ハクリューのサポート
「よし、印鑑全部押したし後は佐藤さんに渡すだけだな」
俺は佐藤さんに依頼さていた仕事の書類に最後の印鑑を押し終えると、それを大きめのクリップで束ねて佐藤さんに渡しに行こうとするが、
「健太郎、その書類持っていくの待って!」
それを机の上のハクリューが呼び止めてくる。
「その書類、写しも必要だろ?」
「あ、そうか……」
写しとは用紙のコピーの事でい別の呼び方で控えともいう。
顧客との契約書だったり外部機関への施工管理に関わる報告書はコピーしてとっておくのが決まりで、今回印鑑を押した書類は報告書の部類にあたる。
俺は時々この控えを取り忘れることがあって何度か叱られたり肝を冷やすように出来事に遭遇したのだが、今回はハクリューの呼びかけで思い出すことができた。
「ふぅ、助かったよ」
俺は印刷機へと向かい、原本と、すったばかりでまだ暖かい控えを一緒に佐藤さんに渡した後、自分の席に戻ってハクリューに話しかけた。
「危なかったね、佐藤さんも今日は少し神経質になっているみたいだから提出前に気づけてよかったよ」
「全くだ。ありがとな」
「礼には及ばないよ、ほら別のお客さんだよ」
そう言われ、ハクリューの視線の先に目を向けると、生意気な俺の一年後輩、辻がこちらにやってくる。
「どうした辻?」
「今から現場に向かうんで撮影用のカメラ借りたいんですけど準備できてます?」
まるで側から見たらどっちが先輩かわからないような横柄な物言いで俺を見下ろしながらカメラを要求してくる辻。
ムカつくぜ。
しかしこれも仕事。沸き立ついらつきを抑えながら俺が引き出しをあけ手前に置いてある貸出用のカメラを掴むと、
「健太郎、そのカメラはさっき坂口さんが調子が悪いって言ってたやつだろう?」
「あ、そっか……」
正面に佇むハクリューが俺にだけ聞こえる声で囁いてくる。
なので俺はそれではなく、問題のない奥の方のカメラを選んで辻に渡す。
「ほらよ、持ってきな」
「どうもです」
辻は軽い会釈をして片手でそれを受けとろうとするが、
「あ、それとな、こないだ言ってたA地区のマンション照明設備工事の歩行者対策の件な、現場に確認したら別の箇所の工事が終わって今はメタルハライドランプとガードバー余ってるみたいだからリースしなくてもいいみたいだぞ」
俺はカメラを渡すのと同時に、先日辻に頼まれていた機材発注の件を思い出したのでその詳細を報告した。
これも施工計画のスケジュールを確認したハクリューのおかげで追加リースせずに機材の転用を思いつく事ができたんだが、
「ああ、そう言えばあそこ東側は工程終えたんだっけ……」
費用削減を安全並みに第一とするうちの課に置いてハクリューのアドバイスは効果的面だったみたいで、辻からは明らかな動揺の色が見て取れる。
ププ驚いてる驚いてる。
「ま、リースする前でよかったな。現場まわり頑張ってこいや辻!」
得意になった俺は辻の肩に手を置きながらカメラを渡してやる。すると辻は、
「はあ……どうもです」
そう言ってバツが悪そうな顔で器具貸出の書類に名前を書いてる。
(き、気持ちいい〜)
気まずそうにボールペンを走らせる辻を横目に、俺は一杯くらわせた爽快感の余韻に浸りかけるが、
「健太郎、書類には辻君の名前の横に印鑑だろ?あとカメラのバッテリーも渡さないと」
ハクリューがそう言ってくれたので俺は慌てて引き出しから充電済みのバッテリーと印鑑を取り出し、辻に渡して印鑑を押した。
「ありがとな、助かったよ」
「健太郎はすぐに満足してしまう所があるからね、さ、仕事はまだまだこれからだよ!」
は、ハクリューさん頼りになります……!!
