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族・月と太陽の交差点に潜む秘密  作者: ジャポニカダージリン
第2章
36/117

8月の交差点

私がここに来て、どれくらいの時が経っただろう。

何度も何度も声を掛けてみては、気づいてもらえず通り過ぎて行き、今度こそはと思ってもやっぱり気付からずに去って行く。

あの方はいつかその人は現れると言っていたけど、もうそれを信じる気力も失せかけていた。

この台にいる人達とも何度も新しい出逢いと、それと同じだけの別れを繰り返した。

置いていかれる悲しみもいつしか感じなくなった。

いや、悲しまないようにしたと言う方が正しいのかもしれない。

(……様、私は役目を果たせないかもしれません……)

客足が減っていく店内の様子を眺めながら今日も諦めに似た感情に打ちひしがれる。

何万回期待して、何万回失望しただろう。

そして今日も店内から人がいなくなり、私達の時間が始まる。私にとって一番苦しい時間が……

新しく入ってきた人達は、選ばれるその時への期待で胸を膨らませ、まだ見ぬ持ち主に想いを馳せる。

私がとうに捨ててしまった感情だ。だけど彼らには必死の作り笑顔でその話を嬉々としているふうに頷いて見せる。

本当は怒りをぶつけたい、自分と同じ感情に引き摺りこみたい。けれどそれはしてはいけない事だ、だって彼らには何も罪はないのだから。

そんな夜と別れをまた何度も繰り返していく。

(神様、どうかその人に合わせて下さい、他は何も望みません、使命を、私の役割をどうか果たさせて下さいーー)

意味がないとは分かっていても、また同じ願いを反芻し、そして眠りについた。

そしてまた朝が始まる、漆のような失望を塗り重ねるための朝がーーーー


♯ ♯ ♯



「お前なんでまた同じことやってるんだよ!!!!」

 佐藤さんの声がフロア内に響き渡る。

 周りにいる人達は皆声を潜め、その空気を壊さないように黙りこんでいる。気を遣わせている。つらい……

俺は今、猛烈にピンチな状況に陥っていた。

 数日前、課の先輩の佐藤さんが久しぶりに俺に仕事を振ってくれてそれを引き受けたんだけど、そこは仕事のミスに定評のある俺、やってしまった。俺田中健太郎は皆さんの期待ふあんを裏切らずにしっかりと得点を決めた。

もちろん、周りに迷惑を掛けるオウンゴールなのは言うまでもない事だ。

 今回与えられた仕事は経理部に工事でかかる費用の報告書に、佐藤、課長、それと部長の印鑑を貰って経理部に提出するという子供のお使いのような仕事だったのだが、俺は佐藤さんのデスクの中にある印を自分で押し、課長の印鑑を貰うと、以前同じ仕事で部長に経理部まで行かされた時の事を思い出し、部長の印鑑を貰う事だけすっぽりと抜かして経理部へと向かってしまった。

 そして後日、用紙だけが経理部から部長→課長→佐藤さんと、川を逆登るようにして戻ってきた。そして今、源流であるミスの湧き水、俺の元へと辿り着いた。

(あれ?君、もう返ってこないんじゃないの?)

感慨にふけるまもなく、佐藤さんは俺に用紙を見せると

一言。


「田中? 何これ?」

 感情のこもってない声で質問してくる。

 俺は怒りを押し殺したようなその声で、一瞬で自分がミスをしでかした事を悟る。突きつけられたプリントに目を通し、そのミスに気づく。

 埋まるべき印鑑欄に一つだけ空欄が出来ている。(っ……やっちまった………!!)

 俺の全身から一瞬で血の気が引く。

 何を隠そう、この手のミスはもうとうに十回を超えている。

 

「すみませんでしたっ!!!!」

 俺は理由も述べず即座に頭を下げた。

 条件反射のように。

 それだけが今生を繋ぎ止める唯一の手段だという事を身体が記憶している。

 そして冒頭に至る。

 もうやだ……俺は佐藤さんに何度も頭を下げ、許しを乞い続け、佐藤さんは現場に行がなければならないと言うことでなんとか解放された俺は、デスクに座るとグッタリと項垂れる。

 なんでこんな簡単な仕事でミスするとか。 俺って生きてる価値あるの? どっか仕事のない世界に行きたい……本気で。

 項垂れていても誰も構ってくれない事はわかっている。しかし再起不能なまでにボキボキに折れた俺の精神は母性を求めるように隣の早見さんを意識している。

今彼女が『大変だったね』の一言でもかけてくれたらそれだけで立ち直れるのに……かけて欲しいな……けれどチラと横を見てみても早見さんはPCのモニターを凝視している。

 絶対俺に気付いてるはずなのに。

『マジ話しかけんな』っとか思ってるのかな?いやいや、早見さんに限ってそんな事思ってるはずがない。なんて声をかければいいかわからないだけだ、いや、俺に構ってられないくらいに忙しいんだ。

