第11話 石油で潤滑油
163日目
緑苔草原、茸大森林、紅砂荒野、死者の川いくつもの地域を通り過ぎていった。
古い文献の情報とはかけ離れた生態ができあがっている。
魔物の影響か……魔力の暴発か……。
とにかく独自の生態系が発展している。
181日目
やっと西の大山脈が見えてきた。 もはや発狂した兵士達の争いが絶えない。
ただ面白いことにコールドラインとスポットに逃げ遅れた人々の痕跡が見つかった。
ただ巨人タイタンの進行に恐れをなして逃げた後だった。
山脈を迂回して北上してくれればあの『始まりの街』が見つかるかもしれない。
そこに女がいればこの鬱積とした空気も何とかなるだろう。
――第一級魔大陸研究資料Ⅲ
魔物の生態は依然謎が多い。 周囲と比べて明らかに弱い角付きのウサギ。 地面の下ひっそり系のワームやクモ。 共生関係のスケルトンにハチ。 工場の天敵スライム。 昼夜問わず漂うレイス。 長射程で硬いという反則級のカメ。
そして多分最初からずっとこちらを監視していたであろうドラゴンが追加された。 けど干渉はしてこない。
――ホント謎。
もしかしたら飛行船なり作って立ち退くのなら見逃してくれる心優しいドラゴンかもしれない。
そう勝手にそう解釈することにしよう。
そうじゃないと陸路、水路そして空路そのすべてがダメという実質的に詰み状態になってしまう。
あるいはドラゴンを倒せるぐらいの技術力を高めるしかない。
あーだこーだ悩んでも結局のところ『物づくり』しかできる事が無いというのがエンジニアの悲しいところだ。
◆ ◆ ◆
「やっと来たか……これより潤滑油について講義を始めるぞ」
「………………」
潤滑油は《重油》と呼ばれる約300℃でも液状の油から作る。
炭素数がとても多くて、そして種類も多い。
蒸留塔の一番底辺から取り出すので、原油の残渣、残油とか『あまりもの』とも呼ばれている。
《重い》という漢字を使う割には水より軽かったりする。
だからこそ原油流出事故では海面に浮き、ピッチレイクなんかのフタみたいになる。
「――という事で貯まった重油のみを蒸留して潤滑油に有効な成分だけを分離する」
「……モモゥ?」
「だが潤滑油というのはただの蒸留では分離できない。それは蒸留塔が証明している」
「モァ!?」
「…………」
「…………」
「ごほん――300℃以上例えば600℃や800℃で加熱して蒸留すれば重油をさらに分離できると思うかもしれないが――残念、石油というのは熱で分解しやすい。つまり水素とかLPガスにどんどん分解してしまう」
「パンッ! モォ~!!」
「そう、だから加熱温度は350℃縛りで重油を蒸発させて、蒸留塔に送らないといけない」
「モゥモゥ」
「…………」
「…………」
アルタ女王陛下はナフサ混合ガスの分離というゴム製造の要として動けない。
いつもの助手ゴーレム達はそんな彼女のために全力で溶接作業をしている。
――という事で代わりにモノに講義の相手をしてもらっている。
さっきから『本当に?』、『えぇ!?』、『なるほど~』、『ふむふむ』というジェスチャーをしてくれているが本当に理解しているのかわからない。
「ゴホン……という事で比較的低温な300℃で重油を沸騰させるために気圧を操作する」
「モ、モンダァッテェ~~~~!!!!????」
「ふっふっふ、つまり真空にして苛性ソーダを回収する《蒸発濃縮装置》と基本的に同じことをおこなう」
「モォ~!!」
「この真空にして蒸留する装置のことを減圧蒸留装置または真空蒸留装置という。というか現在進行形で作ってる」
「モゥモゥ」
この減圧蒸留装置は重油だけ――得率で言えば20%分だけを処理する装置だ。
そして、扱う温度も350℃とさほど高くはない。
けれども図体は常圧蒸留塔よりも一回り巨大になる。
なぜなら圧力が下がる影響で蒸発重油の体積が大きくなり、それに対応したサイズとなると巨大になるからだ。
「この工程によりいい感じに重油が分離してくれる」
「モェ~」
重油の中には色々含まれていてそれらが分離すると軽油と3種類ぐらいのグレードの留出油そして残渣油というアスファルト分が大量に含まれた残り物に分かれる。
「さて、次の工程に移る前に追加のプロセスが必要になる」
「モァ?」
「それは《脱れき》といって残渣油に含まれているアスファルト分を分離することだ」
「モへェ~」
脱れきとは『プロパン脱歴法』のことで名前の通りプロパンなどの液化LPガスを用いて重油を処理する。
そうすると液化プロパンとアスファルトが謎の反応を起こして重油から除去することができる。
これでほぼ基油からアスファルト分を分離できるってことだ。
そのアスファルトは工場都市内の舗装路に使うとしよう。
これをやらないとアスファルトとして使えない残渣がどんどん溜まってしまう。
そいつは勘弁だ!
