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EX.元王宮勤めの侍女は見た(sideヨランダ/後編)


 医師の診察を受けて眠っていらっしゃるフィリア様は、他国の貴族令嬢という可能性が高いようです。

 なるほど。

 目を閉じていらしても隠し切れぬ気品がある方ですが、主だったベルーザ貴族についてはほぼ暗記している私も見覚えがありませんからね。


「伯爵様がお心当たりを探すそうです。また、仮に平民の女性であったとしても、伯爵様が御養女に迎えて殿下の妃に推すとのことでした。あなた達もそのつもりで」


「うむ。ヨランダ、アリスの二人を当面の間フィリア様付きとしたい。引き受けてくれるな?」


 様子を見に来た侍女頭と執事長が言いました。

 ラング伯爵様は十年前に奥様を亡くされてから再婚なさらず、お子様も現在二十三歳になられるご子息一人だけ。そのため、この城には女性のお世話ができる者があまりいません。

 その中でアリスは気立が良く、おしゃれのセンスがあります。フィリア様の話し相手もできるでしょう。

 一方の私は面白味の薄い女ですが、王宮勤めで女性のお世話をしてきた経験豊富。適任でしょうね。

 私もアリスも喜んで了承し、正式にフィリア様付きとなったのです。



✳︎✳︎✳︎



 この方が只者ではないことに気付いたのは、その少し後。

 フィリア様が最初に目を覚ました時のことでした。


「……ここは、どちらのお屋敷ですか?」


 意識が戻られたものの、フィリア様は夢うつつのお顔でした。


「ここはベルーザ王国のラングヘイムという街で、領主であるラング伯爵様の城の一室でございます」


「まあ……それはお手数をおかけしましたようで申し訳ありません。私、なぜこちらへ……?」


「三日ほど前、ヒースクリフ殿下が貴女様をお連れになりました。ご婚約者様を保護してほしい、と」


「婚約者。いえ、まさかそんな。見てお分かりの通り、今の私はただの平民ですわ……」


 ……そんな上品に喋る平民、さりげない指先の仕草に至るまで気品にあふれた平民がいますか。

 ()()そうかもしれませんが、()()平民どころか、その辺に転がっている男爵子爵レベルのご令嬢ではあり得ませんよね?

 私の目は誤魔化せませんよ。


 フィリア様はその時まだ本調子ではなく、すぐにまた寝入ってしまいました。

 ぼんやり状態でもあのように美しく振る舞える、つまり骨身に染みついているんですね。

 ヒースクリフ殿下はどこかの馬の骨ではなく、かなりとんでもない女性を捕まえてきた――そんな予感がいたしました。



「――正式なご婚約はまだですが、あのヒースクリフ殿下が貴女様を『大事な(ひと)』と仰せになったのは間違いありません。フィリア様は殿下の想い人でいらっしゃいます」


「……お言葉を疑うつもりはないのですけれど、少々……いえ大変に誤解があるような」


 さらに三日ほどで、フィリア様ははっきりお話できる状態に回復されました。

 ですが、ご本人は「こんな女が殿下の恋人だなんてあり得ない」と強固に思い込んでいる様子。ご自分が貴族令嬢ということも認めようとせず「私はただのフィリアですわ」としか言わないのです。

 この頃には私達も事情を把握しておりました。

 フィリア様は伝統と格式を重んじるアストニア王国でも古くからの名門貴族、フォンテーヌ侯爵家のご長女。第二王子と幼い頃から婚約されていたにも関わらず……第二王子の心変わりで難癖を付けられ、婚約破棄、国外追放という謂れのない仕打ちを受けたと。

 悪いのはアストニア王家側ですが……フィリア様はご自分が令嬢として傷物になり、殿下とも釣り合わないとお考えなのです。

 ……間違いではないんですけどね、それも。

 ただし殿下の入れ上げようから見て、その程度で諦める訳がないですよ。障害があろうとも全て平らげて、フィリア様を迎えに来るおつもりでしょう。

 ところが体調が悪かったフィリア様は殿下のご様子をご覧になっていないせいですかね、まあ反応が鈍いこと。

 これは少々殿下がお可哀想ですので、丁寧にご説明いたしました。


「……ですから最初は目を疑ったものです。そのヒースクリフ殿下が、フィリア様とは片時も離れたくないというご様子だったんですから!」


「――え?」


 フィリア様はぽかんとしておられます。

 まだまだ、こんなものではございませんよ?

 私とアリスは具体例を挙げていきます。

 ……幸い、エピソードには事欠きません。今までのヒースクリフ殿下からは考えられないようなお言葉と行動ばかりでしたからね。

 これを奇跡と言わずしてどうするのですか。


「「愛されておいでですね、フィリア様!」」


 アリスと息を合わせて言いました。

 ところが――


「……大いなる誤解ですわ……」


 むう、手強い!