そんな感じで別の業務でも俺が何か見落としをする度にハクリューが指摘してくれて、時には求められる以上のアドバイスなんかもしてくれるので俺の些細なミスはどんどん減り、仲間たちから感謝される事も増えていった。それと同時に依頼される仕事やそれに伴う雑談も増え、段々と周囲との一体感のようなものが生まれてきた。
(なんか以前ほど仕事に行くのが苦じゃない、むしろちょっと楽しくなりつつあるかも……!)
あれほど苦だった仕事に対して前向きな気持ちが生まれ、ハクリューに協力してもらい始めて一月ほどが経ったある日、俺がいつものように佐藤さんに頼まれた仕事を終えた後、ある出来事が起きた。
「じゃあ課長、打ち合わせに行ってきます!」
俺が頼まれていた書類業務を普段どうり締め切りより早く済ませて佐藤さんに渡すと、佐藤さんはそれに一通り目を通してからデスクトップパソコンの電源を落とし、書類をバッグ入れて課長に外出の報告を告げた。
これから経産省へ建築計画の許可申請に行くみたいだ。
しかし佐藤さんがデスクのカバンを手に取り、意気揚々と出かけようとしたところで、
「佐藤、ちょっといいか?」
課長が佐藤さんに声をかける。
「はい?」
急に呼び止められた佐藤さんは驚いた顔をしながら課長の方へ身体の向きを変えて尋ねる。
「なんですか、課長?」
「……その書類、田中に用意させたんだろ?ちゃんと確認しなくても、大丈夫なのか?」
課長は佐藤さんの手に持つ鞄を指差しながらそう問いかける。
わざわざ皆に聞こえるように声を張り上げて……
そしてさっきまで慌ただしかった課内は急に静まり返る。
……みんな二人のやりとりを意識してるんだ。
課長の指の先にあるものを目で置った佐藤さんは、自信が右手に持つ鞄に視線を止める。
それを見て課長はニヤリと口角を吊り上げた。
俺はそれを見て確信する。
始まるな……
ここでいつものように佐藤さんが課長に合わせて鞄の中の書類を確認するんだろう。
そして呼び出された俺は皆の前で佐藤さんに叱られるのを剽軽にとぼけるといったパフォーマンスをし、静まりかえった課内を爆笑の渦に変える。俺の得意分野だ。
久しぶりだけど、いっちょ本腰入れますか。
そう思い俺はデスクに両手をつき、いつ呼ばれても直ぐ動けるように身構えようとした瞬間、
「待つんだ健太郎」
ハクリューが話しかけてくる。
「??」
目の前のハクリューを見るとクビを振って『二人を見ろ』と促してくる。なので俺は佐藤さんの方へと再び視線を戻すと……
佐藤さんの口から出て来た言葉は、俺が予想したものとは全く違ったもので……
「いえ、大丈夫です。自分も確認しましたが、完璧でしたよ」
佐藤さんは言った課長の目を真っ直ぐ見据えながら。
あれ?
「ほ、ほんとか?田中だぞ田中!?」
課長もまったく予想してなかったんだろうその返答に若干焦りを滲ませながら再度たずねるが、それを跳ね返すように佐藤さんは首を左右に振り、信じられないような事を言ってくれた。
「はい。『田中』のなので大丈夫なんです!」
「そ、そうか……」
そういうと、課長の吊り上がりかけていた口の両端は、糸が切れたようにすっと元に戻り、課長はそのまま自分のデスクトップパソコンに目を落とした。
俺には課長が少し肩を落としたようにも見えた。
というか、課長のことよりも……
(あれ? 佐藤さん、俺の事庇ってくれた?)
