9.「ただ悪食に役立つ健康づくりをしようと思っただけですのに」
いくらジル料理長の力作ごはんが美味しいからと言って、毎日食べすぎるのはいけません。令嬢にふさわしからぬ肥えた体形になってしまいそう。
それに私は、自分の体力の低さが気になっていました。
貴族の女性は豪華なドレスや宝飾品を身につけてダンスをしたりします。世間で思われているほど体力がないということはありませんが、野外での食材ハントが好きだった前世と比べれば明らかに貧弱です。
ここは運動一択!
――なのですが、貴族……特に女性がスポーツや筋トレをするのって一般的ではないのですよね。
この世界には魔物の脅威があり、貴族の男性は「高貴なる義務」を帯びて戦うために身体を鍛えますけど、逆に遊びやスポーツは発展していません。
女性、特に未婚の令嬢はなおさらですわね、淑やかさが重要です。平民だと、魔力の高い女性が魔法使いや冒険者になることもあるそうですが。
私は基本、長い物に巻かれておく小市民な元日本人です。
ちょっと変わった食べ物が好きなくらいで、動画の配信だって前世ではよくある趣味レベルのものでした。見たい人が見てくれればおーけーで、再生回数を稼ぐために目立とうという意識は薄かったです。
迷惑系に鞍替えする気はありませんわ。
穏便なところで、室内でこっそりできる柔軟体操と、令嬢でもそんなにおかしくない散歩――つまりウォーキング辺りから始めましょうか。
それにはまず……
「アリス。乗馬服のような動きやすい服を用意してもらうことはできるかしら?」
「乗馬をなさるのですか?」
「それも悪くないけれど、馬の手配が大変でしょうからしばらくはいいわ。ここのところ体力が落ちてしまったし、少し身体を動かしたいの」
「承知いたしました」
アリスはにっこり微笑みました。
目がキラキラしております。
あら? これは――――
「仕立師を呼んであります。乗馬服からドレスまでそろえましょう! 近々、こちらに到着する予定ですよ!」
やっぱり!
……必要と分かってはいるのですけれども、ねえ。
十七年の間、侯爵令嬢として生きてきた私ですが。
正直に申し上げまして現在、一番憂鬱なのが衣服です。
前世では子供の頃からスカートが嫌いで、筋金入りのアクティブなお転婆でした。大人になってからは動きやすい服しか着ませんでしたわ。
それが今やコルセットを着けた上、フワフワヒラヒラ宝石ジャラジャラで着飾らなければいけないのです。
先日までは半病人で平民同然でしたから、楽な格好ができたのですけど……
――無理! うざい! 邪魔っ! 毎日コレとかないよ!! ぐぬぬ、本当にキヌガサタケに転生しておけば……こんなことには……
脳内で前世さんが唸っています。
――仕方ありませんわ、人間以外でしたらクリフと出会って両想いになれませんでしたもの。ある程度は慣れで何とかなります。
フィリアのお嬢様意識がなだめている状態です。
ですが一度でもあの快適さ、自由さを思い出してしまうと、元に戻るのはなかなか……
この際です、仕立のプロに頼んでパンツスーツでも作ってもらおうかしら。貴族女性が脚のラインをあらわにするのもアウトなのですけど、室内専用にして人前で着なければいいですわよね?
さて、ヨランダとアリスをどうやって説得しましょうか――
そう思っていた時期が私にもありました。
アリスと話をした二日後のこと。
マダム・ガブリエッラが城にいらっしゃいました。
アストニア人の私は存じ上げませんでしたが、ベルーザではかなり有名な高級服飾店のオーナーで……ヨランダのお姉様の嫁ぎ先(織物を扱う商家だそうです)と取引があり、いわばコネを使って来ていただいたとか。
困りましたわね、いかに動きやすい服を手に入れるか、しか考えていない私ですよ。失礼に当たるのでは?
ところが、です。
「なんと美しい黒い御髪! 初めて拝見いたしました。これは腕が鳴りますね、ぜひとも! わたくしどもに! お任せくださいまし!!」
マダムは挨拶を終えた直後から、とても熱心でした。
ヨランダに頼まれて、嫌々いらした訳ではないようです。
「フィリア様は、ヒースクリフ殿下の想い人でいらっしゃいます。お声がけいただいたのは我がメルティエン服飾店にとって最高の栄誉でございます」
……そう言えばそうでした。
私は残念女でも、クリフの威光が働くのです。
以前はロニアス殿下の婚約者もやっていましたけど、アストニアは王族の数が多く、ロニアス殿下は側妃のお子で王位継承の順位は下の方でした。
クリフとは重みが違いますわね……今更ながら大丈夫でしょうか。
「フィリア様の所作や礼儀作法は全く問題ありません。これからベルーザの風習や貴族の顔を覚える時間をつくりますから、それで十分ですよ」
「そう? ヨランダが言ってくれるなら安心できるわね。もちろん勉強も頑張りますわ」
今後の私は王弟であるクリフと婚約間近というだけで、嫌でも注目される……これは仕方ありません。
幸い、アストニアで身に付けたあれこれが役に立ちそうです。
気を取り直したところで、マダムとお針子の皆様による採寸です。この辺りは腐っても侯爵令嬢、慣れたもの。さくっと済みましたわ。
それからマダムはたくさんの布の見本を出して、私の髪や肌の色と見比べながら何種類か選びました。さらにスケッチブックにもサラサラと何か描きつけ、私達に差し出します。
「走り書きでございますが、このような感じでいかがでしょう?」
五つほど、ドレスの絵が描いてあります。
こんな短時間で、私でも似合いそうな色やデザインを考え出したのですか? 凄いですわ……!
