第4話 触媒技術という近代錬金術
「大麦が不作だったから今年こそ――そう思ったらクローバーを植えろと言われただ」
「信じてクローバー畑にオラの牛さ連れてったら何頭も盗まれただ」
「凶作で小麦がすべてダメになっただ」
「言われた通りにカブを育てたら市場が暴落して買いたたかれたんだ」
「これじゃあとてもじゃないが冬を越せねえだよぉ……」
「……かくなる上は領主の館に討ち入り、その後は山賊になるまで、皆のもの行くぞぉ!」
「オゥ! 領主打つべし!」
――ノーフォーク農法を強制された領民達
あらゆる学問を広く学ぶことを捨てて一部の体系化された学問に集中した弊害に気付いた時、過去の自分自身を呪ってやりたくなる。
例えば農業のノウハウなんて全く分からない。
だからとりあえず手に入れた種を植えてみるぐらいしかできる事はない。
よくネット小説などで出てくるノーフォーク農法とか、何をやっているのかまるで分らない。
ざっと見た概要は判っても実務としての具体的な作業内容が不明なのだ。
これが『田畑を耕すトラクターをゼロから開発しろ』なら何とかなる。
なにせ機械電気と化学的な問題は得意分野だ。
それこそ1850年代に誕生した世界最初の蒸気式トラクターを作ってみたい。
機関車の流用だから見た目はまさに陸上を走る機関車トーマ○スになる。
謎の農法よりも魅力的だ。
「…………ということで順調に畑を耕しています――工場長?」
おっと、いかん現実逃避をしてしまった。
「今回手に入った種で大豆以外は何があるんだっけ?」
「そうですね。ニンジンとキャベツからは種が採れました。それからイネのようなのは小麦と思われます――こちらは生育にバラツキがあり、一部は収穫が可能です。全体としてはもう少ししたら収穫できそうです」
城壁内部で雑草と化した野菜たちは逞しくそして不味く育っていた。
大豆はたまたま春に種が採れたから畑に植えられたが大抵の野菜は都市のあちこちに自生している。
農業は素人でも生き残った野菜の種類から輪作農法はできないというのは何となくわかる。
「それじゃあ大豆を中心に採れた種を植えていこう」
農地の規模は20倍になったがやる事は一緒だ。
前回成功した方法なら失敗はないだろう。
そもそも何とか農法ってのは連作障害とか土地の栄養とか小難しい問題への対処が基本となる。
人口一人、人間一人、ぼっち技術者……。
…………。
つまりたった一人の人間に対してほぼ山手線2個分の土地と無限の労働力を好き勝手使っていいのなら考えるだけ無駄だ。
そう発想を変えて脳筋で行けばいい。
時代の最先端は原始人的ノーキーン農法で決まりだ。
考えるな。 種を撒け。
◆ ◆ ◆
都市の主な生産物は木炭とレンガだ。
あのホフマン式レンガ窯は順調にレンガを生産し続けている。
その燃料として木炭を連日投入している。
その木炭の燃料として城壁の外の森を毎日伐採している。
重点的に伐採していた場所が南に広がる森林地帯だ。
数十キロ南下するとスケルトンと巨大なハチ達の危険地帯が広がっている。
ゴーレムに調べてもらった結果、ハチの魔物キラーホーネットの巣は南部一帯に何百と存在した。
しかし言い方を変えるとその二大魔物の数の暴力のせいでそれ以外の魔物が少ない森になっている。
そうとは知らずに東の森に次いで安全だったこともあり、精力的に伐採をしていた。
ようするに気が付いたら数十ヘクタール分の農業に適した土地を作っていたのだ。
「ところで東の森は農地として使えないの?」
「あちらはもともと資源運搬を考慮して道になるように伐採を進めていたので農地にするなら更なる伐採が必要です」
「そうか――それじゃあ時間がかかりそうだな。なら予定通り道路分の伐採だけでいいよ」
今は南部農地の視察に来ている。
1000体に膨れ上がったゴーレム達がクワで畑を耕している。
その光景は圧巻であるが、なんとか自動化できないか考えている。
だがそんな画期的な方法があったら、元の世界で誰かが試している。
やはり小型の蒸気機関が無いなら大量の人員を投入する以外に解決策はないか。
いや道具の改良できないだろうか。
「う~ん。こうクワで――!?」
農具の改良法がないか持ち上げたその時、腰のあたりが『ピキーン』となった。
……あ、これ下手に動いたらぎっくり腰になるやつだ。
「工場長どうかしましたか?」
「アルタさん。ちょっといい感じの塗り薬が欲しいんだけど」
「あ……わかりました。すぐに用意します」
察してくれたのかすぐに痛み止めの薬と塗り薬を用意してくれた。
最近は材料もそれなりに手に入って薬の種類が増えている。
