7.「長い夢を見て生まれ変わったのだと思います。悪食な私に!」
こぼれ話を除いて、このエピソードから完全に連載版オリジナルとなります。
「フィリア・フォンテーヌ! そなたとの婚約は破棄する!!」
そんなセリフを叩きつけられた日のことを、私は一生忘れないでしょう。
アストニア王国にいた頃の私、フィリア・フォンテーヌは第二王子ロニアス殿下の妃になること、その役割を立派に務め上げることしか考えていませんでした。
ところがある日ロニアス殿下に王宮へ呼び出され、婚約は破棄する、悪女は国外追放だと言い渡されました。
訳が分からず混乱し、これは何かの間違いだと反論いたしました。
ですが、ちょうど国王陛下や王妃陛下、ロニアス殿下の兄君である王太子殿下も……私のお父様も、重要な会議に出ていて不在でした。
当時の私は妃になるための教育を受けていると言っても、十七歳の小娘に過ぎません。あり得ない暴挙で半分ポカーンとなっているうちに兵士に取り囲まれ、別の小部屋へ連れて行かれて、そこにいた見知らぬ侍女に服を着替えさせられました。
これはいけません、そもそもこの兵士も侍女も見慣れない顔ばかり……ひょっとして偽者では?と気付いたものの偽兵士達は帯剣しておりましたし、偽侍女も武術の心得がありそうで敵いそうにありません。
そのうち陛下やお父様がこの異常を知って何とかしてくれるだろうと思って、仕方なく彼等に従いました。
結果、闇の森に連行されてしまったので、陛下もお父様も全然駄目だったのですけれど。
今にして思えば私も私で脇が甘すぎました。ロニアス殿下の方が一枚上手だったのですが……あの方は思い込みが激しいところはあっても、悪どい性格ではなかったため油断していました。たぶん入れ知恵した者がいたのでしょう。
見事ぽい捨てされた私は魔物に喰われるか、飢え死にするか、潔く自害するかの三択かと思われましたが――
何とも不思議なことに、その時になって「前世」のことを思い出し……その記憶を頼りに生き延びることができました。
具体的に申しますと、周囲は毒のある動植物ばかりでしたから、毒という毒を抜きまくって食していたのですわ。前世の私は、そういう「さばいばる」が得意だったのです。
悪食な日々を過ごすうちに出会ったのが隣国ベルーザの王弟殿下――ヒースクリフことクリフであった、という訳なのです。
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「――ふぅむ。まことに創造神のご采配かと思われる出来事ですな」
私の前で顎を撫でていらっしゃる男性は、ラング伯爵です。クリフに同行する形で、領地へ戻ってこられたのです。
私はクリフの求婚を受け入れましたけど、お互い王族、貴族ですから、そう簡単に婚約とは行きません。
特に私は、アストニアで起こった婚約破棄騒動を片付けないと。
そこでクリフも私も大変お世話になっているラング伯爵と、まず話し合うことになったのでした。
私はクリフに闇の森から連れ出してもらった直後に熱を出して倒れてしまったので、意識がはっきりした状態で伯爵に会うのは初めてでした。
伯爵の方は一度だけ、眠っている私の顔を確認しにいらしていたそうです。身元を調べるためでしたが、女性に失礼をして申し訳なかったと謝罪されました。
いえ、こちらこそお手数をおかけしましたわ。
伯爵は、背はさほど高くなく横に大きい方ですが、前世の「力士」みたいな……脂肪より筋肉が詰まっている印象ですわね。強そうです。
実際、ラング伯爵家は闇の森に接する国境の警備を使命とする、バリバリの軍系貴族なのだとか。
伯爵はアストニアの情勢にも詳しく、私の名前もご存じでした。
部下を差し向けてお父様と連絡を取ってくれたのも伯爵です。
「何から何まで、ありがとうございます」
「なぁに、ヒースクリフ殿下のためですからな。もし侯爵がそんな娘は知らぬとおっしゃるようなら儂の養女になって頂こうかと思っておりましたゆえ、その点はいささか残念です」
「そこまで考えてくださっていたのですか……」
伯爵はクリフの親代わりのような御方なのですね。
話によればお父様は例の騒動の後、アストニア王家に抗議して私の行方を捜索していましたが……
