守りたいものは
「キス?なんで?」
「契約の為です。私と健太郎さんがこれからもこうして意思を疎通していくには、精神の核を繋ぎ止める行為が必要です。その為にキスが必要になるのです」
「やだよ、フィギュアとキスとか、はたからみたら変態じゃん」
「誰もみてないから大丈夫ですわ」
確かに……所詮幻聴フィギュア、誰も見てないならさほど問題でもないか。それにちょっと可愛いし……いや待て!万が一こいつが幻聴じゃなかったら……
「それだけは駄目なんだ」
そう思い、揺らぎかけた心を立て直し、俺はフィギュアの申し出を固辞する。
「先程は協力してくれると仰ったじゃないですか」
う、それを言われると心が痛む。けど
「……ぃんだよ……」
「はい?」
「情けないことに俺はまだキスした事がないんだよ!!確かに憧れはある……だがそれがフィギュアとだなんて将来とんだ黒歴史だ!」
「だ、大丈夫ですよ、私もその、初めてですから」
「何が大丈夫なのか全く分からん。これまで純情を守り通して30を超え、悲しくも魔法使い(超純粋な奴)になれたのに、こんなところで初対面のフィギュアに頼まれてハイそうですかじゃ今までの俺の忍耐が報われん。最後まで人を諦めないぞ俺は!!」
「……ピュア、ですね……ちょっと気持ち悪いかも」
「言い方!!わかったら諦めてくれ」
「なんでもするって言ったのに?」
「できる事ならだ!これは出来ん」
「そうですか……それだと私はまた別の誰か、私の声を拾ってくれる人を探さないといけないです。それが例え何十年、何百年先になったとしても……」
うっ、結構大変なんだな……しかしいかんぞ、こんなところで情に絆されて信念を曲げてしまっては。
「そういうのを泣き脅しって言うんだ。駄目なもんは駄目!」
そうキッパリと断ると……セナは黙って俯きながらタンスの方へとトボトボ歩いて行く。
……冷たすぎるのかな俺。
部屋はしんと静まりかえり、俺はどうしたらいいかわからなくなってセナの背中を無言で眺めていると……ん?微かな話し声が聞こえてくるな。
「……そうですか、健太郎さんはよくこの家に遊びに来られる優子さんの御友人のリカ様、に密かに淡い恋心を抱いているんですね……」
「ハッ……!?お前なんでその事を、って、ヤドラン?」
見るとこのセナと言う名のフィギュア、上を向きながらタンスの上のヤドランと会話しているような風である。
「おい、まて!何喋ってる!?っていうかなんで今そんな話してるんだ!?」
「伝えます、優子さんに、健太郎さんの想いを!私がここから去らなければならない以上、会話に付き合ってくださった健太郎さんにはせめてものお礼として恋愛成就のお手伝いをさせて頂きますわ」
そう言ってセナは不敵な笑みを顔に浮かばせながらくるりと振り向いてきた。何言ってるんだこいつ?
「オイ、ちょっと待て、そんな勝手は許さないぞ?」
俺はセナに手を伸ばそうとするが
「え、なんですか?まぁ、10年以上もその恋を胸に秘めていて、えっ……本棚の奥にはリカ様が映った写真がたくさん忍ばされていて……」
俺はそれを聞いて伸ばしかけた手をピタリと止める
「健太郎さん?」
「はい」
「これだけ素敵な『証拠』が揃っていれば優子さんも健太郎さんに惜しみなく協力してくださる事請け合いですよね?」
「や、やめてくれ……妹の親友を意識してる事がバレたら俺達の関係がどうなるかくらいお前にもわかるだろ?」
俺はせがむようにセナに訴えかけるが、
「いいえ、『純情』な恋は誰にも否定することは出来ませ!例えそれが妹の親友であっても……。不詳ながらこのセナ・フォン・グローリア、健太郎さんの恋のキューピット役を務めさせてただきます」
脅してやがる……このフィギュア、人間である俺を……そしてこれをただの幻聴と決めてはねのけるだけの勇気が今の俺にはない……
ただでさえ多感なお年頃で付き合い方が難しくなってるのに、そんなことまでばれてしまえば俺と妹の、延いては家族からの縁さえも修復不可能なものになってしまうのは必定。
今俺が守りたいものは……
矢継ぎ早に責め立ててくるセナの前に体は前傾姿勢から正座にシフトチェンジしてて、俺は闇金融からの無茶な要求に借金してて逆らえない人みたい俯き、両の拳をギリギリと膝に押し付け、ブルブル肩を震わせながらセナの言うことに従う事を決める。
「わかったよ……やれば良いんだろ」
「え、いいんですか?」
白々しすぎるセナの反応に俺は怒りで危うく唇を噛みちぎりそうになる。
ワナワナと震える右手でセナを握り、とっとと済まそうと強引にセナの唇に俺の唇を重ねるとーー
あれ?セナの唇柔らかいな?それにあったかくて心が解きほぐされていくような……ん?
俺がフィギュアと唇を重ね、ボーっと考え事をしていると、トトトと廊下から足音が聞こえた気がして……
ガチャリ!!
「お兄ちゃん!ちょっと悪いんだけどさ、USB貸してくんない?明日使わなきゃ行けなくて……ヒェッッ!!」
優子が最悪のタイミングで俺の部屋に入ってきてしまった。
「バカ!ノックしろよ!!じゃなくて、これは……」
そう言ってあたふたあたふたとセナを掴んだ右手を背中の後ろに回すが
「……」
カチャリ
妹は驚愕の表情を浮かべたまま、何も言わずに部屋を出て行ってしまった。そっと。
やめて、その何も見てませんよって感じでスルーされるのが一番辛い!それよりも急いで優子の誤解を解かないと。圧倒的ピンチの中ジェイソンボーンのように高速回転しだした俺の脳はストロボ写真のように次から次へと言い訳を考えだしては捨て、次の言い訳を考えていく。
そして、
「ハッ!そうだ!!マスクマスク……」
今後は正体を隠す為、昔祭りの屋台で買ったタイガーマスクの仮面を被りながら家で過ごす事に決めた俺は仮面もしまってある押し入れに向かおうとすると、
「ちょっとちょっと!!」
と右手から声が聞こえてくる。
しまった、そういやセナを握りしめたままだった。
「もう、形式的なキスだからって乱暴過ぎるじゃない!!私だって一応初めてのキスだったんですから?!……コホン、それはそうと、私の願いを聞き届けてくださって感謝致します。優子様の件はその、非常に残念でしたが……」
「少し黙れ」
憧れのファーストキスと兄としての尊厳、家族の絆。全てを守ることできなかった俺は生まれて初めてフィギュアに対して殺意を覚えるのであった。