8.「こんなことを言って、貴方に幻滅されてしまうかもしれませんけど」
「君は優しくて賢いから、侯爵家や国のことを考えて求婚を受けてくれたのかと……俺が嫌いではないにしても」
クリフに言われて初めて、ハッとなった私です。
ああもう、私と来たら、また肝心のところを伝えていませんでした……!
政略的にもクリフは最高の男性ですけれど、私はそういう意味でうなずいたのではありません。
「ご、ごめんなさいクリフ。恥ずかしくて申し上げていませんでしたわ……私も最初から、貴方が格好良いので見とれていたくらいで……ですから前向きなお返事をしたつもりだったのですが」
ふと不安になり、そっと付け足します。
「……私、そんなに出来た人間ではありません。こんなことを言って、貴方に幻滅されてしまうかもしれませんけど」
私はこの黒髪黒目が影響して、根暗で陰険と言われ続けてきました。前世さんのおかげで、あまり気にしなくなりましたが。
一方、高貴な容貌そのもののヒースクリフも、美しさゆえに逆に苦労してきたのが窺えます。
理由は正反対ですけど、容姿のことをあれこれ言われるのって嫌なものだ、という認識はたぶん一緒です。
なのに今の私!
面食いですと言ったも同然。だいぶデリカシーがなかったのでは……
ところが私は、さっとクリフに抱き寄せられてしまいました。
「そうか! 生まれて初めて、この顔で良かったと思った。そうか、凄く嬉しい」
「な、何でそうなりますの?! 私、反省しようと思ったところですのに」
「しなくていい。もう一回言って。三回でも四回でもいい、フィリアになら格好良いって言われたい」
耳元で殺し文句をささやくのは駄目ですわ! 急展開についていけません、やめてくださいませ!!
脳内の前世さんが語彙力を失って、ヤバいヤバいと騒いでいます。
おまけに私が真っ赤になったのを見たのでしょう、クリフは再び頬を寄せてきて「フィリア、可愛い」と追い打ちをかけました。
こ、これは……確かに。
「……格好良いですわ……すき……」
これ以上は無理です。
令嬢らしくなく、ヤバいヤバいと言ってしまう予感しかしません。
私はクリフの背中へ腕を回し、抱きついて誤魔化しました。
「ありがとう……君は本当に俺の女神だよ」
嬉しいですけれど、クリフは相変わらず私を美化しすぎです。
こんなロマンチックな場面で「ヤバい」しか出てこない元ゆーちゅーばーですのよ、私……
✳︎✳︎✳︎
恋人の魅力の高さと自分の残念さを思い知らされたところで、改めて薔薇園を歩いてみました。
色とりどり、何種類もの薔薇が咲きそろい、芳香が漂っています。伯爵が亡くなった奥様を愛していらしたのが伝わってきますわね。今も丁寧に庭師が世話をしているのでしょう。
「良い香りがしますわ、特にこのピンク色の薔薇は甘くて爽やかな香りですわね」
「フィリア、薔薇も食べるつもりかい?」
クリフの声もやたら甘く聞こえますが、内容はあまり甘くありません。私を理解してくれている、とは言えます。
私はにこやかに返しました。
「あら、薔薇って棘はあっても花に毒はありませんわよ? ニホンでは一般的な食材ではなかったですけれど、別の国では花びらのジャムや、薔薇水という飲み物がありましたわね」
妙な意味ではない文字通りの薔薇ネタ動画でやりましたわ。
観賞用の薔薇ではなく、山で野生のノイバラをたくさん発見したので花びらを採集して、色々実験してみたんです。
薔薇の花びらを集めて蒸留しますと、精油……所謂アロマオイルと副産物の薔薇水こと、ローズウォーターが精製できます。
できた薔薇水は水やお茶に混ぜて飲んだり、化粧品にしたり、使い道はさまざまですわ。
……前世さんが狭いアパートの部屋で自作した時は、とってもローズな香りで満たされまして。最初は良かったのですが、時間が経っても匂いがなかなか消えなくて大変でしたっけ……
そう言った事柄を説明していくと、クリフの表情がやや真面目なものに戻ります。
「ここは城の外にも広大な薔薇園があるんだよね。伯爵が若い頃、夫人のために造らせたらしい。香水や香料の製造もしていたはずだけど、食べ物や飲み物は聞いたことがないな」
「そう言えば、アストニアにもなかったと思います。もちろん香水や化粧品、入浴剤はよくありましたが」
「フィリアは薔薇のジャムや飲み物の作り方を知ってるのかい? 美味しいの?」
「ええ、そんなに難しくありません。味は、普通に美味しいですわよ。薔薇水は透明ですが、ジャムはピンクや赤の薔薇ですと色合いが美しくて女性に好まれますわね。美容に良いとも言われていました」
「それは良いね、後で伯爵の部下に話しても構わない? もし新しい特産品ができたら、伯爵の役に立てるかもしれない」
「もちろんですわ、私も大変お世話になっていますもの」
そこからクリフはラング伯爵領の風光明媚な観光地や美味しい特産品について教えてくれまして、私達は和やかな時間を過ごしました。
え?
