第九十八話
このご時世に差別的な発言は良くないよ!
「ううっ、むっ」
顔に当たる雨でオルビドは目を覚ました。
「ここは……」
周囲を見回すとネネとハナに負けた建物の前から動いていなかった。ただ彼女の手にはネネによって力任せに巻きつけられたワイヤーが食い込んでおりすでに悲鳴を上げていた。両手両足の末端の血が止まってしまっているようで不気味なほど白く変色している。
「ひっ」
オルビドは壁に寄りかかって座っており、その両隣に彼女が数時間前に殺した研究者どもの無残な死体が数多く横たわっていた。死体の一つはオルビドと目が合っており非常に気色が悪い。まるで動き出しそうなほど恨みの籠った目つきのまま死んでいた。
「いったん帰らないと」
あまりにもきつく縛られているせいで自力で拘束を解けそうにない。仕方なくオルビドは芋虫のように張って近場の建物まで移動することにした。無様な格好だが仕方ない。ネネとハナ以外の誰かに発見してもらえればこんな格好をしなくて済む。
「私、負けたんだね」
『消える能力』を以てなお、彼女はあの二人に敗北した。それがどうしてか彼女には理解できない。造り出されてから十五年と少しの彼女には到底理解が難しい世界に二人はいた。理不尽と己の実力不足に歯ぎしりをする。
「次は絶対勝つから。もう負けない」
そう心に決め、今はとにかく前に進むことだけを考えて動き続ける。
その時だった。遠くの方で爆発音がして、オルビドは思わず体をすくめる。
「何、今の音?」
爆発が起きた場所はすぐにわかった。ちょっと顔を上げればツインタワーの片方から煙が上がっているのが見える。あそこは最上階の尋問室のはずだ。なぜあの場所で爆発したのか想像もつかない。
「急がないと」
まさか身内で争うはずがなく、ならばあそこでなにかしらの戦闘があったのだと考えるほうが自然だった。一秒でも早く戦線復帰しなければ、オルビドは焦りを募らせる。
「くそー、きつすぎるよこれ!」
ワイヤーへ悪態をついても意味はない。だがそうしなければやってられない。
「それ、取ってあげましょうかぁ」
女の声。
ぞくり、とオルビドの背筋に悪寒が走る。何の声だ、これは誰の声だ。一秒前まで彼女の周囲には決して話すことのない死体しかなかったはずだ。足音もなく、気配もなく、こんな場所でわざわざオルビドへ話しかける酔狂な女は誰だ。海起か。彼女とは仲が悪い。助けてもらうくらいなら自力で拘束を解きたいぐらいだ。それにあの声は彼女の声ではない。ナナか。いや、ナナはこんな大人の声をしていない。これはクソガキの声とは遠くかけ離れている。
「誰、だ……」
顔を上げるとすでにその女はいた。立ってこちらを見下ろしている。よく手入れされた長い髪を雨で濡らし、お出かけ用のカーディガンを羽織った女がいる。
「う……」
オルビドは急に気分が悪くなるのを感じた。あまりにもミスマッチな女が現れてからだ。全身の肌がピリピリと不快に鳥肌が立つ。
「あら、ごめんなさい。こんな格好じゃ失礼よねぇ」
女はそう言うとこちらに微笑みかけた。するとどうだろう、女の服が突然燃え出し、その下からゴシックファッションが出現したのだ。くるぶしまである長い黒のドレスに包まれた。
「お前ッ!」
オルビドが叫ぶ。女の服装にさらにミスマッチさに磨きがかかっただけではない。
手品より奇妙な早着替えは人間にはとうてい不可能だ。人造人間が能力を使ったと考えるほうが自然で、それが彼女にとって大変よくない事態となってしまった。
見知らぬ人造人間が動けないオルビドに話しかける。生かすも殺すも女次第。
「あぁ、よく見たらあなた私の嫌いな髪形をしているわぁ」
「何を言って……」
「女の子なら女の子らしい髪形をしなきゃ。そうよねぇ?」
「私がどんな髪形をしていようがあんたに関係ないだろ! 放っておいてくれ!」
「男の子みたいな髪形しちゃってぇ。まるで可愛くないわ」
「うるさいな!」
「可愛くない。可愛くない。だから私はあなたのことが嫌いだわぁ」
そう言って女はオルビドに手を差し出す。助けてくれるのかと思ったが次の瞬間そうではなくなった。
「ぐっ、ぎゃあああああああああああ」
体が燃えるように熱い。いや、実際に体が燃えている。自己再生が間に合わないほどの高熱が体の中から発生している。
「熱い! なんで! やめてぇ!」
突如降りかかった理不尽にオルビドは涙を流す。その涙も炎で瞬く間に蒸発してしまう。
やがて彼女の口から火が噴き出し、ぐったりと動かなくなった。ぴったりと地面に顔をつけてそのまま粉となり消えた。
「私知ってたのよぉ、あなたは奴らの仲間だって。髪形なんて関係ないの。どっちにしろ皆殺しなんだからぁ」
間の抜けた話し方をする女、拓海の母親、白銀海。人造人間ナンバー8。そして本当の名前をナシェリーという。
「うふ、ふふふ。拓海くんはまだ元気なようね。待っててねぇ、今迎えに行くわぁ」
ざわぁ。
ナシェリーの周囲の空気が歪み、草木が枯れる。彼女の体が浮かび上がって、音より早く飛んで行った。目指すのはツインタワー。息子の拓海を救うためなら彼女はこれから立ちはだかる存在をすべて破壊し尽くし、この世から消し去る。
「ふふふ……」
どこからかナシェリーの声がするが、すでに彼女はここにはいない。
ナシェリーは不安と破壊をもたらす危険な能力を持っている。何が起ころうとすべて彼女の能力のせいにできるほどの理解不能の力が備わっている。
そのせいでこの島がこれから地獄へと化すのは誰も知る由もない。
オルビド死亡。




