第13話 紡績業《一部改稿》
ひっく……あとは……うん?
不老不死のハイエルフ様はどこに行ったかって?
さあな、古代魔法王国と共に歴史から消えたよ。
噂によると今も魔大陸の奥を彷徨っているって言われている。
実際に何があったのかは誰も知らんさ。
――夜通し種族について語るおっさん
朝、まだ陽の光が差す前の薄暗い時間帯。
東の山脈のせいで空が明るくなってから日が照らすまで少し時間がかかったりする。
けど空もまだ暗い時間帯のようだ。
都合のいい時計が水時計ぐらいしかないので正確な時間が分からない。
ついでに獅子落としの「かぽーん」音がうるさいので広場にしか置いてない。
「精密な機械時計となると歯車の比率の計算とか面倒なんだよな」
それならいっそ――。
そうごちりながら広場にランタン片手に向かう。
吐く吐息は白い。
早朝は温度が急激に冷え込んでる気がする。
それでもまだ雪が降るというほどではない。
ふと広場を見ると一人のスライム娘が時計の前に立っていた。
「やあアル、おはよ――」
「ァ……ゥァ……ォ……」
何か様子が変な気がする。
「アル?」
「……ァ? あ、工場長様おはようございます」
さっきとはうって変わっていつもの感じになった。
「大丈夫か? 何かあったのか?」
「いえ、別に――そうですね。水時計が止まってしまいました」
そう言われて見ると一部凍り付いて獅子落としが止まったようだ。
「確かにこれは問題だが、さっきの様子の説明になってない」
「うぅ……じ、実はこの体の一部も凍り始めています」
言われて今度はアルタの足元をランタンで照らすと表面が少し凍っているのが分かる。
「ああ~、ほんとだ」
「そ、それからですね。そ、素体の関節部分にゴムを使ってるのですが、冷凍に弱いのか劣化し始めています……」
そういえば最近の報告書にもゴムの劣化が指摘されていたな。
それは合成ゴムの弱点の一つだ。
現代社会でもいまだに天然ゴムが現役どころか航空機なんかのタイヤは天然ゴムが主流だ。
なぜなら高度数万メートル上空の氷点下の世界で使われて、そこからわずか数時間で常温の飛行場に降り立つ。
そんでもって着陸時には数百トンの機体重量と地面との摩擦熱がこれでもかと負荷がかかる。
そんな地獄のような環境で使えるゴムは基本的に天然ゴムしかない。
もしかしたらゴム開発の最前線では天然ゴム同等合成ゴムができているかもしれないがとにかく工場都市にはない。
「つまり使用条件外の温度のせいで劣化してるってことか」
「はい、多分ですが都市の溶鉱炉やボイラーのような高温環境と外気の温度差が原因ですね」
「うーん、後でゴムの改良をするか――それまでは鉄板とかサンドゴーレム形態で作業を――」
「――嫌です」とふくれっ面で断固拒否を表明するアルタ。
「えぇ、なんで?」
「だってあの姿は可愛くないです……」
おおぅ……そんな理由で拒否したことはなかったじゃないか。
いやこれは絶対に建前だ。
多分別の目的があるな。
…………なんだ? 一体何を考えている?
「と、とにかく可愛くないので冬は暖かい部屋で研究に集中したいです」
もしかしなくても家の中でぬくぬく過ごすつもりか!
もしやゴーレム製造含めて生産方面の自動化に精を出しているのは、もしや極寒の冬季は巣篭るつもりなのか。
「そ、その……冬は危険なので部屋から出ない方がいいので、ご一緒に……ごにょごにょ」
それはあれか、豪雪の中、嬉々として工場の建設に出かけないように体を張って止めようとかそんなことを考えてるんじゃないよな。
それじゃあ、あれか――吹雪の日にコタツに入って一日中、文字通りベッタリとかそういうアレか!
…………。
ふぅ、落ち着け、もう少し様子を見よう。
「じゃあ、しょうがないね」
「はい、しょうがないのです!」と何か強い意志を持ってハッキリと返事をする。
そして「ゥ……ン!」と言って表面が凍った体をバリバリ割りながら動き始めるアイススライム娘。
君は一体いつからそこで動けなくなってたんだい?
