第8話 手漉き紙で内政チートとか止めてください。それは地獄です。
それで喧嘩するドワーフに酒も持たずに仲裁に入って大けがをしたと。
クックック、五体満足で戻れてよかったな。
炭坑が閉鎖になったのはしかたがない。それじゃあ次の仕事を紹介してやろう。
そうだな――『紙漉き職人』になってみるか?
――悪意を感じる仕事斡旋業の男
都市の地下深く硬い岩盤で覆われた非透水層。 そこを網の目に削った水道のさらに下に岩塩採掘場がある。 そこから連日連夜、岩塩を掘り出し地上へと運び出される。 運び出した岩塩は粉々に砕かれて倉庫に蓄えられる。
中央を流れる運河の近くでは大釜がいくつも置かれている。 この大釜に粉末岩塩を入れて煮詰めていく。 煮詰まった釜からは塩の結晶を取り出し次の施設に運び出される。
釜を熱するために大量の燃料を燃やすが、黒煙は昇っていない。 なぜなら黒煙すら資源として回収しているからだ。 そして吐き出される膨大な蒸気も軟水として回収し利用している。
この運び出された塩の結晶は苛性ソーダ工場で塩水の電気分解に使用する。 苛性ソーダ、塩素、そして水素を燃やした後の純水が徐々に蓄えられていく。
――さて、どうでもいい話だが畑の水を得るために川の水を沸騰させていたのをお覚えだろうか?
農業用水は赤潮みたいな現象から鉱毒汚染を懸念して、沸騰させてから使用していた。
その煮詰めた時に採れた鉱物を調べた結果、危険な物質は含まれていないことが判った。
ということで無罪放免、川の水を農業用水としてそのまま使うことにした。
もっとも川から一番離れている南側が農地になっているので旧上水道を復活させて、水を農地に持っていくという仕事をしないといけない。
それまではマンパワーで水やりだ。
どうして製紙工業以外のことを考えているかというと。
ヒマだからだ。
アルタは鉄、銅、石炭鉱山から資源回収の旅に出ている。
ついでに各鉱山で壊れたゴーレムを直して回っている。
この24時間フルマラソン作業に生身の体ではついていけない――だからココでお留守番だ。
イエーイ! 久しぶりにアルタがいない時間を満喫しているのだ。
さ、寂しくなんてないんだからね。
「モァ~~~~~~」
「ここか? ここがいいのだろう?」
「モァ、モァ、モァ……」
「生まれて初めてのブラッシングに感激するがいい」
――というわけでモノから毛玉を採取している。
この毛玉をどうにかこうにか紡ぐと糸になり、さらに謎の工程を経ると布になる。
ちょっと布というかいい感じの繊維が欲しいので目の前の魔物から毛を取っている。
とはいえブラッシングで採れる毛なんてたかが知れてる。
この調子じゃあ布になるのは来年になりそうだけどしょうがないね。
さて布というのは紙の歴史を語るのに欠かせない素材だ。
というのも紙という記録媒体が発明されるまで人類の試行錯誤の歴史は見ていて面白い。
記録というのは岩に描いた絵や文字が最初だと言われている。
他に粘土板や石板という硬く頑丈な物質に彫って記録した。
古代エジプトではパピルスという草を編んで作った巻物をとても丹念に時間をかけて作っていた。
それ以外には羊皮紙という羊の皮が主にヨーロッパで公的な文章として使用された。
古代中国では木簡や竹簡という植物を利用した方法が採用された。
ここから分かることはどんな文明も身近な材料を使って記録を残していたということだ。
紙が発明された当初も身近な物という基本コンセプトは一切ブレなかった。
古代から続く麻織物によって人々の衣類には麻布が使われていた。
これが摩耗したボロ布こそが紙の原料となった。
日本では身近な自生している植物を原料に《和紙》として発展していった。
ヨーロッパでもやはり身近な繊維質のナニカというコンセプトからボロきれなどを回収して紙を製造した。
紙が発明されてから世界中に伝播した当初は洋の東西問わずに紙を漉いて作っていた。
この紙漉き労働はとてつもない重労働だ。
例えば1日15時間ものあいだ水に手を入れて作業にあたっていたという。
そのような労働環境だから手はひび割れ、あかぎれは当たり前だ。
そうやって苦労してできた紙は滲むという問題があった。
東洋ではこの滲みを巧みに利用して筆で文字や絵を描いた。
それが後に掛軸や水墨画という芸術文化へと繋がっていく。
ところが西洋では滲まない羊皮紙が公的な文章として使われた歴史から滲む紙は嫌われた。
そこで羊皮紙に似せるためにニカワと明礬を混ぜたニカワ液に紙の束を漬けた。
もちろんせっかく漉いて作った紙を煮だった液に漬けるのだから当然破れる。
最悪だね。
さらにニカワを入手するために動物の皮や骨を煮て取り出した。
これが動物由来なので放っておくと腐る。
だから、そうならないように防腐剤として明礬を使用したってことだ。
そうやって地域の実情に合わせて紙は作られていった。
ところが活版印刷が発明されるとボロ布市場が高騰して深刻な社会問題になったという。
この深刻な社会問題というのは『死者に衣服を着せてはいけない』という法律が可決されるほどヤバかったという。
お気づきだろうか?
