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10.「薔薇も気高く咲いて散るだけでは虚しいではありませんか。食べねば!」


 マダム・ガブリエッラとお針子の皆様による着せ替え大会が終了した、翌日のこと。

 私は再び、ラング城の厨房におりました。


「――こんな柄でもねえ料理は初めてですぜ」


 腕組みして仁王立ちしているジル料理長が言います。

 気持ちは分かりますわ。

 調理台に載っているのは、ボウルにたくさん入った薔薇の花びらと、ガラス瓶に詰められた薔薇水です。

 城の外にある薔薇園で作っている物を分けてもらいました。

 漂うエレガントかつ甘い芳香。

 そこに荒っぽい海の男――ジル料理長と厨房の皆さん。

 ……えも言われぬミスマッチですわね。


「お手数をおかけしますわ。でも薔薇の新しい使い道ができれば、伯爵領のために役立つはずです」


 この世界でも香料や香水、薬用、化粧品などの製造はしているので、薔薇のオイルや薔薇水そのものは既に存在しています。

 ただし食べる発想はなかったみたいですね。

 前世には薔薇を使った飲食物があったことを思い出し、実際に調理してみよう!となりまして、また厨房にお邪魔しています。

 ヨランダとアリスも付き添っていますが、今回は壁際で見守ってもらいます。

 ジル料理長以下、料理人の皆様にも言葉遣いや態度は気にしないと伝えました。

 忌憚なく意見を出し合って、美味しい物を作り上げたいからです。

 薔薇も気高く咲いて散るだけでは虚しいではありませんか。食べねば!

 悪食令嬢の本領発揮でやってまいりましょう。


「では花びらのジャムから。作り方は果物のジャムと同じで、とても簡単です」


 薔薇の花びらを水でよく洗って、虫や汚れを取り除きます。

 水気を取ってから鍋に入れ、水、砂糖と一緒に火にかけて煮ます。

 頃合いでレモン汁を加え、火から下ろして冷まし、消毒した瓶に入れて完成ですわね。


「……レモン汁を入れるのはなぜですかね?」


「美しい薔薇の色合いを保つためですわ。大量に入れる必要はありません」


「確かに、この鮮やかな紅色は良いですな。デザートにひとさじ加えるだけで華やかになりますぜ」


 今回は濃い赤の薔薇を使ったため、ジャムも紅色です。ジル料理長は真剣な眼差しでジャムを掬って味見しました。

 他の料理人も集まってきて、みんなで少しずつ色や香り、味を確認しています。


「あまり煮詰めずに、とろりとしたコンフィチュールにするのも有りですわ! ヨーグルトやチーズにかけたら映えるでしょう?」

 

「なるほど……薔薇の香りと調和させる工夫が必要、と。研究しがいがある。よし、こっちの薔薇水はどうするんで?」


「一番簡単なのは、水か白湯で薄めて飲む方法ですわ」


 紅茶や炭酸水で割っても良いですわね。

 前世ですとアラブ圏などでは宗教上お酒が禁止されているので、代わりに薔薇水をベースにしたノンアルコールカクテルがお祝い事で振る舞われると聞いたことがあります。

 ――と言ってもジル料理長には前世……「不思議な夢」のことは伝えていません。昔アストニアで読んだ本に書いてあった、遠い国の話ということにして、かいつまんで説明します。


