13.「人生には時折、適度なスパイスも必要ですのよ」
「この草も怪しいですわね。〈鑑定〉!」
ミントだけではありませんでした。
生い茂るデススネークミントをカークに刈り取ってもらっているうち、周囲に生えている別の草も気になり出して片端から鑑定魔法をかけたのです。
その結果、香りや効能が少し違うミント二種と、胡椒のような香りがするダークペッパーセージ、前世のトウガラシに似ていますが身が倍ぐらい大きくて辛さも強い悪魔の釣鐘、などが見つかりました。
「とんでもねェ毒草ばっかりですね!」
カークはそう言いますが、どれも毒抜きして適量を使えば、役に立つ香辛料になりますわ!
刈り取りには注意が必要ですけれど。
私もやろうとしたら「危険ですからフィリア様は駄目です!」とヨランダに止められてしまいました。
結局カークと離宮の料理番二人、ヨランダの夫であるガイス(無口で渋い顎髭の騎士です)が手袋を嵌め、布で口周りを覆った上で山刀を振るって刈り取ってくれましたわ。
前世でも激辛なブートジョロキアは収穫する時から手袋をし、調理もマスクとゴーグルを着けていたのを思い出しますわね。
「たくさん取れましたね……」
こんもり積み上がった毒そ……ハーブを見て、ヨランダがちょっと呆れ顔になっています。
「加熱したり干したりすると、かさが減ると思いますわ。それに繁殖力が強いから、すぐに復活するはずよ」
作業しながらカークにも訊いてみたのですけど、豊かな大国であるベルーザでも香辛料は種類が少なく、値段も高額。ラング伯爵家でも好きに使えるものではなかったと言います。
そんな貴重なスパイスを、買わなくても無限に入手できるようになってしまいましたわ!
「こんだけあったら、料理にもふんだんに使えます! さすがフィリア様、すげェや!」
カークも喜んでくれました。
ふふふ、今夜のディナーが楽しみですわね。
✳︎✳︎✳︎
夕暮れ時になってクリフが帰ってきました。
もうじきご到着ですと知らせを受けた私は部屋を出て、玄関へ急ぎます。
「おかえりなさい、クリフ!」
「ただいま、フィリア」
馬を降りて歩いてきたクリフは、夕闇を吹き飛ばすようにキラキラしく微笑んで私をそっと抱きしめました。
「――いいな、こういうの。帰ってきたって感じがする」
「これからは毎日しますわよ」
「うん。でも遅くなってしまう時もあるから、無理しないで」
「少しぐらい夜更かししても平気ですわ」
「……なるべく早く帰るよ」
「それが一番ですわね」
この世界には魔法の明かりがありますが、生活の基本はやはり太陽です。
日が昇ったら起床、沈んだら就寝。
王族の私達――クリフの婚約者に内定している私も準王族の扱いです――は、それよりは遅いですけど、前世で言う朝八時くらいには起きて、夜も九時から十時くらいには寝室へ入ります。健康的ですわね。
前世さんはもっと夜更かししていました。今や私もほぼ健康体になりましたから、多少は問題ないのですけど……
クリフにも休息は必要です、早く帰ってくるのが一番良いですわ。
私達は抱擁を解いて、家の中に入りました。
「今日はどうだった?」
「パヌ伯爵との面会は無事に終わりましたわ。それから……庭園を散歩していましたら、珍しい草が生えているのを見つけてしまいましたの。そのお話をしないといけませんわね」
スパイス大量ゲット!とウハウハしてばかりもいられません。
早めに気付いて怪我人も出なかったから良かったようなものの、危険な毒草には違いないのです。
「食事の前に聞いた方が良さそうだね?」
「ええ、残念ながら胃に優しい内容ではありません」
「分かった。着替えてから君の部屋へ行くよ」
「お待ちしていますわ」
部屋の前でいったん別れ、私の居室で待っていると、上着を脱いでラフな格好になったクリフがすぐに入ってきました。私の隣に座ります。相変わらず……近い!
