第15話 工場長は爆発した
仮に、仮に女帝を倒したら何が起きるかって?
知らないのか?
隣の女帝が殴り込んでくるんだよ。
――冒険者達の持ちネタ
雨上がり、澄み切った青い空。
泥と雨の臭いが影を潜め、久しぶりに工場から流れる油や化学薬品の臭いが漂っている。
中央の河川は水位がどんどん上がって濁流と化しているので北部開発は今日も中止になった。
だから警備担当の少数だけが壁の上にいるぐらいだ。
石油設備はそもそも川より高い場所だから影響はなさそうだ。
ただ湿地帯の油田は若干水位が上がってるという報告はあった。
だが心配はない。
流体力学に液体の流れを計算する複雑怪奇な計算式がある。
それによると流量とは断面積×速度で成り立っている。
つまりエイヤーという感じで速度に置き換えると流量/断面積で水の速度が決まる。
ここ工場都市の中央の川で支配的な数値は断面積だ。
整った運河と拡張するにも硬い岩盤という難敵のせいで他の場所よりも断面積が小さい。
つまりここだけとっても流速が早い。
そして断面積がとんでもなく大きい川下の湿地帯や大湖まで行くと激流というほどではない。
まぁつまり川が氾濫するほどじゃないから時間が経つまでこのまま待機ということだ。
だが無為に待機するって言うのもアレなので青空の下で縦型2気筒小型ディーゼルエンジンの試作機を動かすことにした。
そう初のディーゼルエンジンだ。
コイツの馬力は計算値で10馬力程度――大きさも腰の高さ1メートルもない。
汎用タイプとして設計して小型の蒸気機関の代替品となる予定だ。
それはつまり蒸気機関の開発から4か月、ついにスチームパンクが表舞台から退く日が来たってことだ。
それでも世界の裏方としてボイラーは稼働し続けることにはなる。
だがそんな事よりもこのエンジンには象徴的な意味がある。
そしはなんとアルタの錬金術ナシで初めて作ったエンジンということだ。
あの二人は電気信号のやり取りにすっかりのめり込んで――ヒッキーになってしまった。
そういうわけで汎用ゴーレムズと加工機械群を駆使して一個一個丁寧に組付けて作り上げた。
「燃料タンクは?」
「満杯でーす」
「ヨシ、それじゃあ始めるか!」
燃料は今まで用途がなかった軽油になる。
文明的な現代人がエンジンを始動させる方は簡単だ。
このクランク付き謎の棒を使えばいい。
ギザギザの付いた車のキーとスターターモーターなんて便利な物はない。
つまり始動は手動でマジ面倒だ。イエーイ!
「という事でこうやって――手回しで! グルグルと! 回して! よっ! ほっ! だっ!!」
スターティング・ハンドルという謎の棒を使ってエンジンのシャフトを回転させる。
最初は少し重いが回していると徐々にフライホイールという謎の円盤が仕事を始める。
コイツは回転し始めると遠心力が働いていい感じに回転させ続けてくれる。
これがあるおかげで2気筒エンジンの爆発と爆発の間の隙間時間に回転力を下げないという重要な仕事をしてくれる。
手回し回転の時にシリンダーを圧縮すると反発が凄いから圧縮は解除してある。
だからいい感じに回転したら圧縮と燃料供給を操作する。
そうすると圧気発火器と同じ原理で圧縮による急激な温度上昇が起きる。
そして自然発火点に達して爆発が起きる。
――そのとき『ぽんっぽんっぽんっ』と音を鳴らしてエンジンが動いたことが分かる。
最初の数回は燃焼がイマイチだから排気管が黒煙を上げる。
そこから燃料の供給と回転数なんかをちょっと調整してやる。
おーけー、じゃじゃ馬ではない――いい子のようだ。
バルブが規則的に上下している。
「よーし、いい子だ。それじゃあちょっと回転数を上げてみようかぁ」
回転数を上げて最大出力をだして、か~ら~の~低速運転を試してみる。
潤滑油の油圧、冷却液の循環、すべてヨシ!