それにしても冬の生産能力が予想以上に下がりそうだがしょうがない。
実際問題として医者も病院もないのだから、無理をしたら本当に凍死してしまう。
「お、空が明るくなってきた」
「それでは先に向かってください。すぐに追いつきます」
「ああ、分かった」
寒くなっていろいろ問題が起きている。
後で問題点を洗い出さないといけないなぁ。
とりあえず今日の予定を進めながら考えよう。
アルタは嘘をついていた。 時計の前で一部が凍るぐらいの時間――意識を失っていたことを。 それを無理やりはぐらかすのは工場長に目の前のことに集中してもらいたいからだ。
◆ ◆ ◆
我々は尋常じゃない開発速度により大スライム戦争以前よりもはるかに規模を上回っていた。
しかし戦乱により国土は荒廃したため古より住まう森の民モーアー族達が流浪の民となってしまった。
そんな彼らを見捨てる事が出来なかった心優しき工場長は彼らに救いの手を差し伸べて都市へと受け入れる。
その善行に感激したモーアー族達は都市での労働に従事するようになった。
後世の人々はその功績を称えて――。
――っていう話だったらよかったんだけどなぁ。
「モァ~……スヤァ」「スヤァ……スヤァ……」
目の前のモーアー共はそのほとんどが食べるか寝るぐらいしかしなかった。
それから南門から同族達がぽつぽつとやってくる。
基本的に時間というか行動原理がルーズというか――おおらかというか。
あれかな、集合時間を1週間くらい間違える人たちかな。
とは言えタダで泊めるほど工場都市は余裕はないので少々対価をもらいに行く。
等価交換とまではいかないけど多少のギブアンドテイクだ。
人間とは違い長時間労働に向かない種族なのは先刻承知だ。
そもそも単純労働以外は極力排除したこの都市で複雑な事をさせるつもりはない。
「それでだモノよ。モーアー達の毛づくろい後の毛をすべて買い取ろう。あとちょっと働いてもらうぞ」
「もー、モノ。モーアー、もあああ、もふもふ、もふも~ふ。もと、もうとう」かわいい。
「モッケー!」
「オッケーだそうです」
「よーし、これで紡績工場から防寒着をつくれそうだ」
その後、ついでにミルクと唾液も提供してもらうことになった。
なんかのマンガや映画で口噛み酒という衝撃的な内容により、発酵食品の菌というのはどこから正解が得られるかよくわからないという事を知っている。
そんな雑学をうちの錬金術師に話したりしたらどうなるか想像が出来よう。
嬉々として酵母菌や酵素の研究用のサンプルとして唾液を採取した。
要するに宿代飯代として、たい肥、体毛、ミルク、唾液そしてわずかながらの労働力を払ってもらう。
まあ、そういう友好関係を築いていくことになった。
◆ ◆ ◆
対価として手に入った魔物の毛――つまり魔毛は50kgになる。
毛布とかが1kg前後だったかな――そうなると毛布50枚分というそれなりの量になった。
多いように思えるが羊と比べると少なすぎる。
羊毛は一頭あたり3~4kgと考えると20分の1ぐらいになる。
これは毛を全部刈り取る毛刈りと毛づくろいの差でもある。
最初の一回はけっこう採れたが今後はそこまで採れないだろう。
集まった魔毛を見ていく、モーアー達の毛の色はバラバラだ。
モノは白い毛でそれ以外は黒から三毛までほんとに種類が豊富だ。
毛の色や模様の種類はネコと似ている。
それから懸念材料だったモーアーの毒性については実際は無いらしい。
どうやら周囲の魔素という謎の要素を毒に変えているようだ。
ありていに言うと魔法だ。
つまり普段は毒性がなく死後に猛毒自爆攻撃をして、同族を敵から守るということだ。
死後に発動する魔法とか能力とか、これだからファンタジーは恐ろしい。
そういうわけで毛に有害物質がないので漂白と洗浄をすることにした。
「あ、工場長だー。久しぶりだー」
そう言いながら小さなノーム達がワラワラと足元に集まってきた。
漂白と言ったら塩素、洗浄と言ったらソーダ水。
――という事で懐かしの製紙工場にやってきた。
炭鉱の次にテコ入れをしていなかったので今もノームゴーレム達が機械のメンテとホコリの掃除をしている。
「それじゃあこの羊毛――じゃなくて魔毛を紙と似た要領で漂白してくれ」
「はーい」といってゴーレム達が洗浄作業をしていく。
だが一体だけ人のヘルメットの上に乗っかっている。
「ねーねー冒険しよー」
コイツは前に洞窟内を探検した個体だな。
