第12話 冷却サイクル
魔法技術に関する報告書
北大陸は魔物が操る原始魔法と類似しながらも精錬させて発展しています。
詳細は添付資料1~15を参照。
南大陸の魔法技術は北大陸とは別方向に発展しています。
この大陸では道具、特に魔石を活用した魔導具の開発に余念がありません。
詳細は添付資料16~33を参照。
我が国は両大陸から知識人を迎え入れて最新の魔導具を開発しています。
詳細は添付資料34~120を参照。
最後に我々と同じく魔力を持たない獣人達が面白い発火器を使っていました。
魔法を使わないで火を出すその道具について調査したいと思います。
つきましては予算配分について改定案を添付いたします。
詳細は添付資料121を参照。
――東の海洋帝国及び諸王国同君連合・皇帝直下学術機関 『王の目』
潤滑油の生産が始まったので久しぶりの計量と計算をしてみた。
まずはおさらいとして石油の産出量は1つの坑井から1590リットル/日つまり11リットル/分だ。
そして、蒸留によって重油は20%分となる――2.2リットル/分の生産能力だ。
ここから重油の処理になる。
その重油からアスファルトとろうを分離した。
両方を合わせると10%ほどが無くなった――重油生産量は2リットル/分になる。
さて、本題である減圧蒸留によって重油は3つのグレードの基油と軽油に分離することに成功した。
軽油は潤滑油として不適合だ――なのでついでに10%ほど目減りした。
偶然であるが基油は丁度30%で分離したのでそれぞれ0.6リットル/分になる。
つまりトータルで1.8リットル!
日当たりに戻すと2592リットル/日の潤滑油が手に入る。
いいね。毎日2トン以上も手に入る。
だが、だからこそ生産量を落とした方がいいだろう。
なにも重油をすべて潤滑油にする必要はない。
重油は火力が強いのでボイラーの燃料としてよく使われる。
半分は潤滑油、残りの半分は燃料ということにした。
潤滑油の生産が始まったという事は蒸気機関を本来の出力で稼働することができるということだ。
いままで小型ピストンを使い10馬力ほどで動かしていたのが本来の性能――1000馬力の出力を出せるということだ。
そして高馬力高速回転運動ができるという事は冷凍サイクルを回せるということになる。
さあ、玉座の呪いを解こう。
◆ ◆ ◆
「今日の分離作業は終わりました」
アルタがそう言ってやってきた。
だがその後に聞かされた内容によって心が折れそうになった……。
「そんな、バカな……」
「ふふ、ばっちり見えてましたよ」
まさかモノにリアクション芸を仕込んでいろいろやっていたところを見られていたとは……恥ずかしい。
「あらあら、そんな落ち込まないでください。本当に楽しそうで可愛かったですよ」
「おふぅ」
……穴があったら入りたい。
――閑話休題。
「ごほん、それでは冷凍サイクルという新しい技術に挑戦する」
「前々から仰られていた氷を作る方法ですね」
「ああその通りだ。この体系化された技術の発端は圧力と温度にある」
「圧力と温度……ですか?」
「まずはその感覚を掴むために原始的な発火装置から始めよう」
人類の祖先はあらゆる方法を用いて火を起してきた。
古典的なのは摩擦と火花で火種を作る方法だ。
木の棒を回転させる原始的な方法と金属を含んだ石を打ちあう原始的な方法だ。
そこから技術力が上がるにつれて虫メガネ光学式、マッチ化学反応式、点火プラグ電気式と新しい手法が発明されてきた。
多種多様な着火方式があるがディーゼルエンジンの着火方法はそれら他のどの技術系統とも違う。
――使われた方法は《圧縮着火》方式だ。
その歴史は遥か遠い島国イングランド――ではなく東南アジアに起源がある。
そこで誕生した発火器が《圧気発火器》だ。
またはファイヤーピストンともいう。
この謎の発火器は東南アジアまで進出したヨーロッパ人が初めて遭遇して、本国に持ち帰りイギリス人がちゃっかり特許登録したといわれている。
特許は早い者勝ちだからしょうがないね。
この発火器をドイツ人技術者カール・リンデという冷凍機の発明家が大学講演で披露した。
その講演を聴講していた学生ルドルフ・ディーゼルがのちにディーゼルエンジンを生み出すきっかけになった。
