様がおっしゃっていた。だから、俺はやるぜ……!」
数日前――青花宮に到着してすぐだったが、俺はいきなりフィリア様に呼ばれて「庭に生えていた不思議なハーブ」の収穫と加工をお手伝いした。
いや、コイツが生えてるってやべーでしょ。
俺、闇の森に隣接するラング領の出身ですよ。漁村生まれだから森に入った経験はねェけど知ってるよ。
ハーブじゃねー。
毒草だよコレ!
ところがフィリア様にかかると食材になっちまうんだ。すげぇわホント。
毒を抜いて出来上がったはずのミントエキスも、それはそれはどぎつい毒薬っぽい青緑をしていた。
く、食い物の色じゃねぇ……!!
海にも毒々しい見た目の魚はいた。でもド派手な魚も鱗や皮に色がついてるだけで、中身は普通だし。
しかも、ちょっぴり彩りに、なんて可愛いもんじゃなかったんだぜ。
乳白色の氷菓にドバッと注がれ、混ぜ合わされて、どこもかしこも目に染みるような緑になりやがったんだ!
ぶっちぎりにヤベぇ……!!
俺達は恐れ慄いたけど、フィリア様は平気なお顔。
すげえ御方だと思っちゃいたけど、ほんとにトンデモねー淑女だったんだなァ。
あの氷菓。フィリア様は「ちょこみんとあいす」とおっしゃっていたが、確かに味見で食ったら美味かったんだよな。
だからクッキーもイケる。きっと。
い、イケるに違いない……!
俺はフィリア様の料理番。
この程度でブルってる訳にゃいかねえ。
しかしどうも勇気が出ず、調理台の前でウンウン悩んでいた。
ちくしょー………どのくらい混入させれば良いんだ……?
「カーク、無理するな。ほらオレも手伝うから。少しずつ試そう」
「うう、悪いなぁ。お前らって優しいよな……」
拝啓、ジル料理長と古巣のみんな。
俺は新天地でそれなりに上手くやってるよ。
そんなある日、俺はまたフィリア様に呼ばれた。
「カーク。サイサって、王都ではあまり手に入らないの?」
「はい。ラング領の中でも一部の漁村にしかない物なので」
「まあ、そうなのね。ちなみに、サイサに似ているけれど軟らかいペースト状になっている調味料ってないかしら」
「あ〜……それは『ソム』のことでしょうか? 私が生まれた村にあったんですが……造っている量はわずかですね」
フィリア様がおっしゃるのは以前マグロを試食していただいた時、ジル料理長が使った調味料のことだな。
サイサは塩味で、さらっとしたソースの一種だ。
豆と小麦、塩を混ぜ合わせて漬け込み、熟成させて造る。色が真っ黒で独特の匂いがあって、好きな奴は好きなんだがラング伯爵領でも漁村の一部でしか知られていない。
俺やジル料理長はガキの時分から馴染みがあるけど、同じような漁村の出でも見たことねえって奴もいた。そのくらいマイナーな品物さ。
……フィリア様はあの時、サイサを使ったマグロ料理を美味しそうに召し上がってたっけ。お気に召したっぽい。
そしてサイサよりも知られていない調味料……「ソム」にもご興味がある、と。
ソムもサイサと材料や造り方は似てる。液体のサイサと比べて、茶色で軟らかいペースト状の調味料だ。
なんで、そんなもんまでご存じなのやら。
見当もつかないけど、まあフィリア様だからな〜。
するとフィリア様は細い指を頬に当てて、小首をかしげた。
「数が少ないなら、定期的に買うのは難しいわね。造ってみようかしら……」
…………。
マジですか?
サイサもソムも故郷ではよく使ってた……でも田舎臭い貧乏飯の象徴と言えばいいかな、お貴族様が口にするもんじゃないと思ってた。
ジル料理長も自分らの賄い飯用に持ってただけ。ラング伯爵様へお出しする料理には入れなかったよ。
伯爵様なら美味いとおっしゃってくださったかもしれねえけど。度量が大きい方だから。
フィリア様に出してしまったのは完全に成り行きだった。なのに怒るどころか大喜びなさったもんで、心底びっくりしたんだよな。
アレは一時の気まぐれじゃなかったらしい。
未来の王弟妃になるフィリア様が、大っぴらに使うとなったら……
「カーク。無理は言えないけれど、頼めますか?」
「……は、はい!」
こいつぁ俺の仕事だよな。
シュルツ料理長だって、サイサもソムも見たことねえんだもんよ。他にいねえ。
「もちろんです!」
面白いことになりそうだ。
ガキみてえに胸がわくわくするぜ。
やってやるさ!