「モォモェデ、モォーケー?」
「残念ながらこれじゃあロウソクの様なろう分が混ざっていて上手く潤滑油として使えない。そこでもう一つの石油精製手法である《脱ろう》をおこなう」
脱ろうとは溶剤脱蝋法という、ろう分を取り除く工程の事で、さっきの液化LPガスの代わりに溶剤を使ってろうを取り除く。
「モァ?」
「やる事は簡単でベンゼン溶剤を混ぜるだけだ。これで重油から《アスファルト》と《ろう》が取り除かれて質のいい《基油》になる」
「モィユ?」
「基油というのはオイルやグリースの基材となるベースの事だよ。だから別名ともいう」
「モヘェ~、…………? モェジャモァダモォン?」
「ああ、これはまだ潤滑油ではないという意味だ」
言うなれば純水に近いものだ。
さて、蒸気機関で使う水はあらゆる鉱物やその他いろいろ調整剤を入れて専用の水にしている。
という事はもちろん基油なんて不純物の無い油を精密機器に使うわけにはいかない。
「――という事でまずは鉱物を投入!」
「モ、モェタ~~~~!!?」
清浄分散剤――スラッジという摩耗あるいはエンジンの燃焼などで発生した粒子状の不純物がエンジンオイルなどで発生する。 これらが塊にならないようにするのが分散剤である。 車のエンジンオイルを溜めておくオイルパンがデコボコしているのはその溝にスラッジを溜めるためである。 金属系やカルシウム系など目的に合わせて多数の添加剤が存在する。
「いい感じに仕上げたいから、さらにゴムの原料を投入!」
「モええぇぇぇぇぇぇぇ!!!???」
粘度指数向上剤および流動点降下剤――水のようにサラサラな潤滑油は本来の用途を考えると不適切である。 例えば高速回転する歯車にへばりつくぐらいの粘度が求められる。 また冬などの低温時にオイルが硬くなっても困る。 そこでゴムの原料でもある重合物を添加して性質を変化させる。
「ふっふっふ、しかしこれで終わりではない」
「モ、モァサモカァ……」
「さらに硫黄を追加して高圧力と金属摩耗を防止して潤滑性を高める!!」
「モィモォモゥ~~~~!!?」
極圧剤および摩耗剤――摩耗による高温で焼き付きを起こすのを防止するのが極圧剤であり、摩擦を低減するのが耐摩耗剤になる。 それぞれ硫黄系極圧剤とリン系摩耗剤がある。 しかし金属表面に潤滑膜を作り機械を保護するという点においては同じ機能でもある。 よってどちらをどの程度の比率で入れるかは使用する環境によって決まる。
「モァ……モァ……モァ……」
「ハァ……ハァ……ハァ……」
「モフゥ~~」
「ふふふ、いま緩んだな。いま緩んだな。だがまだだ、まだあるのだよ!」
「――モッ!?」
「さらに酸化防止剤としてフェノールを入れる!」
「モヒィィィィィィィィィーーーー!!??」
酸化防止剤――潤滑油は時間と共に酸化し劣化していく。 そこで酸化による劣化を防ぐためにフェノール系酸化防止剤などを入れる。
「モゥッ、モゥ、モォー―ガシッ」
「ふっ、分かってくれたか。ガシッ」
握手をして互いの健闘を讃え合う、これこそが文明人らしい生き方というものだ。
――と、いう謎のやり取りを遠くから眺める人物がいた。
自ら作ったお手製の望遠鏡を片手に――。
スキルを活用してナフサ分解留分をそれぞれ分けながら――。
鉄の玉座から動くことができずにいた。
「はぁ……いいな~なんか楽しそうでいいな~~。ちょっと混ざってもいいかしら……」
ポジティブ――未開地でのサバイバルや周囲に脅威がいる極限の環境下ではいかにポジティブにふるまうかが生存のカギだと言われている。 ゆえに例えどのような状態だろうと明るくポジティブに行動しなければいけない。 そうたとえ他人に白い目で見られるとしても――。
なおそれによる生産性の低下は目をつぶることが求められるのだが、効率よく働くことを幼少期から叩き込まれている現代人には受け入れ難い事でもある。
「女王陛下! 本日の金剛砂をお持ちしました!」
「その女王というのは――あら? 量が減っていますね」
「ハッ! 金剛砂の採掘量が低下しています!」
「あらあら、では川岸周辺のボーリング調査と、山脈側の鉱物調査をしてできる限りアルミを採掘しなさい」
「サーイエッサー!」
「うーん、予定外のアルミの出費――でもこの調子なら明日には潤滑油の生産、そして次は熱サイクル機関ですね。ふぅ、やっと玉座から降りられそうです」
アルタの後ろでいくつものクレーンが建築資材を移動させ、ゴーレムが溶接作業をしていた。
こうして徐々に確実に元森林地帯は巨大な石油コンビナートを形成していくことになる。
ウッド{ ▯}「それで――言い訳は?」
ストン「 ▯」「潤滑油とか説明むずかしいんだよね。言うなれば原油という泥水を純水にしてからソフトドリンクにするようなもの」
ウッド{ ▯}「最初からその説明だけでいいんじゃないかな?」