 俺もうじうじといじけてるわけにもいかんな、いじけてるだけで彼女の仕事の邪魔だ、なんとか気を取り直さないと。

 そう思い直して業務に取り掛かろうとすると


「大変でしたね、健太郎さん」


 カバンの中から声が聞こえる。セナだ。

 俺はカバンから書類を出すフリをしながらカバンに顔を近づける。中ではこの美少女フィギュアのセナが大きな目をパッチリ開けながら俺を見上げている。

「そうだな」

 俺は無愛想に答える。

「元気出してください! 誰にだってミスはありますから!」

「あーそうだね、で、何? 言いたいことそれだけ?」

 俺はセナに冷たく言い放つ。

 一緒に仕事をしてないセナに励まされてもなんも嬉しさを感じない。働いた事もないお前に俺の気持ちがわかるかよ。

 セナは俺が喜んでくれるとでも思っていたのか、

「えっ? あ、はい。そうですけど……」

 予想外の俺の反応にシュンとお落ち込んでいる。

 ちょっと悪い事したかな。

 俺がそう思うとーー


「健太郎、今の態度は良くないぞ? セナは君を心配して声をかけたのに君は先輩に叱られていくら機嫌が悪かったからとはいえ、彼女にキツく当たるのは間違いだ!」


 うわぁ、また出たよ、お邪魔虫。

 セナと一緒にカバンに入れて会社に連れてきているお人形ハクリューが長い首をにゅっと伸ばして俺にそう言ってくる。

 こいつは何かあるといつも俺とセナの問題をややこしくかき回す。いつもセナ側に回って俺を悪者の立場に貶めてくるのだ。そして人形のクセに頭がキレるし正論をはくもんだから俺は何も言えなくなってしまう。

 ただハクリュー憎しの恨みだけが積み重なっていく。


「今すぐ謝るんだ!!」

「うっせぇ、今謝ろうとしてたんだよ!」

 俺は周囲にバレないよう口に手を当てながら小声で言い返す。

「それならいいんだ、僕は止めない、邪魔をして悪かったね」

 そう言ってハクリューは長い首をカバンの中へニュっと引っ込めた。

 何が僕は止めないだよ、手間取らせやがって。


「あ〜、セナ、その、さっきはごめん、ちょっと冷たかった」

「いえ……」

 そう言うセナのテンションは低い、駄目だ、引きずってる、何か言わないと。

「その、なんだ、励まそうとしてくれる気持ちは嬉しかったからさ」

「ふーん、別にいいですよ、怒ってませんし」

 セナのテンションは低いまま、どうでもいいって感じで答えてくる。

 なんだなんだ? 腹立ってきたぞ、こっちが堪えて頭下げてやってるのにまだご立腹ですか?

 これってセナも悪くない? なんか言ってやりたくなってきたぞ。

「けどな、セナ、お前も悪いぜ、仕事中は話しかけないって約束だろ? お前は働いてないんだからーー」


「やめーー」


「健太郎やめるんだお!!」

 カバンの中きらハクリューを遮ってもう一人が叫ぶ声が聞こえてくる。ヤドランだ。

 俺はとある事情から毎日会社に出勤するのにセナとハクリューとヤドランの3人を連れてくるようにしている。周りの人にバレないように最新の注意を払いながら。

 俺はヤドランには一目置いている。

 俺の気持ちも理解してくれるし、すぐに言った事忘れるけど、自分が馬鹿なのを認めてて、それも憎めない愛嬌って感じがするんだ。


「いや、だけどさ」

 そんな感じだから俺も気兼ねなく言い訳できるのだが、今はヤドランは俺の言葉を遮るように、

「健太郎、今は仕事中だから言い合ってる場合じゃないお」


「それもそうだな」

 あまりカバンの中見てるのも不自然だ。

 俺はヤドランに言われた通りカバンを閉じパソコンに向かう。

 今日はもう誰も仕事を振ってくれないんだろうな。

 そう思いながら、いつもの書類整理に向かう。

 課の備品の貸し出しをチェックし、頼まれてた書類をコピーして、設備課にかかって来た電話にでる。

 そして業務事項以外は誰とも話さず殆どの時間をぼーっと過ごして終業時刻を待つ。退屈で平和な時間を。

 