……と、意気込んで取りかかったんだが。
案外これが難しくってよ。
ラングヘイムとベルゼストじゃ気候が違ったせいか、原因は分からんが失敗ばかり。
漬け込んだ樽を開けてみると悪臭がする日々が続いた。
そりゃもう泣きたくなったね。
しかもある日、試作品を仕舞っている(隔離しているとも言う)蔵に入ってみたら知らない女が床にうずくまっていて、心臓が口から飛び出るかと思ったぜ。
「おいっ、誰だテメエ――! どこから入りやがったんだよ、ああ?!!」
「きゃああああ! もうしません、許してくださいぃいいい!」
凄んでみせたら、女は悲鳴を上げてパタリと倒れちまった。おいマジか。
当然大騒ぎになったね。
女の身元はすぐに割れた。
白亜宮の侍女で、ヒースクリフ殿下に夜這いをかけようとしていたそうだ。
なーに考えてんだ。
殿下はフィリア様にべた惚れだぞ。
この御方、男とは思えねえようなお綺麗な顔の貴公子だけど、フィリア様の可愛さにやられて振り回されてる(もちろんフィリア様はわざとじゃなくて無自覚にやってる)ところを目の当たりにすると親近感が湧くぐらいだぜ。ああこの人も普通の男なんだなって。
そこに割り込もうとか、頭がおかしくなってたとしか思えねえな。
青花宮には魔法結界が設置されてたんだが、この日はフィリア様の新しいドレスやらアクセサリー類やらが届いたので、手伝いの侍女が何人か来ていた。女もその一人だったんだとよ。
で、仕事をサボって抜け出したものの人に見つかりそうになり、慌ててこっそり歩き回るうちに失敗作が詰まった蔵へ入り込んでしまった。
そしたら凄まじい臭いにやられて気分が悪くなり、動けなくなったと。
そこへやってきた海賊みてーな大男……つまり俺だ……に怒鳴りつけられ、臭いわ怖いわでパニックに陥って気絶したという、笑うに笑えない顛末だったんだ。
なんともお粗末で間抜けな事件だったが、結局、これがきっかけで俺も意地を張るのはやめた。
古巣のみんなに手紙で泣きついて、醸造に詳しい奴を寄越してもらうことにしたのさ。
あとフィリア様も熱心に手伝ってくださった。
〈鑑定〉の魔法ってすげーな!
醸造に適した温度とか、塩の分量とかまで教えてくれる。
……あとで聞いた話じゃフィリア様の〈鑑定〉は特別で、普通はそこまで分からないらしいんだが、俺はそうとは知らずフィリア様さすが!としか思ってなかった。
それに貴族の女性は魔力があっても自分で魔法を使ったりしねえもんだ、ってのも知らなかった。
フィリア様も気にしないでバンバン〈鑑定〉してらっしゃるし。
そうこうしてるうちにラングから助っ人が到着して、ようやくサイサとソム造りは軌道に乗ったんだ。
……ただし、この一連の出来事が王宮で噂になって特大の尾ひれがついてしまい、フィリア様が「毒草を育てて毒薬をこしらえる怪しいお妃候補」扱いされるようになっちまったのは参ったね。
女神みたいなフィリア様に申し訳ねえ!
いや、一部事実としか言えねえ部分もあるけどよ……
当のフィリア様は「泥棒よけになってちょうどいいですわ」ってコロコロ笑ってらしたぜ。つええ。
もっとも、フィリア様はこの後もサイサやソムなんて目じゃねえ強烈なもんを色々と生み出していき、しまいには〈毒愛づる姫〉と呼ばれるようになっちまうんだがな。
――そのせいで、配下の俺までトンデモ料理の第一人者みてーに言われることもある。
ん? 事実だろうって?
ちげぇよ!
俺は単にちょっとガタイが良いだけで、ごく平凡な料理人だよ!
ほんとだって!!
カークのいかつさ加減ですが「ヒグマの群に混じってるツキノワグマ」だと思っていただくと分かりやすいかと。