ああ、やっとだやっとスタートラインに立てた。
けどまだだ。 まだ10馬力。
最低でも時速100キロで巡行できる飛行船を作らないとドラゴンなんかの魔物に捕まってしまう。
だから最低でも1000馬力は欲しいところだ。
これから試作と改良を繰り返して実用的なエンジンを作っていく。
「じ~~」
何だろう視線を感じる――ってアルタか。
「やぁアル。ついにエンジンが動いたぞ」
「そうですか。ついに錬金術が無くても上手くいくようになったのですね」
「そうなんだよ! 一番苦労したのがこのクランクシャフトとカムシャフトそれから――」
「ふふ、これで私が居なくなっても大丈夫ですね……」
「アル? 一体何を言って――」
彼女の真意を確かめようと思ったその時、警報が鳴り響いた。
そしてスピーカーからアナウンスが流れた。
『緊急事態! 北部から魔物が多数接近!』
◆ ◆ ◆
北部にいた魔物達は焼失した北部森林地帯を南下してきた。 この魔物――魔虫はその名の通り昆虫と似た生態を有している。 巣であるコロニー群から放射線状に縄張りを広げて敵対する者は人、魔物問わず襲い掛かる。
魔蟲≪レギオン≫
数を増やして勢力を広げ続ける魔物の群れ。 あらゆる敵対者を数の暴力で駆逐し続ける物量の魔物。 唯一侵攻が止まるのは強大な魔力を有するドラゴンなど一部の強者、そして同種族とも争いを避けて一定の範囲でコロニーを維持する。 より獰猛で排他的な種族は進化の法則に従い絶滅しただけの話である。
『キシャアァァァァ』
真社会性の集団であるレギオンは明確な役割分担がなされている。 巣の周辺に未踏の地があれば数百の偵察レギオンが安全確保のために出向く。 そして倒せる敵がいれば偵察レギオンだけで攻撃を始め、安全な土地と判断すれば複数の女王レギオンが新たな巣をつくる。 その尖兵数百体が工場都市へと襲い掛かる。
「スチーム砲撃て!」
放たれた砲弾がレギオンを一体倒す。 だが数が多すぎてまったく意味をなしていない。 工場都市の魔物対策は一貫して離れた距離から一方的に攻撃するという考えからきている。 それが真価を発揮するのは強固な要塞を作り大量の物資を供給する体制が整っているときだけだ。 北部にはそれがまだない――。
「テルミット砲撃て!!」
10連ロケット砲が火を噴くがそれでも一部を焼いただけだ。 空気銃もロケットもインターバルが長すぎて焼け石に水でしかなかった。 城門に到達したレギオン達、最後にガソリンを撒いて火を点けるという抵抗をおこなう。
『数が多すぎて防衛不可能です! 撤退します!』
スピーカーから連絡が入る。 拠点化を始めて間もない北部はそのすべてが貧弱だった。 そのために東西と北にある城門は急ごしらえの有刺鉄線のバリケードと木の柵でしかなかった。 それはレギオンの数度の体当たりで容易に突破された。
「グギャァァ」「ギギ……ギギ……」
北門から続々と内部に侵入してくる魔物の群れ。 偵察レギオンはその性質から工場都市内部の索敵から始めた。 だが廃墟しかない都市北部に倒すべき敵を見つけることができずに周囲をうろつくだけだった。
「跳ね橋を上げろ!」
油圧式の跳ね橋がゆっくりと上がっていく。 その異変に気付いたレギオン達が中央橋へとなだれ込む。 勾配の付いた橋を駆けあがっていく。 中央で別れた橋の下には激流が流れている。 だが恐怖という感情の無いレギオンはそのまま飛ぶ。 10体以上のレギオンがせり上がる橋を飛び越えて対岸へと到達した。 後方に続くレギオンは橋を渡れずに濁流に飲まれていく。
「全隊かまえ! 撃て!!」
対岸で待ち構えたエアライフルで武装したゴーレムによる射撃。 一斉に放たれたペレット弾はレギオンの皮膚に当たる、が効かない。 運動エネルギーが低すぎるせいで硬い外骨格によって容易に弾かれてしまうからだ。 唯一弱いところは関節だ、昆虫と同じくそこだけは非常に軟らかい。
「スチーム砲を準備――なッ!?」
橋を渡り切るのは想定していたが、ほとんど無傷なのは想定外だった。 レギオンは一気に距離を詰めてきて刃物のように鋭利な脚を振るいアイアンゴーレム達をなぎ倒す。 そしてスチーム砲の圧力が上がる前に配管が壊される。 何発も何発も弾を当てるがビクともしない。