「悪いが都市の外は前よりも危険だから冒険はなしだ」
その後は「つまんなーい」コールを連呼する。
「あらあら、工場長様をあまり困らせてはいけません」
「そうだな、希望者がいれば北部の開拓に回ってもらうのはどうだろう?」
「あら、そうですね。それがいいかもしれませんね」
「新鮮な掘削だー!」
それにしてもゴーレムも不満とか持つんだな。
いや、カルという前例もあるからおかしな話ではないか。
――――
――
さて、漂白してドライヤーで乾かして大量の白い魔毛になった。
不純物と脱色で重さが減って、25kgになった。
結構減るもんだなぁ。
この魔毛を北部に作った工場に運び入れる。
新しくできた鉄橋には中央に両側がせり上がる跳ね橋がかかっている。
油圧クレーンは第二の橋を架けるために動いている。
できるのはまだまだ先だ。
それまではこの唯一の橋で物資を運ぶことになる。
ここからが糸づくりになる。
前に世界で一番車を売る会社の博物館に見学に行ったことがある。
そしてその前身である紡績機械なんかが展示してあるコーナーの展示物は見ていて面白かった。
本来なら近代紡績機械を大量に投入して自動化してつくる。
ところが日当たり1kg以下しか集まらない魔毛だと糸を作るのが精々だ。
ちょっと計算してみよう。
飛び杼という謎の物体が右へ左へ行き交う機織り機を作った場合。
機織りして布を編むために糸を大量に並べなければいけない。
ミシン糸のような物――家庭科の授業用のがたしか200メートルぐらいだったはず。
そんなミシン糸のような物を布になるぐらい横並びにする。
実際の個数は糸の太さによって数量が変わるから何とも言えない。
だけど欲しい糸は極太の糸になる。
これから冬対策をするのに夏物の細くて薄い生地では意味がないからだ。
そして羊毛というのは重さ1kgから長さ1km出来たらそれを1番手と呼ぶそうな。
20番手なら重さ1kgから長さ20kmみたいな感じになる。
冬用なら1番手を選択するべきだろう――そして極太なら仮に200個として計算すると。
200m×200個で合計で40㎞ぐらいは必要になる。
残念ながら重量換算で最大25㎞分しか作れないのでこの時点でいろいろ問題がある。
――要するにだ、仮に1番手の毛糸で布を編むと幅数メートル長さ100メートルぐらいの布を作れるということだ。
25kgの糸からはそのぐらいしか作れない、と予想できる。
これって問題が多くて、せっかく紡績機械群を作っても一瞬で原料を消費して開店休業状態になるってことだ。
これでは機械を作るだけ無駄になる。
「アルは裁縫ってわかる? この魔毛1kgからどのぐらい服が作れるかな?」
「そうですね。昔、ばあやが編みながら教えてくれましたのは――ええと計算し直すと1kg程度の重さからコートのような服1着分になりますね。セーターでしたら2番手という糸で2着ほどだと思います」
太さと用途によって全然違うはずだが、おおよその目安としては十分だ。
たかだか100メートルの布のためだけに飛び杼を使った紡績機を作るなんて無駄でしかない。
うーん、そうなると……。
少し考え事をしていると――『工場長様へ手編みセーター、うふふ、冬にやる事……ふふん』とブツブツ言うスライム娘。
やっぱり冬に引き篭もる気でいるな。
おっと、いかんいかん集中して装置を作らないといけない。
「という事で作り上げたのが、古風な手回し機械群になる」
まず最初の機械をドラムカーダーという。
カーディングという工程をするための道具だ。
今までの製造と同じ発想で行くなら品質のバラバラな糸を適度に混ぜ合わせる工程が必要だ。
けどそもそもの品質がまだ分からないから魔毛をいい感じに一塊にした物を用意する。
この板状にした物を針山のようなドラムに巻き込んでいく。
そうすることで糸の方向性を整えた謎の物体ができあがる。
この謎の物体――スライバーを練条機で毛糸のお化けみたいなのにするのが自動化の第一歩。
けどそんなもの作るつもりがないから、これまた古風な糸車を作った。
これで繊維を捻じってより合わせる。
これで毛糸ができるってことだ。
「ふふ、懐かしいですね。手の空いた人が良く回して糸を紡いでいました」
アルタはそう言いながらスライバーから糸を作っていく。
「アルも使ったことがあるのか?」
「はい錬金術の素材を糸にしたり三つ編みにするために扱っていました」
錬金術師たちは隠さなければいけないことが多い。