「ふむふむ……カクテル、ってえのは?」


「ベルーザやアストニアでは一般的ではありませんわね。お酒に良い意味での混ぜ物をして、より洗練された味わいを目指す飲み物のことですわ」


 お酒に何かを混ぜる――この世界ですと、お酒が低品質で美味しくないのを誤魔化すために行われます。

 庶民階級、それも場末の安酒場などによくあるイメージですね。実際に行ったことはないですが。

 貴族なら上等なお酒が手に入りますから、混ぜ物なんてする必要はないという考えが主流ですわね。


「でも考えてみてくださいませ。美味しい物と美味しい物を混ぜたら、もっと美味しくなるかもしれませんわ! お酒も同じだと思いますの」


「…………!!」


「それに世の中にはお酒が苦手な人もいます。特に女性は男性よりお酒に弱い方が多いでしょう? 今まではお茶や果実水(ジュース)を振る舞うものでしたけど……」


「……酒精は控えめにしつつも見た目が美しく、味も良い新しい飲み物があれば引く手あまたという訳ですな。薔薇水や、このジャムを応用したシロップを使ってもいい」


「その通りですわ! さすがジル料理長、分かってくださって嬉しいです!!」


「ああ、いやいやいや、フィリア様ほどじゃありやせん」


「ラング領には美味しい果物もたくさんあると伯爵に伺いました。桃、柑橘、梨、葡萄……組み合わせると夢が広がりますわね!!」


「博識でいらっしゃいますなァ……」


 ジル料理長はコック帽を取ると、深く腰を折ってお辞儀をしました。

 他の料理人の皆さんが、一斉に追従します。


「ラング領のために、惜しみなく知識を分け与えてくださったこと……忘れません。貴女様は真に我々の女神(ミューズィス)でいらっしゃる」


 大真面目にジル料理長が言うものですから、私はちょっと慌ててしまいました。


「皆様、顔を上げてくださいな。私は食い意地が張っているだけですわ!」


「ははは、全くフィリア様にゃ敵いませんぜ」


 苦笑しつつも立ってくれたジル料理長を見て、私はまた前世の知人のことを思いました。

 色んなお酒を飲ませてくれた、頼りがいのあるバーテンダーのおじ様。

 申し訳ないことに名前も思い出せないけど、悪食な私は教わったカクテルのことなら覚えています。

 あとで紙に書き出して、ジル料理長に渡しておきましょう。


 ――再現できたら、ぜひ味見させてくださいね!



✳︎✳︎✳︎



 そんなこんなで、日々は過ぎてゆきました。

 早いもので、私がラング伯爵城で過ごし始めて約一か月。

 とうとう、ベルーザの王都ベルゼストへ出発することになりました。

 クリフの婚約者候補として、です。

 お父様から手紙をもらいましたわ。ロニアス殿下との婚約は円満に解消した、ベルーザへ嫁ぐことも許す、と書いてありました。

 実の娘相手の割に、あっさりした内容でしたわね。貴族あるあるです。私は苦笑いして、手紙を文箱に仕舞い込みました。


 王都への移動は、クリフと部下の皆様、それに私の侍女として付いてきてくれるヨランダとアリスが一緒です。

 領地に残る伯爵や、ジル料理長とはお別れですね。またお会いできるでしょうけど、少し寂しいですわ。


「伯爵、大変お世話になりました。言葉では言い尽くせないほど感謝しております」


「なあに、我が伯爵家にとって名誉でしたぞ。ご多幸をお祈り申し上げる」


 伯爵は突き出たお腹を揺らして笑い、それから若い男性を呼び寄せました。


「この者はジルの弟子です。ぜひ王都へお連れいただき、お側で修業させてやってくだされ」


「あら、貴方は桃とカルパッチョの……」


 コックの衣装ではありませんが、顔を見れば厨房へお邪魔した時、率先して味見をさせてくれた方です。

 伯爵家の料理人の中では小柄で童顔ですけど、半袖のシャツから覗く腕の筋肉はさすがです。


「お、覚えててくださってたんですか。カークと申します。料理長には足元にも及びませんが、精一杯フィリア様の料理番を務めます!!」


「心強いですわ、よしなに願います」


 カークは頬を紅潮させて一礼します。

 次にクリフが一人の騎士を連れて近寄って来ました。


「フィリア、俺の副官を紹介しておく。俺が君に付き添えない場合は、ライルを付けるから」


「ライル・リーバンです。リーバン子爵家の次男ですが爵位はありません。何でもお申し付けください」


 ライルも、さっと片胸に手を当てる騎士礼をしました。こちらは栗色の巻き毛をした爽やか好青年という感じです。

 クリフはベルーザ王国騎士団の第一分団長を務めていて、ライルが副長。クリフが分団長として……あるいは王弟として公務がある際は、ライルが私の護衛をしてくれるそうです。


「フィリア・フォンテーヌですわ。道中、頼りにしています」


 私は淑やかにうなずきました。日本人感覚なら、ここで頭を下げるところですが……今の私は侯爵令嬢。へり下りすぎてもいけません。

 ――身分制度って面倒だねー、とぼやく前世さんに内心で同意しつつ、クリフのエスコートで馬車に乗りました。

 クリフは同乗せず降りていき、馬に乗って自ら警護に当たります。入れ替わるようにヨランダ、アリスが乗り込み、馬車はゆっくりと走り出しました。


「……今更だけど、二人とも本当に良かったの? ラングヘイムを離れるなんて」


 走る馬車の中で、私は向かいにの席に座る侍女二人に訊きました。

 すると、アリスが明るく微笑みます。


「ええ! 私、一度は華やかな王都へ行ってみたかったんです。フィリア様のおかげで夢が叶いました」


「それなら良いけど。ヨランダ、貴女は?」


「私はフィリア様や殿下のお役に立ちたいと思ってのことです。夫のガイスも一緒ですし、問題なぞございません」


 私は王宮の一角にある離宮に住むことになっています。王宮の召使が世話をしてくれますが、女性が妃妾として入る場合は実家から気心知れた者を連れていくこともよくあります。私の場合はラング伯爵が実家代わりの後見人となり、侍女のヨランダ、アリス、料理番のカーク、警護役としてヨランダの夫である騎士ガイスを付けてくれたという訳ですね。

 なお、カークは後方で食料や調理器具を乗せた馬車の御者をしており、ガイスはその近くで護衛をしています。


「伯爵にはお世話になってばかりね。何か恩返しができるといいんだけど」


「フィリア様が考案された薔薇水や花びらのジャムがあるじゃないですか! きっと新しいラングの名産になると思います」


「アリスの言う通りですね。飲んだり食べたりすることで身体の中から美しくなるという考え方は今までになかったものです。貴族女性の一大流行になるでしょう」


「ふふ、ジル料理長と悩んだだけありましたわね」


 薔薇が香る厨房で、海賊もかくやという料理人の皆様とあーでもないこーでもないと、意見交換しましたもの。


「ヒースクリフ殿下の御心を射止めたフィリア様が考案された、というだけでも注目の的ですものね〜」


「ええ、今からご婦人方の黄色い悲鳴が聞こえそうですね」


「それは言わないで二人とも。恥ずかしいですわ……!」


 顔から火が出そうです!

