第6話 食塩の電気分解はマジでヤバイ
転移1日目
やったー!異世界に来たー!なんて自然が豊かなんだ!
これで汚染物質まみれの水道水も光化学スモッグからも逃げられた。
自然豊かなここならばアトピーもすぐに治るだろう。
7日目
チート能力で家も建てたしスローライフは順調だ。
ここの水はとても美味しい。なんて贅沢なんだ。
30日目
体の調子が頭もオカシイ……考えがとびとぶ
!QO田丹
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ここから先は何が書いてあるのかわからない。
調査を依頼した高名な賢者様によると小川の微生物の毒にやられたらしい。
この異世界人は生活魔法を使って水の浄化をしなかったようだ。
それにしてもこの歳になるまで森の常識を習わないなんて、異世界の教育レベルは極端に低いか隔たっているのだろう。
――森林管理人の調査記録
製紙工場を作る前に木材の繊維を解かす『謎の薬品』を作らなければいけない。
この謎の薬品の事を苛性ソーダあるいは水酸化ナトリウムという。
何とかナトリウムというのは工業ではしょっちゅう出てくるので誤認しないためにも苛性ソーダと呼んだ方がいい。
「苛性ソーダを手に入れるために塩水の電気分解をする必要がある」
「この前から岩塩を精製して集めた塩を使うのですね」
「そゆこと」
塩水またの名を塩化ナトリウム水溶液。
これを電気分解することで苛性ソーダが手に入る。
「これから電気分解するための装置を作るんだけど、これが曲者なんだよね」
「銅の電解精錬と同じではダメなのですか?」
「それとはちょっと違う方法が必要なんだ。主に効率を重視する観点から……」
「…………もしかして危険物質を使います?」
どうやら察したようだ。
水を電気分解すると酸素と水素に分離するというのは中学で習うことだ。
それに対して塩水をイオン交換膜で電気分解すると陰極に水素、陽極に塩素、そして苛性ソーダに分離するというのが高校化学でもしかしたら習うことだ。
いつものことだけど原始人にイオン交換膜を用意させるというのは酷な話になる。
そこでもう少しだけ難易度の低い方法を採用するのは賢明な判断だろう。
「ちょっと分離するのに《アスベスト》あるいは《水銀》が大量に必要なだけだよ」
「…………」
しばし考え込むような仕草をしてから諦めたようにこちらを向き。
「ほんとに危険なことはしないで下さいね」
心配しながらも作ってくれるようだ。
マッドサイエンティストじゃないんだから危険なことはしませんよ。
「ああ、それから皆には結構頑張ってもらうよ」
「はーい」「よっしゃ」と助手ゴーレム達もやる気十分。
基本的に危険物の取扱は不死のゴーレム任せになる。
ゴーレムがいなかったら結構詰んでたよな。
さて、アスベストと水銀どちらで電気分解をするかだ。
歴史的には19世紀のまだまだ水銀大好きな化学者たちが『水銀法』という食塩電解の理論を示したのが始まりだ。
装置としては容器の底を水銀の陰極で覆い、上部からは陽極を垂らす、そして食塩水で容器を満たす。 この条件で電気分解を始めると陽極で塩素ガスが発生して、相方だったナトリウムが陰極の水銀と混ざる――つまりアマルガムが出来る。 このナトリウムアマルガムをポンプで隣の『解こう塔』に送り水と混ぜる。 水はナトリウムと謎の化学反応を起して水素ガスと苛性ソーダに分離する。 この化学反応で置いてきぼりの水銀は水に溶けないので塔の底辺に溜まる。 後はポンプで陰極に送りつけて再利用する。
――ぶっちゃけ水銀を循環させる水銀電解装置だな。
もう一つの方法は水銀法から50年ぐらいしてから考案されたアスベストによる隔膜法だ。
概念的にはイオン交換膜と同じで容器を隔膜で仕切り電気を流し、陰極に水素、陽極に塩素、そして苛性ソーダに分離するだけだ。 ところが実際の装置となるとアスベストから水溶液が右へ左へと移動するので純度が低く効率が悪くなる。 そこで当時の技術者たちが思いついたのが五右衛門風呂方式だ。 無数の穴が空いた五右衛門風呂のような鉄板を用意してそれを陰極として使う。 隔膜であるアスベストを内側に敷き詰めて、陽極を容器の中央にぶら下げる。 あとは食塩水を流し込んで電気を流す。 すると電気分解をしながらアスベストを通り抜けた食塩水は五右衛門風呂の穴から滴り落ちる。 この時に塩素ガスは容器の内側に水素ガスは外側に発生する。 そして滴り落ちる食塩水には水酸化ナトリウムが含まれる。 後はこの液体を煮詰めると食塩が結晶化して取り除いた後には水酸化ナトリウムの固まりが採れる。
――ぶっちゃけ効率が悪い。