だから素材の加工を秘密の研究室で自分たちで行っていたのだろう。
アルタの糸車の扱いをモーアーの労働者たちが見よう見まねで挑戦する。
出来た毛糸は多少いびつだが手作業にしては上出来だ。
ゴーレムにやらせてもいいんだけどプラスチックや金属片が混入する可能性が高い。
そういうわけだからモーアー達にやってもらう。
――――
――
机の上に大量の手回しドラムカーダーが並んでいる。
それをモーアー達が手回しで回して糸を整えていく。
そして何十台も設置した糸車で糸を紡いでいく。
できた糸の束は少しずつ積み上がっていく。
この分だと数日中には25kgの魔毛は全部糸になるだろう。
糸の製造は綿花なんかが見つかるまではこんな感じの少量生産になる。
それでも糸ができた。
だからこの糸を使ってちょっとした実証実験をすることにした。
さてここに黒色火薬を包んだ紙の紐がある。
これに火を点けると発火しながら紐を燃やす――いわゆる導火線になる。
しかし全体が火薬みたいなものだから扱いづらい。
そこでこの導火線に先ほどの毛糸をいい感じにぐるぐる巻きにする。
これがどういうことを意味するかというと大砲の導火線ができたということだ。
「という事で実証試験用の大砲がこちらになります」
場所は北部の壁の上、そこには鉄の大砲が設置してある。
「あら? なぜこの導火線が必要なのですか?」
「信頼性のある信管が無いから代わりに使うんだよ」
丸砲弾の中に黒色火薬を入れて導火線と粘土でフタをする。
あとは発射したときにうまい具合に導火線に火が点くようにする。
すると砲撃後に地面に着弾してから爆発する――はずだ。
いえーい。
つまりカリブ海的なところのパイレーツ達が大好きな榴弾ができたと言ことだ。
あるいは爆弾を使い友達を嵌めて爆死させる友情破壊ゲームの方が有名かもしれない。
この手の導火線は必ず端から燃える。
間違っても途中から火が点かない。
その理由はたぶん中心の爆薬の紐と周囲の普通の紐という構成によるものだと思われる。
これがうまくいけば16世紀の空気銃にロケット砲そして大砲が揃う。
「それじゃあ、北部の荒野に向けて試し打ちだ」
「ハッ! 了解であります! 点火!」
そう言うと導火線に火が点く。
黒色火薬の熱化学反応により閃光が発生する。
そして徐々に徐々に大砲へと進んでいく。 が――。
――ポタ。
うん? これは雨か。
「火が消えたー」とノームゴーレムが言う。
見ると火薬が湿ったのだろう導火線が途中で消えてしまった。
「工場長様、西から雨雲が来ています!」
それは昔見たことがあるゲリラ豪雨のカーテンのようなのが西からこちらへとやってきている。
それもとてつもない規模だとココからでもわかる。
黒い雨のカーテンがまだ夜じゃないのに影のようにゆっくりと迫ってきている。
それがとても不気味な様相を示している。
「洪水になるかもしれない――北部から撤収! 全員南部に移るように!」
その号令によって作業を中断して橋を渡り南へと移動する。
冬対策の前に豪雨対策をしなければいけないな。
「アル! 無線で各鉱山に警戒を伝えてくれ」
「わかりました。工場長様は?」
「モーアー達の掘っ立て小屋を強化してくる。あとノームをインベントリにしまっといて」
「えー外で――」抗議を聞く前にインベントリ行きになった。
「あまり無茶をしないでくださいね」とアルタが言う。
「そっちもね」
さてとゴーレム達と日曜大工をしたら、用水路の確認――という死亡フラグを回避して引き籠ろう。
いのちだいじにだ。
◆ ◆ ◆
森の木々は伐採されると警戒ガスとしてエチレンという芳香物質や複雑な化合物が放出される。 それら反応物質は分速1メートルというスピードで『根』の繋がった森林ネットワークへと広がっていく。 例え根の繋がっていない所でも菌糸類がゆっくりと胞子を撒きながら周囲へと警戒反応を伝える。 この反応は森の虫や動物達に樹に害虫が付いてることを知らせる役割がある。 そうすることで葉に付いた害虫を食べてもらうのである。
工場都市から流れる伝達物質がついに森の奥のキラーホーネットの巣まで流れ込む。 巣の奥で虫たちが活性化し蠢く。
『ギギッギチギチ……』
ウッド{ ▯}「……水時計の欠陥、ゴムの欠陥、紡績関連、導火線」
ストン「 ▯」「2話構成だと冗長だからって窒素と関係ある導火線まで一気に詰め込み過ぎたね!」




