進め
俺はリカちゃんを閉じ込めているであろうバンの後部座席に手をかける。
鍵がかかっていれば追手に気付いた男達からリカちゃんを助け出すチャンスは限りなくゼロに近くなる。
だが、救い出すチャンスも今しかない。
迷いを振り切り力一杯とってを引いた。
そして……
ガチャ、ゴゴゴゴゴ
バンの扉は重いスライド音と共に後部へと滑っていく。
「警察だ、手を上げろ!!」
扉が開くと同時に俺は叫び、車内を睨む。
俺の出現を予想していなかったフロント席の男2人は驚愕した表情で後ろに振り向き、後部座席の男は目を大きく見開き、硬直している。
そして、リカちゃんは……硬直した男の左腕にアームロックをかけられた状態で拘束されている。
「エッ……どうし」
「静かにしろ、警察だ!全員大人しく手を後ろに回せ!」
車内で誰よりも大きく目を見開き、思わず声を出してしまった様子のリカちゃんの問いを遮るように俺は怒鳴る。
それで瞬時に状況を判断してくれたリカちゃんは萎えてぶら下かっていた両手を上にあげ、首に巻きつく男の腕の上に自身の腕を置く形で後頭部に手のひらを当てる。
それを見て反射的にフロント席の男2人も後頭部に手を当てたが……
肝心のリカちゃんを抱き締めている男は手を後ろに回そうとしていない。
そして、リカちゃんの顔のすぐそばには男の右手が持つナイフが突きつけられていて……
「おい、警察なら手帳を見せやがれ!!」
……ッ……
しまった!!
俺の脅しから抜け出した男は逆に俺に大声で怒鳴りかかり、
その声で俺は一瞬苦悶の表情を漏らしてしまった。
俺の動揺を見てとった男は、
「おい、車を出せ、こいつは一般人だ!」
「マジかよ!!」
男の声を聞いたドライバー席の男は即座に頭につけていた両手をハンドルにかけ握りしめる。
しまったっ……!!動揺で反応が遅れた。
俺はまだ車内に乗り込んでいない。
今アクセルを踏まれると逃げられてしまう。
俺は即座に車内に乗り込もうとするが、運転席の男の方が反応が早い。
男が思いっきり右足を奥へ押し込むのがわかる。
嘘だ……
後部座席の男は笑みを漏らし、それを見て絶望的な表情になる俺。
駄目だ、急発進したバンに飛び掛かれば俺は半身を引き摺り回される。
そして最悪証拠隠滅のためにリカちゃんは……
最悪のイメージが脳裏によぎり、俺は無我夢中でステンレス製のバンの取手は手を伸ばしかけた瞬間、
ガンッ、ガンッ、ガン!!
想像したタイミングで車が発進することはなく、運転席の男の足元からは何度もアクセルを打ち付ける音が聞こえてくる。
「おい、何やってる、早く車を出せって!」
そのおかげでとってを掴む事が出来た俺を見て後部座席の男が叫ぶ
「それがさっきから動かねえんだよ車が!、何度もアクセル踏んでるのに!!」
男の怒鳴り声に、焦った声で運転席の男が返す。
車が動かない?なんでだ……はっ!!
俺の視線の先に、運転座席下部の隙間からニョロニョロと伸びてくるものが見える。
ハクリューだ!!
どうやら男達が俺に振り向いてる隙をついてハクリューがスイッチ式のエンジンボタンを押し車を完全に停止させたらしい。しっかりキーまで抜いて。
「よくやった!」
そう叫んで俺はとってを握る手に力をこめ、勢いよく車内に乗り込もうとするが、
「うッ……」
後部座席の男の動きを見た俺は途切れるような声が漏らし、片足だけ車内にかけた状態で動きを止める。
「おい、入ればこの女にナイフを突き刺すぜ」
男の目を見る俺、おそらく嘘じゃない。
それが脅しだったとしてもおそらく俺には確実にナイフを突き刺す。
男の深く窪んだ瞳がそれを如実にものがたっている。
「その子を離せ……」
「それで離す奴がいるか?」
「離さなきゃただじゃ置かないぞ?」
「だったらどうする?」
そう言って男は右手のナイフを俺に突き立て、顔を真っ青にしているリカちゃんが驚愕の目でナイフの刃先に視線だけを移す。
それを見た助手席の男がやめろと叫ぶが、男はその声を意にも返さない。
本気だ。
どうする……もう俺には他に手段がない。
このままむやみに突っ込んでもリカちゃんを助け出せる保証がない。
それでも何もしないよりは……
ナイフは俺にさされればそれでいい。その隙にリカちゃんを車外に逃がせる。
そう思い取ってを掴む左手に力を込めた瞬間、
「いいんです、健太郎さん……」
声を出したのは男ではなく、ナイフの切先がむく俺に視線を動かしたリカちゃんだった。
俺は驚きながらリカちゃんの目を見る。そして再びリカちゃんは、
「私のことは大丈夫です、だから健太郎さんは逃げてください……」
壊れそうな笑みを作りながら力なくそう答えてくる。
嘘だ、大丈夫なわけないだろう?!