内密の話をするのですから、これでいいということにしましょう……
一つ息を吐いて、私は午後の出来事を包み隠さず話しました。
「そうか……専属の庭師を雇っておけば良かった。俺の手落ちだ、陰湿な嫌がらせをする者がいるものだな」
クリフが悔しそうに眉を下げます。
王侯貴族にとって、美しい庭園は富と権力の象徴です。自慢の庭園で茶会や昼食会を開いて社交をする場でもありますわね。
アストニアでも王妃陛下は百合の花が好きで、たくさんの百合を集めた王妃の庭園がありましたわ。
ベルーザの王宮でも事情は同じ。特に女性王族はそれぞれ専属庭師を抱えていて、工夫を凝らした庭園を造らせています。
この青花宮も昔は側妃リーザ様のために専属庭師がいたと言いますが、あまり活躍の機会がないままリーザ様が亡くなられ、庭師本人も年を取って引退した後は代わりを雇っていませんでした。王宮の庭師に最低限の手入れだけ頼んでいたそうです。
今回の毒草テロは、その隙を突かれてしまった形ですわね。
離宮の敷地内でも奥まった場所だったせいで、バーティス達も気付かないうちに蔓延ってしまったみたいです。
「私も今後、貴方の婚約者として社交が必要です。庭師を雇ってもらった方が良いかもしれませんわ」
「そうだね。ちょうどいい機会だったとも言えるか。ひとまず、君や他の者に被害がなくて良かった」
「ええ、前向きに考えましょう。幸い、毒を抜けば役に立つハーブばかりなの。人生には時折、適度なスパイスも必要ですのよ」
クリフはそれを聞いて、くつくつと笑い出します。
「フィリアらしいな、頼もしいよ。何に使えるハーブだったんだい?」
「色々ですわ! ミント系は爽やかな香りがして、甘い物と意外に合うんです。お茶や入浴剤、ポプリにも使えます! 他は、ちょっとピリッとした風味を付け足すものが多いかしら。胡椒や唐辛子の代わりになると思います」
恐らく、他のハーブはたまたまデススネークミントの種に混じっていたのではないかしら。
ミントと言えば前世ではケーキの飾りに乗っかっていたりしましたが、デススネークミントは生だと青臭さが強く、何より毒なので駄目です。
でも熱湯でゆがいた後、冷水に晒すと毒はなくなり、匂いも落ち着きます。香料として色んな使い道がありますわ!
ダークペッパーセージやデビルズベルズは有毒と言うより、刺激成分が強すぎて目や鼻、口が半端なくヒリヒリするので毒草扱いされているようです。
こちらは小さく刻んでから目の細かい布に包み、水の中で揉み洗いを何回かいたしますと刺激が弱まり、香辛料の代わりになる――
――と〈鑑定〉の魔法が言っていますわ!
カークに伝えておきましたから、料理人の皆で適切に処理してくれるはずです。
「なるほど。毒草がどう料理されるのか楽しみだね」
「最初は様子を見ながら少しずつ使うよう言ってありますわ。クリフ、辛いものは平気ですの?」
「昔、騎士団で猪を狩ったら年老いた個体だったのか、肉が硬い上に臭かったことがあってね。でも貴重な肉だから、調理担当が唐辛子の粉を振って焼いたのを食べた」
スパイシーな香りや強い味で、肉の臭みをカバーしたのですね。
辛いけれど食べられなくはなかったそうです。
「宮廷料理だと、あまり味付けの強い物は出ないな。好みが分かれるのと――」
「――それこそ毒を警戒するから、ですわね」
味や匂いが濃いと、毒を盛られていても気付きにくくなります。
クリフは王太后様のせいで子供の頃から毒殺未遂に遭っていたと言いますから、余計に警戒心は強いでしょうね。
……急に不安になってきましたわ。
「今さらですが、取りやめた方が」
「大丈夫だって。フィリアと一緒に毒草を食べて退治するよ」
なんという男前な対応……!
――こんなの惚れてまうやろ〜!と、前世さんが妙なイントネーションでつぶやいていますわ。
全く同感です!
「クリフって食べ物の素材に良い意味でこだわらない、貴重な人ですわよね」
「ん? 君がそれを言うのか? 俺はね、豪華でも毒が盛られているとか、信頼できない人と食べなきゃならないとか、そういう食事の方が嫌だよ」
「……そうですわね。私もパヌ伯爵にアストニアへ戻ってきてほしいとお願いされましたけれど、ごはんが美味しくないという理由でお断りしたんでした」
あっけに取られていたパヌ伯爵の顔が思い出されます。ご本人は毒にも薬にもならない方ですので、ちょっと気の毒ではありましたが。
「今の幸せを手放すつもりはないですから……クリフ?」
クリフが急に真面目な顔になっていますね?
美しい人は笑う時だけでなく怒る時も、威力が上乗せされる気がします。
「……帰ってきてほしいって言われたの?」
「アストニア本国ではなくてパヌ伯爵の個人的なお考えだと思いますわよ? それにお断りしました」
「それなら良いんだが……」
不意に、ぎゅっと肩を引き寄せられました。
ひょっとしてクリフは意外に愛が重い性格かしら?
……嫌ではありません。くすぐったくなりますわね。
私はクリフより四つ年下ですが、前世の記憶があります。
かつての年齢は思い出せないものの、断片的な情報を合わせると三十歳前後で命を落としたのではないか、と思われます。
フィリアに生まれ変わって十七年経ったところで前世の記憶が戻ったので、今の私は単純な精神年齢四十七という訳でもなく……十七歳のフィリアの内側に、推定三十歳の前世さんが(主に悪食限定で)残っている状態です。
でも現在二十一歳のクリフよりは、精神的に年上で……そのせいかしら、彼がこうやって気を許してくれるのを見ると、無性に、こう……
優しく甘やかしてあげたくなるのですわ!
