11.「美味しそうな焼きもちでしたので、つい拾い食いしてしまいましたわ!」
手を繋いで歩いています。
いつもと少し違うのは、クリフの足さばきが心なしか早いのと、握られた手に力が入っていて――痛くはありませんが――やや態度が硬くて強引な感じがするところ、でしょうか。
私も足を早めて、ついていきます。
無言でしばらく進み、クリフが立ち止まりました。
見晴らしの良い場所なので、みんなの姿が小さく見えていますが結構離れていますわね。
「クリフ、どうしましたの?」
尋ねますと、クリフは目を細めて私を頭のてっぺんから爪先まで眺め、ようやく普段の態度に戻って微笑みます。
「ごめん、フィリア……二人きりになりたかったんだ」
――前から思っていたんですが、クリフって王族の割にストレートな言い方をしますわよね。
貴族は身分が高くなればなるほど、はっきり物を言わない傾向があります。思わせぶりにする、匂わせる、婉曲表現をする、ということですわ。
ですがクリフはかなり真っ直ぐに伝えてくれます。こちらが気恥ずかしくなるくらいです。
「私、貴方のそういうところが好きですわ。自分の気持ちを素直に言ってくださるのが」
私も、応えたい――そう思って、言ってみました。
するとクリフはそっと私の手を持ち上げ、指を絡めて、小さな声でつぶやきます。
「……君だと言えるんだ」
「えっ? どういうことですの?」
「女性は言葉が通じないものだと思ってた。特にシーラーンの王女殿下との結婚がなくなってからはね」
人気のあったクリフには女性が押しかけてきて、やんわり断っても駄目。王族らしくなく、はっきり断ってみてもやっぱり駄目。揚げ足を取られるので、迂闊に会話できなかったと。
条件が良すぎるのも考えものですわね。しかもこの人、気が優しいから損をするタイプです。
「でも相手が君だと、安心して物が言える。子供に戻ってしまったみたいで、少し情けないけど……」
「情けなくはありませんわ、人間なら当たり前ですし、私も当たり前のことをしているだけです。でも、貴方の役に立っているなら嬉しいわ」
「うん。それで……これも正直に言うけど、王宮へ入ったら君にも、碌でもない貴族連中が寄ってくると思う。きっと迷惑をかけるだろうな……」
クリフは目を伏せて、さらに説明してくれましたわ。
兄君である国王エーリヒ陛下とは母親が違うこと。
義理の母である王太后様からは憎まれ、命を狙われていて……私と出会った時に襲撃されたのも、王太后の仕業だったこと。
陛下に話して彼女を修道院へ送り、これまで避けてきた王族の義務を果たすと決めたけれど、それが面白くない貴族もいるだろうということ――
「そんな事情がありましたのね……全然知らなくてごめんなさい」
「謝るのは俺の方だよ。胸を張って君と一緒にいたいから、ちゃんと話そうと思ってたのに。フィリアの顔を見た途端に浮かれた気分になって、今まで説明していなかった」
「浮かれていたんですの? 貴方が?」
全く見えませんが……
クリフは決まり悪そうに、前髪をかいています。
くしゃくしゃになってしまいますわよ?
「面が良いから、締まりのないにやけ顔でもそうは見えないだけだと……さっき部下達に言われた」
な、なるほど……?!
今の……ふてくされた表情でも絵になってしまう人ですものね。
思わず笑ってしまう私です。
「ぷっ。じゃあ私と目が合った時に、とても嬉しそうな笑顔になっていたのも?」
「ん……たぶんそうだ。すまない」
「背景に大輪の花が咲き出しそうでびっくりしましたわ! 大変眼福でご馳走様でしたけれど。では、ライルに冷たい態度を取ったのは……」
「……フィリアがアイツと仲良さそうに見えて、つい」
「ライルは話しやすい人ではありますが、やましい気持ちはないですわよ?」
「分かってる。俺の心が狭いんだ」
クリフが、ふいっと横を向きました。
これって……
まさかの焼きもち?!
私みたいな女に、この人が?
まじまじとクリフを眺めてしまいました。
本当に世の中、不思議なことがあるものですわね。
ですが、そうと決まれば――
私はもう一度笑って背伸びをし、滑らかな頬に軽くキスをしました。
「――フィリア?!」
ぴしっと固まる、私の殿下。
私は素知らぬ顔で言いました。
「美味しそうな焼きもちでしたので、つい拾い食いしてしまいましたわ! さ、そろそろ戻りましょう」
「え、フィリア、待って。今の……」
――散策、終わり!
ヨランダとアリスが温かいお茶を用意してくれているはずですわ!