「くっ、相性が悪すぎるな」
「工場長! 早く逃げましょう!」
遠くから戦闘を、敵を確認していた工場長達は分が悪いとわかり移動する。 ゴーレムの攻撃では突撃を止めることができない。 想定外に硬い骨格にありえない瞬発力、その腕や顎に魔力を纏うことで薄い鉄板の骨格を容易に切り裂いていく。 魔物の群れは瞬く間に武装ゴーレムを一掃した。
「まずはギルドに向かいましょう。あそこの無線機から全ゴーレムを呼び戻してそれから――」
二人は最短でギルドに戻ろうと工場の中を横切った。 だが動く存在に気付いたレギオンが一体、あとを追って工場内へと侵入してきた。 その時、初めて全容を確認する。 それは2mほどの全高に昆虫特有の細い体つきそして鋭利な脚。 6本の足で移動して戦う時は二本の前足を鎌のように使う。
「工場長を守れー!!」
工場内で働いていたゴーレム達が突撃するが時間稼ぎにすらならなかった。 一瞬で吹き飛ばされて周囲のボンベや設備に激突する。
「クソッ! だが生物である限りこれなら効くだろ!」
工場内で暴れるレギオンに対して工場長が投げつけたのはゴムの球である。 レギオンはそれを容易く切り裂くが、中に詰まっていた粉が撒きちる。 白煙によって周囲の視界が奪われる――煙幕球だ。
「ギ……ギギ!! グギャァァ!!?」
だがただの煙幕ではない。 中に詰まっていたのは生石灰の粉末である。 それがレギオンの目や酸素を取り入れる気門内部の水分と化学反応を起こして火傷になったのだ。 レギオンは酸欠と失明により、見るからに弱り果ててしまった。
「予想以上に効いたのか?」
「あとは任せてください!」
アルタは建築資材をレギオンの頭上に落とす。 出現したのは大量のH形鋼の建築資材それは一つ一つが6m、180kgにもなる質量だ。 インベントリを使った質量攻撃は硬い外骨格をも押しつぶした。 立ち上がろうとするがレギオンは軟らかい関節部分から潰れて動けなくなる。
「グギ……ギ……ッ……」
敵を潰した――潰したことによりフェロモンが放出される。 レギオンはハチと似た警戒フェロモンを有している、これにより周囲の仲間が集まってくる。 それは周囲でゴーレムを蹂躙していたレギオン達が一斉に工場内へとなだれ込むということだ。
「アル! こっちへ来るぞ!」
「…………」
「アル? アル! しっかりしろ!!」
彼女はスライム戦後から時々意識が途切れていた――長い時は水時計の前で体の表面が凍り付くぐらい。
「……!? しまっ――」
反応が遅れたアルタはレギオンの攻撃を受けてしまう。 物理的には頑丈なゴーレムのコアも魔力を纏った刃には弱く一撃でヒビが入る。 その衝撃でスライム状の体からコアだけが飛びだす。
「あうっ!」
「アル!」
「ゥ……ァ……まだ、大丈夫……避難を」
工場長とレギオンの間にスモールハウスが出現していた。 インベントリ内に保管してある最大の物質を工場内に出現させたのだ。 すぐにコアを持ち中に入り分厚いドアを閉じる。 敵を見失ったレギオン達は周囲を囲み獲物を探し始める。
「はぁはぁ……アル大丈夫か?」
そう聞いたら彼女は「大丈夫です」と答えてインベントリから予備のスライムの体を取り出す。
だが人型を維持できないのか形が崩れてしまう。
周囲を見渡す。
スモールハウスは炭坑で使って以来になる。
中には簡易ベッドや石炭ストーブに冷房、それからもしもの時の備蓄品が置いてある。
技術力が上がるたびに少しずつ改良してるから冷房なんかも付いている。
頑丈さを追求しているので壁には何層にも鉛や鉄が使われている。
だがそれ以外には何もない。
鉄すら切り裂く魔物だ。
この核シェルター並みの家ですら長くは持たないだろう。
『ガリガリ、ガリガリ』
コチラに気付いたのか構造上最も弱い入り口付近でこじ開けようとしている。
アルタも調子が悪い、それ以前に直るのだろうか?
「ご心配なく、この程度なら問題ありません」
そう言ってからヒビが少しずつ修復しているのが分かる。
それでもあまり時間はない――どうしよう?
