16.「出涸らしは出涸らしで使い道があるものです。美味ですわよ」
「ウルクス師長……俺やフィリアを試すような真似をしないでくれ。今日は魔力鑑定に来ただけだよ」
クリフが静かに、黒茶のカップを受け皿へ戻しました。
ええ、ウルクス師長のなさりようは不意打ちと言えば不意打ちです。
でも仕方ないですわ。
ヒースクリフは、ベルーザ王国の重要人物。
ウルクス師長も、魔法の弟子でもあるクリフを心配して当然。
それで魔力鑑定と合わせて、妻に迎えられる私がどんな女なのか見極めたかったのでしょう。
「ふむ、最初に申し上げた通りです。乙女の秘密を無理に暴いたりはしませんぞ。フィリア嬢が悪意や我欲を持って殿下に近づいたのではなさそうですからの〜」
「当たり前だ、何を言ってる。俺が一生懸命フィリアに頼み込んで、ようやく結婚してもらうんだ」
きっぱりとクリフが言ってのけ、ウルクス師長が肩をすくめます。
「おお、絵に描いたような溺愛ぶり! 儂とてフィリア嬢を見れば分かりますわい。魔力は人の心を映す鏡のようなもの。嘘を吐きませんからの〜」
「ですねえ。フィリア様の魔力は真っ直ぐで、温かくて綺麗ですよ」
そう言うレオニス様はいつの間にか私の真正面……ウルクス師長の隣に座って、黒茶をのんびり啜っています。
魔力が綺麗……
初めて言われました。
魔法使いらしい褒め方をされまして、喜んでいい……のでしょうか?
「しかしながら、フィリア嬢にはほんの少しばかり不思議な……珍しい力を感じます。貴女は異国の血を引いておられるそうだが、どこの国ですかのぅ?」
ウルクス師長が、奇妙なことをおっしゃいました。
「私の髪や目は曽祖母に似たと言われているのですけれど……ひいおばあ様のことは、あまり記録に残っていないのです」
先々代のフォンテーヌ侯爵であった曽祖父の正妻で、肖像画もあるので実在の人物ではあるはずですが……
有り体に言いまして、どこのどういう女性なのか分かりません。
形だけフォンテーヌ侯爵家の縁戚の養女になって輿入れしているのですけれど。
「あまり褒められた話ではありませんが、外国から流れてきた踊り子だったのではないか、という噂もありましたわね」
令嬢らしくぼかしたものの、要は芸と一緒に春を売るような女性だったのでは?ということですわ。
ただし証拠はありません。
私もアストニアで陰口を叩かれたこともありますけれど、今はもう気にしていませんわ。
……が、不意にクリフが私の肩に腕を回してきました。
きゅっと引き寄せられてしまいます。
「クリフ?! 皆様の前ですわよ」
「良いんだ。気にしない。もし生まれのことで君に何か言う者がいれば俺が許さない。たとえ宮廷魔法師長であってもだ」
「おお〜怖いのぉ! 珍しい魔力についてお尋ねしているだけですぞ〜? それに儂は、フィリア嬢の曽祖母君がいやしい身分だったとは考えておりません。むしろ逆ですのぅ」
「逆……ですか?」
「左様です。珍しい魔法の持ち主であったゆえに、フォンテーヌ侯爵家に迎えられた可能性があるかと」
「……私、アストニアでも魔力鑑定を受けましたけれど、そんなことは言われませんでした」
「魔法と言えるほど強くはありません。気付かんのも無理はないが……恐らく〈守護〉の魔法の名残かと。儂の勘では、曽祖母君の魔法がわずかながら受け継がれたのではないですかの〜」
ひいおばあ様の遺伝……
やっぱり私自身には「ちーと能力」はないみたいですわね。
残念なような安心したような。
今になっていきなり、
「実は、アナタには世界を救う使命が!(ばばーん!!)」
……みたいな展開になっても困りますけど。
「〈守護〉の魔法というのは、あまり聞いたことがないな」
「神々に深く愛されし者に授けられる魔法とされていますの〜……不幸を退け、幸運を招くと言われております。が、滅多に使い手が出ません。儂も今回初めて、それらしきものにお目にかかったほどですのぅ」
ひいおばあ様は希少な魔法を持っていたから、侯爵家に迎えられた(かもしれない)。
私にも、その力が少しだけある(かもしれない)。
……全て不確定な話ですわね。
「希少な魔法の持ち主を、フォンテーヌ侯爵家が厳重に秘匿していた可能性もあるでしょうねえ」
レオニス様が言います。
「だのぅ。まあ推論に推論を重ねたものではありますが」
「内密にしておいてくれ」
「無論です。公にしてはフィリア嬢の身が危険になるでしょうからの〜」
ウルクス師長によれば〈守護〉の魔法は本人も無意識のうちに影響を及ぼすと考えられているそうで、意図的に運命へ干渉することはできないと言います。
私の場合、さらに影響は限定的。例えば家が火事になって全焼しても命は助かるですとか、そういうささやか〜な感じなんですって。
……ある意味、納得ですわね!
