EX.それぞれの誤算① (sideヒースクリフ)
「お、噂は本当だったようだな? あの殿下が変われば変わるものよ」
白亜宮の一角、執務室に響く声。
ズカズカと部屋へ入ってくる長身の男。
そいつの顔を俺は睨んでやったが、まるで効果はなかった。
「……アルヴィオ、いきなり何事だ?」
ある意味で最も見られたくない奴に見られた。舌打ちしたい気分になる。
「今更いつもの目つきに戻しても遅い! 氷の殿下らしくもなくニヤニヤしていただろう! さては意中の人からの贈り物か、それとも手紙でももらったか。おれの目は誤魔化せないぞ!」
白い歯を見せて笑っている男の名はアルヴィオ・ラング。
ラング伯爵の息子で、俺と同じくベルーザ王国騎士団の一員。第三分団長の地位にある。
俺にとっては……悪友、だろうな。
昔から、王宮は居心地の良い場所ではなかった。
避暑の名目でラング伯爵領へ赴くのが、子供の頃は一番の楽しみだった。アルヴィオとは身分も関係なく泥だらけになって遊んだり、剣の腕を競い合ったりした。
俺が王族らしくなく少々柄が悪いのも、第一に豪快かつ大雑把な性格のアルヴィオ。第二に騎士団の部下達に影響されたのが原因だ。自分ではそう思っている。
「……見られたからには仕方ないな。これなんだが、どう思う?」
俺は手のひらを開いて、握り込んでいたものをアルヴィオに見せた。
「ん? そいつはご婦人方の好きな匂袋か? どれどれ」
「待った。汚い手で触るな、見るだけだ」
「心が狭いな、王弟殿下よ。さて……布地が青いのは殿下の目の色で、リボンや刺繍は黒と金糸。ご令嬢は確か、珍しい黒髪という話だったな?」
「ああ」
「色合いを合わせた、と。見事に愛されているじゃないか。魔物の巣に放り込みたくなる」
「刺繍については?」
「おいおい、おれに刺繍の良し悪しなんて分かる訳ないだろ。普通に良い出来に見えるが、どこか問題があるのか?」
「うん、無いよな。そういう客観的な意見が聞きたかった」
「ふぅん?」
俺は手にしていたもの――フィリアにもらった匂袋を上着の内ポケットに仕舞う。
「……本人に言わせると『刺繍の腕は普通で可もなく不可もない』らしい」
「謙虚なんだな。ベルーザの女どもに爪の垢を煎じて飲ませてやったらどうだ」
「フィリアが減るから断る。……そうではなくて、やはりアストニアにいた頃の彼女は相当大変だったことが分かる」
「これだけの刺繍を仕上げても、もっと上を目指せとでも言われていたか? 元々の婚約者とやら言うアストニアの王子は、話を聞けば聞くほどロクデナシのようだな」
「たぶんね……フィリアが尻拭いをやらされていたみたいだ」
「王族どころか男の風上にも置けないな! 想い人の方はどうなんだ。国を恋しがったりしていないか?」
「幸い、それはない。アストニア外交官に帰国を勧められたが、戻るつもりはないと言っていた」
「そうか。大事にしてやれよ」
「もちろんだ。それで、頼んでいた件はどうだ?」
俺はアルヴィオに一つ頼み事をしていた。
先日、メアリ嬢が白亜宮の王族用の区画に入り込んでいた件について、調べてもらったんだ。
以前から俺の身の回りには女性が群がってきていて……俺自身も周囲も麻痺している部分があったのだが、本来は王宮の警備上よろしくない。
相手が非力な令嬢で、対する俺が騎士の鍛錬もしている成人した男だから目こぼしされていたに過ぎない。
だがフィリアがいる今、他の女性なんて要らない。公務の邪魔でもある。
いま一度、部外者の立ち入りを禁じたはずが、メアリは繰り返しすり抜けて来ている。
たかが令嬢一人、と思ってはいけない。
メアリは武術の心得なぞなく、魔力は多いが魔法は使えないはず。ごく普通の若い女性だ。
どうやって警備を突破していたのかが問題だった。
王宮の警備は第二分団の管轄だが……分団長がリンデール侯爵家から妻を迎えている。メアリに便宜をはかっていた可能性があり、公正な調査もできそうにない。そのため中立に近く、騎士達に顔が効くアルヴィオに頼んだ。
「警邏の騎士が数人、買収されていたよ。メアリ嬢から『殿下に想いを分かってもらいたい、危害を加えるつもりなんてない』と涙ながらに縋られたそうだ」
「……浅はかだな。金も受け取っていたのか?」
「迷惑料の名目でいくらか、な。メアリ嬢は社交界の妖精と呼ばれているだろう? つい絆されてしまったと」
「メアリ嬢一人ならまだしも、侍女も連れていたんだが……」
メアリ嬢は侍女を一人伴っていた。今回はただの……下級貴族出身の女性だったが、何かしら暗殺技能を持つ者が侍女になりすますことも可能だった訳だ。
