第一話 超馬鹿野郎のアキオサム
大馬鹿野郎でない限り、うっかり22年も生きてしまうと自分が『その他大勢』の人間であることに気づいてしまう、とのことらしい。
留年を一回挟んで23年目で気づいた俺は、少なくとも『その他大勢』ではないんだろうな。大馬鹿野郎を超える超馬鹿野郎だ。
『人生』だの『将来』などについて人に問うと、どいつもこいつも秘密めいた答えしか返さず、鮮やかに煙に巻きやがる。今ならその理由は解る。どいつもこいつも分かってなんざいなかったんだ。
煙に巻かれるなら巻かれてしまえと、楽で怠惰で熱量0の選択に全体重を乗っけた結果は、留年親に土下座ゼミでシバかれ教授に土下座卒論卒論卒論卒論卒論。
フルマラソンのごとく、息も絶え絶えで卒業単位をすべて取得した後に、神から啓示が降りてきた。「汝、就職はした?」
もしこの文章が誰かに読まれているなら、これだけは伝えておきたい。
「先延ばしたツケが何とか取り戻せるのはギリ20歳くらいま(この先は文字がかすれて読めなくなっている)」
コンプラ全盛期のこの時代に、就職課の職員に思いっきり頬を張り飛ばされたのだが、怒りなど感じるはずもない。流石に今回ばかしは俺が悪い、と思う、気がする。
就職課の職員が総出で、俺のめちゃくちゃ重いケツをスパンキングする日々が始まったのが卒業を間近に控えた一月末。もう既に枯れ果てた求人票を握りしめ、会社と会社の間をキリギリスのごとく跳ね回り、数少ない友人(もう社会人)にもケツをスパンキングされ、俺の未来をお祈りした会社が20を超えた頃に親は泣いた。
この頃になると俺は就職活動用の薄ら笑い以外の表情ができなくなっていた。それを見て住んでるアパートの大家さんの娘が腰を抜かして泣いた。
俺は薄ら笑いのままちょっとだけ泣いた。
二月の末、訪れるお祈りの予感に胸を震わせながら、東京二十三区より西、高尾山よりは東に位置するくたびれた街に、くたびれたスーツを着込んで俺はやってきた。これで二十五社目の面接になる。
北口のバスロータリーで待つように言われていたので、なるべく目立つ位置に陣取る。待ち合わせまではあと五分くらいあったから、くたびれた芋っぽい駅前の街並みを眺めて時間を潰すことにした。
安っぽいチェーン店がひしめく雑居ビル、高層ビルは皆無、隔離されたように置かれた喫煙所、肩身狭そうに煙を吐き出す人たち、タイヤから上がる煙、ドリフトするワゴン車、ビール片手に駅前広場で談笑する老人たち、見慣れないチェーンのコンビニ、こっちに突っ込んでくるワゴン車。
体は全く動かなかった。就活に心が病んでいたせいなのかもしれないし、『車に轢かれて始まる楽しい異世界転生!』という物語を浴びながら育ってきたゆえに、あの車が何かの希望の光に見えたのかも。
ワゴン車は俺の30センチ手前で、歩道に突き刺すような角度で急停車した。タイヤのゴムが焦げた匂いがあたりに漂う。
運転席のドアが内側から蹴られたように開いて、何者かが飛び降りる。
とても小柄な女の子だった。髪は短く緑がかった灰色で、だぼだぼでぶかぶかの黒いパーカーに着られている。短パンもタイツも黒色なのに、スニーカーだけはギラギラした蛍光色だった。
その女の子は手元に握り込んだメモと、俺の顔を繰り返し見ながら、
「君は・・・アキオサム・・・?」
か細い、平板な声でそういった。
世の中には絶対に車を運転してはいけない人間が存在する。俺は間違いなくそれに当てはまる。傲岸不遜、注意力散漫、交通法規と友達との約束の違いが分からない。そんな人間はハンドルを握るべきではない。
そして隣で運転する女の子は、運転免許というものの存在意義を吹き飛ばすほどの逸材だった。
「あの曽我部…さん!頼みますからワーーー!!」
そろそろ赤信号になりますよ、と伝える前にその子は何故かアクセルをベタ踏みし猛スピードで交差点を突っ切る。背中がシートに押し付けられる。
「曽我部じゃなくて燐でいい」
相変わらず感情のこもっていない声で素っ気なく言う。
「えと燐…さん!頼むからもう少し安全運転でお願いワーーーー!」
ブレーキをベタ踏み。体が前に投げ出されて腹にシートベルトが食い込む。
息を整え、少しだけ平常心を取り戻す。赤信号の待ち時間がこんなにありがたく感じることがあるなんて!