私、まさしく全てを失って闇の森に捨てられましたけど、死なずに生き延びましたもの。
「フィリア。君も〈守護〉のことは口にしないでほしい。下手をすると強引にでも君を手に入れようとする奴が出てくるかもしれない」
「ええ、分かっていますわ。ひいおばあ様の出涸らしみたいな魔力でも、欲しがる人はいるかもしれませんものね」
「分かってくれて嬉しいが……出涸らしって。自分でそこまで言う?」
「あら、出涸らしは出涸らしで使い道があるものです。美味ですわよ」
「……食べられるんだ」
「紅茶の出涸らしは豚肉を茹でる時に使いますと、臭みや余計な脂が落ちますわね。乾燥させてマフィンやクッキーに加えても風味が出ます。……ですが私が再利用されるのは嫌ですし、自覚もなかった魔力ですし。見なかったふりをするのが一番だと思いますわ」
今まで、私自身も含めて誰も気付いていなかったのです。黙っていれば分からないでしょう。
「豪胆な方ですの〜。もし困ったことがあればご相談くだされよ。呼びつけてもらっても構わんですぞ、儂がおらぬ場合はレオニスでもよろしい」
「はい。ありがとうございます」
「それにしても、紅茶の出涸らしにも使い道があろうとは思わんかったのぅ。『黒茶』は葉ではなく豆を焙煎して細かく挽き、湯を注いで作るんじゃが……煮出した後の豆はどうですかのぅ〜」
異世界の黒茶も豆から作るのですね。
地球のコーヒーとよく似ている……もしくは同じ物で呼び方だけ違うのかもしれません。今度、私も豆を取り寄せてみようかしら。
コーヒー豆の出涸らし、つまりコーヒーかすだとすれば、使い道はいくつか思いつきますが――
ウルクス師長は頭が良くて博識で、老獪な魔法使い。
レオニス様も同様で、二人そろって水色の目をキラキラさせながら私を見ています。
下手なことを喋ったら即バレてしまいそう!
……それとも、この二人にはお話ししておいた方が良いのでしょうか?
私が見た長い夢、悪食な前世のことを。
迂闊に喋るのは危険ですが、味方になってくれれば頼もしい魔法使いですもの。
「クリフ……どう思いますか?」
彼の腕に、そっと触れました。
小声でもウルクス師長には筒抜けですから、目だけで訴えてみます。
「……大丈夫かい? 無理しなくていいんだよ」
クリフはちゃんと分かってくれました。
「平気ですわ。私、お話しさせていただこうと思います」
黒茶をもう一口、頂いておきましょう。
カップに口をつければニホンのコーヒーと同じ、香ばしさと苦味が舌に広がっていきます。
――徹夜のお供だったよね。色んな場面でお世話になったなぁ〜。
前世さんから懐かしさが伝わってきます。
私は微笑んでみせ、黒茶のカップを置きました。
「――ウルクス師長、レオニス様。もしも私が不思議な『夢』を見たことがあると言ったら、信じてくださいますか?」
✳︎✳︎✳︎
ラング伯爵やクリフに打ち明けた時と内容は変わりません。
私は以前アストニア王国の第二王子ロニアス殿下と婚約していたものの、彼の一方的な心変わりで婚約破棄と国外追放を言い渡されました。
これはウルクス師長達もご存じです。
ですから、要点はそのあと。
闇の森に捨てられた直後、「不思議な長い夢」を見たこと。
クリフに保護されるまでのわずかな間――さすがに二か月とは言えませんでした――「夢」で得た悪食知識と鑑定魔法を活用して、どうにか生き延びたことをお話しします。
「それはまた世にも稀な、不可思議な体験をされましたのぅ!」
「しかも夢の中のフィリア様は、なんでも調理して食べてしまう方だったと! 凄いですよ!!」
お二人の目が好奇心で爛々と輝いていますね?!
「それで!! そのニホンって国にはどんな魔法があったんでしょう?!」
「えっ……」
レオニス様が、実に魔法使いならではの質問をなさいました。
が、私は言葉に詰まってしまいましたわ。
だって……
「ええと、その。魔法は実在していなくて、空想上の存在だった……と思いますが……」
そう。
前世には魔法なんてなかったのです。
これは早まってしまったかしら??
魔法使いなら失望してしまうでしょう、我ながらなんて馬鹿なことを!
ところが――
「ほほう、魔法が存在しない! なんと興味深い」
「どんなおとぎ話より奇妙だなあ!! え、じゃあ僕らが魔法でやってるような……明かりを点けるとか、昇降機を動かすとか、火炎矢で敵を倒すとかはどうするんです?!」
……あら?
反応が想定と違いますわね?