「まあ、考えが足りなかったのだよ。メアリ嬢も騎士達も、これぐらいなら問題ないだろうと思ってしまった。大事に至らなかったが、由々しき事態には違いない」
「処分はどうなる?」
「今までの経緯もあるからなぁ。騎士達は三か月の減俸……辺りかな。メアリ嬢は殿下と話をして誤解をときたかっただけだと言っているし、刃物や毒物も持っていなかった。リンデール侯爵からも、しばらく謹慎させるから今回だけは……という嘆願が出ている」
「それを信用しろと言うのか?」
「無理だよなぁ。しかし落とし所が難しい。今後の警備もあるよな、第三の分団から出すか?」
「いや、騎士を入れ替えるのは騒ぎが大きくなりすぎる。別に頼もうかと……噂をすれば来たようだ」
執務室に、もう一人の客がやってきた。
深緑のローブを纏った宮廷魔法師だ。俺達を見つけると「やあ」と軽い口調で手を上げて挨拶してきた。
レオニス・フィングレス――宮廷魔法師長ウルクス・フィングレスの甥にして後継者と目される魔法使いで、俺やアルヴィオとも顔馴染みだった。
「二人ともおそろいだね。アルヴィオがいるのも例の件について……で良いのかな?」
「ああ。そちらはどうだ、レオニス」
「問題ないよ。青花宮を取り囲む形で、魔法結界を設置しておいた」
レオニスはあっけらかんと言い放ち、勧められもしないのに椅子へ座った。
「魔法結界? 大袈裟じゃないか?」
「そうでもない。表沙汰にしていないが、庭園も少し荒らされていたことが分かったんだ」
魔法結界は、魔力で目に見えない壁のようなものを作る魔法だ。許可のない者は入れず、無理に押し通ろうとすれば音や光を放って知らせる仕組みになっている。
王宮は宮廷魔法師によって魔法結界が張り巡らされているが、中心はやはり兄上達が住まう「白亜宮」。離宮はそこまで厳重ではなかった。
だが庭に毒草の種を撒かれたり、俺に言い寄ろうとする令嬢が所構わず現れたりするんじゃ気が休まらない。
兄上にも許可を取って、しばらく強力な魔法結界を設置してもらうことにした。
実際に魔法を行使したのがレオニス、と言う訳だ。
「……僕が本気で張った結界だけど、用心は怠らないでくれよ」
レオニスが言い、優雅に足を組んだ。
「リンデール侯爵家は、少し前まで優秀な魔法師を輩出していた家系なんだ。このところ落ち目で、我がフィングレス伯爵家に押されてるが」
「ああ。侯爵は魔法使いになれなかったと聞く」
「そうそう。宮廷魔法師は叔父上が睨みを効かせてるし、僕にケンカを売るような馬鹿はいない。でも市井にもリンデールゆかりの魔法使いがいるからね。あとは問題のご令嬢本人」
「待て待て。メアリ嬢は女性だぞ? 魔法使いの修練をしているのか?」
アルヴィオが腕組みをした。
「普通はしないけど、メアリ嬢はちょっと怪しいんだよね。女性の魔法使いが少ないのは能力が劣るからじゃなくて、淑女にふさわしくないという慣例的な面が大きい。彼女、もともと魔力が多いだろ?」
「そうだな。以前、俺の婚約者候補になっていた理由でもある」
メアリはしつこく俺に気に入られようとしていた令嬢の一人。家柄や容姿、教養、そして魔力の豊かさは問題ないと言われていた。俺はどうしても食指が動かなかったが。いや、過去形ではなく今でもだ。
「結界を通り抜ける魔法……まんま〈反結界〉と呼ばれてて、難易度は中程度かな。でも難しいのは気付かれないように抜けることであって、後先考えずにただ通るだけなら割と簡単なんだよね〜。殿下に会いたい一心で突破しちゃうかもよ?」
「嫌な執着心だな……あり得なくはないか」
「侯爵が娘を御せれば良いがなぁ」
「制御できていたら、こんな風になってないんじゃない? 俗世の馬鹿って嫌になるよね」
「殿下は魔法にも強いから問題ないが、不在時にフィリア嬢が狙われると不味いぞ」
「時々、様子を見ておくよ」
「ああ、それはぜひ頼む。しかし、メアリ嬢か…………」
フィリアのことを思い出す。
心優しい彼女は、ドレスを汚してしまったメアリに同情して青花宮へ連れ帰った。新しいドレスを貸して着替えさせ、侯爵家へ送り届けるところまでやっていた。
そこまでやる必要があるか?と思ったが、フィリアは「私の自己満足ですわ」としか言わなかったな。
「――何か気にかかることでもあるのかい?」
レオニスが不思議そうにしたので、俺は手短にフィリアのしたことを話した。
「うーむ! 心がけは素晴らしいが、その気高い優しさが通じる相手かどうか……」
「でも自己満足だと言ったのだろう? 見返りは求めず、自分が彼女に親切にしたいと思ったから実行した。甘いと言えば甘いけど、僕は嫌いじゃあない」