「さすがマダム・ガブリエッラ……ですが、いつもよりスッキリしたデザインが多いようですね」
アリスが食い入るようにデザイン画を見つめる一方で、ヨランダは冷静です。
「ここ数年、上流階級の間で華やかな衣装が持て囃されていたのはヨランダもご存じですね? 最近はその反動で、細身かつシンプルなデザインに流行が移ってきています。フィリア様はすらりとして高雅な雰囲気がありますゆえ、先駆けにふさわしいのではないか、と」
何だか話が大きくなっていますわ?!
残念な悪食令嬢がファッションリーダーとか……大コケしなければいいのですけれど。
ですがヨランダは「それなら納得できます」と、くるんくるんの手のひら返しをしています。本気ですの?
「私も素敵だと思います! フィリア様はいかがですか?」
アリスも文句はなし、と。
……そうですわね。
私もゴテゴテしたドレスよりは、こちらの方がまだマシ……こほん、好ましく思えます。
どうせ私には服のセンスなんて皆無です。前世を思い出す前も淑女として勉強はしましたが、陰気な私はお洒落しても無駄ですわ〜と卑屈になっていたこともあり、いま一つ興味を持てませんでした。
ここはプロであるマダムと侍女達の見立てを信じましょう!
「こちらでお願いいたしますわ。それで――」
私は心を決めて、次の話題を持ち出しました。
――室内で運動をするための服を作ってほしい、と。
反発されるのも覚悟の上でしたが――
「それは……大変面白そうです! 素晴らしいですよフィリア様! 美を追求するそのお心、わたくし感激いたしました!!」
いえ、美ではなく美食。
むしろ悪食ライフの追求です。
……が、まさか本当のことは言えません。私は令嬢らしく曖昧に微笑んで「お恥ずかしいですわ」とだけ言いました。
マダムが猛然とスケッチブックにペンを走らせます。
「ああ、デザインが次々に湧き上がって参ります……少しの間、ご無礼をお許しください」
この方は天才型のデザイナーなのですね。いわゆるインスピレーションが降りてきた状態のようです。
しばらくの間、室内にはマダムがデザイン画を描きつけるペンの音が響きました。
「……まさしく『白のリリエンテ』……フィリア様はご存じないでしょうか……ベルーザの昔話を題材にした歌劇で……ひと月ほど前から、王都でも人気の劇団が公演を始めたのです」
せわしなく手を動かしながら、マダムが半ば独り言のようにつぶやいています。
よく分からなかったので、側に控える侍女二人に教えてもらいました。
――「白のリリエンテ」はベルーザでは有名な昔話「勇敢なリリエンテ」を下敷きにした歌劇だそうです。
元々「勇敢なリリエンテ」はたくさんの歌劇や小説などになってきたのですって。
舞台は架空の小さな国。王様の一人娘であるリリエンテはお転婆なお姫様でしたが、ある日、国が魔物に襲われ、王様も生死不明になってしまいます。
そこでリリエンテは男装して自らが先頭に立ち、騎士達と共に魔物と戦って最後は国を取り戻す……というストーリーなのだとか。
その他、細部の展開には作家や演出家によって違いがあり、王様は生きていて助け出されることもあれば魔物に喰い殺されてしまうこともあり、ラストもリリエンテが女王になったり騎士の一人と愛を育んで結婚したり、色々だそうですけど。「男装の姫君が女性ながら勇ましく戦う」という大筋は共通のようです。
「ええ、その通りです……今回は大胆な新解釈が話題……主役のリリエンテ姫を、新進気鋭の若手女優が演じて……平民出で暗褐色の髪なんです……異国的な美しさが注目の的……ですがフィリア様の方が断然……ああ手が止まりません!」
……私、マダムの変なスイッチを押してしまったような気がいたします。大丈夫かしら。
✳︎✳︎✳︎
没頭するマダムはそっとしておいて、他のお針子と打ち合わせをします。
一通り注文を終えたところで、クリフが現れました。
「フィリアの顔が見たくなって。良ければ一緒に休憩しないか?」
もちろんですわ!