私はスタコラサッサと逃げ出しました。
そして――
「……あの〜、フィリア様? 我らが殿下が戻ってきてから上の空になってるんですが、なんかありました?」
馬車の横で小さなスツールに腰かけ、ヨランダに淹れてもらった香り高いお茶を楽しんでおりますと、ライルが近づいてきてコソコソとささやきました。
「……別に何も? 殿下はいつも紳士ですわ」
私は令嬢らしく、つんとした態度で上品にお茶を口へ運んでみせました。悪食になったのは最近ですから、昔とった杵柄でこういう真似もできるのです。
ライルが溜息をつきました。
「フィリア様。ヒースクリフ殿下はご存じの通り抜群にド派手なご容姿で、何でもサラッとこなしそうに見えますが。実際はコツコツ真面目に練習なさって身に付ける、努力型の御方なんですよ〜」
「そのようですわね」
「どうでもいい女なら山程いたんですけども、殿下がご自分から口説いたことはなくてですね」
「そうでしたの」
「ほんと目もくれなかったんですよ? 俺達には身分なんぞ関係なく気さくに接してくださいますが、表で見せるお顔は氷というか酷寒の雪嵐」
「噂は聞いておりますわ」
「毛並みは良くても冷徹な猟犬だったんです! それがフィリア様に出会ってからというもの、猟犬が駄犬になりました」
「駄犬」
「仕事の能力じゃないですよ〜、態度の話です。別の犬、じゃなくて別人に見えるくらい! あんな崩れた顔もできたのかと……それでもお美麗なのがくっそムカつ……いやいや羨ましい限りですが」
「……本音が漏れておりますわよ」
「あー失礼をお許しください。平凡顔のひがみです! 要するに殿下はようやっと春が来た訳でして。不手際があったかもしれませんが、何と申しますかその、長い目で優しくお付き合いいただけないかと……」
「…………」
私は顔を上げて、改めてライルを見ました。
ずいぶん神妙な表情をしています。
ひょっとして私達がケンカでもしたと思っているのでしょうか?
心配されているんですのね、クリフ。皆さん良い部下で微笑ましいです。
……が、ここで親しげにしますと彼がまた妬きそうなので、私は高飛車な令嬢らしく申し付けましたわ。
「ではライル……いいえリーバン卿。ベルーザでは女性から男性に親愛のキスを贈る時、頬以外ですとどこが無難なのかしら? お答えになって」
「――――――えっ。ほっぺた、以外?」
「ええ、ほっぺた以外。リーバン卿は私や殿下と違って経験豊富そうですから、適切に教えてくださるわよね? もちろん実演はしなくて結構よ」
こう見えて私は侯爵令嬢、下問を受けたライルはどうあっても答えなければいけません。
それなりに長い沈黙の後。
「えっと……殿下に殺されそうなんで勘弁していただけませんか。いい年してキスぐらいで動揺するなって言っときますんで……」
状況を理解したらしいライルがぽりぽりと頬をかきながら降参したところで、出発の時間になりました。
✳︎✳︎✳︎
幸いお天気が良く、その後の旅は順調でした。
私達、女性が同行していることから時間をかけて、十日ほどで目的地――ベルーザ王国、王都ベルゼストに到着しましたわ。
馬車が街中を進んでいきます。
景色が気になりますが……私はまだ目立ってはいけないので馬車の窓のカーテンを閉め、隙間から街の賑わいを覗き見る程度で我慢します。
……もし平民になっていれば、こういう雑踏に混じって市場へ行ったりしたかしら?
色んな食材を探したり値切ったり……それもきっと楽しかったでしょうね。
街はざわついていました。元々、ベルーザ一番の大都市ですから当たり前ですが、加えて王都では珍しいラング伯爵家の家紋がついた馬車と、それを取り囲んで護衛する騎士――さらに王弟ヒースクリフが同行しているので、嫌でも注目を浴びるのです。
「きゃー! ヒースクリフ様だわ!」
「素敵!! こっち見て――――!!」
女性の歓声も聞こえます。市井でも大人気ですわね。
ですが貴族街へ入ると喧騒は遠のき、もっと進んで王宮へ入りますと完全に静かになりました。
轍とひづめの音だけが響きます。
三枚の城壁があり、門をくぐる時に馬車もいったん停まりますが、車内をあらためられることはなく再び走り出します。
アストニアの王宮に劣らず広大ですわね。もっと規模が大きいかもしれません。アストニアも決して小国ではないのですが。
「ベルーザの王宮は三重の城壁がございます。今しがた『王の門』を通りましたので、もうじき離宮へ到着いたしますね。フィリア様、お支度を」
「分かったわ」
王宮に詳しいヨランダがいてくれて助かります。
私は手鏡を覗いて、アリスに手伝ってもらいつつ簡単に髪や衣服の乱れがないかチェックしました。
やがて馬車が速度を落とし、完全に停車しました。
扉が開きます。
さて。
ちょっぴりだけ悪食を封印し、普通の侯爵令嬢に化けてみせましょう!
タラップで待っていたクリフの手を借りて降ります。
一歩、二歩、三歩……地面に足が着きました。
――と思った瞬間、私はふわっとクリフに抱き上げられておりました。
ちょっと?!
「クリフ……いえ殿下?! 何をなさるんです!」
地が出てしまうではありませんか!
