第7話 煙管ボイラーを作りたいなら時計職人を呼ぼう
「極東の島国に――」
『ああ、飯のまずい国な』
「そこに内乱を逃れた魔技師たちが移り住んだんだ」
『あの異端者共か、それがどうした?』
「なんでも湯気魔法っていう新しい魔法を開発したんだとよ」
『湯気? 湯気だと!? アッハッハッハなんだよそれ!』
「ホント訳わからねーよな! がっはっはっはっはっは!」
――湯気魔法
新しい建物を建設するためにゴーレム達は都市の瓦礫を撤去していく。 この瓦礫は建築資材として一カ所に集められる。
また採石場から採れた石灰石の内、白に近い部分のみを集め粉砕し白色粉末が作られていく。 難航している地下空間の把握に活用するためだ。
こうして着々と細かい準備を進めていく。
朝の儀式と朝食を済ませて、ここ数日の進捗を聞いている。
「――以上から都市の準備は進んでいますが、地下スライムの駆除が難航しています」
「うーん、まずは地上を更地にしてから、わかる範囲で地上絵を描いていこう」
「はい、その方がよろしいと思います」
ナトリウムは昨日の今日でまだまだ時間がかかる。
だから予定通り、ボイラーの開発を先に進めよう。
「ボイラーを作る前に開発する種類を決めなければいけない」
「ボイラーの種類ですか? たしか水を熱して蒸気にするだけですよね?」
「ところが考え方によって種類が結構あるんだ――」
ボイラーとは大別すると二種類ある。
水を沸騰させて蒸気にする蒸気ボイラーと水を温めて熱湯を出す温水ボイラーだ。
言ってしまえば機関車を動かす装置とお風呂温める装置ぐらいの違いがある。
――今回は蒸気で木材繊維を解かすという明確な用途があるので『蒸気ボイラー』を開発する。
次に材質と構造により分類された謎のボイラーが何種類も存在する。 主に設置面積や必要な蒸気圧力によって決まったりする。
最も効率がいいのは水管ボイラーという管に水を通すタイプのボイラーだ――循環方式により3タイプある。 有名なのは戦艦金剛に使われた『艦本式ボイラー』というおにぎりのようなボイラーになる。
もう一つは丸ボイラーという缶形状を主体としたボイラーだ――こっちは4種類ほどある。 もっとも有名なのが煙管ボイラーという蒸気機関車のボイラーだ。 名前の通り水管とは逆に管に熱風が流れ込む――これにより缶の水を加熱する。 線路の上を走る列車に乗せられるように発展したボイラーになる。
この何種類もあるボイラーの内どれかを開発しなければいけない。
「ということで今回は水管ボイラーではなく、あえて横煙管ボイラーを作ろうと思う」
「横ですか?」と疑問に思うアルタ。
「そう、なぜわざわざ陸上で機関車方式を採用するのか。言ってしまえば次の一手、《蒸気機関》の開発のためにそれ用のボイラーを先行して開発しようと思っている」
「なるほど、そういうことでしたら蒸気機関用のボイラーを作る方が手間が少ないですね」
一応は納得してくれたようだ。
ボイラーの歴史は蒸気機関が発明された1600年代末から100年ほど経ってから始まった。
ちょうど産業革命の真っただ中でとにかく競合国より効率のいい装置が必要になったからだ。
それまでは効率的に蒸気を作るという発想がなかった――だから作る理由が無かった。
19世紀に入り蒸気機関の原型である煙管ボイラーが考案されてから蒸気による産業革命はさらに進んだ。
そうこの時、1851年に苛性ソーダによる化学パルプの製造方法が革命の中心地であるイギリスで成功した。
つまり大量の蒸気をあらゆる業界で使えるようになったときにこれからやる近代製紙産業のひな型ができあがった。
やる事も結局のところ蒸気でピストンを動かすか、紙を作るかの違いでしかない。
ということで大丈夫だ問題なくできる――はず。
「よし、まずは試作だから細かいことは気にせずに作っていこう」
「わかりました。この設計ですと……煙管という筒が多く必要なので少々時間がかかるかもしれませんね」
「苛性ソーダが出来るまでそれなりに時間はあるからゆっくりでいいよ」
◆ ◆ ◆
アルタが何十もの煙管を錬成していき、一つのボイラーを形作っていく。
「アルタさん、蒸気パイプを製造するときにこんな形にしてもらいたいんだ」
「これは――わかりました。この曲がりが重要なのですか?」
「ああ、熱膨張って知ってる?」
「はい、教えてもらったので覚えています」
「オーケーつまり、その現象によるひずみを緩和するのに必要なんだ」
さて、ボイラー設計というより工場の設計で重要なのはなんだろうか?