遺体から衣服を大量にはぎ取って紙の原料にし、羊や牛の皮や骨を大量に煮てニカワを抽出していた。
そのせいで製紙工場は煮え湯で臭く、ニカワは腐ると臭く、ボロ布は体臭と悪臭で臭かったのだ。
つまりその当時の紙職人は地獄の中の地獄のような場所で仕事に従事していた。
なにせ製紙工場のニカワ棟は別名・殺生小屋と呼ばれたほどだからどうしようもない。
そうなると唯一の安らぎは日曜の礼拝の時だけだったのかもしれない。
おっと、アルタがいないせいで中世の職人たちに思いを馳せてしまった。
いかんいかん、丹念にブラッシングして繊維を集めねばいけない。
数時間はブラッシングをしてほどほどの毛玉が採れた。
「ハンカチぐらいなら作れるかな?」
「スヤァ」
気持ちがよかったのかこの魔物は寝ている。
やる事が無くなってしまった。
アルタがいないとヒマでしょうがない――アルタ欠乏症だ!
「アルタ……ヒマだ~」
「呼びましたか?」
「ほわぁ!? いつの間に!」
振り向くといつもの青銅の女騎士風ネコミミ添えの錬金術師がいた。
「うふふ、予定よりも早く戻れました」となんだか嬉しそうに言う。
「あ~それで資源の方は?」
ちょっとばつが悪いので報連相に逃げる。
「はい、問題なく手に入りました。それから各拠点についてですが――」
その後、一通りの報告を聞いた。
だが内心はまったく違うことを考えていた。
◆ ◆ ◆
それから集めた資源を使い一つの装置を完成させた。
「なんて言うかすごいね」
「はい、とても大きな球体ですね」
アルタも賛同する装置は大きな球体状の釜である。
「これは何というのですか?」
「ああ、これは地球釜っていうんだ」
「地球?」
あれ? 地球って知らないのか。
「え~っと、元の世界というか惑星の名前だな」
「なるほど」と相づちを打つアルタ。
「これに地球の名を冠するのも変な話だな――蒸し釜でいいか」
「そうですね」
「それじゃあ稼働させよう。ボイラーを稼働させろ! 釜を動かすぞ!」
ゴーレム達がボイラーに燃料を投下して蒸気を作っていく。
この蒸し釜には原料を入れるフタがあり、そこから木のチップを大量に投入する。
そして苛性ソーダを入れて蒸気を吹き付けながら回転させる。
回転するための軸が中空つまりパイプになっていて、その穴を蒸気が通って釜に蒸気が充満する。
反対側の軸も中空だから蒸気はそこから外へと出ていく。
何十時間も蒸気を浴びせて苛性ソーダの反応を促進させて木材の繊維をほどいていくという構造だ。
「これでパルプができるのですね」
この装置は明治時代の近代的な製紙工場に導入されたものだ。
より現代的なクラフトパルプ法と連続蒸解塔は資源不足から断念した。
それでもいい感じのパルプができるはずだ。
「それじゃあ今のうちに次の工程である製紙工場を作ろう」
やっと紙づくりも終わりが見えてきた。
地球釜で検索して『あ、ソルディオスだ』と思ったのは内緒です。
葛飾区にあるらしいのでそのうち行ってみたいですね。




