社会
アリスとラーメンを食べに行ったが今はその話は省かせてもらう。
何故なら今、俺田中健太郎は人生における最大のピンチ、いや、チャンスか?
それがどっちかわからなくなるくらい急転直下な状況に置かれている。
それはラーメン屋を出て市川駅まで二人で来た時だった。
「もう駅だけどアリスの家は近くなの?」
「いえ、けど駅からバスに乗ってすぐなんで大丈夫です!」
「そっか、じゃあここらへんで……」
そう言って俺が別れの挨拶を言いかけた時、
『好きです』
唐突に、アリスが俺の言葉を遮りながら言った。
俺は驚きアリスの目をみるとアリスは真剣な眼差しで俺の目をみている。
俺の本心を覗き込むように。
……薄々だ、ウスウス勘づいていたのだが、あり得ないと、自分の願望だとその考えを封じ込めていたが、
それをアリスの方から言葉にして俺に投げ込んできた。
「好きって……ラーメンが……?」
アリスの真剣な顔つきを見ればそれが何を意味するかなど流石に俺でも判断がつくが、はぐらかす意味合いも込めてとぼけた返事を返してみるが、
「違います、私、健太郎さんが好きなんです」
俺の調子に揺さぶられる事なく、アリスは真っ直ぐにそう告げる。
俺は閉口し、少しの間二人の間に沈黙が流れる。
すると、アリスは再び口を開き、俺に尋ねるのだ。
「私じゃ、駄目ですか?……」と
何が駄目なのかわからないが、俺は上手く一言返事で答える事が出来ない。
今ここでいいよと言えば、ついに俺に念願の彼女が出来る。
それも目の前にいるとびきりの美少女の彼女が。
夢にまで見た初彼女は今、俺が一言口をひらけば手に届くんだ。だけど、言えない。
この不可思議な抵抗力が一体何なのか、夢を目前にしてそれを手に入れる事が怖くなったからなのか、それとも魅力のない自分が釣り合いの取れない相手と同列になる事に対する自信のなさなのか。
とにかく迷った俺はアリスにその理由を聞いてみることにした。
石ころ程の価値もない自分を何故その秤の内に置いてくれようとしているのかを。
「その、理由とか聞いていいか……?」
そう言うとアリスは目を大きく開き少し驚いた顔を見せた後、ふふっと自嘲気味に笑って見せた後、淡々と語り出す。
「やっぱり、覚えてませんか……?」
「すまん、物覚えが悪い方で……」
何かあったのか……俺は頭をかきながら返答する。
気まずさMAXだ。
しかしアリスはそれを気に留めるでもなく優しい笑みを浮かべながら、
「はは。ホラ、ニヶ月前、電車の中で健太郎さんが助けた高校生がいましたよね?」
「ニヶ月……、あ〜、あったなそういや……」
アリスに言われぼんやりと思い出す。
そういえばセナと出会ってすぐの頃、会社に通勤してた時、俺は総武線の中で痴漢の被害に遭っている女高校生をセナに言われて救った事がある。
実際はセナに強制的に救わされたといった方がただしいのだが、そうか、あれからもうもニヶ月も経っているのか……
「その時助けてもらったのが私なんですよ?」
「えぇっ!?」
思わず素っ頓狂な声を張り出してしまう俺。
コイツはマジで驚きだ、まさか目の前のアリスがあの時の高校生だったなんて……飲み屋でバイトしてるからてっきり大学生なんだと思ってた……
「も〜、やっぱり気づいてなかったんだ」
そう言いながらもアリスは笑っている。
それを見て俺もほっとするが、いやいや、安心している場合ではない健太郎よ、これで合点がいった。
最初出会った時から妙に馴れ馴れしいなとは思っていたが、なるほどな〜。
道理で俺なんかの側にいてくれるわけだよ、じゃないと俺みたいなのと一緒に街を歩いてくれる女子高生なんていないはずだもん。
いや、いるにはいたんだけど、リカちゃんは特例というか何というか……
「私、あの時、健太郎さんに救われたんです」
アリスが言った。
「あ、あぁ。もうあれから痴漢は襲ったりしてきてないのか?」
「はい。あれから何度か他の痴漢が近づいてきたんだけど、お尻を触られた時に目を逸らすまできつく睨み返したらそれ以降何もしてこなくなりました!」
「ほ〜凄いな!そんな事怖くてなかなか出来ないよ。ましてや力で勝る男相手にだったら尚更!」
「はい、けど、あの時健太郎さん私に教えてくれたじゃないですか?例え怖くたって自分の気持ちに正直にならなくちゃいけないんだって、で、黙って変態のいいようにされるのはやっぱり悔しいって思ったんです」
語気を強めながらアリスは言う。
半分は自分に言い聞かすかのように。
きっと力で劣る女性が陰湿に忍び寄ってくる男に立ち向かうには物凄い勇気がいる事なんだろう。普通はできる事じゃない。
俺なら平気でお尻触らせちゃうね。男だけど。
「なるほどな〜」
本気で感心する俺。あの時とっさにカッコつけて何か言った気がするけど、まさかそんな無責任な事言ってたのか俺は……
「それだけじゃないよ、もっと自分の気持ちに正直になろうと思ったら、どんどん自分の世界が変わりだして、女の子友達との変な気の使い合いも減って大事な親友が出来たり、新しいバイトに挑戦できたり……だから健太郎さんに感謝を伝えたいなってずっと思ってたら突然目の前に健太郎さんが現れて、声をかけずにはいられなかったの、忘れられてたらどうしようって思うとちょっと怖かったけど」
テヘっと笑いながら事の顛末を赤裸々に語るアリス。
そのあどけなさは確かに高校生特有の少女らしさが見てとれて……というか、アリス高校生か!?