ハンドルを握る曽我部燐、は息も絶え絶えの俺のことなんて全く気にかけていないようだった。
そもそも車を運転するにはこの子は小柄すぎる。両足を突っ張るようにペダルに乗せ、小さい両手でハンドルを引っ掴みぐるぐる回す姿はかなり危なっかしい。幼い顔立ちも相まってぱっと見中学生にも見えなくもない。本当に免許を取れる年齢なのか?というかこの子は本当に社員なのか?
さっきから急発進と急ブレーキに遮られて言えなかったことをとりあえずぶつけることにした。
「あのですね、これが一種の圧迫面接ならもうここで降ろしてもらえませんか!?ブラック企業には勤めないと両親と良心に誓っているんで!」
「君の言うことがよくわからない、わたしは君を車で会社に連れて行くように言われている」
曽我部燐は前方の赤信号を食い入る様に見つめたまま言った。
取り付く島もないとはこのことか。何か会話も微妙にすれ違ってるし、俺のエレガントな皮肉にも気づいていない?
「それでしたらせめてもう少し優しく運転してもらえませんか!?会社に入る前に労災でおっ死ぬのは願い下げです!」
そう叫ぶと、曽我部燐は顔だけをぎこちなくこちらに向け
「わたしの運転で人が死んだことはないよ、アキオサム」
と、どヘタクソで、ぎこちないウインクをしながら言った。
会話の内容とそのどヘタクソなウインクにツッコミを入れたくなって座席から腰を浮かしかけたのが本当に良くなかった。
そこに急発進のタイミングが重なり、ものすごい勢いで頭を側面の窓にぶつけ、たちまち俺は気を失った。
思い返すとこれはある意味幸運なことだったのかもしれない。意識が無ければどんな運転をされても気にならないのだから。
気がつけば、そこは応接室だった。
どうやら俺はパイプ椅子に座らされているらしい。まだ頭の奥が少し霞んでいる。
「安芸 理さんですね、今日は弊社にご足労頂き誠にありがとうございます」
気絶した状態で来社するという異常事態を完全に無視した、平然として冷徹な女の声。
目線を上げるとそこにはおそらく社員であろう男女がいた。
質のいい革張りの椅子にだらしなく体をもたれかかっているのは、にやにや笑いを顔に貼り付けた老人。見事な銀髪に彫りの深い顔、上等なスーツだけをみれば間違いなく『イケおじ』にカテゴライズされるナイスミドルなのに、胡散臭いその表情がすべてを台無しにしている。
隣に棒を飲み込んだような姿勢で立っているのはいかにも秘書然とした女性だ。彫刻のように冷たく美しい顔立ちで、眼鏡の奥の視線はさらに冷たい。
「私は社長秘書を務めさせていただいております、蒼井と申します。こちらは社長の天海です」
本能が叫んでいる。『この会社は絶対にヤバい』と。
自己紹介をすっ飛ばして、俺は半ばヤケになって言い放った。
「ご足労、ええ本当にご足労頂かせて頂きました、誠にありがとうございました。御社の非常に刺激的なご送迎は大変良い経験になりました!」
隣に佇む秘書は顔を不快そうに歪めたが、一方社長は何故か目をキラキラさせはじめた。
「あっ自己紹介が遅れましたね、私は誰もが『どこそれ?』と言うような大学の4年生の安芸理と申します。御社の業務内容に惹かれて募集したのですが、御社の業務内容に轢かれかけたので、今回は内定を辞退させていただきたく思います」
「まだ私共はあなたに内定を出しておりません」
「あっそうでしたよね!ちなみに1留して成績も両エンジンがやられて超低空飛行です。資格も特に何もありません生きる資格も無いかもです!実は投げつけられたエントリーシートをそのままポストに投げ込んだので業務内容も全く知りません!ですので御社のご期待には全く添えないかと思います!それでは失礼させていただきます!」
勢いよく立ち上がり、そのまま踵を返して退室しようとする、が、扉が開かない、外から鍵がかかっている。嘘だろ。
振り返ると二人は何やらぼそぼそと囁きあっていた。
「僕の目に狂いは…………だろ?…………だと思わない?」
「非常に不本意はありますが…………を鑑みると…………の人材と言えなくは…………」
会話は断片的にしか聞こえなかったが、非常に非常に嫌な予感がする。
社長が口を開いた。
「君、採用☆」
「あ゛????」
就職活動にあるまじき声が出てしまった。開いた口が塞がらない。
「君みたいな人材をちょうど求めていたんだよねぇ、いやウチはぐれ者の集まりだからさぁ」
「私は違いますけど」
隣の秘書がピシャリと否定した。
「そうかなぁ蒼井ちゃんもまぁまぁ型破りな人間だと思うよ、ウチで君何社目だったっけ?」
「…………十二社目です」
そんなに伏し目がちに歯ぎしりしながら言われても反応に困るぞこっちは。
社長がひょこひょこと歩み寄り、俺の手をグッと握る。
「留年穀潰しダメ人間大いに結構!てなわけで四月から出社してね」
俺はその手を勢いよく振りほどいた。
「いやですこんなヤバそうな会社!」
「うーんでも君にもう選択の自由はないと思うけどなぁ、他のトコじゃやっていけなさそうだし」
「職業選択の自由は国が保証してくれてるんですよ!?」
「でもここはウチの私有地だし、そのルールは通用しないかもなぁ」
「そんなグァンタナモ米軍基地みたいなこと言われても!!」
「国際情勢にもある程度詳しい、最高じゃあないかあ」
ゲームで得た知識をそんな風に曲解されても困る。
気張れ安芸理。ここが俺の踏ん張りどころだ。絶対に内定を辞退しなければ酷い目にあうのは目に見えているぞ。
「手取り32万」
「アッハイ。春からよろしくお願いいたします」
あれ?俺今何か言った?