実際、今回の書類は10枚を越す設計図の用意に始まって、工事時間や使用機器などの細かい取り決めが多く、いくらハクリューがついていてくれたとは言え依頼された仕事を完璧にこなせたという自信はもてなかった。
それにあの佐藤さんが課長から自分を庇ってくれるなんて……
「じゃあ行ってくるから」
「は、はい」
去り際佐藤さんに声をかけられ、慌てて返事をする俺。
なんだろ、爆笑を取れなかったのになにか胸に込み上げてくるものがある。
『喜んでいるのか俺は……?爆笑を取れなかったのに?』
俺は内側から湧いてくる自分の価値観や信念とは違うこの感情に戸惑いを抱いていると、
「健太郎?」
ハクリューが横から話しかけてくる。
「なんだよ?」
「そういうものなんだよ」
「は?さっぱり分からん」
「ハハ、参ったな」
ハクリューが言いたいことはなんとなくだけどわかる。
けど、俺はぶっきらぼうにそう返した。なんだか素直になるのはむず痒いから。それにハクリューの言いたいことがはっきりと理解できたわけではなかったから。
けど、
「悪い気はしなかったよ」
そうとだけ返すと、
「まあ、全部僕あっての事なわけだけどね。感謝の気持ちは忘れないでくれよハハハ!」
っと余裕シャキシャキに返してくる。高笑いしながら。
く、悔しい……
しかし今ハクリューさんには逆らえないので
「はいはいそうですね感謝してますよ」とだけ吐き捨てすると、
「凄いですね健太郎さん!佐藤先輩に褒められちゃいましたね!」
セナがカバンの中から話しかけてくる。
「だろだろ? ちょっと自信ついてきちゃったよ俺」
「はい!驚きっぱなしです! 最近はどんどん難しい仕事を任されてるよーな」
まるで自分のことのように嬉々として話すセナ。
そう言われると俺も何だか嬉しくなってくる。
「わかってるね〜セナくん、ようやく周り人間達も俺の偉大さがわかってきたって事かな」
俺はデスクのハクリューを無視しながら答える。
「はい、ハクリューさんに感謝ですね!!」
「……」
「どうしました?」
「いいや、なんでも」
今の一言で不機嫌になった俺はセナとの会話を強引に切り上げ、乱暴にジッパーを締める。
確かにセナの言う通り、ハクリューに手を貸してもらい始めてからのこのひと月、俺に依頼される仕事はどんどん本職の設計に込み入った難しい業務が増えてきている。それでもちょっとした雑用見たいな仕事だけど、それでも信頼されてるみたいで気持ちいい。
けど、それも全部ハクリューのおかげなんだよな。
だから今みたいにセナにハクリューに感謝って言われるとふてくされたような気持ちになっちまう。
「はぁ……」
俺が深い溜息を吐くと、
「なんか最近田中くん凄いね」
隣から早見さんが話しかけてくれる。
「えっ、俺ですか?」
「うん、なんか凄く生き生きしてる、以前とは別人みたい」
早見さんは美しいご尊顔に笑顔を浮かべながらそんな事を言ってくれる。
ドキッ。
好きだ……
その喜びを秘めたキレ長の目を見ただけでさっきまでの憂鬱な気持ちは何処へやら、俺のテンションは一気に本日最高潮に高まる。そうだ、他の人にはハクリューなんて関係ないではないか?!
早見さん、自分の事のように喜んでくれて。やっぱり早見さん俺の事好きなのかも……
気分が上がり、そんな風に思い込もうとする俺だけど、
(いや、いかん、早見さんはそういう人、早見さんみたいな美人で仕事出来る人が俺みたいなの好きになることなんぞ日が西から上がっても起こり得ない。いかんぞ健太郎、今まで散々振られた経験を無駄にするな!!)
そう心に波浪警報を鳴らして俺はなんとか痛い心の勘違いを回避するよう努める。
「いや、俺なんて早見さんの仕事ぶりに比べたら全然で、最近ちょっとコピーの量が増えたくらいで」
「どんな仕事でも生き生きと取り組んでる人ってカッコいいと私は思うな」
「こ、これは……!?」