私を連行した馬車は不幸にも口封じで消されてしまったようで見つからず、闇の森らしいと分かった時には一週間近く経っていたそうです。
「闇の森と一口に言っても非常に広大です。貴重な動植物採集や魔物狩の冒険者などが踏み込むこともありますが、フィリア嬢を乗せた馬車の目撃者はいなかったようですな」
「それに俺と出会った地点から考えて、かなりベルーザ寄りの場所に置いて行かれたんじゃないか? アストニア側から探しても見つからなかったんだろう」
常識で考えれば、貴族の箱入り令嬢なんてとっくに魔物の腹の中ですわね。
……私だって予想外でしたもの。いきなり前世の記憶が蘇るだなんて。
「フィリア……無理にとは言わないが聞いてもいいか? 毒を抜いて食べようって思った理由」
「そうですな、毒抜きや料理がアストニアの貴族女性の嗜みだという話は聞いたことがない」
二人とも気になるようです。
言っていることはもっともですわね。
「お話しするのは構いませんが……」
私は頬に当てて首を傾けます。
実は、この異世界では輪廻転生という考え方が一般的ではありません。
人は死ぬと創造神がいらっしゃる天の庭へ招かれ、永遠を過ごすと信じられています。
私は現実に転生らしきものを経験してしまったので、客観的に考えられますけど……
「……夢を見たのですわ」
少し考えて、私は言いました。
「闇の森へ置き去りにされた日に、私はとても不思議で精巧な、長い夢を見ました。夢の中の私はアストニアの貴族の娘ではなく、遠い遠い国で平民の女性として暮らしていました」
「ほほう」
伯爵が興味深そうに身を乗り出します。
クリフは何か考え込むような表情をしましたが、私と目が会うと「うん、続けて」と言ってくれました。
「……その女性は料理が得意で、色々な食材をおいしく食べるのが好きだったのです。そして、いつも前向きで失敗を恐れない女でした。夢から覚めた私はこれも天の啓示だと思い、彼女のように精一杯できるところまでやってみようと思ったのですわ。それだけなのです」
ふう。
うまく誤魔化し……げほんげほん、いい感じにしてお話できたのではないでしょうか。
実際には転んでもただでは起きない――たとえ調理に失敗してゲキマズな一皿が爆誕しても、それはそれで動画のネタとしては「とっても美味しい」ので――何事にもめげないメンタルが出来上がっていたのですけれど。
………………。
う、嘘は言っていませんわ!
「ふむ、では夢で得た知識を使って、毒を抜いて料理をされていたと言うことですな?」
「はい。夢の国……ニホンという国でしたが。こちらとは動植物の種類が違いましたので、そこは〈鑑定〉の魔法で知識の神に助けていただきました」
「にほん……か。確かに聞いたことがない国だね」
「儂もありませんな……しかし〈鑑定〉ですか。そんな使い方もできるとは」
「俺も知らなかったよ。うん、フィリアの事情はだいたい分かった。伯爵、アストニアの情勢は?」
「はっ。事件の詳細が分からなかったため膠着状態が続いておりました。フィリア嬢は表向きご領地で静養中ということにしていたそうです」
ロニアス殿下は父王陛下や私のお父様に何を訊かれても「そんなこと知らない」としか言わなかったそうで。美しい男爵令嬢サーラ様に入れ上げ、根暗で陰険な私の顔はもう見たくない、サーラ様と結婚したいとなって、勢いで婚約破棄と国外追放を言い渡したのだそうです。
その後のことは考えていなかったようですわね。一切、全く、何にも。
……いつものロニアス殿下ですわね。
「……フィリアの国のことを悪く言いたくないが、そんなのが王族で大丈夫なのか……?」
クリフが顔をしかめています。彼も王族の一人、思うところがあるのでしょう。私は薄く苦笑いを浮かべました。
「そこをお支えするのが私の役割だったのですけれど……もう戻りたいとは思えませんわね」
「いや、絶対に戻さないし戻らないでくれ、頼むから。そうすると、裏で糸を引いていたのは浮気相手のご令嬢なのかな」
「サーラ嬢とその父親が疑われていますが、こちらも一切知らぬと言い張っており慎重に調べていくそうです。ひとまず、フォンテーヌ侯爵はフィリア嬢がベルーザで見つかったこと、伯爵である儂に匿われていたことなどを公表なさいました」
クリフも言っていた例のストーリーですわね。