「――という事で金属の筒とゴムでいい感じに密閉できる棒そして棒の先端に付けるモノの毛を丸めて炭にした小さいチャークロスで完成だ――セイッ!」
ピストンを一気に押し込んで圧縮した空気が反発する。
棒を取り出して先端を見ると付けていた炭に火が点いていた。
「この通り、うまく火が点いてくれた」
「ふふ、50回目でやっと成功ですね」
く、結構コツがいるから困る。
「とにかく、これがディーゼルエンジンの基本的な着火原理――断熱圧縮だ」
断熱圧縮――魔法瓶とまで言わないが周囲を断熱した状態で、気体などを圧縮すると圧力エネルギーが熱エネルギーに変換するエネルギー保存現象。
筒はできるだけ小さく、表面積を少なくするのがコツだ。
これで最大まで圧縮するとおよそ400℃の高温を出すことができる。
そしてディーゼルエンジンはこの時の温度で発火する軽油を燃料として使っている。
「あのーこれで温度が上昇するのは分かりましたが、どうやって冷却させるのですか?」
もっともな疑問だ。
「このピストンで発火させるほど高温になるのに、筒の温度はそこまで熱くならないんだ」
「それは――圧縮加熱のあと膨張冷却が起きてるからではないでしょうか」
「そのとおり、それを断熱膨張という」
断熱膨張――断熱圧縮が逆転した現象。 圧力エネルギーの低下が熱エネルギーの低下として表れている状態。 逆に言うと圧力を下げれば必ず温度が下がるという事である。
つまりファイヤーピストン内の温度はプラスマイナスゼロになる――それにプラス発火分が加わるぐらいか。
話を聞いていたアルタがメモを取りながら「それで」と次のステップを促す。
「そこで圧縮工程と膨張行程をあえて別の場所で行う。すると片方は常に熱くなりもう片方は冷たくなる」
これを応用したのが冷凍サイクルだ。
熱の研究は蒸気機関の台頭により発展していった。
19世紀初頭までは現場の経験則から改良がくわえられてきたが、そこに学術的な観点がほとんどなかった。
それが当時の学説と現場の現象で乖離が大きくなっていき、そこが学術的な研究対象へとなっていった。
その結果1840年代に熱力学第一法則その次に第二法則という概念の発見に到った。
そして30年後にそれら法則を利用した冷凍サイクルをディーゼルの師匠であるリンデが発表した。
「この装置にプロペラつけて循環するようにすれば片方を常に低温にしつつ、もう片方を高温にできる」
つまりエアコンの事である。
あれは室外機の圧縮装置が熱くなり、室内のエアコンの中の謎の装置が冷たくしている。
「熱の法則ですか――少々難しいですね」
「そうでもないよ。うーん、感覚的な話だけど化学反応というのはいい加減なんだ。だから未反応の物質を回収して再度反応させないといけない。けど熱というのは律義なんだ。だから一度圧縮して高温にしたら膨張時にはその高温にした分だけ低温にしてくれる」
「――つまり圧縮で20℃から100℃になった後、20℃に冷やして膨張させるとマイナス60℃に――なる?」
ちょっと自信なさげに聞いてくるアルがかわいい。
「そうなんだけど、実際は一度の熱交換程度ではマイナス25度ぐらいが限界だ。だからこの冷凍サイクルを何段も段階的におこなってマイナス数百℃まで熱を奪う」
まあ、逆を言うと反対側の圧縮サイクルでは数百℃分の熱をどうにか冷やさないといけない。
「それで先ほどから作っているタービンと呼ばれるものが必要になるのですか」
「そう、大量に気体を処理をするのならタービン式が一番いいからね」
タービン――古くは水車の羽根、最新はジェットエンジンなどがある。 気体や液体などの流体の流れをベーンと呼ばれる羽根で受けることにより回転運動に変換する。
――この手のタービンは流体を回転運動に換える機構になるが、それ以外にも活用方法がある。
言ってしまえば密閉した空間で高回転にすることにより遠心力を発生させる。
するとタービンの羽根の部分に圧力と熱が発生する。
それをパイプで熱交換器へ送り、水冷空冷なんでもござれという感じでとにかく圧縮したまま冷やす。
そして冷え切ってから膨張させれば冷却が始まる。
「まあ、要するにだ――」
「謎のプロペラが回転すると熱風が発生して、それを冷やしてから膨張させると謎の冷却反応が起きるのですね」
「あ~~うん、そういう事」
うちのアルタさんがいい加減な原理説明に慣れ過ぎじゃない?