内容が固い、恋人らしさが足りないのでは、ですって?
……クリフの顔を見ていないから、そのようなことが言えるのです。
色気全開で微笑んでいましたわ。
優しい眼差しで見つめられる身にもなってくださいまし。
話題までスウィートになったら、インドの激甘菓子になってしまいそうです。エスニックが香るドーナツのシロップ漬という強烈な一品で、前世さんも悶絶する糖度でしたのよ?
私はどうにか「ヤバい」を口にせず乗り切りまして、もう少し庭園を散策してから、一度それぞれの部屋へ戻りました。
飲み物を頂いてから、晩餐に向けてドレスを着替えます。同席するのは身内同然の皆様ですから大仰に着飾ったりはしませんが、身なりを整えるのは貴族、特に女性の嗜みです。
ヨランダとアリスが大喜びで手伝ってくれました。
まだ書類の上では確定していないものの、私は事実上フォンテーヌ侯爵令嬢の身分を取り戻し、クリフの婚約者に内定しました。今まで遠慮していた華やかなドレスや装飾品も使えるため、二人は生き生きしています。
「早くフィリア様のドレスをあつらえなくては! 今のドレスは既製品と、亡くなられた奥様が若い頃お召しになったもののリメイクばかりですから。質は良いですが、やはり最新のデザインを取り入れて……」
ヨランダは目がらんらんと輝いていますわね。
「伯爵様が再婚なさらないので、この城には高貴な女性がいらっしゃらなかったのです。フィリア様はじき王宮へ移られるでしょうけど、短い間でもお仕えできて光栄です!」
私の黒髪をまとめながら、アリスも楽しそうに話します。
「ええ、私も二人に会えて良かったわ。できれば、これからも着いてきてほしかったくらい」
社交辞令ではなく、そう思います。クリフ以外で、初めて心が通った二人なのですから。
ヨランダとアリスは驚いたようですが、目を見交わして微笑みます。
「本当ですか? わあ、嬉しいです!」
「ふふ、後で伯爵様にご相談してみましょう」
意外に二人とも乗り気のようです。もし実現したら心強いですわね、ラング伯爵には私からもお願いしようかしら。
さて、お化粧も終わりました。
晩餐室へ向かいましょう、料理長の本気ごはんが待っていますわ!
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私の実家、フォンテーヌ侯爵家は古くからの名門で、王都の邸宅も絢爛豪華な建物でした。
けれど、私は実を言うとさほど好きではありませんでしたわ。前世では衣服も家具も、動きやすく使いやすい実用重視で選んでいましたから、その意識がどこかに残っていたのかもしれませんわね。
その点ラング伯爵家は武門の貴族だからか、城内は剛健かつ、どっしりした調度で統一されています。晩餐室も紺色を基調とした渋めの内装です。私、こちらの方が落ち着きますわ。
何より、いかにも美味しそうな匂いが漂っています……!
「ラング領は海の幸もあれば山の幸もあり、温暖な気候で果物や薔薇作りも盛んでしてなぁ。闇の森は危険な魔物の巣である一方、希少な動植物をもたらし、珍味と呼ばれるものも獲れます。ぜひご賞味あれ」
私とクリフがそれぞれ席に着くとラング伯爵が口上を述べ、晩餐が始まりました。
「魚を使った前菜でございます」
きびきびと動き回る執事によって配膳されたお皿の上には「例の魚」が乗っていました。
「おお、マグロだな」
伯爵は食べるのが好きな方で、ジル料理長の雇い主。魚介類も気に入っているそうで、一目で種類を言い当てます。
「はい。先日フィリア様にも召し上がっていただき、お気に召したと伺ってお出ししました。もちろん、新たに仕入れた新鮮なマグロでございます」
「嬉しいですわ、ありがとうございます」
これはきっと、料理長がおっしゃっていた創作料理ですわね。
表面を軽く炙ったマグロのトロに岩塩を振り、香味野菜とソースを添えたものです。
口に入れると納得ですわ。大トロの脂っこさや匂いが気にならず、魚介を食べ慣れない人にも受け入れやすくなっています。
こちらでは冷蔵・冷凍が魔法頼みで、傷みやすい魚介類は現地の人しか食べないのが普通です。それで負け惜しみか食わず嫌いか分かりませんが、魚は庶民の食べ物だと馬鹿にされがちなのですよね。私もアストニアにいた頃……前世の記憶を思い出すまでは、ほとんど口にしませんでした。
料理長は漁村の出身で、そんな偏見を吹き飛ばそうとする反骨精神の持ち主という訳です。
「初めて食べたが、食感がとろけるようで美味しいね。フィリアも気に入ったの?」