リカちゃんはこんな状況で俺だけでも逃がそうとしてるんだ、
「何言ってんだよ……」
「いいから!!行って!!」
動揺を漏らす俺にリカちゃんが被せるように叫び……
そして、
「だとよ、わかったらとっとと」
そう言いながら男は空いた左足を中に浮かせ俺を蹴り出そうとした瞬間、
「進んでください!!」
胸元のセナが叫んだ。
その声で考える間もなく俺は左手に再び力を込め、地面の右足を蹴り上げた。
それを見た男は自身の背後にリカちゃんを突き飛ばすと即座に浮かした左足を地面に戻し、ナイフを持つ右腕を引いて臨戦体勢に入る。
どうする?!このままだとおそらく刺される。
しかし考えてる余裕はない、俺は刺されてもなんとかリカちゃんだけは……!!
飛びこむ俺に逆におそいかかるように身をかがめた男の右腕に力が籠る。
この後突きが来るのがわかる。この角度なら狙いはおそらく胸か首だろう。狭い車内では避けられない。それでも、
「うおぉぉぉぉぉぉ!」
大声をあげて車内に飛び乗ろうとする俺に男は重心を向け、
「オラアァァァァ!!」
大声と共に飛びかかってきた。
とにかく、男のナイフを止めるんだ!身体を盾にしてでも!!
俺が両手を前にだし、ナイフに飛びつこうとした瞬間
バサッ!!
なんだ!?俺と男の間に影のようなものが割って入り、男の顔面に覆い被さるようにくっついた。
「グワッ!!」
それに驚いた男は、反射的に左手でそれを払おうとした為、ナイフを握っていた右手は俺の対角線上の外側に向いた。
それたナイフだけを見る俺の視界の外側に弾かれたピンクの物体が飛んでいくのが分かった。
ヤドランだ!!
俺と男が対峙している間、男に気づかれずに座席をつたい男の顔面近くまで忍び寄っていたんだ。
勿論俺もヤドランに気づいていなかった。気づけば男に悟られたな違いない。
胸ポケットに潜むセナだけがヤドランの動きに気付いていたんだ。
「オラアァァァァァァァ!!」
俺は勢いを落とさず隙の出来た男の右腕に飛びかかり、両手で男の拳を握りしめ、
ガンッ、ガンッ!!!
反対ドアの手すりに全力でその拳を叩きつける。
「クソが!!」
男もナイフを守るため左手を俺の脇腹に擦り込ませてくるが、体制は今度はこちらが有利だ。
ガンッガンッガンッガンッ!!!!
構わず何度も叩きつけそしてついに、
「ゔっ…」
痛みと衝撃に耐えきれなくなった男の手からナイフが抜け落ちた。
俺は即座に床に落ちたナイフを拾い、振り向きざまに飛びかかろうとしていた男の顔面にキッと刃の先端突き立てると、それを見た男はピタリと動きを止める。
「変な動きをするな。後ろの奴らもだ。これは脅しじゃない、黙ってその子を解放しろ」
そう言い座席にうずくまるリカちゃんに視線を一瞬動かした後、再び男を睨むと、
男は俺につられて見たリカちゃんから自分に向けられている刃の切先、そして俺の目へと視線を戻し、これが脅しじゃない事を理解したらしく、
「クソッ……」
それまで身体に充満させていた力が四散したかのようにだらしなくシートに身体を落とし込んだ。
「おいやべーって!!」
「ヤベェヤベェ!!」
「あ、待て!!」
座り込む男の姿をみるやそれまで静観を決め込んでいたフロント部の男達は、事の趨勢を悟り俺の静止も聞かずヤベヤベーと慌てふためきながらドアを同時に開け、それぞれ反対方向に駆け出していってしまった。
一人の男を後部座席に置き去りにして
「あぶねぇぞ!!って聞いてないか……薄情な奴らだな」
「そんなもんだろ」
ずっこけながら逃げていく男達を横目で見送った後、俺はそう言って崩れ落ちている男に話しかけるが、敗北を認めた男は今も強気な姿勢は崩さずに太々しく言葉を吐き捨てる。
俺はそれには答えず。
恐怖で男の隣に蹲っているリカちゃんに視線を移す。
ナイフの切先は男に向けたままで。
「もう大丈夫だリカちゃん、早く車の外にでよ?」
俺が落ち着いた口調で話しかけると、リカちゃんはゆっくりとした動きで、
コクン。
垂れ下がった前髪で表情はわからないが、ゆっくりと小さな頭を頷かせてから、震える右手を座席に押し付け、なけなしの力を振り絞るようにしてヨタヨタと俺の後ろを通り過ぎていく。車高の高いバンの手すりにしがみつくようにして、半分ずり落ちながら車の外に出ていくリカちゃんから、自分の足元に視線を移した男は、
「なんで俺達の事がわかった……?」
俺にだけに聞こえるような声で問いかけてきた。
「お前が落とした彼女の携帯画面の反射で車内の状況を把握した」
「違うだろ、なんであの女の居場所が分かったんだって事だ。確かリカと名前を呼んだな……」
男は顔をあげ、深く窪んだ瞳で覗き込むように俺の目を見据えたところで俺は自分が犯した重大な過ちに気づく!