しかも温度計のおかげで前より効き目が上がっている気がする。
さすがに療養生活はしたくないので自室に戻って休息することにした。
「工場長、あまりご無理をなさらないでください」
「無理はしてないつもりなんだけどね」
「いいえ、かなり無茶をしています。塗り薬が浸透するのに時間がかかりますので部屋からあまり出ないでください」
そういえばここ数ヵ月ずっと外で活動し続けていた。
思ってたより無理をしていたのかもしれない。
「うーん、それじゃあちょっとした実験をしたいから助手ゴーレムを貸してくれない」
「……そのぐらいでしたらいいですよ」と少し考えてから許可をしてくれた。
――ということで農業は完全にアルタに任せて別の事をしようと思う。
ベッドに寝っ転がりながらする簡単な実験だ。
「何をすればよろしいですか?」「まかせてー」
助手のアイアンゴーレム1体とストーン3体そしてノームとそれなりにマンパワーが揃っている。
「早熟した小麦を数キロ採ってきてもらいたい。ついでに粉砕できるなら粉にしてくれると嬉しいな」
それ以外にも欲しいものリストを言って持ってきてもらうことにした。
「ハッ! 了解しました!」と言ってドスドス音を立てながら部屋を出ていった。
数時間後には粉末状の小麦粉を持ってきてくれた。
さて今手元には『小麦粉』、『三脚』、『ビーカー』、『硫酸』、そしてランタン――というか『ランプ』がある。
これから近代錬金術にして人類の化学を飛躍的に進歩させた大発見《触媒作用》の実験を始める。
「――ということでまずは小麦粉を水で溶かしてデンプンがいっぱい入った水を作る」
「了解!」
ゴーレムが小麦粉にスプーンを突っ込み、それをビーカーに突っ込む。
動きが怖いけどいつものことだから気にしてはいけない。
その後は水を大量に入れて少しこぼす。
やっぱり不安だ。
「それじゃあ今度は硫酸を少量入れてからストーブで加熱してくれ」
むかしむかし、近代初期に――。
とあるロシアの謎の化学者がデンプンを入れた水に少量の硫酸を加えて加熱する実験をした。
するといつもの謎の化学反応によりデンプンが水に溶けだしてしまった。
硫酸を入れなかった時は起きなかった現象だ。
意を決してその溶け出した液体を舐めてみると、とても甘い物質に変化したことを発見した――これがいわゆるブドウ糖になる。
この時、硫酸が変化したり減ったりしていないか確認をしたところ一切変化が起きていなかった。
そう、硫酸は目の前に居続けたのだ。
さて軽くホラーな展開に当時の化学者たちは頭を悩ませた。
そしてこの不思議現象を『触媒作用』と名付けた。
この触媒の定義は『少量存在するだけで化学反応を著しく促進したり、特定の反応だけを起こしたりする物質で、反応前後ではほとんど変化しないもの』となる。
――つまり使っても消耗しない都合のいい物質ってことだ。
だから車のマフラーについている“触媒”を交換したりしないのは、摩耗しないという前提だからだ。
まあ、細かい化学的なことはこの際どうでもいい。
今重要なのは目の前でブドウ糖――つまり甘味が精製されているということだ。
甘味だ。 野生の果物や危険を冒さないと手に入らないハチミツじゃない。
その辺で採れた小麦のデンプンから甘々なブドウ糖が手に入る。
これほど低労働で最高のご褒美はまさに現代知識の勝利だ。
たしか、ぽよんぽよんの寒天の製法でも少量の硫酸を加えて甘みと生産力を飛躍的に向上させていると昔教えてもらった。
これは師事していた教授が教えてくれたエピソードの一つだ。
当時はそれを聞いて硫酸を食べるというのに抵抗感があったが、『君の胃袋には胃酸という名の塩酸で満たされてるのに今さら硫酸一滴に何を恐れるんだ』と指摘されたものだ。
その後に、『もし君がブドウ糖の入手するために実験をする日が来たらガラス棒の先端に少しだけ希硫酸を付ければいい、触媒は消耗しないのだから根気よく反応時間を延ばせばいつか満足できる量を生産できる』とも言ってくれた。
その後は沸騰させて煮詰めて結晶化させれば純ブドウ糖の結晶が手に入る。
料理というのは無知無能に近いがこういった化学と接してる部分は案外覚えてるものだ。
「工場長! どのぐらい加熱しますか!」
その声に過去から呼び戻される。
「ああ、3時間ほど加熱したら翌日まで放置して反応を確かめよう」
これで小麦粉を使った料理という無理難題をこなさなくても糖分が手に入る。
脳の栄養だ大事だ。
さあ、実験が終わったら――今日は早めに寝よう。
無理をし過ぎるとアルタに怒られてしまう。
そういえば農業らしいことは結局しなかったな。
…………。
まあいっか。