居酒屋でバイトしてるからてっきり女子大生だと思ってた。
……って言うと何?俺今女子高生に告白されてんの!?
いかん、いかんですよこれは。
それに今もう10時過ぎてんじゃん。
お巡りさんに職質されたら逮捕案件なんじゃないのこれ……?
ラーメンで吸収した脂汗がダラダラと流れ始める。俺はキョロキョロとあたりをそれとなく伺うが、近くに警官はいないようだ、しかし油断は出来ないぞ……
周囲に警戒する俺だが、アリスはそんな事お構いなしに
「あの、だから……私と付き合って!」
とまたしても直球ストレートを放り込んでくる。
嬉しい……男として俺が最初に感じた感情はこれだった……。
女子高生だろうが何だろうが、美女に好かれて嫌がる男がいるかよ。
けど……
「やっぱ、駄目だろ……」
俺にはこう答えることしか出来ない。
「どうして?……やっぱりリカさんがいるから?」
アリスは俺の目を見つめながら不安げに聞いてくる。
「いや、リカちゃんはそういうんじゃないけど、」
そう言った時、少し胸がズキっと痛んだ気がしたが、俺は自分の意図を伝えるため、話し続ける。
「やっぱり高校生とってのは駄目なんだよ、社会的に……そりゃ本心を言うとめちゃくちゃ嬉しいよ、俺みたいなのにアリスみたいな可愛い子が好意を寄せてくれるのはめちゃくちゃ嬉しい。けどさ……」
言っててさらに胸が苦しくなってくる。
そりゃそうだ、社会的常識とか気にしなければ今にでも俺にカワイイ彼女が出来るんだ。
けど、けど……
「じゃあいいじゃん!自分に正直にって言ってくれたの健太郎さんじゃん?二人がいいなら社会だって許してくれるよ?」
「とにかく駄目なんだよっ!!!!」
突然俺が怒鳴るような声を張り上げたせいでアリスがビクッと身をすくませたのがわかった。
それを見て俺はハッと我にかえる。
「あ、ごめん……」
「いえ……」
咄嗟に謝るが、アリスは下を向いたまま俺と目を合わせてくれない。
やっちまった……
自分でもわけがわからない。
なんで怒鳴ってしまったのか。
自分が抱えるコンプレックスを刺激されたような気がしたからかもしれないし、社会を知らないアリスの軽さにイラついたのかもしれない。
どちらにせよみっともなく取り乱したのは事実だ。
そして……
「そっか、駄目か……」
「すまん……」
気まずい空気が二人の間に流れる。
何か話題を変えないといけないと思うが、何故かその力が湧いてこない。普段あれだけ会社でおべっか使ってる俺なのに、今は適当な一言さえ口から出せない。
そして数秒が流れ、やりきれなくなった俺がもう一度アリスに付き合う事が出来ない理由を聞いてもらおうと開口しかけた瞬間、
「じゃあ、私行きますね……」
先に口を開いたのはアリスだった。
この沈んだ感じ、もうさっきまでのような夢のような時間が戻ってくる事はありえないのがはっきりとわかる。
なので俺はそれ以上無意味に引き留める事も出来ず、
「あ、うん気をつけて」
とだけ返した。それが精一杯だった。
「今日は楽しかったですありがとうございました。」
そうペコリと頭を下げるとアリスは俺の前から去っていった。
どんどん遠ざかるアリスの背中が先程のリカちゃんとダブって見える。
……どんだけ情けないんだよ俺、リカちゃんもアリスも傷つけて失って。
普段無理してトークを鍛えても、肝心なところで全く役に立たず、挙句に相手を笑わせるどころか怒鳴り散らして……
もう自分が何の為にジョークや笑いを追求しているのかわけがわからなくなってきた。
女の子を笑顔にする言葉一つすらかけられない自分の男としてのしょうもなさを改めて実感、いや痛感する。
そりゃあ彼女出来ないわけですよ。
こうして俺の人生初めての彼女到来のチャンスは自身の価値観をひっくり返す大きな挫折と共に幕を締めた。
あのラーメンの味?さぁ、美味しかったんじゃないのかな……