いったん隣の部屋へ移ってティータイムです。
長椅子に隣り合って座りました。
少しくっつきすぎかしら、とも思いますが……クリフがとても嬉しそうなので断れません。
……どうしましょう、婚約者との適切な距離感が分からないですわ?!
以前のロニアス殿下とは良くも悪くも冷静に、高位の貴族令嬢として貞淑に振る舞えたのですけど。
おまけに前世さんの感覚ですと、このくらいは普通と言うか。お前ら厨房ですかレベルの奥手すぎる交際です。
落差が激しすぎて、どっちも参考になりません。
「どうしたんだい、フィリア?」
クリフが、額が触れんばかりに顔を覗き込んできます。や、やはり近くありませんか? 心臓に悪いですわ。
「……何でもありません……このお茶菓子、美味しそうですわね」
私も決して嫌ではないものの気恥ずかしくて。
ヨランダやアリスも「お熱いですね!」という微笑ましい表情をするだけで止める気配がありません。
どうもベルーザはアストニアより開放的なお国柄みたいです。正解はどこに。
こっそり深呼吸をし、お茶を一口飲んでから、私は先程の出来事を話しました。
「リリエンテ姫か。フィリアにぴったりだね」
クリフは、にこにこと笑っています。本当に楽しそうです。
ヨランダやアリスによれば一時期、クリフはまるっきり笑いもしなければ表情も動かさず氷の彫像のようだったというのですが、私はちょっと信じられない気持ちですわね。
彼は冷たくなんかありません、こうやって当たり前に話を聞いてくれます。私に限らずラング伯爵や、伯爵の使用人にもごく自然な態度です。威張ったり居丈高に命令したりもしません。見た目がやたらキラッキラしいのを除けば、普通の優しい人です。
「クリフ……私、魔物と戦うなんて無理ですわよ」
「そう? 毒があっても、やっつけてしまうだろう? 勇敢なお姫様だと思うよ」
いいえ、ただの悪食令嬢です。
するとクリフは笑顔のまま、とんでもないことを言いました。
「『白のリリエンテ』はね、主人公が三人の男性から言い寄られる新解釈で話題らしいよ?」
「ええっ?!」
「相手役の騎士も全員、見目の良い俳優が演じているものだから女性人気が凄いと聞いたよ」
な、なるほど……?!
最終的にリリエンテは劇の題名通りに「白の騎士」を選んで結婚するのですが……
『あたくしは逞しくて頼りがいのある「赤の騎士」様を推しますわ〜』
『いえいえ、やはり冷徹に見えて一番情熱的な「青の騎士」様こそ至高』
『何をおっしゃるの! 王道はストーリー通り「白の騎士」様ですわっ。純粋一途な幼馴染、尊さしかございません!!』
そんな感じでご婦人方が大いに盛り上がっている、と。
……つまり「白のリリエンテ」は女性の夢を目いっぱい詰め込んだ内容という訳ですのね。
私は遠い目になりました。
動きやすい服、なんならジャージのズボンっぽいものを入手できれば十分だったはずが、宝塚の男役もしくは2・5次元なあいどる風にされそうですわ?!
――そのうち逆ハーやBL要素も出るのかなぁ?
前世さん! 洒落になりませんから、やめてくださいませ!!
私、ただ悪食に役立つ健康づくりをしようと思っただけですのに……!
固まっている私を見て、クリフは。
「男装の麗人になったフィリアか。見てみたいな」
綺麗な微笑でトドメを刺しました。
……やっぱり至近距離はけしからんですわね?!
「ああでも、『白の騎士』の立ち位置は譲れないな。それに、他の奴には見せたくないかも」
「し、室内専用です!」
「うん。俺だけだよ? そのうち、一緒に馬で遠乗りに行くのも良いな」
「えっ……とっても魅力的ですわね」
アストニアやベルーザの貴族女性は、乗馬も嗜みの一つ。ですが乗馬用のワンピースを着て鞍に横乗りをします。
でも速度が出ませんし足腰が痛くなるのですよね。ドレスよりはずっとマシですけど、やはりロングスカートなので動きにくいですし。
前世みたいに、自在にどこへでも駆けてゆけるなら。
そして……
「……貴方と一緒なら、きっと楽しいわ」
「だろう? 釣竿も持っていこう」
「あら、他に持っていくものがありまして?」
私達はクスクス笑い合いました。
――心の広い悪食な恋人を持って、私、とても幸せですわ。
この後は、また着せ替え大会があります。
私は思う存分、甘めのティータイムで糖分補給をさせていただいたのでした。
少なくとも作中では逆ハーもBLも出ません。ご安心ください。