 そろそろベルがなるな、時計を見ると17時25分。定時5分前だ。俺は帰りの準備をしようと備品の充電確認と机の上の

控えプリント用ファイルをしまいだしていた時、

プルルル。

 目の前の電話がなった。

「はい、前町組建築設計部設備課ですが?」

『どうも〜、こちら森島工務店の竹林です〜』

「あ、はいこんにちわ、お久しぶりです」

 電話口から聞こえてくる気さくな声の主は竹林さん。佐藤さんが良く設計依頼をしている強力会社さんの設備設計担当さんだ。

 俺がいる建築設計部設備課では名前の通り建物に取り付ける設備の設計を担当する。

 建物がシステムとして機能するために、血管のように走る電気ケーブルや配管を建物内に必要な分だけ張り巡らせ、快適な環境を維持する電気設備や空調設備達を設置してやるのだ。カッコいい。

 けれど、設備といっても、ライトやエアコンといった目に見えるものから、非常灯や換気扇、洗面台の水栓やトイレの便器、電話、その他設備に電気を流すのに必要なサイズのケーブルや水を送り届けるパイプにダクト、他にも数え上げれば膨大な数になる。

 現代の快適な建築物は、正に毛細血管のように複雑な設備の上に成り立っているのだ

 アパートとかちょっとした建物の設備の設計図でも、40枚は軽く超えるし、ビルとか大きな商業施設とかになると100枚を超える。

 そして佐藤さんみたいな有能な設計者はいくつもの案件を同時に抱えるので、施主さんの要望を直接聞いて、建物の明るさだったり、ここに取り付けたい器具だったりと重要な箇所は自分で設計して、特に要望のない残りの部分は別の業者に発注依頼をかけ、出来上がったものを法律と値段とをてらしあわせるチェック作業で済ませる事が多くなってくる。

 それでも皆毎日残業で夜遅くまで仕事してる。

 建築業会はめちゃくちゃハードなのだ。俺以外は。

「どうしましたか?」

 俺はとりあえず用件を聞いてみる。

『ハイ、依頼されているケーブル配管の件でお話ししたい事があるんですけど、明日は佐藤さんオフィスにお見えになりますか?』

 そう言われて俺はホワイトボードを確認する。

 もし次の日も外出なら課の壁に飾られているホワイトボードに書いてあるはずだけど、何も書いてないので明日はいるんだろう。

「はい大丈夫ですよ、明日は午前中はオフィスにいますよ」

『そうですか、良かったです〜では明日10時頃にお伺いさせていただきますね』

「はい、佐藤にも伝えておきますね」

『はい宜しくお願いします〜』

 そう言って竹林さんは電話を切った。

 俺はポストイットに明日午前10時に竹林さんがくるとだけ

書き込み、佐藤さんのデスクに貼っておいた。これで安心だ。そして俺はタイムカードをパソコンから打って気まずさを隠しながら社を後にした。皆さんお先に失礼しますね〜。


「ハァ……今日も終わった、今日は心折れた……」

 退勤した俺は夏の夕方の汗が出そうな生温い空気の中、品川駅前の広場のベンチに腰掛け、抱えたカバンに向かって話しかける。


「お疲れ健太郎、今日は散々だったね」

 するとハクリューが周りからは見えないのを確認しながら首をにゅっと伸ばしてきた。

 やっぱりセナじゃないのか……いつもだったら『ドンマイですよ!』とか言って飛び出してくるのに、ヤバイなぁ……


「まあな、セナはやっぱ怒ってる?」

 俺は気になるので恥じも外聞もなくハクリューに話しかける。勿論、セナにも聞こえている事も承知で。

 

「怒ってません!」

 そう言って返って来た声はトゲトゲしい。セナはカバンの中で体育座りで俺に背中を向けている。

 これ以上話しかけるなって空気満載だ。

 やっぱ怒ってんじゃん、なんでこういうわけわかんない嘘つくの?けどやっぱりここは謝っとかないといかんな、黙っててもそんな怖さがある。


「セナ、悪かったって、あの時はイライラしててセナにあたっちゃったんだって、謝るよ」


「だから怒ってないって言ってるじゃないですか。だから話しかけないで下さい」

 ぷいっ。とセナは振り向きもせずに言う。

 ムカムカムカ、腹立つな〜コイツのこういう態度、こないだの一件で仲直り出来たと思ってたのに。

 俺はつい2週間くらい前、とある事件でセナとハクリューとヤドランを暴漢(厳密にはフィギュア泥棒なんだけど)から身を挺して守り抜いた。

 その後セナは傷ついた俺を本気で心配してくれて、守る俺と守られたセナ、二人の間には王子とお姫様が生み出すような甘く蕩けるような雰囲気が出来上がったような気がしたのだが、それも束の間、理由は忘れたけど何故かセナがマジギレして一瞬で元の関係、つまり嫌うものと嫌われたものの関係に戻ってしまった。