しかし資源的に水銀法は高価で隔膜法の方が盛んだった。 さらに追い打ちをかけるように水銀公害が問題視されると法的に規制されアスベスト隔膜法が主流となった。 この当時はアスベストの危険性は認識されていなかったからだ。 さらに時が経つと隔膜法は塩水が混じった水溶液からどうにかナトリウムを取り出すという面倒くさい事に膨大なエネルギーを費やすのに塩が混入するという質の悪さから嫌われ続けた。 結局、イオン交換膜が発明されてアスベストはすべて駆逐された。
――ぶっちゃけ今はどうでもいい歴史だな。
◆ ◆ ◆
「とりあえず二つの小型装置を作ってみたが動かせそうか? シュー……」
「はい、これから実際に稼働させますね」
「シュー……、よしよし、どちらも危険な副産物が発生するから慎重に稼働させるように」
「はーい」と相変わらず軽い返事をするゴーレム達に少々不安になるが最近は粗相をしなくなってるから大丈夫だろう。
「工場長は絶対に近づかないのと酸素供給メットを外さないでくださいね」
「了解マム! シュー……」
苛性ソーダの製造の何が怖いかというと使用する材料もさることながら、生産できる副産物たちも危険な劇薬ばかりだ。
まずは主役である苛性ソーダは工学的に最重要な基礎中の基礎化学薬品にして腐食性劇薬指定されている危険物質。
ようするにヤベー奴だ。
副産物である塩素ガスは腐食性の高い黄緑色のガスで、産業用としては主に水道管の消毒での利用が有名だ。
だが第一次大戦で使用した人類史上初の本格的な化学兵器と言った方が本質的な危険度は理解しやすい。
つまりヤベー奴だ。
最後の水素ガスは爆発事故ではお馴染みの可燃性ガスだ。
これの産業利用は極めて有益であるが、あまりに小さい元素なので貯蔵が難しかったりする。
だから発想を変えるんだ――燃やせばいい。
そうすれば穢れなき純水が手に入るし爆発の心配はない。
……まあ、いつものヤベー奴だ。
こうして見ると、この張りぼてのような実験室にヤバ味の深い物質が5つも揃っている。
何も起こらないことを祈ろう。
◆ ◆ ◆
火花で引火しないように直流モーターを外に設置して電流を発生させる。 この電流により二つある塩水電解槽からそれぞれ水素と塩素が発生する。 水素は軽く上に向かうので上部のパイプから外へと流していき、出口で火を噴き純水を精製していく。 塩素は空気より重いので同じくパイプを通って耐腐食タンクへと下から溜まっていく。 少しずつではあるが確実に容器を満たしていく。
「工場長、ヒマですね」
「ヒマだね」
わかっていたことだが小型の装置だとどうしても時間がかかる。
それでも何とか動いてはくれているな。
塩素が出来るならこれを使って塩素消毒をするのもいいかもしれない。
塩素というかそれが水に溶けた次亜塩素酸は何かと健康グッズ業界に敵視されているが原始人にとって健康よりも安全の方が重要だ。
天然とか自然というのはクリーンなイメージを与えるが実際はその逆だ。
大自然というのはちっぽけな人間に容赦しない。
生水も海水もそのままでは飲むことすらできない。
イメージと実際には大きな隔たりがある。
だから念には念を入れて普段使う水は煮沸消毒かアルタさんの謎の魔法・錬金消毒をしてから使用している。
前者は燃料の無駄だし、後者はアルタさんの無駄遣いだ。
そろそろアルタ離れをした方がいい気がする――。
「ということで消毒のために――」
言い切る前に「ダメです」ときっぱり断られてしまった。
「なんで!?」
「毒物には変わりありません。濃度と毒性の有無を測定できない限り一番安全な方法以外は許しません。それに塩素は工業的に利用価値があると伺っています。無駄遣いはダメです」
「うぐぅ、それじゃあもう少しだけアルタさんに頼るよ」
「はい、もっと私に頼ってください」
とっても無表情の笑顔で頼ってオーラを出してきた。
しょうがないアルタ離れはまた今度だな。
さて次の工程を考えると……。
「よし、それじゃあナトリウムが溜まるまでアルタさんには別の装置を作ってもらおうかな」
「うふふ、わかりました。今度は何を作るのですか?」
「作る物は決まっているボイラーだ」
ストン「 ▯」「苛性ソーダの名前の由来はソーダより反応が苛烈だから、苛烈性ソーダ、苛性ソーダとなったんだって」
ウッド{ ▯}「へ~ソーダって何?」
ストン「 ▯」「「曹達と書いてソーダと読む。炭酸ナトリウムの事で石鹸とかで重要な奴」
ウッド{ ▯}「へ~重曹は?」
ストン「 ▯」「「炭酸水素ナトリウムの事で曹達より重いから重炭酸曹達と名付けられて、略して重曹って呼ばれたお掃除の味方」
ウッド{ ▯}「へ~ソーダ水は?」
ストン「 ▯」「「元はレモネードに重曹をぶち込んでレモン汁という名のクエン酸と謎の化学反応をおこして炭酸ガス入りの水にした歴史的な流れの名残」
ウッド{ ▯}「へ~軍曹は?」
アイアン〔 ▯〕「ハッ! 軍隊の下士官の一つであります! 曹達が当て字なのに対して、こちらは本来の意味で使われています!」
ウッド{ ▯}「へ~ソーダんだ」