レギオンはスモールハウスをこじ開けようと周囲の壁を壊し始めた。 だが薄い鉄板を折り曲げて作ったゴーレムのフレームと違い分厚い金属の壁にてこずっている。 それでも確実に核シェルターの壁を削っていく。
『トテトテトテ……』
レギオンは多くの昆虫と違い複眼を持っていない――単眼である。 それはトンボの前で指を回すとその動きに集中して動かなくなるように、複眼の魔虫は複眼の性質によるデメリットが多すぎて淘汰されたからだ。 だから足元を動き回る小動物や小さな虫そしてノーム・ゴーレムに気付かない。
「よっ、ほっ、ほいっ」
ノーム・ゴーレムはスモールハウスの小さな穴から外に出て工場の端まで紐を伸ばしていった。 そしてたくさんのボンベの前まで来てそのボンベに導火線を入れた。 一仕事を終えたノームはそのまま来た道を戻り二人へ報告する。
「入れましたー」
「よくやった。それじゃあ準備いいか?」
「はい……大丈夫です……」
その返事が嘘だというのは分かっていた。 それでも彼女を治すには安全になってからと言い聞かせて次の行動に移る。
「絶対に生き残ろうな」
「…………はい」
工場長の半分ほどをスライムが覆っている。 そして弱々しく光るゴーレムコアを抱えながら導火線の先端を手繰り寄せる。 そしてメタルマッチと呼ばれるマグネシウムの棒を金属と擦り合わせて火花を何度も起こす。 ついに中心に練り込まれている黒色火薬がけたたましく燃えた。
『ジュウゥゥゥゥーー』
激しく燃える導火線に気付いたレギオンは瞬時に警戒フェロモンを発しながら威嚇する。 周囲を調べていたレギオン達も集まり閃光を凝視する。 何度も攻撃をするが光り輝く閃光によって距離感がつかめなくなり導火線を切ることはできなかった。 そのまま火はボンベに到達する。 看板にはこう書かれていた――。
『液体酸素ボンベ 火気厳禁』
それは各鉱山へ送られる前の、高炉に設置される前の、液体酸素の仮置き場。 そこは爆発の危険があるから重要設備や物資を少なくして搬入搬出作業用の広い空間を設けた液体酸素工場。 いま、そこから取り出された液体酸素ボンベに火が点いた。
「グギャ? ギッ――――」
液体酸素ボンベは爆発した。 それも連鎖的に爆発を起こし最後には深冷蒸留装置をも巻き込む大爆発へと発展した。 その爆発力は凄まじく工場を更地にするほどの威力があった。 あまりの威力に橋を渡ってきたレギオン達が跡形もなく消し飛ぶほどだった。 だが核シェルター並みのスモールハウスは依然健在である。
いくら爆発に強いと言っても爆心地ではダメージが大きい。
だからアルタに包まれて少しでも衝撃を緩和することにした。
どうやらうまくいったようだ。
「アル……ゲホゲホ、大丈夫か?」
真っ暗なスモールハウスの中で明かりが点く。
ノームがランタンを付けてくれた。
目まいがおさまり、アルタを彼女のコアを見る。
「……………………」
もはや光は失われただの石のようになっている。
何度呼び掛けても全く反応しない。
ああ、クソ……。
ここでは何もしなければ死ぬだけだ……。
だから大切な人が亡くなっても……次の行動を考えて……。
……動かなければいけない。
「アル! アル! お願いだから返事をしてくれ! …………ッ」
ああ、知っている。
この感情を知っている。
これは……虚無だ。
生きる意味を無くした……目的を無くした。
……疲れた。
…………泣きつかれた。
………………頑張るのを疲れた。
『あぁ……ドアが歪んで救出できない……スライムになりたい……』
『カルちゃん、すぐに分解するから離れていなさい』
外から声がする。
カルともう一人は誰だ?
次の瞬間、錬成時の独特な光を放ち、重厚なドアがボロボロと崩れ去る。
眩しい。
そして中へと誰かが入ってくる。
異世界に来て初めての人だ。
若い女性のようだ。
彼女の顔立ちはどこか見覚えがあり金髪のロングヘア。
透き通るような白い肌に、印象的なエメラルドグリーンの瞳でこちらを見ている。
この時期には場違いなほど薄い白のワンピースを着ている。
そして足元に転がっていたコアをしゃがんで拾う。
そのコアを口元に近づけて言う。
「こ、こ、工場長様。は、はじめまして、えっとその、アルタと言います――です」
「あ、アルなのか?」
「はい、あなたのアルタです………………ちょっと待ってください! 今のは無しで。あなたのとか無しです!!」
顔を真っ赤にして、ワタワタし始める。
ハハッ、こんなに感情豊かなんだ。
「えっとちょっと待ってください、えーとアレです――ひゃい!?」
ワタワタする彼女に近づいて、ぎゅーっと抱きつく。
「こ、工場長様! 待ってください!! 100年ぶりの皮膚感覚がビリビリって、いってる最中に触っちゃ――ダメで……ひゃん!!??」
なんか言ってるが無視だ。無視。
人を心配させたんだからその分は無視してもいいだろう。
ウッド{ ▯}「あ、爆発した」
ストン「 ▯」「ついに第六章も次回16話で終わりだね。そして体系的な開発物語の都合から第七章 火薬の時代を持って本小説は一旦終わりになるよ」
ウッド{ ▯}「わーお」
ストン「 ▯」「最後は安全地帯視点の珍しい開発戦記物の予定だよ。基本的に近代や現代軍事兵器全盛になる予定なので苦手な人は気を付けてね」
ウッド{ ▯}「やっと硝煙漂うプロローグまで進むんだね」
ストン「 ▯」「あと戦記の都合からあとがきゴーレムは合わないので僕らはここまでバイバイ!」
ウッド{ ◎}「……ファッ!?」