安心させるために読んだ名前だったけど、うっかりこの男に彼女の名前を知らせてしまった。
務所から出た後、逆恨みを抱きかねないこいつに彼女の重要な個人情報を……
白旗をあげても意地でも精神を屈服させようとしない強情な男に、
「チッ、馬鹿が。女性のピンチに駆けつけるのが男だろうが」
そう吐き捨てながら俺はナイフの切先をちゃっと男の目前に突き立てる。脅しの意味合いもこめて
まあまともに話しても理解しないだろうしな。
しかしそれを聞いた男は、窪んだ瞳をカッと見開き驚いた表情を見せたかと思うと、自分の額に右手を当て、いよいよ泣くかと思われたのだが、実際は俺の予想に反し、
「……クッ、クク、クハハ!!参った!降参だ!アッハッハッハ!!」
今度はバカ高い笑い声を上げながら両手をあげる。
ハッキリ言って何がそんなにおかしいかわからないな。
何処までもムカつく野郎だぜ。
ほんとに刺したろか?
ヒクヒクと笑い続ける男を無視し、今度は俺がバンの取手に手をかけ車体から降りようとすると、
「生身の身体と人形だけでお前……お前、カッケェよ。お前みたいな奴がいるなんてお前、信じられねぇよ……」
状況を理解していないのか、敗れた相手に不必要にお前お前と連呼する男は、そう言いながらあげていた右手をスッと懐に忍ばせる動作をしている。
「健太郎さん!!!」
「えっ……!?」
それを見たセナが大声で叫び、俺も遅れて事態に気づく。
羽織っていた花柄のシャツの中から男がごそり取り出してきたのは、
車内のオレンジ色のライトに照らされギラリと妖艶に光る、黒い拳銃、おそらく実弾入りの。
その銃口が今俺の顔面を真っ直ぐに捉えている。
「あっ……」
それを見て全身が凍りつき、動けなくなった俺を見た男は、フッと声を漏らすと、
グルリ。
トリガーにかけていた人差し指以外の指をグリップから離した。
モーメントの支えを失った銃口は重力に引っ張られながら宙にに半円を描き、俺の顔から床へと向きをかえ、最後に人差しから滑り落ちた銃がドシャリと音を立てて男の足元に落っこちる。
何がしたいんだこいつは……
俺が銃に飛びつくのを待っているのか?
