7
月が空に姿を見せて、暗い街にとって貴重な明るさとなっていた。
僕は、山下さんの電話番号をプッシュする。いつも、あの機械的な呼び出し音というのは僕を緊張させる。
ああ、もしもし。という僕の声は少しかすれた。電話越しの彼女はふふふと笑った。
「声、震えてるよ。なんで、そんなにかたいの?私は取って食べちゃったりしないのに。」
ぼくも、それには笑って返した。それから、例の宿題が出来たよと報告する。
窓から覗く月が早まる僕の気持ちを抑えてくれる。
「え、どんなの?聞かせて。」
彼女は決してはしゃいだりはしないで、でも心底愉快そうに言う。声が半音高くなり、からんからんとなる握り拳くらいの鈴のようだ。
「あのさ。文字にしたんだ。三千文字くらいの。」
「そう。」
彼女の声に驚きが混じるのがわかる。きっと、わざわざ書くとは予想外だったんだろう。しかし、重いのかもしれないという考えがよぎる。口の方はといえば、そんなことは御構い無しに続けた。
「明日にでも渡したい。明日、日曜日でしょ?会えるかな。」
「私、今すぐがいい。新大宮駅まできてくれない?」
山下さんは即答した。
新大宮駅とは僕の最寄駅から三つ目のところにある、学校のすぐそばの駅だった。
数日前は丸々としていた月は、いくらか身をやつしているかに見えた。かたんかたんと走る列車には、ほとんど人はいない。あんまりにも暗くって、通過する駅の明かりが眩しく思えた。
それもそのはずで、もうすでに十時を回っていた。
改札を抜けると、待ち合わせ場所として作られたのであろう小ぢんまりとした広場の椅子に彼女は腰掛けていた。寒々とした広場に彼女は妖精かのようにいた。
やあ。と声をかけ得ると、ふふと笑って彼女はこちらを見た。顔は暗くてあまり見えなくて、だからこそ彼女は微笑んでいるかに見えた。
彼女に勧められて僕は彼女の隣に腰掛けた。椅子はひんやりしていた。彼女が、手をつなぎたいと言った。
もしかすると冷えてしまったのかもしれない。
待たせたかと聞くと彼女は首を振った。僕の手に乗せられた小さな手は温かかった。
五分くらい僕らは黙って、秋の長い夜の流れに身を任せていた。
ぼくらを、背後からブロンズの像が見下ろしているのを感じる。
「ねえ、見せてよ。宿題。」
彼女の顔がこちらを向く。近かった。くるんとした目に、じいと見とれてしまったが、それも気恥ずかしくて目を逸らした。
「うん。」
僕は肩がけのカバンから宿題を取り出した。安達やゆうきくんに見せて、次で三人目であるのに緊張する。
彼女は白くぼんやりした電灯の光の下まで歩いて行き、それを読んだ。僕は椅子に座ったまま、文字を追う彼女を手持ち無沙汰に見つめた。
「素敵。」
真っ白い電灯がうしろから彼女を照らしていて、表情は全くうかがえない。
ただ、いつになく興奮した彼女の声が、寂しい夜に反響するのが聞こえる。
「そう?」
「そうよ。そうよ。だって、私はあなたのたった一人の山下結になれるはずよ。ね?私があなたを変えたら、ただ一人になれるわ。」
「もうすでに君は僕に大きな変更を加えたよ。」
え、なにそれ。と山下さんはこちらにきて、僕の顔を覗き込んだ。
内緒、と僕が言うと頬を膨らませて、ケチとつぶやいた。
それから「ごめんね。あんまり、遊びに行けたりしてなくって。」と言った。
彼女とはその後いっぱい話した。部活のこと、友人のこと、月のこと、明日のこと。
彼女が一言発するたび、僕がさっきまでの僕ではなくなっていくのを感じた。 夜はどんどん更けてゆく。
以上。一緒に見直ししてくれてありがとう。
完全な形になったら、その時はまたよろしく。