混乱しつつ答えました。
「魔法ではなくて魔力も使いませんが、似たようなことができる道具があったかと……何しろ夢の話ですので、あまり詳細は覚えていませんけれども」
「へええ! あと僕はこの黒茶が大好きなんですけど、ニホンにもあったんですか」
「え? ええ。こーひーと呼ばれていましたわ。外国から入ってきた飲み物ですけど愛好者が多くて。飲み方も色々で」
「これ以外にも! 教えてください!!」
「一番多いのはミルクと砂糖を加えて飲む方法でしたわ。他にも泡立てたクリームを載せたり、チョコレートやキャラメルのソースをかけたり、あとは冷たくして飲んだりですとか」
「冷たく?! ですが、冷めた黒茶ほど不味いものはありません」
「急激に冷やすか、濃く淹れたコーヒー……黒茶に氷を加えれば良いのです。冷たくて美味しいですわよ」
「なるほど! フィリア様、よくご存じで」
「……食い意地が張っているでしょう? お恥ずかしいですわ」
「いえいえ恥ずかしくなんかありませんが!! それから――」
怒涛の勢いで質問が続きます。
料理やお菓子の材料になるのか、挽いた後の豆かすは何かに使えるのか。黒茶で眠気が覚める理由は……
………………。
レオニス様が思ったより、ぐいぐい来ますわ……!
身を乗り出しそうな勢いなのを、頃合いを見てクリフが止めてくれました。
「レオニス、距離が近いぞ」
「ええ〜?!……ちぇ、王族なのにケチだね! 至高の宝物みたいなフィリア様を独り占めするなんてさ」
「これ、レオニスよ。おぬしこそ子供のような真似はよさんか。フィリア嬢、申し訳ありませんの〜。今日はもうお帰りになる頃合いじゃろ? また次の機会にお話を聞かせてくだされ」
「あ〜……すみません叔父上、つい楽しくて。フィリア様、ぜひまたお話させてくださいね!!」
レオニス様は無邪気にニコニコしています。
そこまで言えるのは逆に凄いですわね。
ですが……
横目でクリフを窺いますと、当然ながら不機嫌です。
私はさりげなく彼の腕を取りました。
「……殿下のお許しがあれば構いません。でも、私達が恋人らしく過ごせる時間って、実は結構貴重なのです。程々でお願いしますわ」
遠回しに言ってみました。
――私達はらぶらぶですのよ、あまり邪魔をしないでくださいまし!と。
「わあ〜……」
レオニス様は目を丸くして私とクリフを見比べ、ウルクス師長は「ほっほっほ」と笑いました。
……牽制のために仲良しアピールを盛ったら、やりすぎたかもしれません。
あくまで牽制のためでしたのに!
――フィリアってさ、割と無自覚ツンデレムーブするよね……
前世さんまで!!
うう、ウルクス師長とレオニス様に生温かい目で見られて恥ずかしかったですわ!
✳︎✳︎✳︎
来た時と同じように昇降機を使って一階へ降り、魔法塔を後にしました。
クリフはこれから公務があり、迎えの馬車が来ています。
私も同乗して「白亜宮」まで一緒に行くことにしました。
少し遠回りですが問題ありません。見送りをしてから「青花宮」へ戻れば良いのです。
気遣いのできるアリスはささっと青花宮の馬車へ乗っていきましたので、こちらの馬車は二人きりです。
隣に座っている彼の手を、そっと握りました。
「クリフ、付き添ってくれてありがとうございました」
「大したことじゃないよ」
クリフが微笑んで、私の手を握り返して……さりげなく指を絡めてきます。
「……でも貴方は忙しいでしょう? 私はそうでもありませんが」
クリフは王都へ来てから毎日忙しくしています。王弟の公務を再開した上、私との婚約式の準備もしているからです。
「君だって式の準備をしてくれてるじゃないか」
「でも他に、特にすることがない状態ですわよ」
私の社交デビューは婚約式を終えてから、ということに決まりまして、今は社交がないのですよね。
非公式の社交は有りなのですけれど、私の場合はまず義理の姉に当たる王妃エディス陛下主催のお茶会に出る予定だったのが、王妃陛下の体調不良で延期になっています。
エディス様は微熱や気だるさなどが続いているそうで、侍女達によればご懐妊の可能性もあるとか。それはもう大事を取らなければいけませんわね!
王妃陛下を差し置いて他の社交へ出る訳にも行きませんし、ゆっくりさせてもらっています。
ですから本当は魔力鑑定も一人で済ませておくべきだったのですが、クリフはわざわざ付き添ってくれました。
「とても心強かったですわ、貴方がいてくれて良かった……」
ウルクス師長もレオニス様も悪気はなく、良い方達でしたけれど……想定外の出来事が色々あって、精神的に疲れましたわ……
すると、ふわりと温かいものに包まれました。
クリフの体温です。
抱き寄せられて、彼の腕の中にいました。
「――無事に終わって良かったよ。ウルクス師長はもちろんレオニスもずいぶん熱心だったから、正直に言って気が気じゃなかったが……」
「魔法使いは女性に興味がないのでしょう? レオニス様は、魔力と夢の知識が気になっただけだと思いますわよ」
「あいつが人間に興味を持つこと自体、かなり珍しいんだけどね……いや、この話はよそう。とにかく君は素晴らしい女だから、社交デビューすれば注目の的になるだろう。でも、君の隣は誰にも譲らないからね」
ふえっ?!
急に、甘い言葉と頬ずりが来ましたわ?!




