第2話 石油の得率
おうおう、そんな怖い顔で睨むなって。
確かに紙漉き職人に紹介したがニカワ送りを仕向けたわけじゃない。
ちょっと人手不足だからって紹介を頼まれたんだ。
それに国中がゴタゴタで、いい職を紹介できないんだよ。
そうだな、今あるのは……ピッチ採掘人だな。
これは止めとけ体が持たないぞ。
――忠告してくれる仕事斡旋業の男
石油というのは総称であって名称ではない。
例えば地中から取り出した未加工の鉱物を“原石”というように、未処理の油を“原油”という。
「――という事でこの取れたての原油をいつもの様に蒸留して分離する」
「という事は原油も木タールやコールタールのように分離が可能なのですね」
「その通り、ただ分離できる種類が多いからそこは注意しないといけない」
一通りの説明をして実験の準備を始める。
例によって怪しいフラスコを大量に組み合わせて小規模な蒸留装置を作り上げた。
「工場長、温度計の用意ができました。ただ数はいつもより多いですね」
「これから原油を分離する。その比率が分かれば必要な貯蔵タンクの個数が分かるという寸法だ」
「なるほど、それでは実験を開始しますね」
錬金術師アルタがフラスコの原油を加熱する。
古来より錬金術師たちは《燃える水》に高い関心を示していた。
彼らは長い研究と鋭い洞察から原油からナフサというガソリン分を分離することに成功した。
それが水面で燃え盛る『ギリシアの火薬』へと発展していったという。
彼女も石油には高い関心があるらしく、いつもより積極的だ。
さて実際にやる事だがビーカーに入れた原油を火であぶり、温度計測をしながら350℃で熱する。
すると沸騰した原油はガス化して隣のフラスコへと気化ガスが流れる。
そうして各フラスコの温度を絶妙に変えることで特定の温度でガスが液化するように仕向ける。
これで100℃のフラスコにナフサが、200℃のフラスコに灯油が、300℃のフラスコに軽油が液化して溜まる。
実験後はそのフラスコの内容量をアルタが計り、それをメモしていく。
「――これで全です。ふふ、ほんとうに面白いですね」
「……うん、なかなかきれいに分かれてくれたな。この成分比率を《得率》という」
原油は地域により成分差がかなりある――だから成分比率を知ることは重要だ。
そして原油精製施設は得率に従い最高のパフォーマンスを発揮できるように調整している。
今回の得率はざっと見てみると――。
~~~~~~~~~~
・西沼油田の得率
LPガス――約10%
ナフサ――40%
灯油――20%
軽油――10%
重油――20%
~~~~~~~~~~
ここから分かるのは軽油タンクが1個に対して重油・灯油の各タンクは2個。
ナフサにいたっては4個用意しないといけない。
形状の違うガスタンクを含めて計10個の貯蔵タンクが必要になる。
そしてこれとは別に原油貯蔵のタンクも必要になる。
わーお、とりあえず大量の鉄が必要になるな。
ちょうど蒸気式石炭高炉が稼働していてよかったよ。
「よし、それじゃあこの比率を基準にして設備計画を立てていく」
「はい、わかりました」
◆ ◆ ◆
翌日、いつものギルドでいつもの様にやる事リストを掲示板に貼っていく。
木の板から紙になってとてもスッキリした。
けど今度は紙の山が積みあがっている――しょうがないね。
ざっとやる事リストを見てみる。
~~~~~~~~~~
目的:製紙工場の再建
難易度:簡単
優先度:低
~~~~~~~~~~
製紙工場は粉じん爆発で壊れてしまった。
けど工程で設備を分けていたから、吹っ飛んだのはカッティング工程だけだ。
つまり今も紙の生産は続いている。
だから建物と裁断機を修理すればメモ帳作りはすぐに再開できる。
それじゃあなぜ優先度が低いのか?