もちろん重要な要素は色々あるが、その一つに配管の設計がある。
工場の夜景を楽しんでいるとふと配管が真っすぐでなく、曲がっていたり変にクネクネした部分が目についたりする。
それらは高温高圧の蒸気や液体を流すパイプの可能性が高い。
なぜなら配管設計士たちが熱膨張を考慮して『Ω』の形になるようにワザと遠回りした設計をするからだ。
「――ということで、少し曲がりくねった配管にしてもらいたい」
「ええ、わかりました。ふふ、アルタに任せてください」
◆ ◆ ◆
複雑な形状の煙管ボイラーはほとんど一点物と言っていい装置になる。
しかし錬金術は量産品の製造より一点物の錬成の方が得意だ。
多少の誤差はその場で修正できてしまう。
これでボイラーはある程度形になった。
だが闇雲に燃料を投下すれば蒸気が発生して万事解決、とはいかないのがこのボイラーというものだ。
適切な圧力を把握しないと超高圧に耐え切れずに破裂して、見るも無残なパイプの花になってしまう。
そこで必要になるのが『圧力計』だ。
圧力計の構造は非常にシンプルで“ブルドン管”という金属管が丸く曲がった物が主要な部品だ。
まあ基本的な原理はピューと吹くピロピロ笛と大して変わらない。
要は圧力で外側にブルドン管が動いた時に精密な歯車が回転して針が動くという仕組みだ。
この精密な歯車があるので分類としては精密機器になる。
だから叩いたり、ぶつかったり、落としたら絶対に取り替えなければいけない。
それでも壊れるときは壊れるからボイラーの圧力計は基本的に二つ付いている――針の値が合わなければ両方交換だ!
例えばスチームパンクを題材にした物語などで複数の圧力計が同じ圧力を指していたりする。
だがそれはあながち間違っていない。
そう全部同じ圧力を測定しているのだ――たぶんね。
「うーん、ところで工場長、圧力の基準はどうすればよろしいのですか?」
形だけは立派なボイラーができて、圧力計を作る段階でふとアルタが疑問に思ったことを口にした。
あ~すっかり忘れてた。
相も変わらず原始人的な発想だから圧力の基準という常識がすっかり抜けていた。
「オーケーそれじゃあいつもの様に圧力の基準作りから始めよう」
圧力の基準は大気圧を基準としたゲージ圧力と真空を基準とした絶対圧力の二つがある。
――ブルドン管ゲージを使うから大気圧を基準にすれば問題ない。
「わかりました。それでは水銀はいりますか?」
「そうだね。水銀柱は確認用として必要になる。あとそれから鉛と油も欲しいな」
「鉛……ということは今度の圧力の基準は重量ということですか?」
その推論は正解だ。
「ああ、圧力の基準となる《重錘形圧力計》を作る」
トリチェリの真空と水銀柱によって圧力を目に見える形で理解できた当時の科学者たち、今度はそれを身近なものと互換性がとれるようにしようと考えた。
重錘つまり重量で表現できるようにしたのだ。
だからこそ圧力というのはmmhg『水銀柱の距離』ではなくてPa『面積当たりの重さ』で表現されるのだ。
原理と定義は簡単でまず『U字』のパイプを用意する。
この油で満たしたパイプの片方を圧力計、そしてもう片方に重りを載せる。 あとはパイプの断面積の計算から重りで発生した圧力を割り出す。
――計算は眠くなるが我慢だ。けどやっぱりコーヒーが欲しい。
まあこれで不思議な事に鉛の重さから圧力が計算で出て、その時の針の位置から圧力計の基準値が割り出せる。
これで圧力測定も我が軍門に下ったことになる。
「これは……少々精密すぎるので錬成するのに時間がかかると思います」
黒く塗った木板に石灰のチョークで書いた図面を見ながら呟くアルタさん。
「まあコレばかりはしょうがないね」
多少の時間はしかたがない。
◆ ◆ ◆
それから数日経ちボイラーの稼働試験をおこなえるまでになった。
いくら錬金術でもここまで複雑なものを錬成だけで作るとなると流石に時間がかかる。
特に時間がかかったのが精密な歯車の組み立てだ。
精密な歯車と言ったら時計で、時計と言ったらスイスが連想される。
ヨーロッパで宗教戦争のさなかに弾圧を受けた時計職人たちは新天地を求めてイギリスとスイスに渡った。
彼らが持っていた高い水準の技術はその地に根付き、精密機器を開発する基礎となった。
そういった歴史的な背景を無視して計算式と錬金術によって数十時間で開発できたんだからむしろ凄いほうだ。
かれこれ4か月半ぐらいだろうか、今日ついに蒸気を発生させる。
「いいかノーム、圧力ゲージの針がここを越えたらてこの原理でレバーを引いて安全弁から圧を逃がすんだ」
「はーい工場長」と小さなゴーレムが答える。
「よし、ゴーレム達、どんどんコークスを投入して圧力を上げるんだ」
その合図により燃焼室へ次々と燃料を投下していくゴーレム達。
昔ながらのショベルで投入口に石炭を入れていく。
燃え盛る石炭の熱が蒸気を発生させ圧力計の針が動き出す。
ノームがレバーを動かして安全弁から蒸気が噴出す。
「工場長、ちょっと危険な気がするのですが……火傷をしたら危険なので後ろに下がってください」
「アルタも危ないから少し下がろう」
まあ、蒸気が漏れているということは爆発することはないんだけど、見た目のヤバ味が増している。
「供給口のレバーを開けてくれ!」
助手ゴーレムが『はーい』と言ってレバーを引く。
そして、『シュー』と細い管から蒸気を吐きだした。
ボイラーの完成だ。
言ってしまえばただ蒸気を出すだけの装置。
ああ、それでもやっとだ。
やっとここまで来た。
蒸気を出し続ける装置をついに作ることができた。
これで次に進むことができる。