「蒼井くん、録れてる?」
「ボイスレコーダーは四つ同時に動かしてるので抜かりはないかと、社長」
メガネをクイッと上げながら秘書が応える。
「言質は取れたし、僕としても君みたいな逸材は逃したくないなあ、君の家族を人質に取ってもいい気分だよ」
何言ってんのこの人!?
「今の部分は録音から削除しておきます、社長」
お前らめちゃくちゃ連携取れてるな!?
「まぁまぁ安芸くん、先っちょだけでもいいからとりあえず入社してよ。辞めようと思ったらいつでも辞められるからさ、大丈夫、悪いようにはしないよぉ」
渋みのある声から繰り出される、売人めいた軽薄なセリフのミスマッチがひどい。
大量に流し込まれた非現実と非常識に俺の頭はついにショートした。
「アッハイ春からよろしくお願いしますぅ…」
それを聞いた社長はニンマリとして言った。
「ようこそ、我が有限会社アンリアル・プロダクションへ」
頼む。せめて、これだけは聞かせてください。
「あのぅ…ここは何をする会社なんですかぁ…」
「夢見がちな少年少女に夢を見せてやるのが我々の仕事さ」
魅力的だが胡散臭いウインクをしながら言った。
ようやく解放され、ほうほうの体で外に出る。
背後に山をたたえた、打ちっぱなしのコンクリートの建物、プレハブ、木造家屋を無理やりつなぎ合わせた、3階建ての奇妙な社屋だった。
ガタついてまるで整合性が取れていない外見は、ネットで見たかつての九龍城砦 のような趣がある。そして舗装もされていない駐車場は社屋に比べて不釣り合いなほど広かった、
ここはどこだ。周りは空き地だらけで、遠くに家がまばらに見える荒涼とした場所だった。一応東京なんだよな?
ばんっと音がした。
音がした方を見ると、曽我部燐がワゴン車の側に立って、助手席のドアをばんばん叩いている。
「乗って、アキオサム」
そのか細い声が風に乗って俺の耳に届いた瞬間、足は勝手に動いていた。
ムダに広い敷地の外に向かってとりあえず走り出す。
後方で車のドアが閉まる音、けたたましいスターター音、迫り来るエンジン音。
ドリフトしながらワゴン車が俺の進路に回り込む。ものすごい量の土煙が上がって激しく咳き込んでしまった。
いつの間に車を降りたのか、背後から万力のような力で腕を掴まれた。
「乗って」
ああ、神様。
3月には免許を取ります。
願わくば、親の金で。
振り返ると曽我部燐はあのどヘタクソなウインクを一回した。
2日ほど寝込んだ後、重い足取りで就職課に報告しに言った。
俺のことを総出で助けてくれた職員は皆涙した。
どんな顔をしたらいいか分からなかったから、とりあえず就職活動用の薄ら笑いを浮かべた。
思いっきり頬を張り飛ばされた。帰宅してから匿名で大学にクレームを入れた。
非常に不本意ではあるが、これから俺は社会人になってしまうらしい。
それもとびっきり胡散臭くてブラックそうな、あの会社で。
超馬鹿野郎の俺には相応しい末路なのかもしれないな。
この世にチートなんてものは存在せず、収まるべきところに収まるように人間はできている、みたいだ。
第二話 はぐれ者のバーゲンセール 執筆中