私が独りで二か月も闇の森にいた、という事実は貴族の外聞として不都合が多すぎます。
ですから、置き去りにされた直後にクリフに保護されたものの、体調を崩してラング伯爵家に滞在していたことにする、と。
私がクリフに連れ出されたのも、伯爵家で療養していたのも事実で、ただ期間だけ改竄する――全くのデタラメとは違い、真実が混じっているのでバレにくいという訳です。
「殿下はフィリア嬢を気にかけて見舞いをしているうち、恋仲になられた……そういう筋書きですな。ここ数か月、殿下は何回か闇の森の調査に同行されていましたゆえ不自然ではないでしょう」
「ああ。部下にも言い聞かせてある」
「我が家の使用人達も問題ありません。フォンテーヌ侯爵は強気に交渉なさるそうです、その結果を待ちましょうぞ」
伯爵は豪快に笑って、ぱん、と手を軽く打ち合わせました。
「さて! よろしければ、今晩は祝杯……にはちと早うございますが、フィリア嬢の快気祝いとして晩餐をご一緒にいかがですかな。料理長のジルが腕を振るうと申しておりますぞ」
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晩餐までは二時間ほどあるとのことで、私とクリフは伯爵家の庭園を散策することになりました。
「薔薇園があるのですね」
「亡くなった伯爵夫人が薔薇好きだったんだ」
ラング伯爵の奥様は十年前に亡くなられ、以来伯爵は再婚せず独り身。仲の良いご夫婦だったそうです。
お子様は一人息子で、今は王都にいらっしゃるとのこと。クリフとも悪友みたいなもので「機会があれば紹介するけど全然気を使う必要はない」と言います。
私はクスクス笑ってしまいました。
尋ねられて、私のことも話しましたが――
改めて振り返ってみますと、取り立てて親しい相手がいません。
両親や弟とは家族らしい温かさはなく表面的な関係。
友人というか取り巻きの令嬢達も、派閥の利害で繋がっている人ばかり。
使用人も……酷い扱いこそしませんでしたが、あくまで召使とその主人、でした。
「……私、あちらでは思ったより寂しい生き方をしていましたわ。つまらない女でしたわね」
「そんなことはないと思うけど……今の君とは違う?」
「ええ、かなり違いますわ……長い夢を見て生まれ変わったのだと思います。悪食な私に!」
「……前に、平民になって生きていくつもりだと言ってたのも、夢の影響?」
……あら?
クリフの声が少し、寂しそうに聞こえますわね?
隣にいる彼を見上げますと、形の良い眉が下がっています。
「ん……いや、貴族の娘が平民になって生きていける訳がないと思っていたんだが……君ならできてしまうのかな、と。すまない、フィリア」
私はびっくりいたしました。
そして彼の頭の良さと優しさに、深く静かに感動もしました。
ヒースクリフは言うまでもなく、結婚相手としては超の付く優良物件です。婚約破棄された傷物ゲテモノ令嬢の私などには、もったいない人ですわ。
なのに私のことを思いやってくれます。
身分ある彼に求婚され、私の人生が百八十度変わってしまったことにも気付いて謝罪までしてくれるのです。
「――確かに私、最初の婚約があんな風にめちゃくちゃになりましたから。侯爵令嬢の身分を捨てて、もう結婚なんかせずに、夢の中のように平民の暮らしをするのも悪くないと思っていました」
「…………」
過去形で言ったのですけれど、分かってくれたかしら?
立ち止まってしまった彼に、私は微笑みかけました。
「ですから、それを吹き飛ばすほど私の好みに合っていて、素敵だと思う男性でなければ結婚の申し込みを受けたりいたしませんわ!」
クリフは何度か、深い青色の目を瞬きました。
それから、うっすらと頬を染め、かと思うと手のひらで顔を隠してしまいました。
…………えっ?
貴方、女性から言い寄られた経験なんて腐るほどありますわよね?
なんなら大豆の山が全てナットウになる勢いですわよね?!
その初心な反応は一体?!
妃教育の成果で表情を保ったものの、私の心の中はアワアワです。
すると彼は顔を隠したままぽつりと言いました。
「フィリア……その、自惚れかもしれないが。君は俺のことが、好きなの? 男として?」
…………。
今になって、そこを訊くんですの?!