すると彼はにっこり笑いました。
「いつも通りでいいよ。俺の元へ来てくれてありがとう、フィリア」
そんな訳ないでしょう!
と思ったのですが……
改めて地面に降ろしてもらい、顔を上げた私は、並みいる使用人の皆様がそろいもそろって目を丸くしているのを見つけました。
「な、な、なんと殿下が……ヒースクリフ殿下が本当に仲睦まじいご令嬢をお連れになるとは……!」
初老の男性が感動なさっていますね。
その隣にいた、これも年配のご婦人はハンカチを出して目元を押さえています。
「二人とも大袈裟だな。フィリアを紹介させてくれないのか」
「は、申し訳ございません殿下」
「見苦しいところをお見せしました」
二人が姿勢を正し、まず男性から名乗りました。
「王弟侍従長を務めますバーティスでございます」
続いてご婦人の方も恭しく頭を垂れます。
「侍女頭のエマリと申します」
「アストニアから参りました、フィリア・フォンテーヌですわ。お会いできて嬉しく思います」
私も皆様に淑女の礼をします。
「バーティスもエマリも、俺が子供の頃から仕えてくれている。もちろん王宮にも詳しいから、分からないことがあれば聞いて」
「分かりましたわ」
「フィリア様、お部屋へご案内いたします。こちらへ」
エマリに先導され、私はクリフとはいったん別れて、ヨランダとアリスを引き連れて歩き出しました。
「――まあ、まあ、良うございました。天の庭にいらっしゃるリーザ様もさぞお喜びでございましょう」
エマリは少し足が悪いのか、ゆっくりと歩きながら言いました。お世辞ではなく、本心から嬉しそうです。
「リーザ様……殿下のお母様ですね?」
「さようでございます。この『青花宮』は元々、先王陛下がリーザ様にくださったお住まいで、ヒースクリフ殿下に引き継がれました。殿下が生まれ育ったのもこちらでございます」
ベルーザの王宮は、国王や王妃の住まいであり政治の場でもある「白亜宮」を中心に、いくつかの離宮を抱える構造になっています。私が今いる「青花宮」も離宮の一つなのだそう。名前の通り青を基調とした瀟洒な建物です。
ちなみにヨランダは以前「白亜宮」の侍女をしていましたが、有能さを買われて時々「青花宮」の手伝いにも来ていたそうで、バーティスやエマリ達とも顔見知りでした。さすがですわ。
「もっとも殿下はここ一年半……もう二年近くになりましょうか。ほとんど騎士団に泊まり込んでいらして、お顔を見せていませんでしたが」
クリフ本人やヨランダも言っていたアレですわね。
女性に寄ってこられて仕事にならないので、騎士団の宿舎に住み着いていたらしいのです。
クリフに限らず、分団長や副長の執務室には最低限の休憩スペースが設けられています。
そこに家具を持ち込んで居室代わりにし、王弟として割り振られている仕事も可能な限り済ませていたとか。
ひょっとするとクリフの住環境、前世さんの「わんでぃーけー」アパートと良い勝負だったかもしれませんわね。
騎士団は関係者以外立ち入り禁止で、下働きや騎士達の家族でさえ、入るには許可が要ります。
身分の高い令嬢が押しかけても入り口で撃退できるので、格好の避難所になっていたんですって。広さよりセキュリティ付きですか……
「……リーザ様は身分の低い出自でしたので、私どもも高位のご令嬢相手ですと強く出られず……ですから離宮の使用人が理不尽な目に遭わぬよう、殿下はわざと寄り付かなかったのですよ」
「優しい性格ですものね」
「ええ、ええ。分かってくださいますか。そうなのです。少々寂しく口惜しい思いもしておりましたが、今日のこの日に報われました。フィリア様、どうか殿下のことをよろしくお頼みいたします」
「もちろんですわ、エマリ」
……何となく状況を理解いたしました。
クリフは剣も魔法も優れていて、性格も良く、文句なしの美男子ですが、お母様の身分ゆえに侮られる面もあったということですわね。
権勢を誇っていた王太后様に睨まれていたそうですし。
バーティスやエマリ以下、離宮の使用人も身分の低い人ばかりで、ひたすら息をひそめて暮らしていたのでしょう。
身分制度の負の側面ですわね。
と言うことは、高圧的に見えかねない令嬢モードは使わない方が無難そう。
それでクリフも、あんな……あんな……いきなりお姫様抱っこなんて暴挙に出たという訳ですか。
……思い出すと腰が砕けそうですが、とりあえず今後の方針は決定です。
明るく親しみやすいフィリアさんで行きましょう。
前世さん、出番ですわよ!
「どーもー! ゲテモノ食べちゃう⚪︎⚪︎ちゃんねることゲテちゃんでーす。今日はですね、こちらのアメリカナマズをフィッシュバーガーにして丸かじりしちゃおうと思いまーす! 特定外来生物なんで〜扱いには注意が必要ですよん! まずは解体、包丁でドンっと〜〜(以下、自主規制)」