むしろほとんど染まってきている。
いいのかな?
まあ、いいよね。
なにせ教科書も何もないんだから――。
◆ ◆ ◆
石油の掘り出しから始まってもう1か月は経ってしまった。
その集大成であるナフサ分解工場で分解した混合ガスが冷凍サイクルにより冷却されていく。
そして深冷蒸留塔で分留が始まる
炭素数により大まかに分かれていった後は貯蔵タンクに貯まる。
そう、ついにアルタのスキルを使わなくても原料を分離できるようになったのだ。
オーケー順調だ。
この工場を作っている間に潤滑油はそれなりに生産できた。
やっと本来やりたかったことを実行に移せる。
そう部品の量産体制だ。
大量のネジを、歯車を、バネを! 軸を!
大量生産して何を作る?
もちろん決まっている。
工作機械群で作るのは――工作機械だ!
ウッド{ ▯}「謎のファイアーピストンってなーに?」
ストン「 ▯」「……………………完全な謎なんだ」
ウッド{ ▯}「……え?」
ストン「 ▯」「発見した水牛の角で作られたそれは、そのすべてが洗礼された器具として設計されていた。ところがその発明に到るための周辺技術が皆無であり、もはや単独で突然登場したかのような――技術ツリーの枠外の発火器だったんだ」
ウッド{ ▯}「……えぇ」
ストン「 ▯」「これに興味を抱いた研究者達が技術起源の調査に乗り出したけど、全員お手上げとりあえずもっとも文明が発展していた古代中国の何かしらの技術が突然変異したんじゃないかという事にしている」
ウッド{ ▯}「その道の研究者が匙を投げた謎技術!」
ストン「 ▯」「どう考えても近代的な設計思想が見え隠れしているから、未来人か異世界人が転移して現代知識チートしたって言っても違和感がないレベル」
ウッド{ ▯}「異世界転移予定のみんな! 『Firepiston construction』で検索すれば木と糸とナイフとキリで作る方法が分かるから覚えよう!」
ストン「 ▯」「けど魔法のある世界だとディーゼルエンジンまで進めないなら意味がない技術だよ」
ウッド{ ▯}「………………」
ウッド{ ▯}「じゃあゴチャゴチャしてるけど熱の歴史ってどうなってるの?」
ストン「 ▯」「古代から始めると終わらないので近代から、18世紀に熱というのは熱素カロリックという目に見えず重さの無い流体が存在するという近代版ダークマターかニュートリノという位置づけだった」
ウッド{ ▯}「その時点でヤバいね」
ストン「 ▯」「そこに違和感を感じながらも経験則からほぼ正解を導き出したのが天才二コラ・レオナール・サディ・カルノーというフランスの軍人物理学系技術者。カルノーサイクルという概念の生みの親だけど学者肌というより技術畑出身者だったため数式無しで発表した論文は研究者達には理解できなかった」
ウッド{ ▯}「産業革命後だから、すでに宗教の怖い人がいないので頑張って主張して認められたんだね」
ストン「 ▯」「ところが当時のフランスは下水能力がウンコのパリだったのでコレラが蔓延。1832年に惜しい天才を亡くしました。享年36歳」
ウッド{ ▯}「…………おフランスさぁ」
ストン「 ▯」「激おこのナポレオン3世の指示によってパリは花の都になり、カルノーの説はその後いろいろあってカロリックは1850年にゴミ箱行きになり、カロリック前提のカルノーの原理はバラバラに分解されてカルノーサイクルぐらいを保持して熱力学第二法則の基礎となりました」
ストン「 ▯」「ちなみにコレラは世界中の首都を地獄に変えて、日本の下水処理能力もウンコだったから後にコレラで地獄になってるので悪しからず」
ウッド{ ▯}「そこらへんは近代下水工学だけど本作品の範囲外だね……人口いまだ1人だとどうでもい~や」