「ええ! 私、すっかり魚介が好きになってしまいました」
クリフも、にこにこしながら食べています。
魚介類も全然嫌がりません。
さすが、私の毒抜き料理も平気だった人ですわね。
「君が何でも美味しそうに食べるから、気になってしまうんだよ」
「私のせいですの? 酷いですわクリフ」
「はは、ごめん。美味しいのは本当だ」
「わっはっは! 儂はお二人を見ておるだけで満腹になりそうですぞ!」
伯爵はワインを飲みながら上機嫌です。
その後も貝や海老のグリル、白身魚のムニエルなど、ジル料理長の気合が立ち上るような皿が続きました。
もちろん海産物だけでなく、闇の森で採れたという珍しいキノコ(食用ですわよ、念のため)のソテーや、伯爵が領内で養鶏を奨励していることから鶏肉や卵を使った、おしゃれな料理なども出てきます。
……前世の私は食いしん坊ながら、お金持ちではなかったので高級な料理やフルコースには縁がありませんでした。
今は貴族の娘ですけど、こういった会食は政治的な場であることがほとんどで、味わう余裕はなかったですわね。
「ああ、美味しかったですわ……!」
純粋に食事を楽しむなんて何年ぶりでしょうか。とても満たされた気持ちです。
デザートに桃のコンポートを頂き、しみじみしておりますと、クリフも笑顔を絶やさず言いました。
「フィリア、本当に幸せそうに食べるね」
「左様ですな、儂もジルの主人として嬉しく思いますぞ。本人に挨拶をさせてもよろしいですかな?」
「ええ」
「ああ、構わない」
うなずくと、しばらくしてジル料理長が現れました。
……いつになく眼光が鋭いような?
不思議に思いましたが、料理長が緊張した足取りでクリフに近寄り、コック帽を取って深くお辞儀をしたので分かりました。
そう、クリフはベルーザで二番目に身分の高い人ですものね。ジル料理長も気を張っているのです。
「……初めてお目にかかります。三年ほど前から、ラング伯爵家の料理長を務めるジルでございます。下賤の生まれにて、無礼はご容赦ください。……料理は、お口に合いましたでしょうか?」
「ああ。伯爵から食べにきてほしいと誘われていたが、なかなか機会がなくてね。すまなかった。美味しく頂いたよ……フィリアも君の料理を食べて元気になったようだ、礼を言わせてほしい」
「はっ……光栄でございます」
ジル料理長は再び深々と礼をして、次は私の元へいらっしゃいました。
「ジル料理長、いつも美味しい料理をありがとうございます。今日も大変素晴らしかったですわ」
私が微笑んでみせますと、料理長の眉間の皺がやや緩みました。
分厚い唇がめくれ、不器用な愛想笑いになります。
「お元気になられて何よりです…………が、肉が足りませんな」
「……あら、美味な魚介をたくさん頂いておりますけど」
不思議なことを言われました。
足りないとは何でしょう?
私はもちろん肉類も大好きですが……
「鶏肉も大層美味でしたわよ?」
首をかしげた私を見て、料理長の口の端から「ふしゅっ」という息の音が漏れました。眉間の皺も消えています。
私、何かおかしなことを言ったかしら?
「いや、あのですな。以前お目にかかった際より顔色は良くなられたが……まだお身体が細いというか、お痩せになっているな、と。ご無礼を申し上げ、まことに申し訳ない」
「まあ、そう言う……私こそ、はしたない勘違いを。悪食な女でお恥ずかしいですわ」
「いやいや、こちらこそ不調法でした。もっと美味いものを召し上がって健康になっていただきたい」
「いけませんわ料理長。コルセットが絞められなくなってしまいます。どうか程々になさって。皆様の賄い料理と同じで結構ですのよ?」
「……そのような訳には参りません。丁寧にお作りいたします」
残念ですわ……美味しそうですのに……!
いえ、どうすれば悪食を直せるのか真剣に考えなければ。
心の中で言ったつもりでしたが、ジル料理長には聞こえてしまったようです。「ぐふっ」と唸ったものの咳払いをして誤魔化し、もう一度お辞儀をしました。
「ジルよ、どの料理も良かったぞ。儂も其方を誇りに思う」
「は、一層精進を重ねます」
伯爵も笑顔です。
美味しいごはんは、やはり正義ですわ!
……ですが、食べすぎには注意が必要ですわね。
「あッッッまァァアアア! ヤバい! ヤバいよ! インド人もびっくり……しないだろうけど、こりは甘ぁーいぃ! 日本人もびっくりだよっ!」
by「世界一甘いとウワサのグラブジャムン食べてみた」