 セナの脳内には俺の平謝り回路のように、ちょっとした事で俺に対してヘソを曲げてしまう即キレ回路が出来上がっているようで、今日もこうして簡単にヘソを曲げてしまっている。

 しかも、こうなると機嫌を治すまでがやたら長い。

めんどくさいから一度無視したら徹底的にハクリューとヤドランだけでガッチリ囲い込みを行ってきて、一緒にいても俺を無視して3人だけで話で盛り上がるというなんともやり辛い空気を作られた。そして最悪なことに、俺はとある事情でセナとあまり離れることができないのだ。

 なのでその時は俺が何度も謝って許してもらい仲間に入れ直してもらった。そう言う意味ではヤドランも薄情だよな、所詮はフィギュアの味方かよって思っちまう。

 それは置いておいて、今はセナの機嫌をなんとかしないと、またあの悪魔のカムバックだぜ。ハクリューとヤドランにも気を遣わせてて悪い。

 え〜っと、え〜っと……俺は必死に頭を捻って考える。何かセナの機嫌が治る事……なかなかいい案が浮かばない。額には大粒の汗がタラリと流れる。夕暮れ時とは言え今八月だもんな……そうだ!


「セナ、何処か行きたい所ないか!? セナが行きたい所どこでも連れてってやるぞ?」

 来週から待ちに待った会社のお盆長期休暇だから多少無茶言ってきても遠出出来るぞ。

 そういや来週で俺とセナが出会ってちょうど1ヶ月になるのか。時が経つのは速いな。

 そして俺はこの一月くらいでセナが実はめちゃくちゃ物に弱いという事に気づいていた。普段上品ぶってるけど結構物欲が強いのだ。だからこれには自信があった。


「どこでも……ですか?」

 肩をピクっと動かしたセナは背中越しに言う。

 ほらね、乗ってきた。ほんと欲の塊ですなこの女、そんなので機嫌を変えちゃって。やってて恥ずかしくないのかね。

 そう思いつつも俺は


「勿論、セナが行きたい所なら何処でも。ただし来週まで待ってくれ」と真剣なトーンで答える。


「なら、ディズニーランドに行ってみたいです!!」

 それを聞いたセナは不意打ちのようにバッと振り向いてきて、純粋な笑顔で、言ってきた。目を大きく見開いてキラキラ輝かせながら。


「うげ……」

 何を言ってるんだコイツは? 俺みたいなのが一人であんなカップルの聖地みたいな場所に行けば不信感極まりないだろう?

 しかもフィギュアを持ってとか、どんどんヤバイ世界に落ちていってる気がする。

 俺は思わずアヒルの泣き声みたいな声が漏れ掛けるが、必死に飲み込む。ここで嫌な顔してるのがバレたら余計に拗れる。耐えろ俺、生きてる限り人との間にこういう曲面は必ず訪れるんだ、セナの場合はこういうのをめちゃくちゃ気にする。

 俺は表情を必死に引き締める。セナに1ミリも本心がバレないように、仁王像のように口元を引き締めて。


「どうしましたか?」

 

「いや、お前と行くのに緊張してるだけだ」

(別の意味でな!!)

 俺は心の中で思いっきり叫ぶ、声が漏れてしまわないように本気で気をつけながら。

 しかしセナは何がそんなに楽しいのか


「ほんとですか!? じゃあ私達同じですね♬」

 と、先ほどまでの怒りは何処へやら、ウキウキと嬉しそうに俺の目を覗き込んでくる。

 それに対して俺もグググっと、嫌なお客さんに必死に対応する営業マンの様に、必死に作り笑顔を絶やさないようにする。多分俺、今、人生で一番本気で無理してる。仕事よりも。よりによってめちゃくちゃ落ち込みたい日に。

 セナはと言うと、「先ほどは怒ってしまってごめんなさいでした〜」と自分から謝り出してるよ、全然悪びれもせずむしろルンルンで。ウザっ。

 だけど、ワクワクしてるセナを見ていると、次第に俺も、セナも一度は行ってみたかったんだろうな、たとえ嫌いな俺とであっても。

 そう思うと、頑張らないとなって気持ちになってきた。セナが楽しめるように。

そうして俺はセナはお盆にディズニーランドに行く事を約束すると立ち上がり、家路に着いた。

 この約束がとんでもない事件を生むとはこの時は知る由もなく。

 

長い事更新していなかったので読んでくれる人いないかもしれませんけど、今後もリカの話と並行してゆっくりと更新していこうと思います。

宜しければ気長にお付き合いください。

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