「安心なさって。私、貴方の側を離れるつもりはありませんわよ?」
私も、そうっとクリフの頭に腕を回してみました。
金色の髪を軽く撫でますと、彼の手も、優しく黒髪をすいてくれます。
「……どっちが年上だか分からないなぁ」
クリフも似たようなことを考えていたみたいですね。
「あら、私は嬉しいですわ。……クリフは久しぶりの王弟の公務、どうだったのですか?」
「んー……今まで溜め込んでしまっていたから、少しずつ進めているところかな」
クリフはベルーザの王位継承権一位ですが、王太后様の意向やリーザ様の身分の低さから、立太子はされていません。
が、本来なら兄君でもある国王陛下を補佐する公務が色々とあります。
これまでは避けていたそうですけど、私と結婚するに当たって陛下と話し合い、正式に王佐として頑張ることになっているのです。
「無理はしないでくださいね。皆には怒られるでしょうけど……私は貴方がベルーザの王弟ではなくなって、もう一度追放されて闇の森に住むことになっても構いませんのよ」
励ますつもりで言いましたら、クリフは意外だったようで至近距離から私を見つめました。
「……本気?」
「ええ。家さえ建ててしまえば、何とかなると思いません?」
部屋の隅にヨランダとアリスが控えていますから口には出せませんが、実績もありますわよ。
クリフにも言外の意味が通じたみたいで、抱きしめる力がちょっと強くなりました。
「フィリアの場合、浮ついた夢物語じゃなくて実際にできてしまうのが怖いな……」
「悪食ですもの」
「……はは! 敵わないなあ。まあ最後の手段で取っておこう。しばらく俺なりにやってみるよ」
「ええ、私だって青花宮を出ていきたい訳ではありませんわ。皆が優しくて、ごはんが美味しくて、素敵な庭づくりもできそうなんですから」
私達は顔を見合わせて、くすくす笑い合いました。
✳︎✳︎✳︎
「――――殿下、フィリア様、失礼いたします」
控えめなノックと共にバーティスが部屋へ入ってきました。
ロマンスグレーの髪を撫で付け、顔にも年輪を重ねた渋みのあるバーティスですが、身こなしは常にきびきびとしています。この時も矍鑠とした動きでクリフと私の前へやってきて、深々と腰を折ってお辞儀をしました。
「このたびは誠に申し訳なく……」
口から出てきたのは謝罪でした。
青花宮で起きた出来事は、最終的にバーティスに責任がありますものね。王弟侍従長というのは離宮においてクリフに次ぎ、使用人をまとめる立場なのです。
「……今回の一件は、ずっと離宮を留守にしていた俺にも責任がある。咎めはしない……が、これからはフィリアの社交もある。信頼できる者に庭園づくりや管理を任せたい」
「は、かしこまりました。ただちに人選を始めます。フィリア様も到着早々にご心配をおかけし、申し訳ございませんでした」
「構いませんわ、バーティス。あの毒草も、毒を抜いてしまえば役に立つ草でしたもの」
「は、はあ。本当に召し上がられるのですか?」
「私の鑑定魔法では問題ありませんけれど、念のためクリフにも鑑定してもらった方がいいかもしれませんわね」
「そうだな。フィリアはこういうことに詳しいから信頼しているが、万が一ということもあるからね」
「……本来ならお止めすべきなのでしょうな。しかし……ほどほどでお願いいたします」
バーティスも毒草の侵入を許してしまった以上、強く出られなかったようで、渋々ですがうなずいてくれました。
私はさりげなく付け足します。
「あの毒草はとても繁殖力が強いようですわ。根絶やしにするのは難しいでしょうし、他の場所へ広げないようにしつつ、うまく付き合う方法を考えていこうと思っています」
何しろ前世でもミント類は手強い草でした。種はもちろん、小さな葉っぱや根っこのかけらが地中に残っただけでも、たちまち大きく育って復活してしまうのです!
ここにはニホンと違って強力な除草剤もありませんから、完全に枯らすのは相当な労力と時間がかかるでしょう。
とりあえず地面に板でも埋め込んで、これ以上は広がらないようにしませんと。
バーティスはフムとうなずき、質問してきました。
「では庭園そのものについてフィリア様のご希望はございますか?」
「ベルゼストの流行が分かりませんので、詳細は庭師と相談させていただきますけど……私はまっすぐに仕切られた庭よりは、自然を切り取ったようなデザインが好きかしら」
前世でいうイングリッシュガーデンみたいな感じですわね。
「あうとどあ活動」が好きだったのを思い出した今、心安らぐのは里山を思わせる風景ですわ!
ただしベルーザで、そういう庭のデザインが受け入れてもらえるか微妙ですが……
「ほほう……実は以前に勤めていた庭師ですが、後継ぎの息子がいましてな。その者にまず声をかけてみましょう」
バーティスが再び一礼します。
「さて……そろそろ晩餐も仕上がった頃合いです。ご案内いたします」
「ええ! 行きましょうクリフ」
「ああ。ではお手をどうぞ、レディ」
私達は席を立ち、手を繋いで晩餐室へ赴くことにしました。