 殿下と直接お話ししないと埒が開きませんか。

 フィリア様もそこに気付いて「殿下は今どちらに?」とおっしゃいましたが、現在は伯爵領にいらっしゃらないんですよね。


「ヒースクリフ殿下のことがご心配ですか? 大丈夫ですわ、王都でフィリア様とご結婚なさるために頑張っておいでです」


「ええ、どうか心を安んじてお過ごしください。殿下にお任せしておけば良いのです」


 詳細を伝えるとフィリア様が尻込みしてしまいそうですからウヤムヤにします。

 物憂げな吐息が聞こえました。


「クリフ、早く帰ってきて……」


 ……おや?

 ヒースクリフ殿下を、まさかの愛称でお呼びになりましたね?

 私はアリスと目配せを交わしました。

 良かった、脈はあるようです。



✳︎✳︎✳︎



 フィリア様は日に日に顔色が良くなって、すっきりしすぎていた頬もふっくらしてきました。

 良い傾向です。

 なおフィリア様のお食事は料理長のジルが自ら担当しています。

 前にも言った通り、この城には長らく高貴な女性がいませんでした。三年前に料理長へ抜擢されたジルも、女性受けする料理はほとんど手がけたことがなく四苦八苦しているようですが、幸いフィリア様は好き嫌いがないようで毎食、美味しそうに召し上がられます。

 で、ある日おっしゃいました。


「厨房へ伺って、料理人の皆様にお礼を申し上げたいですわ!」


 ……えっ?!

 お気持ちは尊いですけども、伯爵家の厨房は見た目が海ぞ……ゲホゲホゲホ、荒くれな海の男の巣窟ですよ?

 深窓の姫君が目の当たりにしたら気絶してしまうのでは?

 ところがフィリア様は止める気がありません。

 普段は全く我が儘をおっしゃらない方です。

 王宮で散々、我が儘し放題で気位の高いご令嬢を見てきた私からすると女神のように心が広くて、感動を覚えるほどなんですよ。

 ……そのフィリア様たっての希望なら仕方ありませんか。私はアリスと一緒にフィリア様のお召し替えをし、厨房へご案内します。


「まあ、こちらの厨房と言うのはこんな風になっているのですね!」


 フィリア様の神秘的な黒い瞳が、生き生き艶々しております。

 その輝きはジルの巨躯が現れても変わらず、それどころか、ふわっと微笑んで略式ながら淑女の礼まで披露します。

 ……ジルが動揺のあまり、無茶苦茶な凶相になっていますね。しかし耳が赤い。


「私、こちらのお料理に大変感銘を受けたのです。厨房の隅っこで構いません、作るところを見学させていただけませんか?」


「は、はぁ……まあ、良いですがね……」


 ……ジルは恐らく追い返す気満々だったはずですが、毒気を抜かれたのか許可を出してしまいました。

 周りの料理人も大の男ばかりなのに、皆して未知の愛らしい生き物に固まっております。

 そこでジルが一喝しました。


「……お前らぁ! 女神様はいつも通りにやれとのお達しだ! よそ見してねェでキリキリ働けぇい!!」


「「「アイ・サー!!」」」


 うわぁ……鼓膜と内臓に来る気合の声ですね……物に動じないよう自分を律している私も、思わず腰が引けましたよ……


「まあ、美味しい物が出来上がりそうですわね!」


 フィリア様はなぜか全く平気でいらっしゃる?!

 この時に私は――アリスもですが――もう一度、価値観の転換を強いられました。


 桃を味見されて嬉しそうになさるのは分かりますよ。ラングの特産品の中でも有名です。

 遠慮なさるので、私とアリスで少しだけ「毒味」をさせていただいたほどで。

 どうして顔色一つ変えずに……むしろ喜色満面でマグロなんて気味の悪い魚を召し上がるのですか?

 しかも生のまま!

 真っ黒くて独特の臭いがあるソースがかかったゲテモノを!!

 ジルもフィリア様が本当に口へ入れると思っていなかったでしょうね、最初はびっくりしていましたが、立ち直ると同時に凶悪な笑みを浮かべてフィリア様に試食を勧めだす始末です。

 ちょっと?!

 妙な餌付けはやめなさい!!

 周りの者ども、悪ノリしない!!

 あああああフィリア様もあんな物やそんな物まで――



 ――突然の試食会は、フィリア様が満腹になって我に返るまで続きました。

 お仕事の邪魔をして申し訳ありません、と愛らしく恐縮なさるフィリア様。問題はそこではないのですが?

 いやいや食欲があるのは良いことです、と強面(こわもて)が蜂蜜に漬けたようになっているジル。および料理人の男ども。

 ええい、今は伯爵様も王都へ行かれていて、フィリア様と私達使用人の食事作りしか仕事がないとは言え……しっかりなさい!

 私とアリスはどうにかこうにか、フィリア様を厨房から引き剥がしました。


「――大変素晴らしゅうございました……ラング領って本当に素敵なところで、食べ物が美味しくって、皆様も親切ですわね。私、ここへ来てよかったですわ! ヨランダ、アリス、いつもありがとうございます」


 フィリア様は歩きながら、うっとりしています。

 お褒めいただいて非常に光栄ですが。

 私は魂が綿菓子みたいになって、ふわふわと口から漂い出かけているような……そんな気分ですね。


「……ええ、はい、それは何よりです。私は自分の不甲斐なさを痛感しておりますけども……」


「私もです……フィリア様が凄い御方だということを再認識いたしました……」


「えっ、二人ともどうしましたの? 私の食い意地が悪すぎて幻滅させてしまったかしら?!」


「い、いえ! そんなことは」


 幻滅とは違いますね。

 ――衝撃、ではありましたけど。

 殿下はご存じなのでしょうか?