 逃げるように窓の外へ視線を向けた私は、ちょうどそこにいたクリフとばっちり目が合ってしまいました。

 馬車の隣を並走していたみたいですわね。

 車輪がガラガラとうるさく回り、馬のひづめの音もしているので、会話の内容は聞こえていないはずですが……

 私を認めた瞬間に、クリフの凛々しい目元がふっと緩みまして。

 青い目が甘やかにきらきらとして、口角も優しく上がり、極上の――

 どころか極悪な威力のある素晴らしい笑顔になりました。


「――――――?!」


 声にならない悲鳴を上げて私は座席に突っ伏してしまいましたわ。

 目が潰れるかと思った!!


 ――ええい、けしからん! 実にけしからん!! 永久保存版決定ッッ!!


 前世さんが脳裏で喚いてくれたので、なんとか気絶せずに済みましたわ。


「な、な、なんということでしょう……」


「しししし心臓にわる、悪い、ですね」


 ヨランダとアリスもうっかり見てしまったようで、顔が赤くなったり青くなったり。

 私達三人はしばらくの間、無言で馬車に揺られ続けることになったのでした。



✳︎✳︎✳︎



 しばらく走ってから、馬に水を飲ませるため休憩を取ることになりました。

 私達もずっと座っていて身体が強張っています。一度降りて、足腰を伸ばしたりお茶を飲んだりしたいですわね。

 馬車の扉が開くとライルがいましたので、手を借りてタラップを降りました。

 クリフは少し離れた場所で、他の部下の皆様に指示を出しています。


「リーバン卿、ありがとう」


 お礼を言うと、ライルは目をぱちくりさせてから笑いました。


「ライルとお呼びください! 卿だなんて立派なもんじゃありません、背中が痒くなります! どうか呼び捨てで!!」


「ええ? ですが……」


「今の第一分団には爵位持ちが少ないんです。貧乏子爵家の次男程度でもど庶民よりましってことで、フィリア様の護衛を担当させていただいてますけどね」


「そうでしたの? それは面倒な上に面白味のない仕事をさせてしまってますわね。申し訳ない気持ちですわ」


 子爵家の次男、つまり家を継ぐ立場ではなくて――良く言えば気楽、実際には不安定な身分ですね。結婚する相手によっては平民になる場合もあります。

 それが、いきなり侯爵令嬢で上司(ヒースクリフ)の婚約者のお守りをすることになったら……ええ、私だったら謹んで遠慮したいです。前世さん的言語では「ないわー絶対ヤダ」ですわ。

 なので正直に言いましたら、ライルはブハッと吹き出しました。


「ちょ、フィリア様、本気でおっしゃってます?」


「ええ。私がもし貴方の立場でしたら嫌ですもの」


「マジで……げほっげほっ! あー俺、いや私はそのように思っておりません。むしろフィリア様とお近づきになれて役得……光栄です、はい」


「お上手ですけど、私のような女が他人(ひと)からどう見えるか、くらいは分かっておりますわ」


 ライルはちょっと軽い性格みたいですね? 口もよく回るようです。悪い人ではないと思いますが。


「ええぇ……フィリア様は充分以上にお綺麗ですよ?」


「ライルも大変ね。無理してお世辞を言わなくていいわ、これでも弁えているつもりですから」


「ぜんっぜん違いますが?! すっげえ可愛いけど根深い勘違いですね……殿下どうする気なんだろ……」


「――――呼んだか、ライル?」


「うげぁ?!」


 ライルが素っ頓狂な声を上げて飛び退き、かと思うと直立不動の姿勢になりました。

 同時に、私の肩がきゅっと抱き寄せられまして……


「……クリフ?」


 いつの間にか、麗しき私の婚約者様が隣にいました。

 ……なぜでしょう、整った横顔に冷気が漂っているような?


「――任務ご苦労。適宜休憩を取ってくれ。俺もフィリアと少し散策してくる」


 いつもより低い声でクリフが言います。

 ライルはそんな彼と私を交互に見て、にやっとしました。


了解です殿下イエス・ユア・ハイネス! ごゆっくりどうぞ〜!」


 びしっと敬礼するライルに見送られ、クリフに手を引かれて、私はちょっと不思議な気分で歩き出しました。


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