床下の銃を見てどういう事か状況がまだ理解できていない俺の目を見ながら男は、
「言ったろ?俺の負けだ……」
そう言って再び右手をあげ、先程俺を蹴ろうとした左足の側面で今度は足元の銃を蹴った。
蹴られた銃はズズズと音を立てながら俺の足元まで滑ってきたところでピタリと動きを止める。
それを訝しげに見る俺に、
「それはお前にやるよ」
と、どうやら今度こそ本当に降参したらしい男は俺の足元に転がる銃にむけてクイと顎を動かしながら話しかけてくる。
まるで親友に声をかけるかのような口調で。
先程とは違い、澄んだ瞳を輝かせながら。
今の男に敵意はない。
そう感じた俺は
「いらねえよ、法律を破らないのが俺のポリシーなんでな」
そう言って拾うのもなんか違う気がしたので足元の銃を男に蹴り返してやる。
どうやら拳銃が戻ってくる事を予想していなかったらしい男は口をあんぐりとあけ、驚いた顔で銃を見つめている。
バンから降り、ドア外側のレバーに手をかけたところで、俺は
少し男の様子で気になる事があるので非常に嫌ではあるが声をかけておくことにした。
「あ、そうだ」
「うん?」
首だけを動かし、キョトンとしている男に、
「俺の寝覚めが悪くなるからな、変な考え起こすなよ?」
そう言ってまだよく意味が理解できていないような顔をしている男の足元へ先程男が俺にしたようアゴをクイックイっと動かし、男の視線を奴の足元に転がるブツヘと誘導する。そして
「馬鹿じゃねぇんだ、わかるだろ?」
そうとだけ告げる。
敗北を悟った犯人が最後、自暴自棄になって自分の拳銃で自殺したりするのは、刑事ドラマとかではありがちな展開だからな。クギ刺しておかなきゃだぜ。
「お、おう……」と答えかけている男の返事を最後まで待たずに、俺は掴んでいたレバーをひき、ドアを勢いよく左へスライドさせ自分の視界から男を完全にシャットアウトさせた。
大事なリカちゃんを傷つけた男の顔をこれ以上見なくてせいせいする俺であっが、ドアを閉めた車内からは、
「クッ……マジかよアイツ!!か、敵わねえ……プッ、プククッ、あーはっはっは!!」
と、どうやら先程よりも大きい笑い声が揺れる車内から聞こえてくる。また笑ってんのかよ……
どこまでも意味不明な奴だぜ。
そして同時に、
「ウウウウゥ〜」
遠くからパトカーのサイレン音が聞こえてくる。
どうやら、俺が車内で男とバトっている間にタクシードライバーが警察を呼んでくれてたらしい。
ほんと頼りになるよタクシーのおっちゃん。
「フゥ……」
何はともあれ一安心だ。
俺が安堵のため息をつくと、
「あの人大丈夫でしょうか……」
車内の笑い声がハァハァっと大笑いした後の人特有の、喘息のような呼吸音に変わったところで不安そうな顔をしたセナが胸ポケから顔を出してくる。
「大丈夫だと思うけど、無駄に男気のある奴だったからな……あれ?ちょっと不安な気もしてきた……あー、やっぱ拳銃だけは取り上げるべきだったかな?けどまたドアを開けるとカッコ悪い気がするし、あぁ、どうしよう……」
会社で散々上司を怒らせ、失望させてきた俺だからこそわかるが、この感じは最後まで責任を貫き通さないといけないあのパターン。
サラリーマンは本気の相手に一度イエスと言ったなら、家に持ち帰ってでも仕事を完遂しなければならない悲しい性を背負った生き物なのだ。
「カッコつけと人命どっちが大事なんですか!?」
「い、いや、これは秤にかけるべきのものではなくてだな……」
本気で呆れるセナにまじで焦りながら俺が答えると、どうやら俺達の声は車内に筒抜けだったらしく、過呼吸だった男がさっきよりも更に勢いを増して笑いだし、どったんバッタンと車内でもがき出している。
「行かん、このままでは本当に死んでしまう!主に俺が原因の過呼吸で!!」
バンの後ろに迫るパトカーを目視で確認した俺は握っていたナイフをバレないようにポケットにしまい、警官が到着するまで男の呼吸がもたなそうだと感じたので、ドアのレバーを再度掴みかけたところで、
「あの……どうしてですか……?」
近づくパトカーのサイレン音と車内の化け物のような笑い声でほとんど掻き消されているが、確かに俺の後ろから声が聞こえてきて俺は動きを止める。
怯えた口調で非常に聞き取りづらくはあるが振り向かなくてもわかる。
これまで何十万回も聞いたあの声だ。
胸ポケから半身を乗り出していたセナがサッと顔を引っ込めるのを見た後、
男の命よりもリカちゃんの感情の方が遥かに優先順位が高いすけべぇな俺は、
そうだよな、ちゃんと説明しないとだよな……
そう思いドアに伸ばしていた手を引っ込める。
また昼間みたいな事になるのが怖いので少し気後れもする、
けれど今は少しでも彼女の心を安心させたい。
パトカーから飛び出し、ドライバーに促されるようにバンに駆け寄ってくる警察官達が俺の後ろを通り過ぎていく。
「警官だ、大人しくしろ!!あ、床に拳銃がおちてるぞ、気をつけろ!」
「ハァハァハァハァ、うるせえな!なんもしねえよ!」
とけたたましく車内から聞こえてくる声を背中で聞きながら、俺は後ろを振り向き、目の前で一連の騒動でクシャクシャに皺が入ってしまった白いワンピースに身を包んで立ちすくんでいるリカちゃんに視線を向けた。