 私は部屋へ戻るフィリア様を先導しながら考えます。

 すると――背後で、フィリア様が小さな声でつぶやきました。


「私、昔はともかく今はこんな悪食な女ですのよ。捨て置けばいいのに……クリフは優しすぎますわ」


 何となく分かった気がしました。

 ヒースクリフ殿下も、フィリア様のこういうところに惹かれたのではないでしょうかね。

 そもそも殿下の女性不信は、かなり深刻なものでございました。

 なのにフィリア様は、何それ美味しいんですの?とばかりに跡形もなく吹き飛ばしたんです。

 ただの女性ではなくて当たり前ですね。


 こんなご令嬢、この世に二人といないでしょう。



✳︎✳︎✳︎



 やがてヒースクリフ殿下がラングヘイムへいらっしゃいました。

 国王陛下を味方につけて、権勢を誇っていた王太后様を引退させ、アストニアにおけるフィリア様のご身分と名誉が回復されるよう手を回し……諸々の障害を排除して地ならしをなさってきた訳です。

 今までは成年王族として能力はあれども、やる気がなく鬱々としておられたのですが、本気になった途端にこれです。

 愛の力は偉大ですね。

 ――問題は、肝心のフィリア様を口説き落とせるかです。

 普通の侯爵令嬢なら一も二もなく首を縦に振るでしょうけど、何しろフィリア様ですから……



 殿下はフィリア様が待つ応接間へ入られました。

 私とアリスは、ドアの外に控えます。

 ソファに座ったお二人は声をひそめていらして、何か喋っているのは分かりますが内容がはっきりいたしません。


(こっちまでドキドキしちゃいますね、ヨランダ……!)


 アリスが唇の動きで申します。


(しっ。お二人のお話が聞こえませんよ!)


(元々聞こえないですよ……あっ、殿下が!)


(――――まあ!!)


 ヒースクリフ殿下が跪いて求婚なさいました。

 フィリア様のお返事は…………

 しばらくして、私の耳にも聞こえました。



「――いいえ、殿下はもっと悪食です!」



 ………………。

 殿下、何をおっしゃったんですか……


「うん。ごめん。俺が悪かった。ごめんってば、フィリア、こっち見て」


 情けなく謝っているヒースクリフ殿下ですが、そのお声は溶けそうに甘く響いておりました。

 どうやらうまく行ったようだ、と私達は胸を撫で下ろしたのでした。



✳︎✳︎✳︎



 ……その後のお二人ですか?

 言うまでもなく、いつ見ても仲睦まじく、お幸せそうですよ。

 フィリア様は破天荒なことばかりなさいますけど。


 ――え? 薔薇の花を食べる?

 あれは造形の美しさや香りを愛でるもので、食べ物では……

 はい? 美容に良い? それは本当ですか? ベルーザ中の貴族女性が飛びつきそうなお話ですね?

 ええ、絶対に聞き逃せません。


 ――伯爵様との晩餐が魚介尽くしだった? 

 しかも美味だったですって?

 私達も伯爵様が貴族に珍しく、魚介類がお好きで漁村の者達からも支持されているのは知っていますよ。彼等は軍隊ではありませんが、有事の際は即戦力になり得るので、伯爵様は大事になさっているんです。

 ですがフィリア様と、それにつられた殿下まで正式な晩餐の席で魚介を召し上がったとは……

 お褒めの言葉まで頂いて、ジルは厨房へ戻った途端に男泣きしたそうです。


 ――それで……今度は運動するための服ですか。

 体力が落ちてしまったので引き締めたい、身体の内側から健康的に美しくなりたい?

 ……美しくなる方法と言えば、衣装や化粧、髪型を工夫するものだと思っていましたよ?

 ですが、これを透明感があって異国的(エキゾチック)な美しさを持つフィリア様がおっしゃったものですから、説得力は絶大です。

 私だけでなくアリスも、服飾の大家であるガブリエッラも衝撃を受けました。

 ガブリエッラは取り憑かれたようにデザインを起こしていましたね。

 フィリア様は「簡単なもので良いのに」と困った顔をされていましたけど。



 ……とまあ、このような感じで私もアリスも、周りの者はずいぶん振り回されております。

 嫌ではありませんよ。

 毎日、フィリア様が何をなさるのか楽しみです。


 殿下も一時期の無気力無表情はどこへやら。

 フィリア様がいると楽しくてたまらないというお顔をなさっています。

 こんな素晴らしい女性を手放すなんて、アストニア王国も馬鹿なことをしたものですね。

 当然フィリア様が望むのでもない限り、絶対にお返しいたしません。

 今後は私達が、全力で大事にさせていただきますとも。


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