それは紙の生産量と消費量があまりに桁違いなので後回しになっているからだ。
なにせ紙ロール1トン分ってマンガ雑誌5千冊相当になるから仕方がない。
製紙工場に隣接している記録紙保管所はすでに数トン分の紙が保管してある。
そうなるとトイレットペーパーみたいな質や用途の違う紙を開発するのはありだ。
なんてことはない、土を混ぜるのを止めればいいだけだ。
トイレットペーパーを使えるなんて――いいね最高だ。
他のリストも見てみる。
《ポンツーンの量産――》
《バナジウム鋼の開発――》
《ビットドリルの開発――》
《蒸気機関の生産――》
この辺は石油施設というより油田掘削で使う。
自然に湧いてできた穴は脆く崩れやすい。
特に高圧のガスや泥沼という劣悪な環境ではそういった事故は想像に難くない。
海上油田のように沼の上にプラットフォームを作る予定だ。
そのための足場をポンツーンで作ろうとしている。
そうなると設備全体が今までの鉄よりしっかりしていないとダメだ。
それに掘削用のドリルとその先端の超硬工具も開発しなきゃいけない。
これらを解決するのがいわゆる『バナジウム鋼』と呼ばれる合金だ。
バナジウムは石炭や石油を燃やした時に出る灰から取り出すことができる。
生産力が日に日に上がっていることから煤煙装置から取り出せる灰の量も上がっている。
おかげでバナジウムもそれなりに手に入れることができた。
「工場長、何か足りないものはありますか?」
掲示板を眺めていたらアルタが話しかけてきた。
「そうだな――ああ、追加で毒重石を大量に集めてくれるか」
「わかりました。たしか永久磁石に使う資源でしたね」
「あ、正確にはバリウムが欲しいから重晶石でもいいよ」
「――でしたら、ああ両方とも石灰岩の採石場から採れていると報告が上がっていますね」
さすがはいつもの採石場――怪人倒す以外にも何でもありだな。
「それじゃあ、いつものトン単位で山積みしといて」
「わかりました。ゴーレム達には指示しておきますね」
新しいやる事リストも加わり、その数の多さに頭がくらくらする。
「これ全部終わるのにどのくらいかかるかな?」
「うーん、数日はかかるでしょうね」
さすがにすぐに処理しきることはできないか。
その間、何もしないというのもアレだな。
そう考えていたら《沼地の安全確保》というのがあった。
スワンプバイパーがいる沼地からヘビどもを追い出す依頼だ。
「それじゃあ――沼のヘビ退治でもするか」
「あまり危険な事は……」
「大丈夫だよアル、ヘビが逃げ出す忌避剤を作るだけだよ」
「ふぅ……それなら安心ですね。私は一つ一つリストを処理していきますね」
「おーけー、それじゃあ行ってくる」
アルタと別れてそれぞれ別の仕事を始める。
ヘビというより生物は匂いに敏感なはずだ。
とりあえず、木酢液を土に染み込ませた忌避剤と、コールタールから精製したナフタレンの忌避剤を試してみることにした。
どちらも臭いがきつくて人体に悪影響があるヤベー物質だ。
これならヘビ退治は楽勝だな――ガハハハッ!
◆ ◆ ◆
死の沼と呼んで間違いないそこは真夏の強い日差しにより全容を露わにした。
「これはピッチレイクだな」
ピッチレイク――それは天然のアスファルト湖である。 天然の石油が湧きだして湖を覆い、軽油分が蒸発した後に残ったアスファルトが沼や湖の蓋のように覆ってできた所。
何ということはない。
始めからここに石油があると主張していたんだ。
古代から天然に石油が湧くところではピッチ採掘人が泥水に浸りながら油を採っていたという。
それは何も大陸に限った話ではなく、日本書紀にも燃土という名で天然アスファルトが出てきている。
なんかの研究によると縄文時代に秋田県らへんで沸いたアスファルトが東日本一帯に流通していたという。
そうなると危険な化学物質のど真ん中を裸足で作業していたことになる。
そうなると重質油が服に染み込むと溺れるから真っ裸で採取していたんだろうな。
あるいは皮のズボンでささやかに局部を守っていたのかもしれない。
そんなことで劇薬から身を守れるわけないから老い先短い職場ってことだ。
おっとつい古代のブラックな仕事に思いを馳せてしまった。
いかんいかん。
「ゴーレム達ヘビ退治を開始せよ! さて作った忌避剤の効果があればいいんだが……」
「ハッ! 作戦開始!」
ぞろぞろとゴーレムがピッチレイクへと向かう。
沼に沈まないように軽いウッドゴーレムが主体となっている。
木製ゴーレムが活躍する日が来るとは思わなかった。
――数時間後。
広大な沼地に『ピギィィィィィ』という鳴き声が鳴り響く。
どうやら忌避剤は効いたようだ。
「工場長! 逆上されて噛みつかれました!」
――訂正、むしろ逆効果のようだ。
流石に化学物質が蔓延する湖で生きてる魔物だ。
スワンプバイパーはちょっとした忌避剤ぐらいでは逃げ出したりしないようだ。
「うーん、どうしたものか」
「工場長! 次のご命令を!」
「ちなみにこちらの被害はどの程度?」
「ハッ! ゼロであります!」
そう言えば小さなヘビのような魔物だ。
ゴーレムを丸飲みするようなタイプじゃない。
というより大きくなると底なしのアスファルトに沈んでしまうのだろう。
「オーケー、予備のゴーレムを動員して一気にせん滅するぞ」
「ハッ! 武器は何にしますか?」
「油に引火したら困るから木のハンマーで叩いては放り投げでいいだろう」
やっと近代人並みの科学力を手に入れた。
それなのに武器だけはハンマーや棍棒ってどういうことだ?
…………。
いや、近代・現代的な兵器って基本的に潤沢な資源が無いと成立しない。
現代社会がドブネズミの駆除にサブマシンガンを使わないように、魔物と言っても知恵の無い獣に過剰な兵器の必要性はないんだよな。
そこにちょっとした違和感があるんだけど何なんだろう。