「レオニスが言うとは珍しい!」
「魔法師って意外と甘党が多いのさ。それにフィリア嬢は良い魔力の持ち主だし、とても博識で話すのが楽しいんだ」
「……レオニス。人として好ましいだけだと言っていたが本当か?」
いささか疑わしいんだよな。
俺以上に他者への興味が薄いレオニスが、ずいぶんフィリアを気に入っているようだから……
ところが、当人は長く伸ばした髪を揺らして、にっこり笑いながら言った。
「そりゃそうさ。例えば二人きりになりたいとか、抱き締めたいとか、良い格好したいとかは無い。殿下はあるんでしょ?」
「………………」
しまった。
墓穴を掘ったか……
悔しいが、自覚はあるので反論できない。
フィリアはアストニア人らしく恥ずかしがり屋で、以前の婚約者ともうまく行っていなかったせいか、あまり男性慣れしていない。手を握っただけでも頬が少し紅くなる。
が、そんな彼女が時折、甘えてくれる時があって……すると普段の反動なのか、いつも以上に可愛らしく見えるものだから、俺も平静でいられなくなってしまう。
我ながら格好悪いと言ったらない。
そもそも彼女との出会いからして、俺が毒にやられて動けなくなったところを介抱してもらった、という情けないものだった。
無意識のうちに包容力のあるフィリアに甘えて、子供っぽい部分を出してしまっている気がする。この女性になら素顔を見せても平気なんだ、と。
……俺の方が四つも年上なのにな。
「はっはっは! 嫉妬か! しかもレオニスに!!」
「うんうん。フィリア嬢がいると、もっと跡形なく氷が溶けてるからね。しかも二人して攻撃力はあるのに防御力は零なんだ。些細なことでそろえたように動揺するから見ていて笑いが止まらな……いやいや大変興味深いよ」
「……仕方ないだろう。女神みたいな女なんだから、フィリアは」
バーティスやエマリ以下、青花宮の皆もすっかりフィリアに心酔している。
今朝なんて白亜宮へ出かける前にバーティスがいかめしい顔つきをして「もう少しフィリア様と過ごす時間を作りませんと、お可哀想ですぞ」と言ってきたくらいだ。
当のフィリアは「私は良いのです、クリフが多忙すぎますわ! 休息が取れていないのでは?」と、俺の心配をしてくれたけども。
女神だよ、本当に。
それをうっかり口にしてしまい、アルヴィオにまた爆笑された。
「わはははは! まるで別人だ」
「だろ、アルヴィオ? これが今のヒースクリフ殿下だよ。こんな俗世らしいところがあったなんて新発見だよね〜」
「人間に昇格したな!」
好き勝手に言ってくれる。
畜生、他人事だと思って……
「……今までの俺は人間以下だったのか?」
「生きた氷の彫像が何を言う。まあ良かったじゃないか、ちゃんと愛せる女ができて。おまえがそんなに惚れた女なら、少なくともおれは協力を惜しまないぞ! レオニスは分からんが」
アルヴィオは臣下ではなく、友人の顔をしていた。
「失礼な、僕だって気持ちは同じさ。それに殿下を抜きで考えても、彼女は大変な掘り出し物だよ。ちゃんと守ってあげないと」
「…………」
俺は再び黙り込む。
それもあるんだよな。
フィリアの素晴らしさ……美しさや優しさ、聡明さが知られていくのは良いことだ。
――おまけに表立っては言えないものの、彼女は希少な魔力や有用なたくさんの知識を持っていることも分かってきた。
俺も薄々感じてはいたんだが……
フィリアがウルクス師長やレオニスの質問に答えているのを見て、はっきり理解した。
フィリアが見た「夢」というのは、あやふやで実体がないものではなくて。
ここではないどこかで、別の現実を生きていたような。
そういう具体的で、厚みのあるものだと思える。
レオニスが目の色を変えるのも当然だろう。
他にもフィリアのことを知れば知るほど、彼女を欲しがる者が出てきそうな予感がある。
――どこかに閉じ込めて、俺だけの女神にしてしまいたい。
そんな想いが湧く時もある。
「……しばらく白亜宮の公務は減らして、フィリアの傍にいるよ。それから……」
――近いうちにフィリアと一日過ごす休暇を取ろう。愛想を尽かされないように。
「ほほう。出かけるなら護衛を貸してやるぞ。腕の立つ第三分団長でどうだ」
「アルヴィオみたいな暑苦しい顔を増やしたらフィリア嬢に悪いでしょ。僕が行ってあげてもいいよ」
「いや両方とも要らない。余計なことをするな」
こいつら、人の気持ちも知らないで……
俺はもう一度、溜息をついて悪友二人を執務室から追い出した。
全く、フィリアが絡むと冷静になれない。
もっとスマートに振る舞いたいのにな……
うまく行かないものだ。




